2013年9月14日土曜日

失われそうな、布を求めて   Homespun, Bespoke(2)

さて、布をつくる人探しです。
色々なつてを辿り、自分が知っている工房をのぞいたりしながら、最後には私たちのユニフォームをデザインから縫製までしてくれているTOMO君の紹介で、私たちはチェンマイのお隣の街、ラムプーンのそのまた郊外にある織物の村の工房を訪れることになりました。

ラムプーンは特産のラムヤイの広大な果樹園に囲まれたとても小さな街ですが、近くには洪水で埋没した古い寺院群の遺跡もあり、鄙びた愛らしい感じと、坪庭のようなしっとりした雰囲気が入り交じった場所で、その中心にはチェンマイ同様、城壁に囲まれた旧市街があります。
実はラムプーンは、モン族の女王が治めたハリプンチャイ王国の都として、9世紀にひらかれた場所。チェンマイは後からやってきたタイ族によって13世紀にできた都ですからラムプーンの方が歴史ある古都なのです。
そんな、おっとりした街の傍らを通り抜けて、ラムヤイの果樹園の間の曲がりくねった細道を延々と抜けると、村のあちらこちらに、手織り布のタイパンツやパーシンという腰巻き式のスカート、上着、お寺の落成やタンブンなどお祝い事の時に道やお寺の庭に飾る幡などを売る、家ともお店ともつかないものが見えはじめ、そこを更に抜けて行くと目的の工房へやっと辿り着きました。

そこは、工房といっても、古いタイ式の家が二棟立つ、いかにもの田舎家です。
天井だけの広いテラスのような空間が二棟の家を繋げていて、そこが織りと染めをする場所。
しかしなぜか唐突に、その入り口付近にはテレビと鏡と椅子が置かれていて、実はそれは織り師の女性のお父さんの仕事場でした。
もう初老の彼は「髪結いの亭主」ならぬ、「亭主は髪結い」なのですが、根気よく未だ機織りの仕事する糟糠の妻の脇、ランニングに半ズボン姿の初老の夫は、古い革張りの客用の椅子にたっぷり身を預け、私たちにニコニコと笑顔を送りながらじっくりと煙草を吸い、いつ来るとも知れないお客さんを待っていました。

そんなお父さんの「仕事場」を通り抜けると、幾つかの織り機とおもちゃを入れたベビーサークルが並び、その更に奥、向こうに畑が見える場所には染料の木を煮る鍋が、竃にかかって湯気をふかふかと薬草のような良い香りをあげていました。実際、染料になる植物は大抵が薬にもなるもので、染め物と薬草の世界は昔から深く結びついています。

この生活の場と溶けるように出来上がっている仕事場で染め物をしているのは、近所から働きに来ている女性。丈夫な丸い腕からは、長い年月をしっかり仕事をしてきたのだとわかります。仕事の手は止まりませんが、その湯気のような優しい調子で染めている糸、染料について説明をしてくれるのを聞くと、彼女も言われた事だけをしているのではない、経験と知恵を積み重ねて来た職人だと改めて感じてしまいます。
そして、竃の手前の機には、白髪がきれいな初老の女性。
もう歳で根を詰める機織りはキツくなって来たから今は、こちらのちょっと楽な織り機でね、と言いながら飛杼式(18世紀にジョン・ケイが発明した、紐を手で引くと杼を自動的に縦糸の間を移動する織り機)の織り機で、布をゆっくり織っています。
彼女は自分が織ったふわふわの白い布でブラウスを作って着ていて、それが白い髪の柔らかく煙るように顔を包んでいる様子となんとも可愛く似合っていて、織っている布の渋い色合いと相まってなんともシックです。

