2017年3月14日火曜日

アクセサリーを洗う - cleansing accessories

タイは宝飾品に関する産業が盛んなところであり、見本市はひっきりなし、観光ツアーで郊外の宝石加工工場へ行くのはお約束です。チェンマイには、ウアライ通りという銀細工の職人が集まった地域がありますし、カレン族の銀細工など山岳民族の人々が作る装身具は、日本の雑貨屋さんで見かける機会も多いのではないでしょうか。

そうでなくても、この国は装飾品を身につけることは、お洒落以上に意味があり、かつ日常的なことに感じます。
たとえばスタッフたちの大半は、小さな仏像をチャームのようにつけたネックレスを首にかけています。その鎖はたいてい金製で、個人の好みが反映され、財産性もあるでしょうが、これは装飾ではなく深い信心を伴ったお守りです。
タイに来たばかりでその文化や習慣を良く知らなかったころ、とても美しく可愛らしいので、製造マネージャーのジャックさんのそれに無意識に触れようとしたところ、彼女が反射的に身を避けたことがあります。普段の彼女は、そうした邪険にも見える振る舞いを、決してする人ではありませんから、それが彼女にとってどれだけ大切で尊いものかを実感した瞬間でした。聞けばこれは、家へもどって外せば、自分の頭より高いところへ置いて決して粗略には扱わない尊いものだそうで、本当に申し訳ないことをしたと今でも思います。
また、あるスタッフを海外研修に連れて行った時、空港へ見送りに来た彼女のお母さんが娘を大切そうに抱きしめながら、その首にかけた白い紐のお守りの首飾りも忘れがたいものでした。

このように、装飾品を身につけることは、本来は見えない悪しきものから身を守ったり、誰かと思いを結んだり、自分の出自や信条を示したり、時には、ピアスや刺青のように、身体そのものの見え方を変化拡張までもし、理想の自分になったりあるいは違う何かになったり繋がったりする行いであり、そうした装飾品の意味は、誰の中にも今も生きているように思います。
そのような装飾品が、自己変容や向上、外の世界との結びつくためのシンボルとしてのあるさまは、私たちeavamのスキンケアラインの役割にも重なるように思えます。

薄い皮膚という境界の上に置かれたバームなどのスキンケア用品は、アクセサリーやメイクと同じように、自他の違いと共通性などその存在の意味づけを明らかにしつつ、それぞれの心と身体を健やかに保ち、それをもたらす自然や他者を尊敬すること。いかによりよく社会や世界と自分とをむすびつけることを感じるか。そのためのきっかけであり、もしくは第二の皮膚や自分とも思えるのです。

かくいう私も身を飾るというよりは、お守りとして毎日のようにその時々に合わせたアクセサリーを身につけます。
朝、仕事に出かける前に、その日にすることや前日にあったことを思い返し、今日一日どのような心持ちでありたいかを考えながらその日身につける服やメイクを選びます。アクセサリーも同じなのです。
そして、仕事を終えて家へ帰ってきてすることは、まずメイクを落とし顔を洗いシャワーを浴びて、その日の諸々を振り返り、句読点を置きます。

チェンマイは、涼しく心地よい寒季が終わり、乾いた熱い風と陽射しの暑季が到来しています。たしかに室内は空調で快適に保たれてはいますが、少し外に出れば、みるみる汗や埃で肌はなんとなくベタつき、心を重くするような膜に覆われたような感覚になります。製造に関わる私たちですし、こうした肌の感覚は人並み以上にデリケートです。
そうなれば、それらをさっぱり洗い流したくなるのが人の常ですし、もともと宗教的にも不浄は避けられ、涼しげにこざっぱりとしているのを好むタイの人たちは、水浴びやシャワーが大好きです。実際、ちょっと外出する前には必ずシャワーを浴び、洗いたてでアイロンの効いた服に着替え、髪を整え、お洒落な人ならばほんのり香りもまといます。

そんな様子を見ていると、彼らは日本人より何かを洗い流してリフレッシュするような皮膚感覚が鋭く、そうして作られる居住まいが周りに与える影響や、その場で醸成される空気について深い直感を持っているように感じられます。
以前は、仕事が最優先で食べることや身だしなみは二の次、とりあえず手が空いたらまず眠り、結果、あまり自分自身に構わないがらっぱちな毎日を過ごしていた私ですが、どんなに疲れて倒れそうでも、家へ帰ったらまずとにかくシャワーは浴び るようになり、また少しお洒落や身の回りの気配りを意識するようになったのは、この国で仕事をし、タイの人たちのリフレッシュ・切り替えの上手さに影響されたおかげのように思います。

さて、なんとなく汗で肌が鬱陶しくなりながら家に帰ってシャワーを浴びる前に、習慣になったことがもうひとつあります。
シャワーの前にまず洗顔をするのですが、その時に、その日つけたアクセサリーを洗うことです。

チェンマイはもう夏に入り、汗もかくので身につけるアクセサリーは、もっぱらシルバーなどの金属ですが、これをそのままにしておくと、汗に含まれる塩分のために金属イオンが溶出しやくなったり、チェーンに皮脂などがついて雑菌が増えやすくなり、せっかくのアクセサリーが肌への刺激となりやすくなるうえ、チェーンや石もどことなく濁って見えてしまいますし、肌に触れる手触りも心地よくありません。これではまるでアクセサリーをつける楽しみがすっかり失せてしまいます。
そんなことを思うようになり、自分自身の肌のためにも、お気に入りのアクセサリーのためにもいつからか、家に帰るとアクセサリーを洗うことも儀式のようになっていました。

手順はこんな感じです。
まず、石鹸で手を洗います。
今は、少しさっぱりした感じが良いので、アルガンオイルとココナッツオイルを主原料にしたアルガンソープ「sumimou 102」を使います。
手を洗うのは2回です。
まず、手の汚れをおおよそ落とすために1回。そして、きちんと汚れを落とすために1回。
アクセサリーを洗うのはこの2回目の時です。
泡で包むようにし、流水でさっと流し、タオルの上に置いて乾くのを待つだけです。
銀は鏡のような洗い上がりになりますし、水晶などの石はグラスを洗ったようにきゅっと指先が鳴る手触りになって透明度が増します。そして、何より朝、それらを身につける時に新品を身につけるような心地よさがあります。
(真珠のように、アルカリに弱いものは、その部分は水洗いをしてあとでクロスで綺麗にし、チェーンの部分だけを洗います。その他、水やアルカリに弱いものは洗浄は避けます。)

それからこのアクセサリーを洗う前の1回目の手洗い。これは、実はアクセサリーを洗うことだけが目的ではありません。
洗顔前の準備としても、とても大切なことです。
洗浄料を手に取り、肌を洗う大切な道具でもある手が汚れていては、洗浄料の力が落ちてしまいますし、肌への負担をかけることにもなりかねません。洗顔後につける化粧水やバームなども、本来の手触りや香りの心地よさが得られないこともあります。
だからこそ、洗顔前の手の洗浄は、朝夕の洗顔やスキンケアに欠くべからざる準備なのです。むしろ、アクセサリーを夕方洗うことは、そのおまけでもあるのです。
とはいえ、メイクやスキンケアのように、普段を心地よく過ごす助けをしてくれるアクセサリーです。第二の皮膚、体の一部として1日のピリオドを打つ時に「ご苦労さま」と挨拶しながら洗い清めてあげるのも、楽しいことではないでしょうか。
(花岡安佐枝)