2015年9月28日月曜日

長い髪 long hair women

先日、タイの漆のことに詳しい先生と会う機会があり、いろいろな話を伺った。その話を聞いているうちに、漆を使って仏像の修復をしているチェンマイの職人さんが、「仏像に漆を塗る刷毛には、女性の髪の毛が最も良い」と話していたことを思い出した。

日本でも漆を塗る刷毛に女性の髪の毛を使うことがあるそうで、香川県の漆の専門家が、「大陸の女性の髪の毛よりも、海藻を良く食べる日本の女性の髪の方が腰があって質がよい」と言っていたことなども思い出した。

長い髪と言えば、子供の頃に読んだ、「髪長姫」の絵本を思い出す。小鳥がくわえて運んできた髪長姫の髪を見た帝が、これほどの美しい髪の女性はさぞ美しいに違いないその長い髪の持ち主に恋をするというお話だ。

昔のラーンナーの女性も髪の毛を大切にしていて、腰まで届くほど伸ばしていたそうだが、仏像を作る時に刷毛が必要となった時、その髪を切って捧げることは、出家のできない女性にとって何よりも大きな徳が積めると信じられていたそうだ。ミャンマーから来たタイヤイ族の人も同じことを言っていた。

目の前で漆のお話をして下さっている先生にそんな話をしてみようかと、「女性の長い髪の毛を…」と切り出したとたん、「ええっ! 怖い」と後ずさるほど怖がられた。そのリアクションにこちらも驚き、それきり髪の話はできなかった。お化けの民話にも詳しいその先生は、「女性の髪ほど怖いものはない」と力説しておられた……。

髪の毛が特別なものという感覚は、アジアの女性に共通する価値観かもしれない。チェンマイの女子大生も、10年程前は9割くらいがサラサラのロングヘアだったと思う。今でも半数くらいはロングのような気がする。でも、私は素敵なショートカットの女性のことを本当のお洒落さんだと思っている。ものぐさの私は、いつも髪の毛はだらだらと伸ばしてしまいがちだからだ。昔の人がみたら女性に生まれて来たのにと叱られるかもしれない。一度、それこそ腰に届くほど伸びてしまったことがあり、その時は脱毛した患者さんのためのカツラに利用できると聞き、癌センターに寄付をした。髪の毛の量が多いので、2人分になりそうだと喜ばれた。

暑い国では長い髪のお手入れは大変だ。みんなどうしているんだろう。

sallabのアメニティグッズの中には洗髪用の「クエン酸」が入っている。薬を包むように折りたたんだ紙のパッケージが粋である。使ってみたら、さっぱりとした洗い心地でなかなか良かったので、それをきっかけに、市販のシャンプーの代わりにリンゴ酢などで洗うようになった。たまにココナッツのクリームをつけるくらいのお手入れで、それなりに艶がでた。

それにしても、髪の量が多くて乾かすのが大変。しかも汗かきときていて、髪が長くなればなるほど手入れをするのが大変になってくる。加えて伸びるのが早く、放っておくとすぐに「長たらしく」なってしまう。

「髪を切ろう!」

そう思い立ったら、すぐに家の中で一番良く切れる鋏を取り出して、ひとつに結わえた髪の根元からじょきっと切り落とす!  ……はずだったのに、まるで髪の毛が鋏を拒むかのように、鋏の刃が押し戻される。ただ単に髪の量が多いからなのだが、何か髪の毛の意志のように思え、いやそんなものに負けるものかと、何回かに分やっと切ることができた。

切り終えた後は、頭が軽くなって、すっきり、さっぱり。みっともない散切り頭にならないように、適当に揃えて完成。さて後片付けをして、と、ゴミ箱いっぱいの長い髪の毛の束が目に入ったとたん、どきっとした。黒光りする柔らかい塊は、触ってみるとまだ生温かく、私から切り離されて別の意志を持ったかのような奇妙な存在感がある。何か目に見えないものを宿しているかのようで、不気味ともいえる。例の漆の先生が見たら、卒倒するかもしれない。これからは迂闊に髪を伸ばして、うっかり情念など宿させてしまわないないようにしなければ……と反省した。