そのふんわりした甘い手触りや色合いは一緒に来たジャックさんやノイちゃんをすっかり魅了したようで、
「ねえノイちゃん! 今度は、こんな布でユニフォームをつくったら素敵よね!」
「うわー。それは素敵そう! ジャックさん」
私たちの背後で、ちょっと恐ろしい聞こえがよしの会話が聞こえる程。
ううむ。困ったなぁと苦笑いしていると、
「ここは、おばあさんが織物の仕事を始めて、お母さんが継いで、大学を出た娘さんが最近跡継ぎを決心したんです。しかも彼女は、薬学を勉強した上で、草木染めで布を作ることにしたんですよ。若い人が後を継ぐのも、きちんとした草木染めも最近は減って来ているし、彼女を応援してあげたくて」
とTOMO君の紹介があり、その初老の女性の娘さん、つまり今この工房を取り仕切っているまだ20代前半のイッドさんがやって来ました。
彼女は、赤ちゃんを出産したばかりでまだ少しだるくて……。と言いながらも、スタッフたちの質問ぜめにも、商売気なく淡々と静かに丁寧に応えてくれました。やはり、織る事、布が好きな人なのだと見受けました。

彼女によると、私たちの高機でヘンプ100%の布を織るのは、ヘンプ糸の不均質な太さや強度、入手できる糸の品質の不安定さと相まって、彼女らの持つ高機の性質では地機のように強く打ち込む事もできないので、非常に時間もかかり難しいとのこと。
ちょっとがっかりする私たちに、もし縦糸をコットンにすれば、横糸をヘンプにする事は可能ですよ。それでも、ヘンプの素材感や性質は生かせますし、希望の短い日程でも織り目が密で均一、丈夫な使いやすい布ができるでしょうと、以前作った布見本をみせてくれながら、説明してくれました。
できない事を正直に、そして理由をわかりやすく説明しながら、同時に私たちの求めるものに寄り添った代替え案を出してくれる真面目でリアリストな娘、イッドさん。織ることが大好きなお母さん。気の良いお手伝いの女性。工房を訪問したジャックさんたちスタッフ皆も、親しみと信頼感を感じ、TOMO君と同じように、この若いもの作りの仲間を応援したいという気持になったようでした。

また、タイ族の中でもタイルー族というグループのジャックさんは、イッドさんやお母さんたちタイヨーム族の言葉がタイルーの言葉に近く、言葉の響きも喋り方も、話す内容も、なんだかお母さんと話しているみたいだったと、嬉しそうでした。彼女は数年前に大好きだったお母さんを病気で亡くしているのですが、白くふんわりしたイッドさんのお母さんの居ずまいや優しい喋り方は、自分のお母さんの面影や、かつて共に暮らした頃を思いださせるものだったようです。
残念ながら、今の私たちの工場のメンバーたちは織物はできない世代ですが、彼女らの母親の世代は、誰もが機織りができ、つい最近まで家に機があったという人も多いので、余計に郷愁を感じたのかもしれません。

工芸の都と言われ、今も様々な手を使ったもの作りが盛んなチェンマイ。そしてその絹織物は王族も求めるという素晴らしい技巧を持つランプーンでも、糸や布にまつわる様々な技は、徐々に廃れて来ているのが現実です。
とはいえ、今の王妃様の奨励がきっかけになって行われている北タイでは金曜日に公務員や学校へ通う子供たちはタイの伝統衣装を纏う運動があり、北タイの手織りの伝統的な布で洋服をつくるTOMO君や、イッドさんたちのような努力が続いているのも、また事実です。
ランプーンが誇る素晴らしく精緻な、なかなか手が届かないような工芸の粋の布も素晴らしいですが、こうして普段の日々の中で織られる布も、その人の面影や居ずまいがにじむ優しく親しいものです。
私たちのものづくりも、TOMO君やイッドさんたちのように、そうした日々の中で使われながらも、伝統的な美を保っている物達を再発見し、そして新しい使い方を提案し、命を改めて吹き込み、これまでの伝統の流れに合流していけたら、と思わずにはおれません。

 ちなみに娘さんの旦那さんは、家の女たちが作った布を、バンコクに売りに行ったりする仕事をしているそうで、不在でした。どうやらここでも女は強し。だったようです。(Asae Hanaoka)


2013年9月9日月曜日

失われそうな、布を求めて   Homespun, Bespoke(1)

