2014年2月27日木曜日

こちらには、こちら仕様の・・・ big tank

会社で新しいプリンタを購入しました。普段私たちが使うのは所謂オフィス用のレーザー複合機ですが、今回新たに買ったのはインクジェットプリンタです。比較的安価な機材ですし、機種の選定はスタッフに一任しました。とはいえ「どんなものを選ぶかな?」と少しばかり興味を持って見守ってもいました。やはり価格優先で一番安いモデルにするのかな。もしくはその逆で奮発するのかな? CanonかなEPSONかな? それとも全然知らないメーカーかな? インクは染料/顔料どっちかな? スキャンやコピーは出来るかな? 最低でもWiFi搭載モデルだといいな。色は個人的には白がいいな。とかなんとか……。
そこまで言うなら自分で選んでメーカーと型番を伝えて買ってきて貰えば良さそうなものですが、まあとにかく今回はスタッフにお任せで買ってきてもらいました。

で、どんなのを買って来たかといえば、EPSONの(この選択はよいと思う)、ローエンド価格帯の(まあ質実剛健っぽくてよいか)、染料インクの(まあ無難)、スキャンもコピーも出来ない機種で(う〜む)、WiFi機能はなく(え〜)、色は黒の(なに〜?)、コンパクトな単機能のプリンタを買ってきました。

スタッフ4〜5人で共有するわけでしょう。せめてWiFi付けてもらえませんか!!! コピーくらい取れるやつは無かったですか! 色は選べるならば白にしてもらえませんか! と、人に買って来てもらっておいて内心ぶつくさ悪態をつきながら、憮然と箱から取り出してセッティグ。
するとなんだか特徴のあるボックスが本体に付いている。ハードディスク? いやいやPostScript対応のレーザープリンタじゃあるまいし、フォントとか入れておく必要などないはずです。よくよく見ると、それは本体横に取り付けられた巨大なインクカートリッジ・ボックスでした。私たちが見慣れた通常のカートリッジのインク容量は、1色10〜15mlくらいでしょうか? それがこのプリンタの場合、1色70mlの巨大なインクカートリッジが4発(4色分)装備されています。カートリッジというより、もはやこれはインクタンクです。こんなプリンタは見た事がありません。当然日本のEPSONのカタログにも載っていません。

そう、スタッフが選んで買ってきたのは、EPSONが新興国向けに開発した海外モデルL110、その名も通称“ビッグタンク”と呼ばれるプリンタでした。実はこの機種、こちらタイでは結構ポピュラーで、少部数印刷を請け負う街のプリントショップなどではずらりと並ぶ定番プリンタでもありました。
日本では低価格インクジェットプリンタといえば年賀状や写真印刷などの家庭用が主な市場ですが、こちらでは全く違います。バリバリの業務用/ビジネス用の書類プリンタとしても使われています。高価でトナーなどのサプライ品にコストのかかるレザープリンタよりも、本体も安価でインクも安いインクジェットが支持されています。印刷のクオリティはレーザーが上と思われがちですが、こちらの人は細かい事を気にしません。というか、最新のインクジェット技術は十分すぎるほどに美しい印刷クオリティです。

この安価でこなれたテクノロジーを、更に現地のニーズに合わせて最適化したのがこのプリンタです。年に一回の年賀状や、新しいデジカメを買った当初だけ行う写真印刷とはそもそも使われ方が違います。何十枚何百枚とヘビーデューティーに業務書類を印刷するには、巨大なインクタンクが必要です。その重さによる慣性が左右に動く印字ヘッドに負荷を掛けるのならばと、タンクを外付けにしてヘッドはノズルで繋ぎます。なるほど理にかなった仕様です。目的が明確ですからコピーもスキャンもいりません。常に稼働する専用機としてなら共有機能(WiFi)も省いてその分コストを抑えます。

こうした日本製品は実は他にもあります。代表的なものとしてはやはり“タイカブ”でしょうか。これは世界最多産の二輪車であり、日本でも出前や集金、小口配送などで活躍するビジネスバイクの代表、HONDAカブのタイ仕様車です。

