2013年10月31日木曜日

夜の工場と鉄の淑女たち night factory and satree lec

私たちの工場。
といっても使う道具は、スタッフたちの身体よりも大きかったり、その仕組みが使い手にブラックボックス化した工業団地のロボットや、壮大で大規模な機械システムなどはありません。
パッケージの口を閉じるシーラーや電気秤が私たちの「機械」です。会社開設当初、外資で輸出専門の企業と聞き、これは将来資産として課税対象にできるお宝の山ではないか? と大きな機械などの資産を期待して視察に来た役人が、「それで工場はどこか?」と、作業スペースの真ん中に立って宣い、「いやここなのです」。「機械がないではないか」。「機械は使いません。頭と手が私たちの大切な道具なのです」というどこかちぐはぐな会話をした。それが、私たちの「工場」です。
なので、実際はアトリエ、工場と書いても「こうば」と読むのが相応しく、かつその風情は殆ど厨房。そんな場所が私たちの仕事、もの作りの舞台なのです。
時間をかけて鍛えた想像力や経験、勘を一杯に詰め込んだ頭脳と手が、私たちスタッフにしか持ち得ない、他にはあり得ない素晴らしい道具であり財産。ほんとうに「身体が資本」の職場なのです。それを駆使して日々、ものづくりに私たちは励んでいます。

そのように、私たちのスタッフの仕事は、五感をフルに生かし、集中しつづける作業です。
就業時間は午前9時から夕方5時。途中に2回の休憩と昼食の時間を挟んでも、決して短い時間ではありません。
それぞれの健康や生活を尊重しつつ、経験を十全に活かしてもらうよう、仕事の仕方や環境を守ることはとても大切です。

そんな折も折、取引先より、余りに急で余りに大量の発注がありました。
そのガスールの量は生半可な事ではありません。確かに注文はありがたいものですが、こちらは丁度、ガスール原材料のモロッコからの到着を待っている最中で、倉庫の原料在庫は底を尽きかけていました。運良くあと数日でそれがバンコクに着くことになっていましたから、原材料がなくて、発注をお断りしなくてはならないという最悪の事態は避けられました。
とはいえ、その唐突さはもちろんのこと、発注量と日程という数字の厳しさは常軌を逸した域のもの。でもその一方で、私たちの製品に興味を持ってくださった新しい取引先の方たちにも応えて差し上げたいという気持もあります。
私たちとジャックさんは何度も日程や製造できる最大限の量を検討し、1日の生産量の上限ぎりぎりの、かなり難しい数字を出しました。しかも、それはタイの労働法で定めるぎりぎりの残業をしての数。
その日程を見て「これでは、もう現場がしょんぼりしてしまうかもしれない」。と私はなんだか苦しくなってしまいました。
そんな事はできるならばしたくありません。なぜなら、殆どのスタッフが母親であり主婦であり、家族との時間をとても大切にしています。
そして、あまりに長時間にわたる作業は、大切な視力などの身体感覚や気力を摩滅させ、ともすれば品質にだって影響を与える事になるからです。
目先の利益のために、大切な技術も社員たちも、お客様の信頼も私たちは失いたくはありません。個人を尊重し、その人生を大切にするような持続的な仕事がしたいのです。

とはいえ、その家族や会社の持続のためには収益も必要。どこまでを受容するか、最大公約数を出したものの、私たちはまだ悩んでいました。すると製造リーダーのジャックさんが言います。
「大丈夫です。皆の事を思いながら、考えた数字です。皆、あなたたちを信頼しています。それに仕事があるのは良い事です。私たち、皆がんばります!」
うわぁ……! なんてこの人は真っ直ぐで健気なんだろう。
眦を決して、きりっと断言するジャックさん。
少し涙腺がゆるみ、その凛々しさにくらくらしている私たちに、「それにお給料が増えるのが嫌な人はいないもん。あ、でも、残業にリフレッシュは大切だから、晩ご飯。休日出勤の時は、おやつのアイスクリームもお願いしますね!」
と、交渉上手のジャックさんは、悪戯っぽく付け加えたのでした。語尾に「うふ・いひ!」という、少し怖い笑い声が聞こえたのは気のせいではなかったように思います。