私たちはeavamを開発する以前から、さまざまな製品の開発と製造を行い、その経験を生かしてオーガニックスキンケア製品のアイデアと製造スキルを磨いてきました。開発の中にはパッケージの提案やデザインも含まれます。こうした過程でバーム製品の携帯用小袋にヘンプ100%の布を提案してきましたし、また「ほしはなヴィレッジ」アメニティの包み布にもヘンプが用いられています。ただしこちらはヘンプ100%ではなく、たて糸はコットン、よこ糸にヘンプを用いたものです。
ヘンプ100%の布は、山岳少数民族のモン族の女性が地機で織っているもので、本来は彼等の民族衣装のためにあるものです。しかし近年、彼等の暮らしが町の経済と結びついてきたことで、かつて家族のために手織りで誂えられた民族衣装の生地は、今では大半が市販の工業製品の布に殆ど変わりつつあります。
いつまでも肌に馴染まず、染め直しもできない化繊の民族衣装には、それでも伝統的な稠密な意匠の刺繍が施されています。しかし糸は、派手な蛍光色に染められたもの。モン族の女性たちが、市場などで布を売ったり仲間とおしゃべ
りしながらも、手は止まる事なく刺繍を続けている様子を見ると、こうした、温もりがなく粗雑な素材が、彼女たちの丁寧な手仕事を浪費し、どこか寂しいものにしているように感じます。

なかには、彼等自身がこういう糸や布の色や光沢を好むのだから、これが本来の民族衣装の姿だと辛口に言う人も居ますが、そうでしょうか?
例えば、かつて服を染めるのに使われていた染料の藍には、匂いによって虫や蛇、そして魔を除けるという意味があったように、文様だけでなく、その素材にも様々な意味が込められていました。民族衣装を着るという事は、織り手が積み重ねた時間や、染料やその植物に由来する自然の力や信仰をも着る事、一着の衣装はあたかも民族の歴史の書物のようでもあったのです。だとすれば、市場で買い求めた素材で作られた衣装は見栄えこそ色鮮やかですが、ただ、属性を示し、肌を隠すだけの空疎なものになってしまったかのようです。

さらに、宗教や生活様式の変化により、普段は民族衣装ではなく、洋服で暮らす人も増えたため(そういえば、私たちがヘンプ袋の仕事を頼んでいるルカさんも普段は洋服姿です)、ヘンプ布は自分たちの生活必需品から、町の暮らしには欠かせない現金収入の源として、土産物として売られるようになった事、物価の上昇も相まって、価格が年々高くなる一方です。
そこに追い打ちをかけるように、織り手は高齢化し、地機を腰でひっぱり続けながら細かい作業を根気づよく続けなくてはならない大変な仕事は後継者も少ないため、織り目は粗くなったり、まちまちだったり、価格の高騰の一方で作る現場では質より量を求めた結果の品質低下も目立ちます。おかげで、私たちも製品のためのヘンプ布を調達するのが年々難しく、大切に思う反面、悩みも深くなっています。

このように上等な手織りのヘンプ布の入手困難は様々な要因が絡み合った結果ですが、最大の原因は、やはり自分や大切な家族が身に纏うという、生活に直結した需要が無くなり、ものづくりを粗雑にさせてしまったことではないでしょうか。
もちろん、これは彼等山岳民族に限ったことではなく、私たち誰もに言えそうです。
思い起こせば日本でも、数十年前まで家の周辺には洋裁屋さんがあって、布こそ市販品であったかもしれませんが、様々な語らいの結果として、母の晴れ着のワンピースや父の背広が出来、私たちのスカートやシャツも、子供たちを思い浮かべながら重ねられた母の時間の賜物であり、それは大切に長く着られていなかったでしょうか。服があっという間に痛んで、あっという間に流行遅れになるようになったのは何時からでしょうか?