もともとカブは「開発当時の日本の道路は悪路が多く、過積載などの無茶な運転も横行しており、それらを考慮して設計製造が行われていた。さらにはビジネスユースという点からも耐久性が重視されていることから、走行距離にして何十万キロ耐えられるのかはホンダでさえも「想像が付かない」との見解を下している。またエンジンオイルの代わりに天ぷら油や灯油でも問題無く走行するという都市伝説が存在する。ホンダ開発陣の見解は「公式に実験や確認を行った訳ではないながらも恐らく事実である」としている。これは各部が受ける熱や圧力が小さく、エンジンオイルへの負担が少ないという点に起因するものである」とあります(Wikipediaより)。

こうしたバイクはまさに今のタイで(特にチェンマイのような地方都市で)求められている乗り物です。タイカブはこのメイド・イン・ジャパンの傑作をベースに、タイヤホイール径や排気量を更に大型化するなど、現地仕様に最適化したバイクで、こちらでも圧倒的な支持を得ているタイHONDAが生産する“国民的バイク(モーターサイ)”です。
こういう製品を設計するのは楽しいだろうと思います。皆に求められるもの、支持されるものを作るのは、ものづくりとしても楽しいはずです。(Jiro Ohashi)

2014年2月25日火曜日

庭の真ん中でラーさんは叫ぶ  new technology

私たちの会社には1時間の昼休みのほか、午前と午後に15分ずつの小休止があります。
神経を集中させ、目と指先の感覚を生かして製造をするスタッフたちです。
どこかで緊張をほどきリフレッシュしなくては良い仕事は続けられませんから、品質維持、スタッフの健康管理のためにも、こまめな休憩は欠かせません。

さて、その休憩の5分前になると「さあ、あと5分だよー!」と各チームのリーダーが声かけをし、そこで作業は切りの良いところへ一気に向かいます。
そしていよいよ休憩となると「ペンの時間だよー!」とリーダーが再度声をかけ、三々五々庭の東屋、バーンさんの高床の家の周り、ラムヤイの木の下とお気に入りの場所へと出て行き、おやつを食べたり、ハンモックで仮眠をしたり、恋人に電話をするなどして過ごします。
それにしても何故休み時間が「ペンの時間」なんでしょう?

そしてそのオアシスの15分が終わる頃。
「ペンペーン!」の声が。
誰がどうやって決めたのか、誰かがベルの代わりに庭でそう叫び、皆で「よっこいしょ」と、仕事に戻るのがこれまでの常でした。そう。この「ペンペーン!」の叫び声が「ペンの時間」の由来なのです。「ペンペーン」はタイ語でいわゆるベルや鐘の音を表す擬音、オノマトペです。日本語ならばさしずめ「カンカーン」でしょうか。

2週間ほど前、製造マネージャーのジャックさんが「相談があります」と私の机にやってきました。
なんだか、悪い物を食べたようなへんてこな顔をしています。
「どうしたのジャックさん。お腹いたいの? ほらまたおやつ食べ過ぎたんでしょ?」
と私がからかうと「ジャック、違います!」
真に受けて真面目に否定するジャックさん。
こんなところまで生真面目なジャックさん。ああ、なんて可愛い人なんだろう。
ちょっと、悪いオヤジのような気分になってで私は心の中でにやけます。

「ごめんごめん。何か心配ごとがあるんでしょ?」
「ラーさんが、喉がちょっぴり痛いんです」
「え?」
「ペンペーンて毎日言うでしょう?」
「ああ、庭が広いし、いろんな所にみんな居るから、大きい声でないといけないものね」
「それに、恥ずかしいって……。」
「あ、わかった!」

いつも休み時間が終わる合図の「ペンペーン」を叫ぶのはガスール製造チームの副リーダーのラーさんで、喉が痛いというのは実は風邪が原因でどうやら口実。
本音は毎日大声を張り上げるのは恥ずかしい。それを見かねたジャックさんは別の方法はないだろうか? ということのようでした。

ラーさんは、今でこそ頼りがいのある面倒見の良い副リーダーですが、入社当初は大変な恥ずかしがり屋でした。
誰かに声をかけるだけでも顔を真っ赤になってしまうし、ミーティングでは少しの発言でも大汗をかき、手を握りしめ、こちらまで息苦しくなるくらいに緊張し、失敗をしてしまった時には卒倒したこともあるほど。今でこそ、ジャックさんの辛抱強い勇気づけや、他のリーダーたちとの信頼関係のおかげですっかり成長し、皆の信頼も篤く朝礼での注意など堂々たるもの。かつての恥ずかしがり屋の片鱗は余程のことがない限りもう見えません。