そんなわけで、先週の休日出勤以来、私たちは毎日残業です。
タイとはいえ、秋分を過ぎればどんどん日暮れは早くなり、夕方5時半頃には太陽はチェンマイの街の西にある尊いお寺にある山、ドイ・ステープに隠れます。
日が暮れると私たちの工場のある地域は、小さな村の家の灯りがぽつぽつあるだけで、真っ暗です。
その中で私たちは、ただ一つ残された光の箱の中で作業をひたすら続けますが、そんな場所に居ると普段よりも深く互いは近しく思え、結束力が高まるよう。そのせいかそれぞれの仕事ぶりは一層冴えてゆきます。
そうやって、目標の数をこなすと、さっと掃除をし、同じ方角のメンバーでチームを作り、暗い夜道をバイクの一団(こちらでは、バイクが主な交通手段です)になってそれぞれが家路へとつきます。

これもあと少しで終わります。
リーダーたちはあと少し! と、皆を鼓舞し、それに誰もが威勢よく応え、頼もしいこと限りなしです。
とはいえ、すべてを取り仕切るジャックさんは、もともと色白な顔が一層白いですし、作業の合間に肩をぐるりとまわす仕種をするスタッフも増えて来ました。

このように、休日返上で頑張ってくれている鉄の意志のスタッフたち。
早く我らが鉄の淑女たちに休息のひと時をあげなくては、なにか特別なありがとう!をしたいと思いつつ、なんとなく、目前にひかえた慰労パーティのプレゼント。「ハズレは無しよ!」という囁きがあちこちから聞こえ、そのハズレ無しのハードルがどんどん高くなって来ている気がしてなりません。

ところで、「鉄の淑女」という言葉ですが、これは数年前に日本でも上映され、それなりにヒットした男の女子達のバレーボールチームの映画「アタック・ナンバーハーフ」の原題(Iron Ladies/Satree lec)です。ちなみに、このバレーボールチームはかつて実在し、またチェンマイと、我が社のクリームの器がやってくる陶器の町、ランパーンはこの映画の舞台です。(A.H.)

2013年10月22日火曜日

パーティはプレゼントの山 a gift for you

来月上旬にスタッフたちの慰労を兼ねたパーティをやる事に。少し早いロイクラトーン・パーティです。とはいえマーケットは縮小し、人件費をはじめもろもろの部材費も高騰しているこの折です。経理会計はじめすべてのスタッフたちは、日頃からコスト意識を共有し、涙ぐましい努力をしています。
このパーティは私たちからの日頃の感謝の気持ちですから、費用は会社からではなく私たちの私費で賄います。
しかし、そうなると我々は歯止めが利きません。こと経費であれば「それはもったいない」「あれで十分でしょう」「まだまだ使えます」と少しでも節約して慎ましく仕上げることでしょう(実際、つい先日まで私は自分の机も簡易な作業台で、椅子は折畳み椅子を使っていました)。そうした足かせが今回はないのです!

書籍や雑誌、CDやDVD、広告、ポスターなどさまざまものを企画し編集する際も、そしてさまざまなパーティやイベントを行う際にも、まずは制作費の確保から始めるのは当然です。実際にそうしてきました。制作費が十分にあればそれでよし、問題ありません。
しかし厄介なことに僅かな制作費しかない場合もあります。その際も「これをやれば確実に完成度が上がる」もしくは「あの人(具体的な顔を思い浮かべて)は絶対に喜ぶ、驚く、感激する」という確証がある場合は実に厄介です。だってそれをやれば確実にあの人が喜ぶのです。完成度が上がるんです。そして素人は往々にして「それ」をやってしまいます。くれぐれもやってはいけないことです。予め決められた制約の中で最大の成果を出すのがまっとうであり、それがプロの仕事です。
「自腹」とよく言いますが、この言葉もおかしなものです。「自腹を切る」などという物騒な言葉(表現)が他の国の言語にありますか? その昔、人々が和服で生活していた時代、財布は帯に留めて仕舞っていため、懐から取り出すことになります。その時の右手の所作が、ちょうど切腹と同じ動きをすることから、自らのお金で出費することを「自腹を切る」と慣用的に言うようになったと言われます。いずれにしても切腹という行為に通じる言葉です。どちらも、どこか心情的に賞賛される行為であるところも疑問を感じるところです。