とはいえ、ヘンプ布の面持ちは未だ辛うじて美しく、ヘンプという素材への興味は尽きませんし、手織りの布という存在には色々な問いが生まれ、その問いに応えてみたいという思いも溢れてきます。
それにヘンプはもちろんですが、織物の伝統全体がそもそも北タイの文化の魅力の一つであり、少し視野を広げてみれば、山岳民族の布に限らず郊外で今も手織りの布を丁寧に作り続けているタイ人たちも居ます。
タイ人も、特に北タイでは、タイユワン、タイルーなどのタイ族の民族的なグループ毎に独自の言葉や織り文様を持ち、ヘンプのほか、絹や綿で素晴らしい布を織ったり染めたりますが、安く大量生産された布や衣類の影響でその仕事の継続は難しくなっています。王室の支援プロジェクトや、金曜日に民族衣装を着て過ごす運動など、伝統的な手織り布の文化を持続させる運動も盛んではありますが、それでも全体を取り巻く環境は厳しいものです。
それならば、アメニティではチェンマイ、北タイ全体、またそこにある布の世界全体に目を向けて、タイ族の織る布を選ぶ事も、北タイの布の世界を伝え、応援する事になるのではないかと考え、私たちのアメニティの包み布(ハンドタオル)は、チェンマイ周辺の織り手の方が作るものから選ぼうという事になりました。(Asae Hanaoka)

2013年9月4日水曜日

ミニマルなアメニティ Simple and Minimal but…

チェンマイに暮らしていながら、本当にチェンマイに腰を据えたのは今年でやっと2年目。
そして永らく気になっていたHIV孤児たちを育てる施設「バーンロムサイ」が運営するリゾート「ほしはなヴィレッジ」へ出かけたのは昨年末のこと。気にかけ続けて10年目のことです。
その時にたまたま招待していただいた村と施設の子供たちのクリスマスパーティが縁で、私たちは施設での子供たちの洗顔やシャワー、衣類等の洗浄に使う石鹸とリゾートで使うアメニティを無償提供することになりました。こうして既に子供たちのための石鹸提供は始まっていましたが、昨日9月2日初めてのアメニティ納品に出かけました。
もうアメニティたちは、ちょっと澄ました顔でゲストハウスのベッドの上で、お客様が手に取ってくれる瞬間を待っている頃です。

「バーンロムサイ」で共同生活する子供たちの多くは母子感染によるHIVキャリアで、かつては死と向き合う日々を過ごしていました。今はHIV抗薬のおかげで、病気を発症せずに成長し、社会人になることもできるようになりました。
とはいえ、薬の効力を保つための服用スケジュールと内容の自己管理、日々抵抗力をつけるべく、身体を元気に保つ努力は必須のこと。それでも中には薬の副作用でアレルギーが出て悩む子も居るのだと、最初の訪問の際にスタッフの方から聞き、ならば肌に優しい素材と製法の私たちの石鹸を使ってもらっては? と思い至ったのが、すべての始まりでした。
そんな時は不思議と物事がするすると進むもので、好運にもパーティの時に、ここの主宰者である名取美和さんにその希望をお話する事ができ、快諾していただけたのでした。まるで子供たちのためのクリスマスのお祝いでしたが、私たちにも思わぬプレゼントがやってきたようでした。

それから間もなく、子供たちのために「バーンロムサイ」に石鹸を提供しました。提供したのは製品化の際に出るフレーク状のもの。
これは形状こそ製品にはできませんが、品質は製品と変わりません。しかもフレーク状の石鹸は水に溶けやすいため、私たちも社内で掃除や洗濯、手洗いに重宝しているもの。案の定、子供たちのシャワーはもちろん、家事にもぴったりでした。

最初の約束は比較的早く始められましたが、そしてもう一つの約束「バーンロムサイ」に併設されたリゾート「ほしはなヴィレッジ」に提供するアメニティは、私たちには初めての試み。特にSAL Laboratoriesのコアメンバーには冒険でした。