自信も付き、時には豪快に笑いおしゃべりにも興じるラーさんですが、とはいえやはり根は心優しく繊細なラーさんであることは変りません。彼女も妙齢の女性、まして本来タイ人は大声をあげることを好みませんし、更に北タイ人はおっとりさんが多いですから大声での「ペンペーン!」はどうしたって恥ずかしいものに違いありません。
よくよく聞けば、みんな恥ずかしくて、気配りの人のラーさんがつい頻繁にやってしまうという構図だったよう。

「そうだね、あれは誰だって恥ずかしいものね」と、私。
「でも、ブザーとかサイレンもうるさくって嫌でしょう」
と、ジャックさん。
「そうだよねぇ……。うるさいのは嫌かも。かえってやる気もなくなっちゃうかも」
二人でため息。

「ベルは好きじゃないけれど、でもあまりうるさくないのがあるかもしれないし……。ジャックは町へ買い出しに行った時に、なにかカタログを探して来ます」
とジャックさんはいい、もう暫くの間だけラーさんは「ペンペーン!」を頑張ることになりました。

それから数日した夕方。
ラーさんは、相変わらずちょっと恥ずかしそうに叫んでいますが、ジャックさんは現場が忙しいこともあり、いっこうに町へ出かける気配がありません。
昔、失敗をして声を詰まらせて泣いてしまったラーさんを思い出して、私は「ジャックさんに催促を入れなくては……。でも、彼女だって忙しいし、いっそ私が出かけるか」と逡巡していたところ。
「あのね、ニパさんが、ペンペーンの機械を寄付してくれたんです。うふふふふ」
と、ジャックさんが、妙にニヤニヤしながらやってきました。この間の変なものを食べたような顔よりもっと変な顔つきをしています。

ニパさんは備品管理担当(なぜか頂き物のお菓子の分配も彼女が管理)の女性。北タイなまりが強く、それに似合ったのんびりした居ずまいの、熱帯のムーミン一族のような人。家業が果樹園のせいか、時々果物の苗や種をくれたりします。その人が会社に機械を寄付するってどういうことでしょうか。

「機械???」
「すごく良いの。とっても私たちの会社らしいです」
「うーん。サイレンとかうるさい機械が???」
案内されたのは、バーンさんの家の前に立っているラムヤイの大樹の下。
私は目をあげて、木陰にサイレンを探しますがそんなものはどこにも見当たりません。
「スイッチはどこ?」
「スイッチ? スイッチはないけれど……。機械はこれです!」
「ひゃはははは! いい! すーごく良い! 素晴らしい!」

目の前にあったのは、幹にボロ紐で吊るされた小さな錆びた鍬の先。
なんだか心もとなげにぷらんとぶら下がっています。
これがベル。でも柄をつければもちろん庭仕事、畑仕事にも使えます。
そして幹の間には、長さ25cm程の大きな銀色のボルトが置かれています。
これが、鐘を打つハンマーです。

「でしょう! でしょ! 電気も使わないし、とても長持ち! 鐘以外にも色々使えます!」
「うんうん!」
「これもリサイクル!? でしょ? でしょう?」
こうしたとぼけたものが大好きな私たちは二人で、きゃっきゃと大喜びです。

「これでいいですか? 大丈夫ですか?」
騒いでいる私たちのところへ、クオリティコントロールのケッグちゃんまで嬉しそうに近づいて来ます。
「うん。とてもいい!」
「じゃあ、あたし、叩いてみます!」

折しも皆が仕事を終えて掃除にかかる時間。
カンカンカーン!
あたりに、少し甲高い鐘の音が鳴り響きますが、どこかのどかで電気のサイレンやベルのような、緊張を促すような感じはありません。
誰かがそれを打っている様子を想像すると、くすりとしたくなります。

「新技術の導入だね!
「身の丈テクノロジーです」
「本当に私たちの会社にぴったり!」
私たちは滅茶苦茶を言いながら、ケッグちゃんが鐘を打つ様子を眺めたのでした。

そして今日も、折々に件の鐘が鳴ります。
叩く人によって、詰まった音になったり、綺麗に余韻まで聞こえたり、個性がそれぞれ現れます。きっと、皆が交代で鐘を打つことになったのでしょう。
不足があれば、まず身の回りにあるものを工夫し、あるいは自分たちで作り、先の始末を考え、しかし深刻にもなりすぎず、それを愛おしみ楽しむ。
これもそんな工夫のひとつです。(A.H.)