賞賛などされるべきではないのです。切腹も、自腹も。
数年前、あるアーティストの展覧会をやった時のことです。彼はグラフィックデザイナーですが、その展覧会はメディアアート系のわりあい大きな賞を受賞した作品も出品するため、そうした系列のギャラリーで行うことになりました。私はその展覧会のディレクターでした。設備の整った都内のアートスペースを皮切りに、国内のいくつかのギャラリーを巡回しましたが、そんな中、ある地方の廃校を利用したアート施設での設営下見の時です。呼んでくれたのはいいですが、いかんせん予算が少ない。巡回展と称して「ウチでもやって下さい」というケースは往々にしてこうしたパターンが多い気がします。作品も含めてすでに出来上がったものを、ウチでも展示しませんか?というコンビニエンスな提案です。

その展示室は照明設備が貧弱でした。展示プランではコンビニエンスストアのように無駄に明るい蛍光灯。壁だけでなく光量でも眩しく空間を満たすホワイトキューブ、といったイメージでした。とはいえ中途半端な蛍光灯ほど貧弱な光はありません。そこで照明器具の追加を試みましたが肝心の予算がないと言います。たいした額ではないはずですが、その予算がないと言います。その辺は施設の保有する設備の中でやってほしいとのこと。電源の容量だって足りません。それならば壁のコンセントから別に電源を取り、別回路で持込み(照明)機材を仕込むしかありません。(八方手を尽くしても)予算がないのならば仕方ありません。自分のギャランティの中から必要機材を調達するのみです……。

……だから、それをやっちゃいけないのです。規制のなかで、与えられた条件のなかで最高のパフォーマンスを引き出すことが本来やるべきことです。
とはいえ現在、私の東京の家にはたくさんの機材が溢れています。複数台のハロゲンランプ(500w)、10数本のK&Mのマイクスタンド、10発をくだらないBOSEのスピーカー。SHUREのマイクが1ダース、そのほか全長数百メートルにおよぶ各種ケーブル類や電源タップ、エフェクターやミキサーなどなど、およそ普通に生活するうえで、なんの利便性も有用性もないものたちで溢れています。工具箱は木工系、金属系、電気系と併せて5〜6箱あります。加えて本やCD、レコードといった定番資料のほか、置物、剥製、民芸品などに埋もれています。
私は編集者、ディレクターとして長らく仕事をし、それで対価を得てきたという意味ではプロといえるでしょうが、実際はプロフェッショナルの皮を被ったアマチュアですので、「これは」と思える案件に対しては闇雲に私財(ギャランティ)を注ぎ込む悪癖があります。

とはいえ遅まきながら思慮も分別もわきまえてきた昨今、拠点もこちらに移し、堅実に仕事に励んでいる矢先です。まさかこちらでハロゲンランプ買ったり電源リール買ったりはしないでしょう。日本からアンプやスピーカーやらのサウンドシステムを持ち込むこともないはずです。
ですが。日頃から「ここまでやるか」というくらいに頑張ってくれている、会社のスタッフたちを慰労しようと企画したパーティです。しかしサウンドシステムはなぜかもう持ち込んでありました(税関で「これは何だ?」と呼び止められました)。これは私に何かせよということではないでしょうか。

こちらでは何か催しがあると、参加者皆で予算を決めてプレゼントを持ち寄り、くじ引きで交換しあうという慣習があります。たいていはお菓子であったりジュースの詰合わせであったりと、本当にささやかなものなのですが、これがやたらと盛り上がります。ならば今回、私たちが皆の分のプレゼントを用意し、くじ引きプレゼント大会をやったらよいのではないか? しかも予算は会社の経費ではありません。私たちの自由裁量でプレゼントが選べるのです。

