さて、布をつくる人探しです。
色々なつてを辿り、自分が知っている工房をのぞいたりしながら、最後には私たちのユニフォームをデザインから縫製までしてくれているTOMO君の紹介で、私たちはチェンマイのお隣の街、ラムプーンのそのまた郊外にある織物の村の工房を訪れることになりました。
ラムプーンは特産のラムヤイの広大な果樹園に囲まれたとても小さな街ですが、近くには洪水で埋没した古い寺院群の遺跡もあり、鄙びた愛らしい感じと、坪庭のようなしっとりした雰囲気が入り交じった場所で、その中心にはチェンマイ同様、城壁に囲まれた旧市街があります。
実はラムプーンは、モン族の女王が治めたハリプンチャイ王国の都として、9世紀にひらかれた場所。チェンマイは後からやってきたタイ族によって13世紀にできた都ですからラムプーンの方が歴史ある古都なのです。
そんな、おっとりした街の傍らを通り抜けて、ラムヤイの果樹園の間の曲がりくねった細道を延々と抜けると、村のあちらこちらに、手織り布のタイパンツやパーシンという腰巻き式のスカート、上着、お寺の落成やタンブンなどお祝い事の時に道やお寺の庭に飾る幡などを売る、家ともお店ともつかないものが見えはじめ、そこを更に抜けて行くと目的の工房へやっと辿り着きました。
そこは、工房といっても、古いタイ式の家が二棟立つ、いかにもの田舎家です。
天井だけの広いテラスのような空間が二棟の家を繋げていて、そこが織りと染めをする場所。
しかしなぜか唐突に、その入り口付近にはテレビと鏡と椅子が置かれていて、実はそれは織り師の女性のお父さんの仕事場でした。
もう初老の彼は「髪結いの亭主」ならぬ、「亭主は髪結い」なのですが、根気よく未だ機織りの仕事する糟糠の妻の脇、ランニングに半ズボン姿の初老の夫は、古い革張りの客用の椅子にたっぷり身を預け、私たちにニコニコと笑顔を送りながらじっくりと煙草を吸い、いつ来るとも知れないお客さんを待っていました。
そんなお父さんの「仕事場」を通り抜けると、幾つかの織り機とおもちゃを入れたベビーサークルが並び、その更に奥、向こうに畑が見える場所には染料の木を煮る鍋が、竃にかかって湯気をふかふかと薬草のような良い香りをあげていました。実際、染料になる植物は大抵が薬にもなるもので、染め物と薬草の世界は昔から深く結びついています。
この生活の場と溶けるように出来上がっている仕事場で染め物をしているのは、近所から働きに来ている女性。丈夫な丸い腕からは、長い年月をしっかり仕事をしてきたのだとわかります。仕事の手は止まりませんが、その湯気のような優しい調子で染めている糸、染料について説明をしてくれるのを聞くと、彼女も言われた事だけをしているのではない、経験と知恵を積み重ねて来た職人だと改めて感じてしまいます。
そして、竃の手前の機には、白髪がきれいな初老の女性。
もう歳で根を詰める機織りはキツくなって来たから今は、こちらのちょっと楽な織り機でね、と言いながら飛杼式(18世紀にジョン・ケイが発明した、紐を手で引くと杼を自動的に縦糸の間を移動する織り機)の織り機で、布をゆっくり織っています。
彼女は自分が織ったふわふわの白い布でブラウスを作って着ていて、それが白い髪の柔らかく煙るように顔を包んでいる様子となんとも可愛く似合っていて、織っている布の渋い色合いと相まってなんともシックです。
そのふんわりした甘い手触りや色合いは一緒に来たジャックさんやノイちゃんをすっかり魅了したようで、
「ねえノイちゃん! 今度は、こんな布でユニフォームをつくったら素敵よね!」
「うわー。それは素敵そう! ジャックさん」
私たちの背後で、ちょっと恐ろしい聞こえがよしの会話が聞こえる程。
ううむ。困ったなぁと苦笑いしていると、