2014年2月24日月曜日

もったいない、もったいない it is wasteful

こちらの人々は皆、物をとても大切に使います。古くなったからといって、少しばかり壊れたからといって簡単に捨てたりはしません。少しばかり時代遅れになったからといって、色褪せたからといってすぐに新しいものに買い替えたりもしません。
キューバほどではありませんが、自動車というよりもはや“民具”かという年季の入った車も普通にハイウェイを走っています。屋台の日除けシートやパラソルは、どこから流れて来たものか、まったく関係のない企業やお店の名前の入ったものでも大切に使います。大銀行サイアムコマーシャルバンクの大きなパラソルをさして、おばさんが豚の炭火焼を売っていたりします。

皆頂き物の包装紙は丁寧に剥がして取っておきますし(またいつか出番が来ます)、クッキーの缶は必ず別の用途に再利用します(それは私たちもやります)。家電を買った時の大きな段ボールもゴミとして捨てられることはありません(何に使うのでしょう?)。こちらでは大きな市場を形成している栄養ドリンク(REDBULLやM-150、SHARKなどなど)の空き瓶は、キャップに穴を開け芯を入れてランプにします。取っておいてピーの祠の水入れなどにも使います。

現場のリーダー、ジャックさんは特にそうしたことに意識的。彼女が普段使うiMacには、買った時に保護材として被せてあった不敷布を大切に取っておいて、毎日終業時にはカバーとして被せます(なかなか可愛らしい光景です)。
パソコンが大切で高価なものというのはわかりますが、そういえばかつて昭和の時代の日本でも、同じような光景がありました。
テレビにはほこり除けの布が掛けられていましたし、家の黒電話にはきれいな布や手編みの可愛らしいカバーが掛けられていました。

とはいえジャックさんの場合「大切にする」はなにも「もったいない」だけではどうもないようです。掃除に使うほうきひとつにしても多少高くとも必ず棕梠で作った天然素材のものを選びます。「どうして?」と聞くと「だってプラスチックのほうきは捨てるとき困るでしょう? ゴミになるでしょう?」とのこと。恥ずかしながら、そんなこと考えたこともありませんでした。掃除道具は機能的で効率よく、それで安価であれば一番いいじゃない? と。ゴミを集めるそのほうき自体がいつしかゴミになる時のこと(それは7年も8年も先のことでしょう)を想像するというのはなかなか新鮮でした。
ものを大切にするのは、ケチでやっているわけではないのがわかります。でなければこれだけタンブン(お寺や僧侶への寄付、弱者や貧しい人々への施し)の習慣が根付くはずもありません。

私たちの会社でも、原材料を輸入した際のエキストラバージン・オリーブオイルの缶は回収業者へ、アルガンオイルの樹脂ボトル(これは食品レベルの安全基準をクリアしたものを使います)は、皆家では畑をやっていますから農作業の時、水筒として活躍します。ガスール原料を輸入する際の大きなビニール袋は(もともと小麦などの穀物用の袋を採用しています)、米を入れるのにちょうど良いそうです。
製品に貼る円形のラベルシールの台紙(ラベルを剥がしたあとの丸く穴の開いたシールの耳)は、なんと作業用の付箋に利用します(笑)。
ここまで来るとなんだか清々しいものがあります。スタッフたちの「もったいない」には吝嗇さからくる息苦しさや不自由さがまったくないのです。「だって物は大切にしなくてはいけませんよ?」とまっすぐな目で言われると、「そのとおりですね」と答えつつ、私たちが改めて教えられます。
「物を大切にする」という幼い頃に誰しもが教えられた当たり前の生活規範が、ここではしっかり生きています。(Jiro Ohashi)

