新人が何人も立て続けに加わり、そのトレーニングによりここ数ヶ月というものは、えも言われぬ緊張感が製造部門の現場に漂っていました。
勤務時間後にも、今最も忙しいガスールチームリーダーのエー・ドイさんやラーさんを筆頭に全部門リーダーたちが集まり、新人たちの成長ぶり、不足とその改善方法の話し合いが小一時間も続くこともしばしばでした。
何故、全部門が集まるかといえば、そこに私たちの会社の製造ポリシーがあるからです。
我が社の製造スタッフにも主に担当する特定の製品があります。しかし特定の製品のみに担当を固定させず、誰もが全ての製品の製造に対応できるようになること、製造に関しては全員がジェネラリストを目指す事が私たちのポリシーです。
故に、現在ガスール製造を主に担当しているメンバーも、石鹸やアルガンクリームの製造の技術を持っていますし、製造計画によっては、普段は石鹸製造をしているチームが、ガスール製造チームやクリーム製造チームに合流することなどもあたりまえです。飛び抜けて技術のあるスタッフは、二つの製造ラインを一日に何度も往復することさえあります。
これは確かに人件費の効率を良くしますが、私たちが重視しているのはそれ以外の事。
例えば万が一問題が発生した場合、誰もが全体を見渡せ、原因を推測し、何が問題か理解し、当事者意識をもって意見を交わせる事は、より根本的な問題解決を目指せるという大変なメリットです。
また、全体を知る事は、自分がその業務の部分であると同時に全体である事を意識し、責任と個人の個性と尊厳をもって業務にあたってもらうことにも繋がります。これも各人の高い業務意識の維持、そして高い品質と技術の維持に関わる大切な原動力です。
そのため、新人たちはまず各製品の全製造工程を総当たりで学び、それにリーダーたちは伴走します。更にリーダーたちはその経過報告を情報共有し、今後の傾向と対策を全部門で検討するのです。
今回の大量の新人入社のきっかけは、お客様からの急な注文です。それでも皆で面接し、この人を育てるのだ!と意を決して来てもらった新人たちですし、製品に何か問題があれば、それが及ぼす影響の範囲にも充分過ぎる想像力を持つリーダーたちです。一人一人をしかと育てるためにも、製造の基本を教える間は気を緩めません。そんな責任感とともに夕方話し合われた反省や新しい方法が、翌日、新人たちにレクチャーやトレーニングに反映され、新人たちも充分受けとめる、そんな双方の努力のかわしあいが続いていたのです。
その甲斐あって仲間にも仕事にも馴染みはじめ、少しずつ担当できる製品や業務の範囲も広がり、製造現場全体に漂っていたひりついた空気が落ちつき始めたのが、この頃です。
しかし、実はそれぞれが製造のジェネラリストとして自信と実際の技量を持つようになっても、私たちの製造現場では、誰もがあたかも剥きたての半熟ゆで卵のようにデリケートにフラジャイルな初心者にもどってしまうような、重厚にあるいはキラキラと輝く誇りという魂の甲冑も丸裸に剥がされてしまう一瞬が、毎日あります。
それは朝の朝礼です。
各チーム毎に全員が集合し、製造工程を口頭で確認し、その後皆が見守る中で、指名された一人が、スタッフ全員が囲むテーブルに座り、各工程、注意すべき点など改めて言葉にしながら、演舞のように作業をひととおりデモンストレーションするのです。特に製造工程の多いガスールのそれは厳格です。
テーブルに一人向かい、作業を言葉にしながら手を動かす周りを30名程が取り囲み、今まさに進めている自分の行為をじっと、たった一つの漏れも見逃すまいと、思考する視線60本が押し寄せ、鋭く細かく、ちりちりと手元を走り回るのです。
きっと体中を小さな蟻に噛まれているような心地でしょう。あるいは演舞と書いたように、視線が集まる中、作業テーブルにつくことはステージに上がることにも等しいでしょう。見ていると円い小さな台の上、群衆に囲まれながらゆっくりと踊り始める、モーリス・ベジャールのバレエ「ボレロ」の始まりからクライマックスのような緊張が伝わってきます。