「ほしはなヴィレッジ」は、映画「POOL プール」の舞台となったことでも知られ、映画の穏やかな空気を体験すべく訪れる人も多いのですが、この透き通るようにきれいな水のプールは、実は施設の子供たちの免疫力づくりの設備でもあります。
とはいえ、子供たちも四六時中プールを使っているわけではなく、多くの時間はプールは無人。それでも、水を清浄に保つために浄化装置は常に働いていますし、せっかくの美しいプールをよりよく活用し、更に「バーンロムサイ」が寄付金のみに頼らず、より自立的、持続可能な運営ができるようになること、それがひいては将来、子供たちが社会人となった時の就労の場ともなりえることを視野にいれて、数名の賛同者の方たちと名取さんが作り上げたのが「ほしはなヴィレッジ」です。とてもエチカルな成り立ちのリゾートなのです。
それだけではありません。
ラムヤイやマンゴーの果樹や様々な花の木など、したたる緑に囲まれたコテージは、タイの木造建築の古材や伝統的な草葺き屋根を取り入れた、ナチュラルでシンプルなデザインです。内装やリネン類もシンプルながら選び抜かれたもの。「バーンロムサイ」でハンドメイドされたものも使われています。
(「バーンロムサイ」は、施設の自立的運営のため、また、村や山岳民族の女性たちの就労の機会を作るために、洋服などの工房も併設しています)
また、まだ全部ではないものの、無農薬の自家製野菜を料理に用いるなど、環境に調和し、配慮したオーガニックなリゾートを目指す側面も持っています。その方針を更に深めて行きたいというのも、主宰者 名取美和さんのコンセプトです。
そして「もちろん客室の洗剤やシャンプーなどもそれに相応しいものが良いのだけれど、これぞというものがなかなか見つからなくて……」。というお話を聞いたのが、私たちがアメニティ提供を思い立つきっかけになりました。

そんな、嬉しい話を会社へ持ち帰って思いついたのが、せっかくならば、SAL Laboratoriesの最初のプロジェクトにできないか? ということ。
製品化開発を、できる限りタイのスタッフたちに中心になって進めてもらい、これからの私たちの新しい「もの作りの方法」を作り上げるきっかけにもしたいとジャックさんたちと話し合いました。

それから8ヶ月間。それは普段の製造の仕事を続けながら、どこか走り続けているような少し息が急くような毎日でした。
チェンマイ郊外の織物工房へ出かけたり、バームの小さな容器を試行錯誤したり、日本の熨斗袋やお祝い包み、タイのお菓子を包むバナナの葉の折り方からラッピングのスタイルを考えたり、そうして思いついて作った、どこか幼い原型をより美しい形に洗練させたり……。SAL Laboratoriesのコアメンバーだけでなく、他の部門のスタッフたちがそれぞれの得意な能力を発揮して、すっきりとシンプルでありながら、彼女たち自身のように、どこか暖かみと柔らかさのあるアメニティセットができました。
中味は、コールドプロセス石鹸、アルガンバーム、ガスール、そしてクエン酸リンスです。これで髪も顔も身体も洗え、保湿もできます。
そしてラッピングに使った布は手織りのヘンプコットンで、水を含むと柔らかな手触りになり、シャワーの時の洗浄用タオルに、また吸湿性が高く乾きやすいためハンドタオルとして使えます。
更に、包みの上に飾られた小さな緑のバラはタイではバイ・トゥーイと呼ばれるパンダナスの葉。これはリラクゼーション効果のある青っぽさと甘く懐かしい芳香があります。部屋の消臭効果もあり、枕元に置けばスリーピングポプリともなります。これも、布の包みも美しいけれど、それだけでは味気ないと思ったところ、スタッフたちが提案してきたもの。バイトゥーイのバラはこのあたりではとてもポピュラーなもので、部屋に飾って香りを楽しむ他、時にはお湯の中に入れて煮て、目にも可愛らしいお茶にする事もあります。

このように、それぞれが小さな子供を大切に育てるように作られた、中味はもちろん外側にもチェンマイらしさがいっぱいに詰まったアメニティ。
名取さんやスタッフの方たちの子供たちを慈しむ気持や、そんな愛情に包まれ、一方で病気や親の不在という困難も携えながらも生きる事を喜び、日々を精一杯過ごす子供たちのうち震えて輝くように伸びやかさが作る、このリゾートのおおらかに澄んだ空気に似合うのではないか?
「さあ、どうぞ。こちらです」
丁寧に梱包された箱を名取さんたちの目の前に置き、メーオさんとカーンさんが、そっと蓋を開けた瞬間、あたりに漂った涼しく優しいバイ・トゥーイの香りと、箱の中に静かに、しかしどこか幸福感に満ちた表情のアメニティの布包みが現れた時、そんな気がしたのでした。

日本からは少し遠い場所ではありますが、チェンマイに来たら、是非「ほしはなヴィレッジ」で、バーンロムサイと私たちのコラボレーションに触れていただけたらと思います。(Asae Hanaoka/Jiro Ohashi)