2014年2月16日日曜日

山の生活 life of the hilltribe

チェンマイ市内から80kmほど北上したところにチェンダオの町があります。ここはタイ最大級の洞窟チェンダオ洞窟とチェンダオ山で有名な場所。隆起した石灰岩が長い歳月をかけて浸食され形作られたこの山の姿は、さながら神仙や霊獣の住処を思わせる山水画のよう。緑が勢い良く生い茂る亜熱帯の地の、この聳え立つ岩の山はなかなかの絶景です。
この山は信仰の対象でもあり、この辺の寺院はみな山の方向を向いて建てられています。いわゆるホーリーマウンテンです。アカ族、リス族、カレン族など、山岳民族が多く暮らす地域で、高床式や土間の住居など、都市部の人々とはその暮らしぶりも大きく異なります。色鮮やかな民俗衣装やアクセサリーを身につけ、話す言葉もタイ語とは異なり、それぞれ独自の言葉で話します。チェンダオは都市部から離れたその落ち着いた雰囲気と美しい景色から、欧米のロングステイヤーにも人気のリゾートでもあります。

今回その山の麓のキャンプ場で開催された野外フェスに参加してきました。ホーリーマウンテンというくらいですから、その地で開催されるフェスのトーンも推して知るべしですが、そこは郊外でキャンプをするための方便。どんなイベントにもコアな人々もいれば、それ以外も存在します。世界各国から流れて来たであろう山の中のラブ&ピースな人々とはフレンドリーに、かつ適度に距離を取りながら、私たちはキャンプ場の一番端にテントを張りました。

チェンマイから70kmほど北上したのち幹線道路117号を離れ、チェンダオのキャンプ場に続く一本道に入ると、まわりはのどかな田舎の景色に変わります。一本道ですから当然目的を持った人間しか入ってきません。車の数もぐっと少なくなります。ところどころで水牛が草を食んでおり、道路をゆっくり歩いています。豚や鶏、犬や猫など動物たちが人と一緒に暮らしています。なかには食べられ、乳を搾られ卵を採られるために財産として飼われているものもいれば、またなかには家の番として、単なる共同生活者として誰に飼われるでもなく全体で扶養されているものもいます。

人々の暮らす住居はとても質素です。都市部の生活に慣れた目からは、一見納屋か作業小屋かと見間違えますが、家です。食べ物は畑や果樹や家畜たちが与えてくれます。生活に必要な日常品は竹や葉や木を使い、自分たちで作れるものは作ります。貧しいというよりも(もちろん裕福ではありません)家は雨露をしのげればそれで十分という大らかさを感じます。子供たちは歓声をあげながら道端で元気に遊んでいます。けっして困窮しているという印象はなく、別種の豊かささえ感じます。多くの家の軒先にはバイクかピックアップが。庭先には巨大なパラボラアンテナが立っており、隔絶した生活でもありません。

温泉も湧いています。場所は村を流れる小川。道の突き当たりにあるワイルドライフ・リサーチ・ステーションのゲートの手前の河原です。ボーリングなどで採掘した温泉ではなく、河原から直にコンコンと湯が湧いています。そこに直径1.2mほどの土管を縦に埋めて浴槽としたものが数本設置してあります。通称“土管温泉”です。各土管同士を青い樹脂製のパイプ(こちらで使われる水道管)で繋ぎ、そこに湧き出た温泉を貯めています。源泉から遠いほど湯の温度は下がるので、自分の好みの温度の土管(浴槽)に入ります。それでもかなり熱いので、川の水を洗面器で加えながら調整する人もいます。こちらでは肌の露出は厳禁、温泉も水着着用で入ります。地元の人たちは服を着たまま入るそうです。
ちなみにこの温泉、当初は川に流れるままで村の人々が洗濯に利用するくらいだったそうですが、こちらに暮らす日本人たちが、肩まで浸かれる温泉を、と役所に掛け合い許可を得て自ら土管を整備して出来たものだとか。さすが温泉好きな日本人。野趣溢れる見事な露天温泉です。

