我が家には2本の大木、ガジュマルと熱帯マグノリア(タイ名はチャンピ―)がありました。いずれも2階建ての家の屋根をはるかに見下ろす近隣のランドマークにもなっている大樹でしたが、ガジュマルは2011年のタイ大洪水による浸水に根を腐らせ、翌年の4月、嵐の日に倒れてしまいました。
幸い、チャンピ―は生命力が強く、根を広く張る性質のおかげで過酷な洪水も乗り切り、更にガジュマルの木が倒れてできた日向を独り占めして、翌年は今迄に無く見事に涼しい上品な香りの白い花を、鈴なりに何度も咲かせてくれました。
花の無い時期も、緑の枝を繁茂させてまるで緑の大きなブラシのような姿に育った様子はとても美しく力強く、私はもちろん近所の人たちの目も楽しませたのですが、実はその頃、地下では恐ろしいことも起きていたのです。
強い陽射しを享受し、目に見えるような早さで枝をたっぷり茂らせたのと同じように、このチャンピー、その根を縦横に綿密に伸ばし、ついには1階の洗面所のあたりの基礎を付き破り、タイルの床を盛り上げ、排水管も壊していたのです。
それに気づいたのはその年の雨季の後半。
雨季でも雨量は前半よりも後半の方がはるかに多く、天井が抜けるかと思うような大変な音の大雨がよく降るのですが、いかにもそんな豪雨の夜のこと。
夜中に本を読んでいるとひたひたという水が満ちる音がどこかでします。
それは数年前の洪水で部屋に浸水した時に聞いた音。
なんとも言えない違和感と不安に駆られながら音がする洗面所のドアを開けると、そこはあと少しで部屋から水があふれそう。床は消えてプールのようになっていたのでした。大慌てで水をかき出してトイレへ捨てている間に、幸い雨は止んで1階中が水浸しになることはどうにか免れました。
翌日、大工の親方に調べてもらうと、どうやら2階のテラスに落ちた雨水と洗面所の排水管が合流し、外に排出される管に繋がるあたりをチャンピーの根が塞いでしまい、手を洗う程度の水ならば辛うじて流れたものが、一気に流れてきた雨水は排出しきれず、逆流してしまったのだろう。。という見立てでした。
なるほど親方が指差す洗面所のタイルの床は、確かに外から室内に向けて一直線に盛り上がっています。盛り上がりが始まっている部分の壁にも微妙に亀裂。盛り上がりが少しうねっているところが生き物らさしさを感じさせて不穏です。
「このままじゃあ、家の土台がチャンピーの根に滅茶苦茶に砕かれちまうぞ! でそれだけじゃねぇ、いずれ塀も突き破ってお隣の家の土地へも伸びていって一悶着だろうなぁ。俺が一番嫌なのは、根っこがトイレのタンクを壊すことかなぁ…。どうなるかわかるだろ? こりゃあ、切るしかないぞ」
「わかります。でも……。でも花は綺麗だし、ずっと長生きした木でしょう? なんとか伐らず済む方法はないの?」
「ない! 本当にないぞ! 危ないぞ! ほら、床が盛り上がって壁にもヒビだ。これは根っこが押し上げているんだぞ! 家が壊れたら、あんたぺちゃんこだ!」
本気で心配そうで、特に最後の問題は心底嫌そうな親方の様子に、私も泣く泣くどうぞ、よろしく切ってやってください。と言うよりありませんでした。
しかし雨季の間は土木作業には向きません。
いつチャンピーが「最悪の事態」を招くか若干の不安もありましたが、何とか間に合うだろうという親方の見立てを信じて雨季が明けて晴天が続くようになる季節を待って作業をすることになりました。
雨季が明けるのを待つ間、私は大雨の度にドアの向こうの「池の間」の美しさにちょっと感動しつつも、水をかき出す作業のために夜中に大汗をかくことになりました。しかもそんな大変な雨は何故か夜中に多いのです。
同居の水好きの犬君は、私がしゃかりきになって水をかき出している脇で、お部屋に具合の良い遊び場ができたね!素敵だよ! と、水の中に座り込んで涼んだり、前足で水面をぱちゃぱちゃはね飛ばしてひとしきり遊んだ後、その半濡れの毛皮で居間中を歩き回って屋内の深夜の小洪水の被害を拡大させます。その夜中の大騒動の度に、やっぱりこれは伐らなくてはいけないのだ、と私も決心を固めていったのです。
そして、いよいよ木を切る日。
切り株を掘り出す準備で、木の周りのテラスのコンクリートを剥がすと、想像以上に根は広く伸びていて、親方が心配した「最悪の事態」の一歩手前だったとわかりました。
しかしやはり、目の前の生き生きと葉を広げている木を見ると、この命を自分の一存で絶つのは、あまりに恐ろしいと思えて、親方にゴーサインを出せません。でも切らなくてはならない……。どうしよう……。と焦る脳裏にふっと子供の頃、家の近所に植えられていた桐の木の姿が思い浮かびました。真っ直ぐ伸びる姿がチャンピーと重なったのかもしれません。
その桐の木は近所のお姉さんのために植えられた木でした。
私の実家の地域では女の子が生まれると桐の木を植え、共に成長する様子を愛で、成人するとそれを木材にして嫁入り道具にする習慣があったそうで、私より少し前の世代までその習慣が残っていたのです。
ああ、そうだよ。そうすれば良いんじゃない!?