「ここは、おばあさんが織物の仕事を始めて、お母さんが継いで、大学を出た娘さんが最近跡継ぎを決心したんです。しかも彼女は、薬学を勉強した上で、草木染めで布を作ることにしたんですよ。若い人が後を継ぐのも、きちんとした草木染めも最近は減って来ているし、彼女を応援してあげたくて」
とTOMO君の紹介があり、その初老の女性の娘さん、つまり今この工房を取り仕切っているまだ20代前半のイッドさんがやって来ました。
彼女は、赤ちゃんを出産したばかりでまだ少しだるくて……。と言いながらも、スタッフたちの質問ぜめにも、商売気なく淡々と静かに丁寧に応えてくれました。やはり、織る事、布が好きな人なのだと見受けました。
彼女によると、私たちの高機でヘンプ100%の布を織るのは、ヘンプ糸の不均質な太さや強度、入手できる糸の品質の不安定さと相まって、彼女らの持つ高機の性質では地機のように強く打ち込む事もできないので、非常に時間もかかり難しいとのこと。
ちょっとがっかりする私たちに、もし縦糸をコットンにすれば、横糸をヘンプにする事は可能ですよ。それでも、ヘンプの素材感や性質は生かせますし、希望の短い日程でも織り目が密で均一、丈夫な使いやすい布ができるでしょうと、以前作った布見本をみせてくれながら、説明してくれました。
できない事を正直に、そして理由をわかりやすく説明しながら、同時に私たちの求めるものに寄り添った代替え案を出してくれる真面目でリアリストな娘、イッドさん。織ることが大好きなお母さん。気の良いお手伝いの女性。工房を訪問したジャックさんたちスタッフ皆も、親しみと信頼感を感じ、TOMO君と同じように、この若いもの作りの仲間を応援したいという気持になったようでした。
また、タイ族の中でもタイルー族というグループのジャックさんは、イッドさんやお母さんたちタイヨーム族の言葉がタイルーの言葉に近く、言葉の響きも喋り方も、話す内容も、なんだかお母さんと話しているみたいだったと、嬉しそうでした。彼女は数年前に大好きだったお母さんを病気で亡くしているのですが、白くふんわりしたイッドさんのお母さんの居ずまいや優しい喋り方は、自分のお母さんの面影や、かつて共に暮らした頃を思いださせるものだったようです。
残念ながら、今の私たちの工場のメンバーたちは織物はできない世代ですが、彼女らの母親の世代は、誰もが機織りができ、つい最近まで家に機があったという人も多いので、余計に郷愁を感じたのかもしれません。
工芸の都と言われ、今も様々な手を使ったもの作りが盛んなチェンマイ。そしてその絹織物は王族も求めるという素晴らしい技巧を持つランプーンでも、糸や布にまつわる様々な技は、徐々に廃れて来ているのが現実です。
とはいえ、今の王妃様の奨励がきっかけになって行われている北タイでは金曜日に公務員や学校へ通う子供たちはタイの伝統衣装を纏う運動があり、北タイの手織りの伝統的な布で洋服をつくるTOMO君や、イッドさんたちのような努力が続いているのも、また事実です。
ランプーンが誇る素晴らしく精緻な、なかなか手が届かないような工芸の粋の布も素晴らしいですが、こうして普段の日々の中で織られる布も、その人の面影や居ずまいがにじむ優しく親しいものです。
私たちのものづくりも、TOMO君やイッドさんたちのように、そうした日々の中で使われながらも、伝統的な美を保っている物達を再発見し、そして新しい使い方を提案し、命を改めて吹き込み、これまでの伝統の流れに合流していけたら、と思わずにはおれません。
ちなみに娘さんの旦那さんは、家の女たちが作った布を、バンコクに売りに行ったりする仕事をしているそうで、不在でした。どうやらここでも女は強し。だったようです。(Asae Hanaoka)