私たちはスタッフひとりひとりの顔を想像しながら、さまざまなものを買いました。大して余裕があるわけでもありませんが、それでも立場上スタッフの皆さんよりは多くサラリーを貰っています。ここで還元すべきでしょう。液晶テレビ、電子レンジ、アイロン、トースター、鍋セットにフライパンセット。スタンドミラーに大きなくまのヌイグルミ。ストールに手袋、掛け時計に置き時計……。
私たちのスタッフは9割以上が女性で、そのほとんどは既婚者です。プレゼントのセレクトも自然と主婦目線になります。A.H.は自分が大切にしてきた未使用の香水もいくつか放出しています。彼女はこうしたお金の使い方に異を唱えるどころか、気質としては双子のように同じ価値観を共有するためか、一緒になって選びます。そうこうするうち「はずれ」なしのすべて「あたり」状態でプレゼントの山が築かれてゆきました。当日までの保管場所としてプレゼントを積んであるミーティングルームのテーブルは、夢のショーウィンドウのように華やかです。皆がそれぞれお目当てのプレゼントを心に決めている様子です。

「マァ〜イコォウェ〜ブ(電子レンジ)♪ マァ〜イコォ、ウェ〜ブ♪」と終業時にはミュージカル映画のワンシーンのように歌いながら踊りながら、楽しそうに家路を急ぐ彼女たち。お目当てのプレゼントが「当たりますように」「私のもとへ来ますように」と敬虔な祈りを捧げるシスターのように(実際は皆仏教徒です)手を合わせる彼女たちを見ていると、かなり奮発、散財しましたが、これはこれで良かったじゃないでしょうか。当日用にハロゲンランプと電源リールも買いましたし。(J.O.)

2013年10月18日金曜日

おもにパッケージデザインのこと  think of our design

こちらで生活していると、過剰な情報から適度に距離を置く事ができるためか、商品のデザインに関しても、その見え方感じ方が日本(東京)にいた頃とは変わって来るのを感じます。ここで言うデザインとはおもにパッケージデザインのことです。

商品を買う際には当然値段とスペック(性能はもちろん、大きさ重さ、色や手触り、素材や産地、新鮮さや味なども全てスペック)は確認します。しかし確認するにしても限度があります。
家電やオーディオといった類いは、値段と性能が頼りですから、デザインもまた商品自体に備わった性能のひとつに数えます。外箱のデザインなど誰も拘りません。
市場やスーパーで買う食品は、それが生のものであればあるほど、商品自体に備わった(生の)属性がストレートに商品の価値を表します。野菜やフルーツ、肉や魚の類いです。これらにデザインは基本的に入り込みません。
また生のものは、なにも自然のものだけを表すわけではありません。屋台のヌードルも豚肉の串焼きも、カオマンガイ(茹で鶏ご飯)やコンデンスミルクのたっぷり入ったアイスコーヒーも同じです。これらは値段の他の要素としては、産地や生産者(お店)といったブランドが幅を利かせる世界です。デザインの入る余地はまだそれほど多くはありません。
対して服はデザインの塊とも言えますが、これは衣食住の中でも特別です。寒さを防ぎ身体を保護するだけが衣服ではないように、それは権力を表し財力を表し、性差を表し官能を表現します。その人の属性を表し教養を表し、コードのわきまえを宣言します。
これらは素材や縫製の確かさと、それを生み出すブランドの物語によって支えられるのですが、服自体がデザインの塊だとしたら、ではデザインとはいったいどれほど強力なものでしょう?

ブランドは企画して作り出すものではありませんし、またデザインの手法でこしらえるでもありません。そのもの自体に本来備わった属性から生まれるものです。そういうわけで私たちは、新しいブランドを作るにあたっては、企画戦略会議から入るのではなく、ロゴやパッケージから入るのでもなく、まず生の製品自体を作る事から始めました。
なんとかそれが、少しずつ形を成してきましたので、これからデザインのことを集中的に考えてゆこうと思っています。私たちはデザインに対して最大限の敬意を払いますし、その大切さを知っているつもりです。
これからの作業では、とにかく信頼できるデザイナーと仕事をすることです。意中のデザイナーはすでにいます。来月東京で打ち合わせをします。来年中には完成させられればと思っています。(J.O.)