私たちが行ったのは2月14日のバレンタイン・デイ。タイはこの日はマカプチャー、万仏節です。仏教では重要な日で国の祝祭日になっています。歌舞音曲も控え、静かに過ごしお酒も飲んではなりません。実際この日はお店でもアルコールの販売は禁止です。
禁止ですから事務局直営の売店などでも「本日はお酒の販売はありません」と貼紙がされていました。とはいえフェス会場の地元の人々が出す屋台では普通にビールも買えました。自粛の雰囲気は特になく、いつもどおりの野外フェスの風景です。タイは人口のほどんとが敬虔な仏教徒ではありますが、山岳少数民族の人々の宗教は精霊信仰です。もしくは自立支援、職業支援の名目で入って来た宣教師の影響でキリスト教を信仰する人々です。宗教の異なる人々にしてみれば、重要な仏教行事もさして影響ないのかもしれません。たとえ国の祝祭日とはいえ、その辺はタイの大らかさでしょうか。

野外フェスのほうは、日本から来たアマチュアのようなフォークシンガー(日本語で歌っていました)がいたかと思えば、強烈なリズム隊で会場をグルーヴの渦に巻き込むダブ・レゲエバンドがいたりと玉石混淆。朝コーヒーを飲むため私たちにお湯を分けて貰えないかしら? やってきたのは隣に一人で小さなテント張っていた可愛らしいおばあさん。オーストラリアから来たそうで、話をしてみると出演者なのだとか! 「今日ステージで唄を歌うの。よかったら聴いていってね」とのこと。コーヒーを飲み終わるとリコーダーを取り出し、一人リハーサルを行っていました。一流どころの名うてのミュージシャンからゆる〜い感じのおばあさんまで、なんとも気持ちの良い山の麓の野外フェスでした。(Jiro Ohashi)





2014年2月11日火曜日

ペットボトルの花 rather than commodity…

タイの人々の手先の器用さにはいつも驚かされます。日常でそれを感じるのは、たとえば屋台などでお総菜を買った時でしょうか。テイクアウトのお総菜は基本的にスチロールやプラの容器には入れません。ここチェンマイではたいていはビニール袋に直に入れられ、空気でパンパンにし、口を輪ゴムでクルクルっと留めたものを「はいよ」と渡してくれます。総菜はもちろんご飯も麺類も、そしてスープも同様に直接ビニール袋です。

調味料(各種ソース)も同じように付けてくれます。しかし魚型の「たれびん」はありません。ナンプラーをベースにした魚醤ダレ、お酢にプリッキーヌを漬け込んだ酸味タレ、砂糖を加えた甘辛いチリソース、などなど料理に合わせた各種調味料を小さなビニールの小袋に入れ、同じようにクルクルっと輪ゴムで留め、パンパンに空気の入ったかわいいテトラポットのようにして「はい」っと付けてくれます。
輪ゴムでクルクルっと留める指先の動きはとても速く正確で、動作に迷いはありません。振っても逆さにしても中身が漏れることはありません。調味料の小袋を作る動作などはまるで手品か魔術でも見るような気持ちになります。
しかしこれは熟練した特殊技能のごとく、特定の人だけがやるのではありません。誰もが当たり前のようにやります。年季の入ったおばあさんからその孫とおぼしき若い娘さんまで、どこの屋台でも何屋さんでもそうです。

チェンマイは手工業の街でもあります。陶芸、織物、布細工。銀細工、竹細工、木工細工etc.etc。さまざまな手工業の伝統があり、今もさまざまなものが作られています。会社の行き帰りや休みの日などは、なるべく地元のお店や市場に出かけては、私たちの作る製品に何かヒントになるものはないか? 参考になるものはないか? と歩き回るようにしています。それは直接的なヒントやアイデアでなくても良いのです。ただ単にシンプルな「驚き」であっても全くかまいません。

先日、家の近くの商工会議所で、地元の製造業の人たちを中心としたアウトレットの即売イベントがありました。なかにはバンコクからの出展者もあり、前の道路は来場者の車で結構な渋滞。なかなかの盛況です。野菜や果物といった農産物から、加工食品、衣類、革製品、シールドマシンやボトリングマシンといった加工機械まで、さまざまなブースが出展しています。
そんなかで、ふと足が停まったのがランプシェードの小さなお店(ブース)。日も落ちて会場の照明が灯るなか、そのお店の店先には実際に暖かい電球の光が射した沢山のランプシェードが吊るされていました。たいていが長さ30cmほどの円筒形で、花や鳥、魚や蝶といった見事な細工がカラフルに立体的に施されています。美しい眺めです。