*写真上:お隣ラオスの首都ビエンチャンにて
   中:チェンマイのメーチェム郡にて
   下:sallabの提供する「ほしはなヴィレッジ用アメニティセット」より


古川節子(Setsuko Furukawa

現地無料情報誌「ちゃ~お」編集、ライター。
徳島県出身。京都精華大学人文学部卒業。
在学時代から写真を撮り始め、タイフィールドワークでタイの田舎の暮らしに興味を持つ。
1999年からチェンマイに在住。北タイの様々な風習を中心に、北タイの魅力を写真と文で伝える。



2015年9月15日火曜日

化粧品のある暮らし my natural skin care

お盆を過ぎれば秋がやってくる札幌から、無事にチェンマイに戻ってきました!実家での「のほほーん」とした生活にサヨナラ。山ほどの洗濯物と、日々3回の食事作りと、片付け物と、1歳半の息子と全力で遊び疲れ果て寝る、、いつもの日常がかえってきました。

慌ただしい毎日の中で1番の気分転換になったのは、sal laboratoriesのオンラインショプから届いた商品を開封し、バスルームに並べることでした。息子のお昼寝の時間を狙って、コソコソと作業。段ボールをあけると、丁寧に梱包されたシンプルで美しい白いボックスが出てきて、それだけで胸がワクワクと高鳴りました。ボックスを開けてみると、真っ白な陶器が。以前sal laboratoriesの勝山桃子さんが「夜空に浮かぶ白い満月のよう」と表現したことが納得出来る、凛とした美しさでした。丸いフォルムは手にぴったりとおさまります。

注文した商品の中から、ガスール、アルガン石けん、ラベンダーのアルガンクリームを選んで、バスルームに並べてみました。何でも触りたい!実験したい!年頃の子どもを育てているわたしにとって、壊れやすい陶器の器に最初は懐疑的な部分もありました。でも、その3つの美しい器がバスルームに綺麗に並んだ時の感動と言ったら!その一角に目をやるだけで「わたしは、女性として、きちんと生きている」という気分になるのです。

プラスチックに入った派手なパッケージの化粧水をバタバタと顔に叩き込んでいたころの自分と、スキンケアに対する心持ちは180度変わりました。どんなに忙しくても、朝と夕方のスキンケアタイムは母親である自分から少しだけ離れて「わたしだけの、特別な時間」と考えるようになりました。一呼吸置いて、自分自身の肌と向き合い、自然との調和を感じながら、いたわり、ケアをする。外に分散している気持ちが、自分の内側と向き合うことで、落ち着いていく。sal laboratoriesの商品は、日常の中にこれだけ豊かな時間をもたらしてくれました。

まずは、その日の肌のコンディションに合わせてガスールかアルガン石けんを選びます。さっぱりと洗い上げたい時はアルガン石けんを。ふんわり豊かな泡立ちを感じながら、優しく肌にのせて洗っていきます。洗顔石けんにありがちな重さがなく、爽やかな使用感はコールドプロセスならでは。つっぱり感もなく、肌との調和が感じられる石けんはわたしの大のお気に入りです。

しっとりと洗い上げたいときは、ガスールを選びます。器に5個から10個ほどかけらを入れ、約2倍の水で溶かします。ガスールが柔らかくなるのを待って、強くこすらないように、優しくマッサージしながら洗い上げます。ガスールを洗い流した時の肌の「しっとり感」は、一般的な洗顔料では決して味わえないもの!毎回感動してついニコニコしてしまいます。マイナスイオンで肌の汚れを吸着するうえに、中性なので肌に刺激を与えません。日焼け肌にもピッタリです。

さらに時間に余裕がある時は、ガスールでパックをしています。ひんやりと気持ちのいいクレイをたっぷりと肌にのせていく贅沢!目の周り、口の周りは避けて、デコルテまでパックします。クレイが乾燥する前に洗い流すのがポイント。パック後には肌に潤いが戻り、肌の色も一段明るくなったように感じられます。

そして最後はアルガンクリームで肌を整えます。アルガンクリームに出会うまで、しつこいくらいに化粧水をたっぷりと使っていましたが、いまはアルガンクリーム1つで保湿しています。何度も化粧水をはたかなくても、肌のキメが整い、しっかりとした潤いが感じられるので、シンプルなケアに集中することにしました。
チークの古材で削りだしたスパチュラで真珠玉ほどのクリームをすくいとり、手の温度で温めながら肌にのせます。肌にゆっくり、じんわりと浸透し、時間が経つほどに深い潤いを感じられる使用感は、これまで試したどのクリームでも感じることができませんでした。そして何より嬉しいのは、大好きなラベンダーの香りに包まれながらスキンケアできること。肌を引き締め清潔に保つラベンダー精油の効能はもちろんですが、香りに癒されながらスキンケアできるのは、女性として、至福の一時です。

