6月もあと少しで終わろうとしています。6月が終わるということは、今年ももう半年が過ぎようとしているということです。
パスポートの記録を見ると、私がこちらに来てはじめてタイの在留資格ビザを取得したのが2012年の12月とあります。それまで何度も日本と往復してはいましたが、実際に生活の拠点を移してからというと、ちょうど2年と半年が経ったことになります。長いような短いような不思議な時間でしたが、極めて密度の濃いあっと言う間の2年半でもありました。
「拠点を移した」とはいえ、東京には今も古いマンションに家具や身の回り品を残してあり、仕事の打ち合わせはもちろん、チェンマイでは入手できない資料や機材の調達、実家のあれこれなどで行ったり来たりの生活です。飛行機で往復する際には大量の荷物(その多くが図録や写真集などグラフィック書籍、資料や機材であったりするため極めて重いです)をいくつかのスーツケースに分けてえっちらおっちら運びます。
ある時、BOSEの101スピーカー(小さなスピーカーです)を8発と本数分のマイクスタンド、ラックケースに入れたアンプとチャンデバに大量のケーブル類を詰めて税関を通ろうとしたところ、さすがに止められ「これはなんだ? なにに使うのか? そしておまえの仕事はなんだ?」と聞かれ、「これは趣味だ! 私の趣味だ! すべて家で使う。フォー・マイ・パーソナルユース!」と抗弁したところ。運が良かったのか面倒くさかったのか。私の顔をしばらくじっと見たかと思うと、手のひらをくいくいと動かして「もういい。行け」と無事通過することができました。
とはいえご禁制の品を持ち込んでいるわけでもなく、ものはすべて使用感のある私物で特に関税が必要な物品や数量でもありません。単に荷物として目立ったという以外は問題はありません(厳密に詳細を調べればもしかしたら申告の必要のある場合もあるでしょうが、その辺はケースバイケースです)。
そんなこんなでタイと日本を行き来した2年半ですが、ビザを取得してタイで暮らす外国人は、入国日から起算して90日毎に入国管理局(イミグレーション・オフィス)に出向き、パスポート持参のうえその居所を明らかにし、届出を行う必要があります。ミャンマー、ラオス、カンボジア等周辺国からの移民も多いタイでは、オーバーステイを監視しこれを未然に防ぐには有効な措置なのでしょうが、こちらで暮らす外国人にとっては結構な負担です。
チェンマイの入国管理局(以下:イミグレ)は空港近くにある平屋の小さな建物で、駐車場の数が絶対的に足りない仮設感全開の施設。役所というより草臥れた場末のファミレスか、寂れた地方駅の待合所という感じです。ここへロングステイヤーも多い観光都市チェンマイの外国人たちが、90日ローテーションで日替わりに訪れるわけですから毎日相当の混雑です。この混雑は施設のキャパシティにも起因する慢性的なもので、90日報告にはたいてい半日は費やさねばなりません。運が悪いと一日仕事です。イミグレは当然お役所ですから平日しか開いていません。
ですが私は幸運なことに、これまでイミグレの90日報告を一度も行うことなく過ごしてきました。仕事柄90日を待たずに出国(海外出張)しなければならないため、その都度在留日数がリセットされ、90日報告の必要がなかったということです。「頻繁な海外出張」などというと豪勢ですが、要は貧乏暇なしです。我々のような小さな会社はすべて自分たちでやらねばならない事が多く、さまざまな雑用から打ち合わせなど、気がつけば席の暖まる暇もなく海外出張せざるを得なかったということです。
そんな私が、先日はじめて90日報告を行いました。行ってみると豈図らんや。日頃の行いでしょうか。驚くほどすんなりと終了しました。
事前にネットから申請用紙(TM.47)をダウンロードし、青ボールペンで必要事項を記入し、何度も90日報告をこなしている会社のディレクターに確認してもらい、パスポートの写真ページ、ビザ記載ページ、最終入国スタンプページの3点をコピーしそれらにサイン。準備万端整えて午後3時ころ、イミグレに到着すると運良く一台分だけ駐車場が空いておりそこへ車を停めて受付へ。用件と告げると番号カードを渡されその数字が291番。電光掲示板に示された数字は289番。待ち人数わずか2人。5分もかからず番号が呼ばれ予め用意した書類を提出、ざっとチェックされ不備がないことを確認するとポンポンポンとスタンプが押され、サラサラっとサインされ、書類をプリントアウトし、それを折りたたんで私のパスポートにホチキスでパチンと留めて手渡された。所要時間は15分も掛からなかったと思います。同行したディレクター女史も「こんなに早いのは初めて」とのこと。
私の強運を自慢したいのではありません。準備万端の計画性を誇示したいのでもありません。私がチェンマイに来てはじめて90日以上この地に居るということが感慨深いのです。なぜに今回90日以上この地に留まっていたかといえば、兎にも角にも私たちのブランド「sal laboratories」のデビューのためです。
このブランドはとても多くの皆さんのご協力があって初めて実現しました。web制作からサーバの確保、ロゴデザインから知財関連まで、もろもろをサポートいただいた東京の多くのパートナーのみなさん。ブランドの要、ネットストアをチェンマイにて構築してくれたWeb&マーケティングチームのみなさん。翻訳チームのみなさん。バンコクにて決済システムをサポートしてくれたみなさん。そしてチェンマイの私たちの素晴らしいスタッフたちに感謝します。彼女たちは私たちの誇りです。sal laboratoriesのオンラインストアがオープンいたしました。https://www.sallab.jp/
なんだか欧米人の書く本の「あとがき」みたいになりました。(Jiro Ohashi)