2013年10月12日土曜日

木の実のクリームは木の実に 2 ー 木の声  cream into the nut shell 2 - whisper of the tree

少し間があきましたが、「ほしはなヴィレッジ」アメニティに入れられた、クリームのパッケージのお話です。

難産になるかと思った小さなクリームのパッケージデザインは、予想に反して大安産でした。
もとが製造現場を仕切るスタッフたちですから、全体の見回しが意識できれば、製造工程やその注意事項は言わずもがな、懸念していた資材調達の段取りも彼女たちにとっては当然の事。むしろ、自分たちがすべて考えて進める事で、チーム内の役割分担も進行も普段以上に迅速であったようにさえ見えました。

器にしたクラボックの実についても、それぞれが知っている知識の擦り合わせから、植物の特定や性質などの基本情報はもちろん、実の収穫の時期が寒季の終わりから暑季の始まりにかけてである事や、市場に出回る季節、近隣で収穫している人たちなどの連絡先も見据えて、アメニティを継続的に作るための下準備も着々と進みました。

これで、材料調達の見通しも製造ラインも、予算と所用時間も明らかとなり、後は私たちのアメニティのデザインプランが「ほしはなヴィレッジ」のお眼鏡にかなうかどうか? だけとなりました。

「ほしはなヴィレッジ」は一見ゲストハウスのように気軽でカジュアルな風をしていますが、その実はとても上質なリゾートのように、設備もサービスも充実している場所です。
「バーンロムサイ」の代表でもあり、かつては、ドイツでデザインを学び、東京で素晴らしいアンティークショップも営んでいた、名取美和さんという充分に良い物を見尽くし知り尽くした人が「これだけあれば、過不足無く快適に過ごせる」というカジュアルとエレガントとシンプルを組み合わせ、しかもその上質さに滞在する人を気後れさせない、負担にさせない絶妙のさじ加減がなされている、そんな場所。
ゲストになれば、その開放感、リラックス感たるや極楽ですが、お客様を迎える側になってみれば、その好みに合致するものを見つけること、作ること、しつらえることにはとても神経を使う場所だと言えます。

リゾートのコンセプトデザインに携わった身から言えば、お客様を迎える空間というものは、どこでも多かれ少なかれそうしたもので、厳密な好みの取捨選択をしなくては、その場所の質を維持する事は到底できないもの、ほんの少しの妥協がみるみる場を崩してしまう怖さは身にしみて知っています。
それにしてもそれを「ほしはなリゾート」は気負いない風でさらりと実現してみせていて「すごい」場所なのです。

そのような場所のために何かを作るということは、「お迎えする側」と「滞在する側」の二つの眼差しを入れ替えながら、作業をしなくてはならないということです。
でもこれは、皆が製造のプロフェッショナルだとしても、今回の初めての製品開発という役割の中では、情報も経験が足りないことは否めません。

そこで、あらかじめ充分想像力を働かせてアメニティの原型を作った上で、その場所の空気はもちろん、実際にどのような心配りがされているのかを、現地でじっくり観察し体験し、自分たちのプランがそこに相応しいかどうか確かめようではないか!ということになりました。
実は、短い時間の中、他の日常業務もこなしながら、今回の挑戦に立ち向かっているスタッフたちに「リゾートで過ごす休日」というサプライズをプレゼントしたいという思いもあったのですが。

そしてとある週末、見本を携え、私たちは「お客さん」として「ほしはなヴィレッジ」に滞在する日がやってきました。
仕事を少し早く終えて、リゾートへのお出かけのため、ちょっぴりお洒落もしたSAL Laboratoriesチームのコアメンバー、ジャックさん、カーンさん、ノイちゃん、トイさん。

車の後ろに着替えの入ったそれぞれのバッグも積んで、いざ出発! と思った矢先です。
「ちょっと待ってください!」
姿が見えないと思っていたノイちゃん、トイさんが持って来たのは小さな衣装ケースが2つ。普段製造現場で、道具箱として利用しているものを、急遽空けて持って来たようで、あまりにリゾートには不釣り合いです。
本人たちもそれはわかっているようで「これ、大丈夫かしら……」と、困惑気味です。