なんだろう? いったい何で出来ているんだろう? と思い近寄ってみて見ると、それは樹脂でもガラスでも金属でもなく、日常のごくありふれた材料から作られていました。ちょっと驚きました。ペットボトルです。1.5リットルの水や清涼飲料のボトルに、カッターの刃を付けたハンダごてを使って華麗な装飾を施して作られています。
お店の軒先では夜店の“型抜き”でもやっているかのように、数人の若い女性たちが座り、まさにペットボトルに切り込みを入れ、花や蝶をカッターの刃で切り出しているところでした。タイではスコータイ王朝の昔から、果物に装飾的な彫刻を施すフルーツ・カービングの伝統があります。スイカやリンゴ、パイナップルといった果物にナイフで華麗に彫刻を施します。学校によっては授業でフルーツ・カービングを教えたりもするそうで、さすがに伝統が生きているのを感じます。
こうして昔からの優れた技術/手業は、屋台の店先から展示会のブース、学校の授業まであちらこちらに息づいています。

このペットボトルのランプシェードですが、いわば使ったあとの“廃品利用”です。材料費はほとんど掛かっていません。立派に商品としてブースに並べられるに至っては、その価値の源泉は人々の技術のみです。多少キッチュで耐久性に不安があろうが(実際にはかなり丈夫です)、ある種の錬金術のように技術が価値を生む様を目の前で見た思いです。それは屋台のテイクアウトのビニール袋と同様に、手品か魔術を見るような気持ちです。
ある時代は竹や草や木片を使い、ある地域では布や陶器やビニールひもを使い、そして今この展示会のブースではペットボトルを使っています。いつの時代もその時々の身の回りのものを使い、道具や商品はこうやって人々の指先から生まれてゆきます。(Jiro Ohashi)


2014年2月5日水曜日

失業・危機一髪!!! - a critical moment

「ジャックさん、原料の在庫はどのくらい?」
「あと2日分。でも、みんな仕事が速いし、わざとゆっくりするのは間違いだから……。」
「そうだ、アメニティの在庫を少し多めに作るのは?」
「あ、それはジャックも考えてました」
「じゃあ、それもスケジュールに!」

……そして、数日後。
「どうしたの? ジャックさん」
「うーん。もうアメニティ作りも終わってしまった……。」
「えぇっ!」

倉庫で、日に日に「空っぽ」に近づいて行く原料ガスールの袋たち(もうとうてい山とか、積んであるとは言えない)原材料を、私とジャックさんが渋い顔で見ながら、そんな会話を繰り返すようになって1ヶ月。「空っぽ」に近づくにつれ、私たちの胸の内は、熱い鉄板の上に置かれた猫のような心地に苛まれていました。
決算期の在庫調整、日本の取引先からの急な大量発注に加えて、モロッコからのガスールの原材料を積んだ船のバンコク到着日程が大幅に遅れ、私たちは製造用原料が尽きかけて、スタッフたちは失業の危機に陥っていたのです。前代未聞の事態です。

お取引先のたってのオーダーに応えるため、無理を承知で新たに募集をかけてスタッフの増員も行ったばかりです。
当初はこれもチャンスだと、石鹸製造やクリーム製造、パッケージの検品などを全社で行い各部門の技術交換、個々人のスキルアップに余念がなかった私たちですが、もともと、手を動かす事で多くを学び、思考と身体の相互的な考察力と今ある方法を改良してゆく創造力で仕事を進めるスタッフたち。
製造担当製品を固定化せず、時々シャッフルしてどんな製品の製造にも対応できるように人員配置を行っているため、どの製造ラインであっても異動経験のあるスタッフたちにとっては昔取った杵柄ですし、入ったばかりの新人たちも、それに負けじとあっという間に新しい業務に慣れてしまいます。
おかげで、製造マネージャーのジャックさんの綿密な予想をやすやすと越え、製造のペースは絶好調、それでついに「失業まであと何日」と指折り数えてしまうところまで至ってしまったのです。