やっとチャンピ―を生かす道が思い浮かびました。
古い古材では、これまでもクリームのスパチュラを作ることを思いつけたのですが、長い時間を生きている木を目の前にした時、それを切ることの畏れの方に気持が向きすぎて、何かに姿を変えさせることを思いつくのに少し時間がかかってしまいました。
でも、おそらくこれが人と木の本来の関わり方なのでしょう。
動物を育てて、その血や肉を貰うように、野菜を育ててそれを刈り取るのと同じように。
「ねえ、バーンさん! チャンピーの木は木質が密で硬くて床材にもするのでしょう?
ならばこれも、材木になるかな?家具も作れるかな?」
親方とも親しく、現場監督や資材調達の手伝いを兼ね、丁度一緒に現場に立ち会ってくれているバーンさんに聞いてみました。
「ああ、それはいいねぇ。チャンピーの木は木目も色も綺麗だしねぇ…。」
バーンさんも、我が意を得たりという風に、にこにこしています。
確かにここで樹木としての一生は終えさせてしまうけれど、もしこの木のよすがとも言える何かが身の回りにあったら、私はこの木に繋がっている様々な記憶を思い出すだろう。そして、その記憶によってこの木で作られたものはとても親しく思えるのではないか?
またそれに新たに色々な思いを託して一緒に長い時間をすごしていけるのだはないか?
そんな気持がこみ上げてきます。
「ごめんなさい。でも、改めて大事にするから、勘弁してね」
私は、木の肌に手を当ててそう挨拶し、親方に伐ってくださいと、お願いすることができました。
「アサエさん。親方がね、木を切る職人さんは切った木を板に成形することもできるって言ってますよ」
バーンさんはいつの間にか板を作る段取りしてくれ、仏頂面でぐずぐずし続ける私に困り顔だった親方も、おう、お前もやっと気がついたな!といように、こちらに男っぽい渋い笑みを向けてくれました。
それから、半年程過ぎた昨日。
このところ、現場のリクエストで、小椅子など細々したものを作っていたバーンさんが、いつもよりもダイナミックな様子で仕事をしています。
電気を使う工具のちょっとけたたましい音も頻繁ですし、傍らにはカンナや大きな鋸も並んでいて、バーンさん自身の動作も遠目にもいつもと違います。
「バーンさん、何作っているの?」
「机を作りはじめたんですよ!」
見ると、大雑把に表面をならしたチャンピーの板の断面に刻み目が入れられ、机の天板を作っている所。そして、傍らにはオフィスワーク用机の設計図。
木が乾いたら何を作ろう? そうだ、新しく会社に参与してくれたディレクター氏の机を作ろうとバーンさんと話していたのですが、いよいよそれが始まったのです。
既にあるオフィスワーク用の机数台は、だいぶ前にある職人さんにチークの古材を集めて作ってもらったものですが、家具用のチークの古材の流通も減って高価になり、その職人さんも廃業してしまっています。職人はもちろんだけれど木材はどうしようか? 新しく人が入るのに……、と困っていたところに、材木は不思議な形で見つかったので、あと必要なのは職人。
では、ディレクター氏には木が乾くまで少し待ってもらい(今は、これまたバーンさんが端材を再利用して作ったかなり簡素な作業テーブルが彼の仮の机です)、その間に職人さんを探してお願いしようかと思っていたのですが、灯台もと暗し。我が社には素晴らしい職人がいました。
チークの産地で木工の町生まれで、とにかく作ること、手を動かすことが好きなバーンさんとしては自分が一番の職人なのでしょう。会社の設備の管理を預かる者として他所の誰かに任せるなんてプライドが許さなかったのでしょう。
いえ、それより作ることが好きな彼には、木を切り、乾く迄の世話をするところから関わった、滅多にない素敵な木材を使った、こんな楽しい仕事は自分でやらずにはおれなかったのだと思います。やっと見つけた最高の食材の調理を誰かに任せる料理人がいるでしょうか?