当然そんな所に座って、作業をしてみせるというのは、冷静に普段通りにできるものではありません。
文句無しの腕前のベテランでも、緊張で指先が震えてしまい、ガスールの欠片をはね飛ばしてしまい笑いを誘う人、段取りの説明を飛ばしてしまい、「○○は?」との指摘に慌てて既に緊張で赤い顔が更に赤らんでしまう人、息が詰まって言葉が途切れてしまう人、落ち着いてやろうとする余り、通常の倍くらいのスローペースになってしまう人などもしばしばです。誰しもが普段通りにできるものではありません。それでも、無事やりとげて席にもどる時は、皆、晴れやかな顔をしていますし、さっきは鋭い指摘をした周りも「お見事!」とやりとげた人を賞賛する笑みを浮かべ、中には音を立てずにそっと拍手をする仲間もいます。
この緊張のひと時が過ぎると、リーダーたちとジャックさんから改めて注意事項と、業務開始の挨拶があり、全員がそれぞれの持ち場へと席を立ち、作る事に全身で立ち向かう一日が始まります。
「一日として同じ日はありません。製造だってそうです」
「何しろ、私たちが使う原料は、自然が作ったものですもの」
「問題があれば大変よ。でもプラソッブカーム (タイ語で経験の意) から学べることがあるからとても大切な事ね。だから問題解決は楽しいものよ」
ジャックさんやリーダーたちの口癖です。
タイにそうしたことわざがあるかどうかは知りませんが「初心忘れるべからず」を地でいくSAL Laboratoriesの面々です。
それでも、しばらく、余りに静かでお通夜のようだった朝のテーブルの一幕も、笑いや歓声、ユーモアの効いた合いの手めいたツッコミも聞こえるようになり、新人たちの腕前も姐さん達のお眼鏡に適ってきたようです。
この一見単調とも思える、しかし濃密で新鮮な製造の日々に、おそらく誰一人として慣れることはないでしょう。(A.H.)
勤務時間後にも、今最も忙しいガスールチームリーダーのエー・ドイさんやラーさんを筆頭に全部門リーダーたちが集まり、新人たちの成長ぶり、不足とその改善方法の話し合いが小一時間も続くこともしばしばでした。
何故、全部門が集まるかといえば、そこに私たちの会社の製造ポリシーがあるからです。
我が社の製造スタッフにも主に担当する特定の製品があります。しかし特定の製品のみに担当を固定させず、誰もが全ての製品の製造に対応できるようになること、製造に関しては全員がジェネラリストを目指す事が私たちのポリシーです。
故に、現在ガスール製造を主に担当しているメンバーも、石鹸やアルガンクリームの製造の技術を持っていますし、製造計画によっては、普段は石鹸製造をしているチームが、ガスール製造チームやクリーム製造チームに合流することなどもあたりまえです。飛び抜けて技術のあるスタッフは、二つの製造ラインを一日に何度も往復することさえあります。
これは確かに人件費の効率を良くしますが、私たちが重視しているのはそれ以外の事。
例えば万が一問題が発生した場合、誰もが全体を見渡せ、原因を推測し、何が問題か理解し、当事者意識をもって意見を交わせる事は、より根本的な問題解決を目指せるという大変なメリットです。
また、全体を知る事は、自分がその業務の部分であると同時に全体である事を意識し、責任と個人の個性と尊厳をもって業務にあたってもらうことにも繋がります。これも各人の高い業務意識の維持、そして高い品質と技術の維持に関わる大切な原動力です。
そのため、新人たちはまず各製品の全製造工程を総当たりで学び、それにリーダーたちは伴走します。更にリーダーたちはその経過報告を情報共有し、今後の傾向と対策を全部門で検討するのです。
