2013年10月22日火曜日

パーティはプレゼントの山 a gift for you

来月上旬にスタッフたちの慰労を兼ねたパーティをやる事に。少し早いロイクラトーン・パーティです。とはいえマーケットは縮小し、人件費をはじめもろもろの部材費も高騰しているこの折です。経理会計はじめすべてのスタッフたちは、日頃からコスト意識を共有し、涙ぐましい努力をしています。
このパーティは私たちからの日頃の感謝の気持ちですから、費用は会社からではなく私たちの私費で賄います。
しかし、そうなると我々は歯止めが利きません。こと経費であれば「それはもったいない」「あれで十分でしょう」「まだまだ使えます」と少しでも節約して慎ましく仕上げることでしょう(実際、つい先日まで私は自分の机も簡易な作業台で、椅子は折畳み椅子を使っていました)。そうした足かせが今回はないのです!

書籍や雑誌、CDやDVD、広告、ポスターなどさまざまものを企画し編集する際も、そしてさまざまなパーティやイベントを行う際にも、まずは制作費の確保から始めるのは当然です。実際にそうしてきました。制作費が十分にあればそれでよし、問題ありません。
しかし厄介なことに僅かな制作費しかない場合もあります。その際も「これをやれば確実に完成度が上がる」もしくは「あの人(具体的な顔を思い浮かべて)は絶対に喜ぶ、驚く、感激する」という確証がある場合は実に厄介です。だってそれをやれば確実にあの人が喜ぶのです。完成度が上がるんです。そして素人は往々にして「それ」をやってしまいます。くれぐれもやってはいけないことです。予め決められた制約の中で最大の成果を出すのがまっとうであり、それがプロの仕事です。
「自腹」とよく言いますが、この言葉もおかしなものです。「自腹を切る」などという物騒な言葉(表現)が他の国の言語にありますか? その昔、人々が和服で生活していた時代、財布は帯に留めて仕舞っていため、懐から取り出すことになります。その時の右手の所作が、ちょうど切腹と同じ動きをすることから、自らのお金で出費することを「自腹を切る」と慣用的に言うようになったと言われます。いずれにしても切腹という行為に通じる言葉です。どちらも、どこか心情的に賞賛される行為であるところも疑問を感じるところです。

賞賛などされるべきではないのです。切腹も、自腹も。
数年前、あるアーティストの展覧会をやった時のことです。彼はグラフィックデザイナーですが、その展覧会はメディアアート系のわりあい大きな賞を受賞した作品も出品するため、そうした系列のギャラリーで行うことになりました。私はその展覧会のディレクターでした。設備の整った都内のアートスペースを皮切りに、国内のいくつかのギャラリーを巡回しましたが、そんな中、ある地方の廃校を利用したアート施設での設営下見の時です。呼んでくれたのはいいですが、いかんせん予算が少ない。巡回展と称して「ウチでもやって下さい」というケースは往々にしてこうしたパターンが多い気がします。作品も含めてすでに出来上がったものを、ウチでも展示しませんか?というコンビニエンスな提案です。

その展示室は照明設備が貧弱でした。展示プランではコンビニエンスストアのように無駄に明るい蛍光灯。壁だけでなく光量でも眩しく空間を満たすホワイトキューブ、といったイメージでした。とはいえ中途半端な蛍光灯ほど貧弱な光はありません。そこで照明器具の追加を試みましたが肝心の予算がないと言います。たいした額ではないはずですが、その予算がないと言います。その辺は施設の保有する設備の中でやってほしいとのこと。電源の容量だって足りません。それならば壁のコンセントから別に電源を取り、別回路で持込み(照明)機材を仕込むしかありません。(八方手を尽くしても)予算がないのならば仕方ありません。自分のギャランティの中から必要機材を調達するのみです……。

……だから、それをやっちゃいけないのです。規制のなかで、与えられた条件のなかで最高のパフォーマンスを引き出すことが本来やるべきことです。
とはいえ現在、私の東京の家にはたくさんの機材が溢れています。複数台のハロゲンランプ(500w)、10数本のK&Mのマイクスタンド、10発をくだらないBOSEのスピーカー。SHUREのマイクが1ダース、そのほか全長数百メートルにおよぶ各種ケーブル類や電源タップ、エフェクターやミキサーなどなど、およそ普通に生活するうえで、なんの利便性も有用性もないものたちで溢れています。工具箱は木工系、金属系、電気系と併せて5〜6箱あります。加えて本やCD、レコードといった定番資料のほか、置物、剥製、民芸品などに埋もれています。
私は編集者、ディレクターとして長らく仕事をし、それで対価を得てきたという意味ではプロといえるでしょうが、実際はプロフェッショナルの皮を被ったアマチュアですので、「これは」と思える案件に対しては闇雲に私財(ギャランティ)を注ぎ込む悪癖があります。

とはいえ遅まきながら思慮も分別もわきまえてきた昨今、拠点もこちらに移し、堅実に仕事に励んでいる矢先です。まさかこちらでハロゲンランプ買ったり電源リール買ったりはしないでしょう。日本からアンプやスピーカーやらのサウンドシステムを持ち込むこともないはずです。
ですが。日頃から「ここまでやるか」というくらいに頑張ってくれている、会社のスタッフたちを慰労しようと企画したパーティです。しかしサウンドシステムはなぜかもう持ち込んでありました(税関で「これは何だ?」と呼び止められました)。これは私に何かせよということではないでしょうか。

こちらでは何か催しがあると、参加者皆で予算を決めてプレゼントを持ち寄り、くじ引きで交換しあうという慣習があります。たいていはお菓子であったりジュースの詰合わせであったりと、本当にささやかなものなのですが、これがやたらと盛り上がります。ならば今回、私たちが皆の分のプレゼントを用意し、くじ引きプレゼント大会をやったらよいのではないか? しかも予算は会社の経費ではありません。私たちの自由裁量でプレゼントが選べるのです。

私たちはスタッフひとりひとりの顔を想像しながら、さまざまなものを買いました。大して余裕があるわけでもありませんが、それでも立場上スタッフの皆さんよりは多くサラリーを貰っています。ここで還元すべきでしょう。液晶テレビ、電子レンジ、アイロン、トースター、鍋セットにフライパンセット。スタンドミラーに大きなくまのヌイグルミ。ストールに手袋、掛け時計に置き時計……。
私たちのスタッフは9割以上が女性で、そのほとんどは既婚者です。プレゼントのセレクトも自然と主婦目線になります。A.H.は自分が大切にしてきた未使用の香水もいくつか放出しています。彼女はこうしたお金の使い方に異を唱えるどころか、気質としては双子のように同じ価値観を共有するためか、一緒になって選びます。そうこうするうち「はずれ」なしのすべて「あたり」状態でプレゼントの山が築かれてゆきました。当日までの保管場所としてプレゼントを積んであるミーティングルームのテーブルは、夢のショーウィンドウのように華やかです。皆がそれぞれお目当てのプレゼントを心に決めている様子です。

「マァ〜イコォウェ〜ブ(電子レンジ)♪ マァ〜イコォ、ウェ〜ブ♪」と終業時にはミュージカル映画のワンシーンのように歌いながら踊りながら、楽しそうに家路を急ぐ彼女たち。お目当てのプレゼントが「当たりますように」「私のもとへ来ますように」と敬虔な祈りを捧げるシスターのように(実際は皆仏教徒です)手を合わせる彼女たちを見ていると、かなり奮発、散財しましたが、これはこれで良かったじゃないでしょうか。当日用にハロゲンランプと電源リールも買いましたし。(J.O.)