今日もバーンさんは始業前から何とも嬉しそうな顔で、机づくりに勤しんでいます。
木材の種類も違いますし、人によってその手が作る表情は違います。
またバーンさんなりの工夫が設計図に施されるかもしれませんから、これまでの机とは少し趣が違うかもしれません。
けれど、あのまっすぐの清々しい形のチャンピ―の木から生まれた、その花のように柔らかな白さのある板で、気持の良いバーンさんが作る机というのは、新しく来て、会社に節目を作り、どこか心わきたつ風を起こしている人にとても相応しい気がします。
机とは、何かを捧げる台であり、計画し、物語を編集し、世界を見渡す道具です。新しい白い木の机とは、まさに新しい出来事の始まりの象徴でもあります。
ガジュマルの大樹が倒れた時、また大好きだったチャンピ―の木を切らなくてはならなかった時は、大切なものが失われた悲しい出来事のように思えたのですが、2本の木が無くなった後には、からりと明るく風の吹き渡る広い場所ができて、我が家には、こんな面白い場所が隠れていたのか!と驚き、さっぱりと何かを脱ぎ去った気もしました。
一つの木は焚付けにせざるを得ませんでしたが、もう一つの木からは美しい形と仕事が生まれて来て、一つは古いことの終わりを、そして一つは新しい物語始まりを示すよう。
おかげで今では2本の木は、私に何か新しい何かを始める一歩を踏み出すことを、身をもって教えてくれたのではないか?そんな風に思えてくるのです。
ちなみに、チャンピ―は花もとても香り高いのですが木の葉にもその香りがほのかにし、木材にもその香りが微かにあるようです。そんなところもとても好ましく思えます。(A.H.)
幸い、チャンピ―は生命力が強く、根を広く張る性質のおかげで過酷な洪水も乗り切り、更にガジュマルの木が倒れてできた日向を独り占めして、翌年は今迄に無く見事に涼しい上品な香りの白い花を、鈴なりに何度も咲かせてくれました。
花の無い時期も、緑の枝を繁茂させてまるで緑の大きなブラシのような姿に育った様子はとても美しく力強く、私はもちろん近所の人たちの目も楽しませたのですが、実はその頃、地下では恐ろしいことも起きていたのです。
強い陽射しを享受し、目に見えるような早さで枝をたっぷり茂らせたのと同じように、このチャンピー、その根を縦横に綿密に伸ばし、ついには1階の洗面所のあたりの基礎を付き破り、タイルの床を盛り上げ、排水管も壊していたのです。
それに気づいたのはその年の雨季の後半。
雨季でも雨量は前半よりも後半の方がはるかに多く、天井が抜けるかと思うような大変な音の大雨がよく降るのですが、いかにもそんな豪雨の夜のこと。
夜中に本を読んでいるとひたひたという水が満ちる音がどこかでします。
それは数年前の洪水で部屋に浸水した時に聞いた音。
なんとも言えない違和感と不安に駆られながら音がする洗面所のドアを開けると、そこはあと少しで部屋から水があふれそう。床は消えてプールのようになっていたのでした。大慌てで水をかき出してトイレへ捨てている間に、幸い雨は止んで1階中が水浸しになることはどうにか免れました。
翌日、大工の親方に調べてもらうと、どうやら2階のテラスに落ちた雨水と洗面所の排水管が合流し、外に排出される管に繋がるあたりをチャンピーの根が塞いでしまい、手を洗う程度の水ならば辛うじて流れたものが、一気に流れてきた雨水は排出しきれず、逆流してしまったのだろう。。という見立てでした。
なるほど親方が指差す洗面所のタイルの床は、確かに外から室内に向けて一直線に盛り上がっています。盛り上がりが始まっている部分の壁にも微妙に亀裂。盛り上がりが少しうねっているところが生き物らさしさを感じさせて不穏です。