色々なつてを辿り、自分が知っている工房をのぞいたりしながら、最後には私たちのユニフォームをデザインから縫製までしてくれているTOMO君の紹介で、私たちはチェンマイのお隣の街、ラムプーンのそのまた郊外にある織物の村の工房を訪れることになりました。
ラムプーンは特産のラムヤイの広大な果樹園に囲まれたとても小さな街ですが、近くには洪水で埋没した古い寺院群の遺跡もあり、鄙びた愛らしい感じと、坪庭のようなしっとりした雰囲気が入り交じった場所で、その中心にはチェンマイ同様、城壁に囲まれた旧市街があります。
実はラムプーンは、モン族の女王が治めたハリプンチャイ王国の都として、9世紀にひらかれた場所。チェンマイは後からやってきたタイ族によって13世紀にできた都ですからラムプーンの方が歴史ある古都なのです。
そんな、おっとりした街の傍らを通り抜けて、ラムヤイの果樹園の間の曲がりくねった細道を延々と抜けると、村のあちらこちらに、手織り布のタイパンツやパーシンという腰巻き式のスカート、上着、お寺の落成やタンブンなどお祝い事の時に道やお寺の庭に飾る幡などを売る、家ともお店ともつかないものが見えはじめ、そこを更に抜けて行くと目的の工房へやっと辿り着きました。
そこは、工房といっても、古いタイ式の家が二棟立つ、いかにもの田舎家です。
天井だけの広いテラスのような空間が二棟の家を繋げていて、そこが織りと染めをする場所。
しかしなぜか唐突に、その入り口付近にはテレビと鏡と椅子が置かれていて、実はそれは織り師の女性のお父さんの仕事場でした。
もう初老の彼は「髪結いの亭主」ならぬ、「亭主は髪結い」なのですが、根気よく未だ機織りの仕事する糟糠の妻の脇、ランニングに半ズボン姿の初老の夫は、古い革張りの客用の椅子にたっぷり身を預け、私たちにニコニコと笑顔を送りながらじっくりと煙草を吸い、いつ来るとも知れないお客さんを待っていました。
そんなお父さんの「仕事場」を通り抜けると、幾つかの織り機とおもちゃを入れたベビーサークルが並び、その更に奥、向こうに畑が見える場所には染料の木を煮る鍋が、竃にかかって湯気をふかふかと薬草のような良い香りをあげていました。実際、染料になる植物は大抵が薬にもなるもので、染め物と薬草の世界は昔から深く結びついています。
この生活の場と溶けるように出来上がっている仕事場で染め物をしているのは、近所から働きに来ている女性。丈夫な丸い腕からは、長い年月をしっかり仕事をしてきたのだとわかります。仕事の手は止まりませんが、その湯気のような優しい調子で染めている糸、染料について説明をしてくれるのを聞くと、彼女も言われた事だけをしているのではない、経験と知恵を積み重ねて来た職人だと改めて感じてしまいます。
そして、竃の手前の機には、白髪がきれいな初老の女性。
もう歳で根を詰める機織りはキツくなって来たから今は、こちらのちょっと楽な織り機でね、と言いながら飛杼式(18世紀にジョン・ケイが発明した、紐を手で引くと杼を自動的に縦糸の間を移動する織り機)の織り機で、布をゆっくり織っています。
彼女は自分が織ったふわふわの白い布でブラウスを作って着ていて、それが白い髪の柔らかく煙るように顔を包んでいる様子となんとも可愛く似合っていて、織っている布の渋い色合いと相まってなんともシックです。
そのふんわりした甘い手触りや色合いは一緒に来たジャックさんやノイちゃんをすっかり魅了したようで、
「ねえノイちゃん! 今度は、こんな布でユニフォームをつくったら素敵よね!」
「うわー。それは素敵そう! ジャックさん」
私たちの背後で、ちょっと恐ろしい聞こえがよしの会話が聞こえる程。
ううむ。困ったなぁと苦笑いしていると、