そして、いよいよできる仕事も尽き、明日からもうどうしようという日の午前中、やっとガスールの原料は、はるばるモロッコからチェンマイへ届いたのでした。
船会社の事情で、船は予定よりも20日以上も遅れ、その遅れによって船の到着は、まさにバンコクのデモ激化の時期に重なり、一時は輸入の通関手続や輸送にも支障が出るのでは? と到着日程はとても不安なものになっていました。

さいわい混乱を避けるために船は普段とは別の港に到着し、懸念していた通関や輸送も無事進んで安心したのもつかの間。なんと私たちの20フィートコンテナは、その倍の巨大な40フィートコンテナ用のトラックに積まれており、いつもの通りこぶ牛や水牛も傍らで遊ぶ道を通り抜けて、敷地内の倉庫まで辿り着けない事が発覚しました。
こんな時は、工場から離れた運河沿いの農道に路肩駐車し、運送会社のトラックと私たちの会社のピックアップトラックでピストン輸送をしなくてはなりません。
しかし、そうすると荷物の上げ下げの回数は通常の2倍になります。またガスールは袋が破裂しないように、固形は砕けないようにと、丁寧な荷扱いが必要です。通常の入荷の倍以上の時間と労力がかかるのです。

もちろん、過去にもあった事ではありますが、なんということでしょう! 今回は大量の注文に応えるために入荷量は普段のおよそ2倍。いってみれば労力も時間も4倍になったようなものだったのです。
しかも製造現場の業務も切羽詰まっているために、入荷した端から製造スタッフはすぐにガスールの製品化作業を開始しなくてはならない。つまり、スタッフ総出での入荷の助力はできない。もう、あれもこれも泣きっ面に蜂でした。
(当然運送会社から荷下ろしのスタッフは来ますが、普段は製造スタッフからもサポートが出て作業をよりスムーズに終わらせるのが私たちの流儀です)

とはいえ、やっぱり仕事に誰もが誇りを持っています。その源となる原材料があるのは嬉しいもの。
「ああ、良かった! さあ、これで思いきり仕事ができるわ~!」
そんな風に、最初の荷下ろしは、勢いこんだガスール製造チームも何名か加わってピックアップに乗り込み、運河沿いの路肩に停めたコンテナトレーラーへと急ぎ、更に更に大急ぎで自分たちの1日分の製造量の原材料を積み込むと、準備万端整えて待機中の製造チームのもと、工場へ取って返しました。
(とはいえ、その後の出入庫管理や品質確認などはいつもどおりで一切手抜きはありません)

一方、入荷作業チームは、小分けにされているとはいえ総重量20トン近いものを2回、つまり延べ重量40トンを積んだり降ろしたりするのです。しかも荷扱いは注意深くなくてはなりません。
大変な重労働なので、休憩やランチはしっかり取りながら、天気も例年になく涼しかった事もさいわいして、まさに日没直前の午後6時には無事作業を終える事ができました。一度は日没後の夜間作業も覚悟しての荷下ろしでしたから、そのがんばりは見事なものでした。

空になったコンテナを積んだトレーラーが去って、残った運送会社のスタッフのお兄さんたちはもちろん、全体をまとめるジャックさんを筆頭に、倉庫での荷物の積み方を整理しつつ、力仕事でも尽力してくれる庭師のバーンさん、在庫管理のムックちゃん、品質管理のケッグちゃん、ガスール製造チーム・サブリーダーのラーさんたちも、庭の芝生の上に座り、会社からの慰労のビールやジュースで乾杯しながら、普段以上にやりきったという面持ち。
汗がひけ、一息ついた頃、ちょうど陽が沈んで薄紫色の黄昏に覆われたなか、これもまた会社からのお礼として、近所の屋台で作ってもらった晩ご飯用のお弁当を持って、三々五々、我が家へと帰ってゆきました。

商品が売れる事、発注を頂く事はもちろん大変ありがたいことです。しかし私たちが手作業で作るものは野放図に拡大を目指して製造したり、販売するものでもありません。
求めて下さるお客様に感謝しつつ、そして突然の発注にも最大限お応えしつつ、でもどこか価値観の齟齬を感じつつも、それでも尽力してくれるスタッフたちの一所懸命さ、気持良さに感謝した一日でした。(A.H.)