「このままじゃあ、家の土台がチャンピーの根に滅茶苦茶に砕かれちまうぞ! でそれだけじゃねぇ、いずれ塀も突き破ってお隣の家の土地へも伸びていって一悶着だろうなぁ。俺が一番嫌なのは、根っこがトイレのタンクを壊すことかなぁ…。どうなるかわかるだろ? こりゃあ、切るしかないぞ」
「わかります。でも……。でも花は綺麗だし、ずっと長生きした木でしょう? なんとか伐らず済む方法はないの?」
「ない! 本当にないぞ! 危ないぞ! ほら、床が盛り上がって壁にもヒビだ。これは根っこが押し上げているんだぞ! 家が壊れたら、あんたぺちゃんこだ!」
本気で心配そうで、特に最後の問題は心底嫌そうな親方の様子に、私も泣く泣くどうぞ、よろしく切ってやってください。と言うよりありませんでした。
しかし雨季の間は土木作業には向きません。
いつチャンピーが「最悪の事態」を招くか若干の不安もありましたが、何とか間に合うだろうという親方の見立てを信じて雨季が明けて晴天が続くようになる季節を待って作業をすることになりました。
雨季が明けるのを待つ間、私は大雨の度にドアの向こうの「池の間」の美しさにちょっと感動しつつも、水をかき出す作業のために夜中に大汗をかくことになりました。しかもそんな大変な雨は何故か夜中に多いのです。
同居の水好きの犬君は、私がしゃかりきになって水をかき出している脇で、お部屋に具合の良い遊び場ができたね!素敵だよ! と、水の中に座り込んで涼んだり、前足で水面をぱちゃぱちゃはね飛ばしてひとしきり遊んだ後、その半濡れの毛皮で居間中を歩き回って屋内の深夜の小洪水の被害を拡大させます。その夜中の大騒動の度に、やっぱりこれは伐らなくてはいけないのだ、と私も決心を固めていったのです。
そして、いよいよ木を切る日。
切り株を掘り出す準備で、木の周りのテラスのコンクリートを剥がすと、想像以上に根は広く伸びていて、親方が心配した「最悪の事態」の一歩手前だったとわかりました。
しかしやはり、目の前の生き生きと葉を広げている木を見ると、この命を自分の一存で絶つのは、あまりに恐ろしいと思えて、親方にゴーサインを出せません。でも切らなくてはならない……。どうしよう……。と焦る脳裏にふっと子供の頃、家の近所に植えられていた桐の木の姿が思い浮かびました。真っ直ぐ伸びる姿がチャンピーと重なったのかもしれません。
その桐の木は近所のお姉さんのために植えられた木でした。
私の実家の地域では女の子が生まれると桐の木を植え、共に成長する様子を愛で、成人するとそれを木材にして嫁入り道具にする習慣があったそうで、私より少し前の世代までその習慣が残っていたのです。
ああ、そうだよ。そうすれば良いんじゃない!?
やっとチャンピ―を生かす道が思い浮かびました。
古い古材では、これまでもクリームのスパチュラを作ることを思いつけたのですが、長い時間を生きている木を目の前にした時、それを切ることの畏れの方に気持が向きすぎて、何かに姿を変えさせることを思いつくのに少し時間がかかってしまいました。
でも、おそらくこれが人と木の本来の関わり方なのでしょう。
動物を育てて、その血や肉を貰うように、野菜を育ててそれを刈り取るのと同じように。
「ねえ、バーンさん! チャンピーの木は木質が密で硬くて床材にもするのでしょう?
ならばこれも、材木になるかな?家具も作れるかな?」
親方とも親しく、現場監督や資材調達の手伝いを兼ね、丁度一緒に現場に立ち会ってくれているバーンさんに聞いてみました。
「ああ、それはいいねぇ。チャンピーの木は木目も色も綺麗だしねぇ…。」
バーンさんも、我が意を得たりという風に、にこにこしています。
確かにここで樹木としての一生は終えさせてしまうけれど、もしこの木のよすがとも言える何かが身の回りにあったら、私はこの木に繋がっている様々な記憶を思い出すだろう。そして、その記憶によってこの木で作られたものはとても親しく思えるのではないか?
