タイという国とそれを構成するエスニック・グループを考察することは、この国の歴史とその成り立ちに深く触れることになりますが、ここでは私たちのいるチェンマイを中心とした北タイに絞ることにします。
チェンマイの街中の人々は、同じタイ人であっても自らをタイユアン(平地のタイ人)またはコンムアン(里の人)と称して山地民と区別しますが、こうして区分される対象としての“山の人”(少数山岳民族)とは別に、タイ・ヤイといったシャン族系の人々がいます。シャン族は名前からもわかるように、タイのかつての呼称「シャム」をその語源とするタイ系諸族のひとつです。
私たち外国人には全くわかりませんが、こちらの人々は街中で通り過ぎる人を見ても、「あの人はシャン、あの人もそう」とその微妙な言葉や肌の色、顔立ちの違いから一見して分かるのだそうです。こうして表現されるシャン族系の人々は、以前からこの地に住んでいた人々か、もしくは何世代か前に彼らの多く暮らすミャンマーなどからタイに移住してきた人々です。すでにこちらに生活の基盤があり相応の社会的ポジションを得ている人もいます。当然タイ人としての自覚もありタイ社会とも完全に一体化しています。シャン族は古くからの稲作農耕民で、今もタイ北部のメーホンソン県〜ミャンマーのシャン州の平地、中国の一部になどに居住しています。
しかしかつては同じシャン族であっても、国境線が引かれた後に居住地域がミャンマーとなり、近年そこから難民として逃れてきた人々は、また状況が異なります。
かたや自由主義経済を選択し、東南アジアの優等生といわれる目覚ましい経済発展を遂げたタイと、かたや社会主義経済を選択し、その後の軍事政権でも厳しい生活を余儀なくされるミャンマーとでは、その経済格差は歴然です。経済的困窮もしくは政治体制の違いから難民として逃れて来た人々はタイの国籍がありませんし、正式なIDカードもありません。期間限定で発給されたIDでは実質単純労働にしか就けず、多くの人々が工事現場などの肉体労働に従事しています。チェンマイの豊かな都市生活は、こうした人々が下支えしてくれているともいえます。
朝、車で会社へ行く際に、ハイウェイでは荷台にびっしり10人以上の人々を満載したピックアップトラックをよく見かけます。荷台に乗り排ガス対策で頭からすっぽりとマスクを被ったその姿は、さながらアラブのゲリラか騎馬戦士のよう。そのほとんどがミャンマーから逃れてきたシャン族の人々です。それは彼らが工事現場へと向かう出勤風景です。
現在の国境線が引かれた後に、タイ側に居住した人々とミャンマー側に居住した人々、それぞれの置かれた状況は違っても、同じシャン族に変わりはありません。
先日の日曜日、4月6日はチャックリー王朝記念日で祝日でした。翌月曜の振替休日と併せて三連休だったところもあります。この連休の3日間を使って、シャン族(タイ・ヤイ族)の少年たちが皆揃って出家を祝うお祭り“ポイサンローン”がありました。
場所はかつての王城の跡が残るチェンマイの旧市街、民族衣装に着飾った少年たちを大人たちが肩車しながらお堀のまわりを練り歩きます。行列は主役である少年たちを中心に、同じく美しい民族衣装で着飾った少女たち、(肩車するにはいささか重い)大きめの少年を載せた馬、それを牽く大人たち、そして鐘や太鼓を打ち鳴らして気勢をあげる若者たち(なかには祭りの高揚感から声をあげながらトランス状態で踊りまくる若者もいます)。ポイサンローンでは老若男女、一族皆で少年たちの出家を祝います。
タイでは(上座部仏教徒は)、男子は一生のうち一回は出家するものとされています。通常は成人前に行いますが、とはいえ多くはそのまま僧侶となるのではなく、お寺にもよりますが、たいていは数週間(最短では3日!)で還俗します。この最初の出家は本人の修行のためというよりは、むしろ子を出家させる親のため、(親の)徳を積むため、ひいては親孝行のために行われます。ですから、息子を出家させて意気揚々、鼻高々の両親はもちろん、兄弟姉妹、叔父叔母、一族郎党、皆の喜びとして盛大に祝います。
ちなみに連休となった祝日は「チャックリー王朝記念日」ですが、これはそもそもバンコクに都を置く現王朝の記念日です。ここ北タイでかつて栄えた王朝は、チェンマイに都を置いたランナー王朝です。日本でいえば京都でなぜか神田の三社祭をするようなものです。歴史的には縁もゆかりもないバンコク王朝(チャックリー王朝)の記念日に、地元のシャン族の人々が宗教儀式としてのお祭りを行う、というのも考えてみれば不思議なものです。
とはいえ、そうした何でも受け入れる柔軟性と大らかさ、細かいことに頓着しない「マイペンライ(大丈夫、問題ない)」の気風は、タイという国ならではです。普段はそれぞれ複雑な状況に暮らすシャン族(タイ・ヤイ族)の人々にとって、ポンサンローンは年に一度のハレの舞台。そのお祭りの舞台として、ランナー王朝のかつての都チェンマイの、王城跡のお堀を練り歩くのです。しかも警察官がしっかり先導し、観光客でごった返すお堀沿いの道を交通規制して彼らの行列を守ります。
民族衣装で着飾った、彼らのその美しい行列を見ていると、その出自や貧富の差、社会的ポジションや置かれた状況を越えて、同じシャン族としてのプライドと、皆でお祭りを祝える喜びが私たちにも伝わります。そんな美しい夢のような行列でした。(J.O.)