「どうしたの!? それ?」
「私たちの作ったアメニティが、もっと場所にぴったりになるように、部屋でも考えてみたくって……」
衣装ケースの蓋を外すとそこには、アメニティを包むハンドタオル用の布が数種類、ラッピングやインテリアの本が数冊、華奢なコットンやヘンプの糸、手透き紙の束、ハサミ、セロテープ、これまで皆が書き溜めたノートなどなど、色々な素材や資料、道具類がびっしりと入っているではありませんか。
やっぱり持って行っちゃダメかなぁ……。でも……。という不安と心意気が入り交じった皆の顔を見ていると、ぎゅっと抱きしめたくなってしまうような、何とも愛おしく、想いが込み上げて来てしまいそうです。

「そう、そうだね!うん! それは本当に大事だね!がんばって! でも、お客さんとして楽しんでもみなくっちゃね。今回はそれも仕事のうちだからね!」
「はい、がんばります!」
そんなことを、私たちは工場を後にしました。

チェックインを済ませ、空は淡い紫色に暮れなずみ、もの皆金色に輝く敷地内を散策していると
「ちょっとちょっと、みんな! あれをみて!」
カーンさんが指さしたのは、彼女たちが泊まることになっているコテージのすぐ脇に生えた大きな木肌が滑らかな木が茜色に輝いています。

「へっ??」
「クラボック!」
「ぎゃっ!あれなの!?」
「きゃ~!」
「すごーい!」
「へえぇ〜っ!」
何しろ数時間前まで、クリームを入れる器、クラボックの木の実で大盛り上がり、大騒ぎしていた私たちです。どこかぞくり、としてしまう程のあまりの偶然。
誰もが一斉に歓声や悲鳴をあげてしまったのでした。
「あら・うふふ……。」
そんな中、時折、工場の敷地でも精霊が見えたりしてしまう集中力の女王・ノイちゃんだけが、やけに冷静に微笑んだのが一層この出来事の「ぞくり」を盛り上げたようでした。

その後、コテージのテラスからは、ジャックさんのダメ出しの声、皆が笑いながらあれこれ包みの形を試す声、ベッドルームの窓からは、アメニティを枕元に置いて「とっても素敵! 私たちが作ったんだよね!」という歓声と、カメラのシャッター音が聞こえてきました。

そして翌朝、直前までの努力の甲斐あってか、彼女たちの産まれて初めてのプレゼンテーションは大成功。
大満足の名取さんからは「いつ納品できるかしら?」という質問まで受けて、ジャックさんはそれにもさっと答え、私たちにも、ミーティングに参加したリゾートスタッフの方たちにも一層頼もしさを見せてくれました。
そして最後に、ところで実は……、と話したコテージ脇に生えていたクラボックの木の偶然には「ほしはなヴィレッジ」の名取さんたちをも「ぞくり」とさせる不思議な空気があたりにさっと漂ったのでした。

精霊信仰が色濃く残る北タイでは、大きな木には必ず精霊が宿っていると言います。
中には人を困らせる悪戯好きの精霊も居ますが、多くは人を優しく見守り助ける良き精霊たちです。
この美しい木の実の器も、自然と近しく暮らしている我らがスタッフたちだからこそ、クラボックの精霊達がそっと耳打ちし、人知れず支えてくれてくれたのではないか? どうも私にはそんな気がしてなりません。
私たちは「自然に学ぶ」をもの作りの柱のひとつにしていますが、それはこのように、自然に畏敬を持ち、その姿を愛し讃え、その声に耳を澄ませる事から始まるのではないか?とも思えて来ます。

「ほしはなヴィレッジ」にある緑の実を鈴なりにさせたクラボックの木。あと数ヶ月でその実は地面に落ちはじめ、収穫の季節となります。このクラボックの実もスタッフたちが集める事を名取さんは約束してくれましたから、来春のアメニティからは、リゾートで採れる木の実がクリームの器になり、この実のオイルも遠からず、石鹸かなにかの原料となるはずです。(A.H.)