またそれに新たに色々な思いを託して一緒に長い時間をすごしていけるのだはないか?
そんな気持がこみ上げてきます。
「ごめんなさい。でも、改めて大事にするから、勘弁してね」
私は、木の肌に手を当ててそう挨拶し、親方に伐ってくださいと、お願いすることができました。
「アサエさん。親方がね、木を切る職人さんは切った木を板に成形することもできるって言ってますよ」
バーンさんはいつの間にか板を作る段取りしてくれ、仏頂面でぐずぐずし続ける私に困り顔だった親方も、おう、お前もやっと気がついたな!といように、こちらに男っぽい渋い笑みを向けてくれました。
それから、半年程過ぎた昨日。
このところ、現場のリクエストで、小椅子など細々したものを作っていたバーンさんが、いつもよりもダイナミックな様子で仕事をしています。
電気を使う工具のちょっとけたたましい音も頻繁ですし、傍らにはカンナや大きな鋸も並んでいて、バーンさん自身の動作も遠目にもいつもと違います。
「バーンさん、何作っているの?」
「机を作りはじめたんですよ!」
見ると、大雑把に表面をならしたチャンピーの板の断面に刻み目が入れられ、机の天板を作っている所。そして、傍らにはオフィスワーク用机の設計図。
木が乾いたら何を作ろう? そうだ、新しく会社に参与してくれたディレクター氏の机を作ろうとバーンさんと話していたのですが、いよいよそれが始まったのです。
既にあるオフィスワーク用の机数台は、だいぶ前にある職人さんにチークの古材を集めて作ってもらったものですが、家具用のチークの古材の流通も減って高価になり、その職人さんも廃業してしまっています。職人はもちろんだけれど木材はどうしようか? 新しく人が入るのに……、と困っていたところに、材木は不思議な形で見つかったので、あと必要なのは職人。
では、ディレクター氏には木が乾くまで少し待ってもらい(今は、これまたバーンさんが端材を再利用して作ったかなり簡素な作業テーブルが彼の仮の机です)、その間に職人さんを探してお願いしようかと思っていたのですが、灯台もと暗し。我が社には素晴らしい職人がいました。
チークの産地で木工の町生まれで、とにかく作ること、手を動かすことが好きなバーンさんとしては自分が一番の職人なのでしょう。会社の設備の管理を預かる者として他所の誰かに任せるなんてプライドが許さなかったのでしょう。
いえ、それより作ることが好きな彼には、木を切り、乾く迄の世話をするところから関わった、滅多にない素敵な木材を使った、こんな楽しい仕事は自分でやらずにはおれなかったのだと思います。やっと見つけた最高の食材の調理を誰かに任せる料理人がいるでしょうか?
今日もバーンさんは始業前から何とも嬉しそうな顔で、机づくりに勤しんでいます。
木材の種類も違いますし、人によってその手が作る表情は違います。
またバーンさんなりの工夫が設計図に施されるかもしれませんから、これまでの机とは少し趣が違うかもしれません。
けれど、あのまっすぐの清々しい形のチャンピ―の木から生まれた、その花のように柔らかな白さのある板で、気持の良いバーンさんが作る机というのは、新しく来て、会社に節目を作り、どこか心わきたつ風を起こしている人にとても相応しい気がします。
机とは、何かを捧げる台であり、計画し、物語を編集し、世界を見渡す道具です。新しい白い木の机とは、まさに新しい出来事の始まりの象徴でもあります。
ガジュマルの大樹が倒れた時、また大好きだったチャンピ―の木を切らなくてはならなかった時は、大切なものが失われた悲しい出来事のように思えたのですが、2本の木が無くなった後には、からりと明るく風の吹き渡る広い場所ができて、我が家には、こんな面白い場所が隠れていたのか!と驚き、さっぱりと何かを脱ぎ去った気もしました。
一つの木は焚付けにせざるを得ませんでしたが、もう一つの木からは美しい形と仕事が生まれて来て、一つは古いことの終わりを、そして一つは新しい物語始まりを示すよう。
おかげで今では2本の木は、私に何か新しい何かを始める一歩を踏み出すことを、身をもって教えてくれたのではないか?そんな風に思えてくるのです。
ちなみに、チャンピ―は花もとても香り高いのですが木の葉にもその香りがほのかにし、木材にもその香りが微かにあるようです。そんなところもとても好ましく思えます。(A.H.)