3つの器には大切なものが入っているとわかるのか、息子も触りたい! とかイタズラしたい! とは言わず、スパチュラでクリームをすくうところなど、じーっと見入っています。使い終わった陶器の器はインテリアとしても活躍しています。sal laboratoriesの商品は単なる「化粧品」という枠を超えて、私たちの暮らしに彩りを添えてくれています。(Midori Tanioka)

*私たちの製品をこんな風に思い、こんな風に使っていただけるのは嬉しい限りです。こんなに褒めていただいて気恥ずかしくもあり、ちょっぴり誇らしくもあり ...。ありがとうございます。(sal laboratories)


谷岡 碧(Midori Tanioka)
 84年、北海道札幌市生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業。大学2年時にタイ・チェンマイにあるHIVに母子感染した子ども達が暮らす「バーンロムサイ」でボランティアを経験。以来「バーンロムサイ」の映像制作に携わるようになる。07年、テレビ東京に入社。報道局に配属され、記者・ディレクターとして5年4ヶ月勤める。在職中は社会部担当の記者として、秋葉原連続殺傷事件、小沢一郎議員の陸山会を巡る事件等を取材。東日本大震災の発生時には、翌日から現地入りし、南三陸町・気仙沼等で取材活動を行った。12年、テレビ東京を退社し、タイ・チェンマイへ移住。バーンロムサイにてボランティアスタッフを務める。15年、バーンロムサイを退職し、夫・谷岡功一とともにtetol asia Co., Ltd.を設立。

2015年9月8日火曜日

タイ、チェンマイでネットストアをオープンするということ。その2 Online store in Chiangmai ,part2



先日、記事を投稿した「タイ、チェンマイでネットストアをオープンするということ。その1。」
http://fromchiangmai.blogspot.jp/2015/07/online-store-in-chiangmai-part1.html
何名かの方々にご要望をいただいたので、もう少し続きを書きたいと思います。

私たちのオンラインストアでは、先月ついに、クレジットカード決済のほか、銀行振込みと、カウンターサービスの導入をしました。カウンターサービスとはあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、注文確認後に、スリップをプリントアウトして、Big Cや銀行のカウンターで代金を支払うというもの。プリントアウトして準備するというと少し面倒に思えますが、携帯電話の画面などをカウンターで見せても同様の処理ができ、ほとんどのタイ国内の銀行のカウンターで受け付けています。
このカウンターサービスは、ここタイでは一般的で、およそ50%がクレジットカード決済を利用し、残りは、銀行振り込みや、カウンターサービスを利用されるようです。







クレジットカードの普及率がまだ8%ほどのタイ国内では、銀行振込みや、カウンターサービスの選択肢は必要であると感じています。チェンマイへ移住しておよそ3年ですが、そもそもお金に対する考え方、商習慣が根本的に日本とは違っており、オンラインだけですべてが完結する日本のネットショップの現状とは別物のように感じています。人と人との触れ合いが時には心地よいタイ、とにかく便利な日本のオンラインストア。ここチェンマイで暮らしていて思うのは、日本の良さ、チェンマイの良さを気持ちよくミックスさせていきたいということです。


また先日ついに、日本語、英語に加え、タイ語バージョンを追加しました。
既存の日本語をそのまま翻訳するのではなく、できるだけタイ人の方にわかりやすく、まだまだ知られていない商品の良さを少しでも多くの方に知っていただきたいと思い、日本語堪能なタイ人スタッフを先頭に、みんなで創意工夫しながら翻訳を進めました。

SAL Laboratoriesのミッションには、以下のような一文があります。
ーーー
私たちはチェンマイの地で、世界各地で永らく育まれてきた、それぞれの文化と自然の知恵に裏打ちされた高い技術と美意識、そして私たちのものづくりに関わる全ての人々の固有性に敬意を払います。そして、このような文化と歴史と自然に培われ、深く生活に根ざした知恵と経験、身体に優しい自然素材を活かしながら製品を作ります。
ーーー
https://www.sallab.jp/index.php/sallaboratories/


私たちは、当然、製品を販売するオンラインストアでも同じミッションを掲げています。決して簡単なことではありませんが、チェンマイの地から発信する意義を感じながら、心地よく、気持よく、オンラインストアを運営できることに感謝しています。(Koichi Tanioka)