2013年10月8日火曜日

市場に出回らないお金/市場で回らないお金 this is not a money

タイの通貨はバーツ。その時の為替相場にもよりますが、1バーツざっくり3円と考えて、こちらの値札に3を掛けたものが日本円でのおおよその値段です。屋台のラーメンが35バーツ(約105円)、350ml缶ビールが32バーツ(96円)、ペットボトルの水が1リットル×6本で65バーツ(195円)。日本と比べれば物価はかなり安く、暮らし易い国といえます。

日本円には更に下位の単位として銭や厘がありますが、これはすでに通貨単位としては廃止されており、計算単位として為替や株価の表示に使われるくらいでしょう。しかしタイにはバーツのほかにサタンという補助通貨があり、これは今も現役で使われています。1バーツは100サタンです。25サタン、50サタンと硬貨も二種あり、小粒ですがそこそこ重量もあり、王様の横顔と寺院のレリーフが刻まれており、日本の1円硬貨などよりも余程存在感があります。
ものの値段は、端数にして気持ちお安くお得感を持たせるのはどこでも一緒ですから、買い物をするとやたらと小銭が貯まります。タイ人であれば、レジで精算する際でも端数分の小銭を財布の中からピタリと選びだし、細かいお釣りが出ないよう、財布が小銭でパンパンにならないように、上手に買い物が出来ます。とはいえ、まだまだこちらでの生活が浅く、外国人でもある私たちはそうぴったりと小銭を用意して上手に買い物することは出来ません。

認知症の初期症状を判断する材料のひとつに、その人の財布をチェックする、というものがあります。認知機能が低下すると細かい計算が億劫になり、もしくは出来なくなり、買い物の際にもとにかくお札を出して、あとはお店の人が計算してくれたお釣りを受け取るだけになります。その結果、財布の中は小銭でパンパンに膨れ上がり、認知症判断のひとつの目安にもなると言います。
そんな老人のようなパンパン財布を抱えて日々買い物をしていると、本当にこれは自分だけのことなのか? タイの人たちだって増え続ける小銭には困っているのではないか? と思い、スタッフに聞いてみました。ある日本人スタッフは「小銭は何か器に入れて貯めておきます。ある程度の量になったら銀行へ持って行って預金します」とのこと。成る程、しっかりさんです。

次にタイ人の経理スタッフに聞いてみました。すると「小銭はやはり溜まります。使わずに器に入れて貯めておきます」とのこと。同じ答えです。しかしその先が少し違いました。「そしてある程度貯まったらお店に持って行って寄付金箱に入れます」。たしかにこちらのスーパーマーケットやショッピングモール、お寺など人の集まるところには、たいてい大きな寄付金箱が設置されています。アクリル製で中が見えるかなり大きな四角い箱です。なるほどと思います。こちらでは一般の人々が僧侶にタンブン(寄進)することや、経済的に余裕のある人が、そうでない人々に対して寄付などの形で施しをすることはごく一般的です。ここは仏教の国。寄付などで恵まれない人々に施しを与えることは、自分自身の徳を積むことでもあり、それは大変誇らしく、また進んで行おうとする空気があります。

経理スタッフの彼女は続けてこう言いました。「世の中には回って行くお金と、回らないお金があります。サタン硬貨などの小さなお金はお店からお店へ、人々の財布から財布へと回って行くお金とは違うのです。鋳造されてから一度、端数として誰かの手に渡り、それは世の中に出回らないでそのまま寄付金箱に入れられます。これらはそうしたお金なのです」。これははたして彼女独自の考え方なのか、それともタイの人々にとってはごく一般的な認識なのか。その辺はまだまだこちらに来て日の浅い私にはわかりません。ただひとつ言えることは、こうした事をさらっと言える彼女が、私たちの会社の経理スタッフでいてくれて良かったということです。(Jiro Ohashi)

2013年10月2日水曜日

木の実のクリームは木の実に cream into the nut shell

今日は、ちょっと変わったアメニティの中味についてご紹介です。
これは何でしょう?
身体を外部から守るデリケートでフラジャイルな角質層・皮膚に見立てたトレーシングペーパーの向こうに透けて見える2つの貝殻のようなもの。
これは、日本でもおなじみのアルガンクリームです。

原料はビタミンEの多さ故に、モロッコでは若返りのオイルと呼ばれ、肌に張りを与えるアルガンオイルと、北タイ特産の果物ラムヤイの花で養蜂して得られるミツロウだけ。シンプルで使い心地も効果もリッチなクリームです。ゆえに一回の使用量は少量で充分。熱帯のリゾートの短い滞在に合わせて少なめの量をアメニティでは提供しています。