今回の大量の新人入社のきっかけは、お客様からの急な注文です。それでも皆で面接し、この人を育てるのだ!と意を決して来てもらった新人たちですし、製品に何か問題があれば、それが及ぼす影響の範囲にも充分過ぎる想像力を持つリーダーたちです。一人一人をしかと育てるためにも、製造の基本を教える間は気を緩めません。そんな責任感とともに夕方話し合われた反省や新しい方法が、翌日、新人たちにレクチャーやトレーニングに反映され、新人たちも充分受けとめる、そんな双方の努力のかわしあいが続いていたのです。
その甲斐あって仲間にも仕事にも馴染みはじめ、少しずつ担当できる製品や業務の範囲も広がり、製造現場全体に漂っていたひりついた空気が落ちつき始めたのが、この頃です。
しかし、実はそれぞれが製造のジェネラリストとして自信と実際の技量を持つようになっても、私たちの製造現場では、誰もがあたかも剥きたての半熟ゆで卵のようにデリケートにフラジャイルな初心者にもどってしまうような、重厚にあるいはキラキラと輝く誇りという魂の甲冑も丸裸に剥がされてしまう一瞬が、毎日あります。
それは朝の朝礼です。
各チーム毎に全員が集合し、製造工程を口頭で確認し、その後皆が見守る中で、指名された一人が、スタッフ全員が囲むテーブルに座り、各工程、注意すべき点など改めて言葉にしながら、演舞のように作業をひととおりデモンストレーションするのです。特に製造工程の多いガスールのそれは厳格です。
テーブルに一人向かい、作業を言葉にしながら手を動かす周りを30名程が取り囲み、今まさに進めている自分の行為をじっと、たった一つの漏れも見逃すまいと、思考する視線60本が押し寄せ、鋭く細かく、ちりちりと手元を走り回るのです。
きっと体中を小さな蟻に噛まれているような心地でしょう。あるいは演舞と書いたように、視線が集まる中、作業テーブルにつくことはステージに上がることにも等しいでしょう。見ていると円い小さな台の上、群衆に囲まれながらゆっくりと踊り始める、モーリス・ベジャールのバレエ「ボレロ」の始まりからクライマックスのような緊張が伝わってきます。
当然そんな所に座って、作業をしてみせるというのは、冷静に普段通りにできるものではありません。
文句無しの腕前のベテランでも、緊張で指先が震えてしまい、ガスールの欠片をはね飛ばしてしまい笑いを誘う人、段取りの説明を飛ばしてしまい、「○○は?」との指摘に慌てて既に緊張で赤い顔が更に赤らんでしまう人、息が詰まって言葉が途切れてしまう人、落ち着いてやろうとする余り、通常の倍くらいのスローペースになってしまう人などもしばしばです。誰しもが普段通りにできるものではありません。それでも、無事やりとげて席にもどる時は、皆、晴れやかな顔をしていますし、さっきは鋭い指摘をした周りも「お見事!」とやりとげた人を賞賛する笑みを浮かべ、中には音を立てずにそっと拍手をする仲間もいます。
この緊張のひと時が過ぎると、リーダーたちとジャックさんから改めて注意事項と、業務開始の挨拶があり、全員がそれぞれの持ち場へと席を立ち、作る事に全身で立ち向かう一日が始まります。
「一日として同じ日はありません。製造だってそうです」
「何しろ、私たちが使う原料は、自然が作ったものですもの」
「問題があれば大変よ。でもプラソッブカーム (タイ語で経験の意) から学べることがあるからとても大切な事ね。だから問題解決は楽しいものよ」
ジャックさんやリーダーたちの口癖です。
タイにそうしたことわざがあるかどうかは知りませんが「初心忘れるべからず」を地でいくSAL Laboratoriesの面々です。
それでも、しばらく、余りに静かでお通夜のようだった朝のテーブルの一幕も、笑いや歓声、ユーモアの効いた合いの手めいたツッコミも聞こえるようになり、新人たちの腕前も姐さん達のお眼鏡に適ってきたようです。
この一見単調とも思える、しかし濃密で新鮮な製造の日々に、おそらく誰一人として慣れることはないでしょう。(A.H.)