「ここは、おばあさんが織物の仕事を始めて、お母さんが継いで、大学を出た娘さんが最近跡継ぎを決心したんです。しかも彼女は、薬学を勉強した上で、草木染めで布を作ることにしたんですよ。若い人が後を継ぐのも、きちんとした草木染めも最近は減って来ているし、彼女を応援してあげたくて」
とTOMO君の紹介があり、その初老の女性の娘さん、つまり今この工房を取り仕切っているまだ20代前半のイッドさんがやって来ました。
彼女は、赤ちゃんを出産したばかりでまだ少しだるくて……。と言いながらも、スタッフたちの質問ぜめにも、商売気なく淡々と静かに丁寧に応えてくれました。やはり、織る事、布が好きな人なのだと見受けました。
彼女によると、私たちの高機でヘンプ100%の布を織るのは、ヘンプ糸の不均質な太さや強度、入手できる糸の品質の不安定さと相まって、彼女らの持つ高機の性質では地機のように強く打ち込む事もできないので、非常に時間もかかり難しいとのこと。
ちょっとがっかりする私たちに、もし縦糸をコットンにすれば、横糸をヘンプにする事は可能ですよ。それでも、ヘンプの素材感や性質は生かせますし、希望の短い日程でも織り目が密で均一、丈夫な使いやすい布ができるでしょうと、以前作った布見本をみせてくれながら、説明してくれました。
できない事を正直に、そして理由をわかりやすく説明しながら、同時に私たちの求めるものに寄り添った代替え案を出してくれる真面目でリアリストな娘、イッドさん。織ることが大好きなお母さん。気の良いお手伝いの女性。工房を訪問したジャックさんたちスタッフ皆も、親しみと信頼感を感じ、TOMO君と同じように、この若いもの作りの仲間を応援したいという気持になったようでした。
また、タイ族の中でもタイルー族というグループのジャックさんは、イッドさんやお母さんたちタイヨーム族の言葉がタイルーの言葉に近く、言葉の響きも喋り方も、話す内容も、なんだかお母さんと話しているみたいだったと、嬉しそうでした。彼女は数年前に大好きだったお母さんを病気で亡くしているのですが、白くふんわりしたイッドさんのお母さんの居ずまいや優しい喋り方は、自分のお母さんの面影や、かつて共に暮らした頃を思いださせるものだったようです。
残念ながら、今の私たちの工場のメンバーたちは織物はできない世代ですが、彼女らの母親の世代は、誰もが機織りができ、つい最近まで家に機があったという人も多いので、余計に郷愁を感じたのかもしれません。
工芸の都と言われ、今も様々な手を使ったもの作りが盛んなチェンマイ。そしてその絹織物は王族も求めるという素晴らしい技巧を持つランプーンでも、糸や布にまつわる様々な技は、徐々に廃れて来ているのが現実です。
とはいえ、今の王妃様の奨励がきっかけになって行われている北タイでは金曜日に公務員や学校へ通う子供たちはタイの伝統衣装を纏う運動があり、北タイの手織りの伝統的な布で洋服をつくるTOMO君や、イッドさんたちのような努力が続いているのも、また事実です。
ランプーンが誇る素晴らしく精緻な、なかなか手が届かないような工芸の粋の布も素晴らしいですが、こうして普段の日々の中で織られる布も、その人の面影や居ずまいがにじむ優しく親しいものです。
私たちのものづくりも、TOMO君やイッドさんたちのように、そうした日々の中で使われながらも、伝統的な美を保っている物達を再発見し、そして新しい使い方を提案し、命を改めて吹き込み、これまでの伝統の流れに合流していけたら、と思わずにはおれません。
ちなみに娘さんの旦那さんは、家の女たちが作った布を、バンコクに売りに行ったりする仕事をしているそうで、不在でした。どうやらここでも女は強し。だったようです。(Asae Hanaoka)