2015年9月2日水曜日

背中から覗いた景色 memories on the back over

規則正しく動く手、同じサイクルで聞こえる音、ときどきスタッフの話し声と笑い声。時間が許すなら、相手を緊張させないのならば、いつまでもずっと見ていたい、工場で流れる私の好きな時間です。
1年前、私がまだ入社して間もない頃、現場研修としていろいろな体験をさせてもらいました。その中で今でもよく思い出すのがバイトゥーイ(パンダナスの葉)の花の折り方を教えてもらった時のことです。
チェンマイ郊外にあるリゾート、hoshihana village のお客さま用のアメニティとして作っているこのバイトゥーイの花は、お部屋に置いてもハンカチに包んでもふわりと香る清楚な緑のバラのようです。月に一度この作業の日が来ると、少し離れた場所でデスクワークをしていても、バイトゥーイの青っぽくて甘い香りが漂ってきたものでした。

この作業の担当はカーンさんとトイさんのベテランコンビです。カーンさんは折る手順をひとつずつ説明してくれ、それでもうまくできずにいると手を戻してまた説明してくれます。花びらの層が3層ほどしかない私の不出来なバイトゥーイの花を「うまく折れてるよ」と褒めてくれました。トイさんは言葉ではどう説明したらいいか分からないという様子で、バイトゥーイの花をいくつも折っては見せてくれました。トイさんの手元を見ていると、まるで手が勝手に動いているかのように、ものの1分足らずで次々に緑のバラができあがっていきます。「学校で先生が教えてくれたの?」という私の質問に、「周りの大人たちが作っているのを見て自然と覚えたのよ。お寺にお参りに行くときにはこの花とお線香のセットをいくつも作って持って行くのよ」。そう答える間もトイさんの手は止まることなく花を折り続けていした。

トイさんの周りにはいつも静謐な空気が漂っています。いつも穏やかで、大きな声で話したり大笑いする姿を見ることは滅多になく、休憩時間も軽く体を動かしたり、疲れた目を休めるために緑を眺めている姿を見かけます。いつも変わらず穏やかな雰囲気をまとうトイさんを見るたび、ちいさなことで喜怒哀楽している私は羨ましくなります。
バイトゥーイの折り方を習った日も、トイさんは甘いバイトゥーイの香りの中、規則正しく手を動かして次々と緑の花を銀色のバットに並べていきます。…私が折ったらゆるゆるのバラにしかならないのに、トイさんが折るとどうして同じ大きさ・同じ密度でできるんだろう…と、私はトイさんの手元を後ろからそっと覗いていました。その時なぜだか以前にも経験したような懐かしい気持ちになりました。しばらく経ってからふと思い出したのですが、その時の気持ちは、私が小学生の頃、祖父母の家に遊びに行った時に感じたのと同じだったのです。

両親は仕事で忙しかったので、夏休みになると毎年祖父母の家に遊びに行くのが恒例でした。といっても祖父母の家の近所に友達がいるわけでもなく、たいていは祖父の散歩についていったり、祖母がご飯の用意をするのを手伝ったりしながら、散歩途中に見かけた花を水彩で描いてもらったり、煮干から出汁をとる方法を教えてもらったりして過ごしました。なぜだかトイさんの背中からそっと覗いた光景がそんな昔の出来事を思い出させてくれたのです。
小豆ともち米を炊いておはぎを手作りした際、大量に入れる砂糖の量に驚いたこと。破れた靴下を繕い、服についたシミを落としてくれることがとても嬉しかったこと。おはぎはお店で買うもの、破れた靴下は捨てるものと思っていた私にとっては、祖父母と過ごした一週間ほどの夏休みは発見と小さな感動の連続でした。

トイさんの背中は、うまくできない私に教えてあげようというのではなく、いつもやっていることをただいつもどおりにしているだけなのですが、その背中が醸し出す雰囲気は祖父母のそれと同じで、忘れかけていた私の中の遠い記憶がつぎつぎと蘇ってシンクロし、しばらくぼうっとなったのでした。

それはいつまで見ていても飽きない、いつまでも眺めていたい静かで平和な時間でした。人の手がものを作り出す瞬間や自分ができないことを当たり前にやってのける人を目の当たりにする感動、sal laboratoeies のものづくりの現場にはこういうエピソードがまだたくさんありそうです。こんな懐かしい思い出にまた出会いたいな、と思います。(Momoko Kastuyama