とはいえこのクリーム、シンプルでちょっぴり濃厚な手触りだからこそ、大変便利なものです。
目元や手足の感想しやすい部分に塗るごく基本的な使用法の他に、飛行機の中での乾燥防止、リップクリーム、毛先をまとめるヘアワックス、ハンドクリーム、ネイルクリーム、眉の形を整えるワックスなど、全身に使えるとても便利なもの。使い慣れると、短い滞在でもこの量では足りなくなってしまうかもしれませんから、近い将来リゾート内のショップでの販売もできたらと考えている私たちです。

さて、このクリームを特徴づけているのは器です。正商品ではランパーンで作ってもらっている陶器ですが、これはまた一層特別です。
タイ語でクラボックと呼ばれる木の実の殻を少しだけ磨いて器にしているのです。
クラボックはこの周辺に良く育つ野生の樹木で、木の実は胚をローストしてアーモンドのように食べます。市場でよく売られる身近なもので、地元の人の現金収入源でもありますが、木の実は焚付けくらいにしかなりません。それを、SAL Laboratoriesのカーンさんのアイデアで器にしたのです。

この木の実の殻を器にするアイデアですが、実はアイデアの素となる前例があります。
数年前、私たちは貝殻の器に入れて日本でサンプル配布をした事があるのです。
このクリームは、オイルもワックスも人が手を使って丁寧に作ったもの。商品の器もやはりハンドメイド。店頭サンプルなどは、使用環境を考えやむをえずプラスティック容器を使用していますが、丁寧に手で作られた素材とクリームはそれに相応しい器に入れて届けたいのがSAL Laboratoriesのコンセプトです。
そこでお客様に直接手渡せるならと、貝殻を器にしたサンプルパッケージを考えたのでした。

貝殻には、生命を包む形、女性の昔の口紅の器、ヴィーナスの誕生の乗り物、生命の源であり時に恐ろしい海(3.11を経て、私たちにはとてもシンボリックな存在です)などさまざまなイメージがあり、自然や伝統に学ぶという私達のコンセプトをその小さなフォルムに内包する大きさがあるものでした。
そしてコンセプトのみならず、この製造に関わる事で、思わぬ才能が開花したり、ますます成熟・成長したスタッフも多く、様々な面で大切で印象深い製品になったと言えます。

そして今年。
「今回は、自分たちでアメニティのパッケージを考えてみて下さい」という少し突き放した私のお題に返ってきた答えのひとつがこの木の実の器でした。
形は美しいものの、うわー、またこの殻の調達を考えないといけないのか……。と内心冷や汗の私の顔色を察したのでしょうか。
「大丈夫です。もう殻を入手できる人も何人か見つけたし、ノイちゃんが、近所のカラオケ屋の庭に大きな木が生えているのを見つけたから、私たち自分で拾ってもいいなって、他にも生えているところを知っているスタッフたちも居るみたいなんです」
と、ジャックさんとちょっと自慢そうなノイちゃん。
ほっとしつつ、二人の成長ぶりにうっとりしながら、それにしても、大きな木が生えている半分オープンエアの田舎のカラオケ屋さんってどんなだろう?? と、変なものを頭の隅で想像してしまいました。

正直なところこのプラン、最初は若干、二匹目のドジョウという気がしなくもありませんでした。
しかし、自然の素材を使う。その形を美しく感じ、考えて器とする見立ての眼差し、そして入手先の確保という現実面も配慮する。
何かを作り出す時の段取りや眼差し、方法をしっかり自分のものにしているのが伝わり、決してそれが、単なる最初の成功の模倣では無いことを実感し、充分魅力的なものになると感じ、やりましょう! というゴーサインを出したのでした。

しかし、このあと私たちは、カーンさんたちのこの眼力と行動力のおかげで、アメニティのプロトタイプをプレゼンテーションに出かけた「ほしはなヴィレッジ」で、とてもドキリとする体験をする事になったのでした。
それについてはまた改めて。(Asae Hanaoka)