先日生まれて初めて車の運転をした。いまどき40代も半ばで運転免許も持っていないというのは些かどうかとも思うけれど、要はタイミングを逸したのである。10代後半の免許取得適齢期にそちら方面に全くと言ってよいほど興味が行かなかったのである。日本では身分証明書が必要な場面で健康保険証を出すのも慣れてしまった。「写真付きは(免許は)お持ちでないですか?」と言われれば加えて公共料金の領収書を添えるのにも慣れてしまった。
遊園地などでもゴーカートの類に乗ったことはない。レーシングゲームなどもかつてやったことはあるものの、ハンドル操作の感覚がわからず、ガードレールにゴリゴリ接触し続けての走行で車は大破。全く面白くない。
そんなぼくが運転免許の必要性を感じたのは、ここチェンマイに来てからのこと。この街では車が無くてはどこにもゆけません。当初は地図を見ながら「歩けばいいや。自転車でいいや」くらいに考えていたものの、その考えは全く通用しない。まず街が広い。チェンマイの中心部は景観を考えてか建物の高さ制限があり、単位面積あたりの集積度を上げることができない。なのでショッピングモールもオフィスも住宅地もどんどん郊外に拡張しており、旧市街はともかくとして、もはや人が歩いて移動できるスケールの街ではない。
そしてまず外を歩いている人などいない。昼ひなか40℃近い暑い屋外を歩く人がいない。みな日中は木陰でじっと動かず涼んでいるか、移動が必要ならば自家用車(こちらではピックアップがとても多い)かバイク、そしてソンテウ、トゥクトゥクといった乗り合い自動車を利用する。列車はあるが、あくまでそれは長距離路線で街中の移動手段ではない。地下鉄はない。雨季の洪水でトンネルがやられるからだ。
たまにヘルメット、サングラス、サイクルパンツのフル装備でスポーツバイクに乗っている人々も目にするが、そうした自転車は大抵ファラン(外国人)かスノッブなタイ人であって決して一般的ではない。
というわけで免許が必要なのである。こちらにもドライビング・スクールはあるにはあるが、どうしても通わなければならないものでもないらしい。適当な広い空き地で免許を持っている人に教わりながら自主的に練習し、いけると思ったら車通りの少ない道を選んで路上で運転し、度胸が付いたら試験場へ行って免許を取るのである。ちなみに試験は自分の車で受けるので、家から試験場までは自分で運転してゆかなくてはならない。「ん? それでは順番が…」と一瞬思うもここはマイペンライの国、タイである。法的規制は緩やかで免許や資格に関しても大抵おおらかだ。とはいえそれは存在しないわけでもない(必要な場合には厳然と顔を出します)。
実際道路にはナンバープレートの付いていない自動車をいくらでも目にする。高く積めるだけ積んだトラックの荷姿からは荷載重量制限の存在は感じない。ピックアップの荷台に大人15人は乗る。子供が平気でバイクを運転している。信号機は時たま壊れて消灯している。それでも道路はたいてい事故もなく流れている。これが所謂アジア的といわれるところ。
動画(http://www.youtube.com/watch?v=oetF3UTIwbc)はチェンマイではありませんが、アジアの国々では、信号等の規制が無くともこうして阿吽の呼吸でシステムが機能する例は多い。いい加減といわれながらも、自立的に機能し、それぞれが他者の存在を意識しながら自己目的はきちんと達成する。(Jiro Ohashi)