キューバほどではありませんが、自動車というよりもはや“民具”かという年季の入った車も普通にハイウェイを走っています。屋台の日除けシートやパラソルは、どこから流れて来たものか、まったく関係のない企業やお店の名前の入ったものでも大切に使います。大銀行サイアムコマーシャルバンクの大きなパラソルをさして、おばさんが豚の炭火焼を売っていたりします。
皆頂き物の包装紙は丁寧に剥がして取っておきますし(またいつか出番が来ます)、クッキーの缶は必ず別の用途に再利用します(それは私たちもやります)。家電を買った時の大きな段ボールもゴミとして捨てられることはありません(何に使うのでしょう?)。こちらでは大きな市場を形成している栄養ドリンク(REDBULLやM-150、SHARKなどなど)の空き瓶は、キャップに穴を開け芯を入れてランプにします。取っておいてピーの祠の水入れなどにも使います。
現場のリーダー、ジャックさんは特にそうしたことに意識的。彼女が普段使うiMacには、買った時に保護材として被せてあった不敷布を大切に取っておいて、毎日終業時にはカバーとして被せます(なかなか可愛らしい光景です)。
パソコンが大切で高価なものというのはわかりますが、そういえばかつて昭和の時代の日本でも、同じような光景がありました。
テレビにはほこり除けの布が掛けられていましたし、家の黒電話にはきれいな布や手編みの可愛らしいカバーが掛けられていました。
とはいえジャックさんの場合「大切にする」はなにも「もったいない」だけではどうもないようです。掃除に使うほうきひとつにしても多少高くとも必ず棕梠で作った天然素材のものを選びます。「どうして?」と聞くと「だってプラスチックのほうきは捨てるとき困るでしょう? ゴミになるでしょう?」とのこと。恥ずかしながら、そんなこと考えたこともありませんでした。掃除道具は機能的で効率よく、それで安価であれば一番いいじゃない? と。ゴミを集めるそのほうき自体がいつしかゴミになる時のこと(それは7年も8年も先のことでしょう)を想像するというのはなかなか新鮮でした。
ものを大切にするのは、ケチでやっているわけではないのがわかります。でなければこれだけタンブン(お寺や僧侶への寄付、弱者や貧しい人々への施し)の習慣が根付くはずもありません。
私たちの会社でも、原材料を輸入した際のエキストラバージン・オリーブオイルの缶は回収業者へ、アルガンオイルの樹脂ボトル(これは食品レベルの安全基準をクリアしたものを使います)は、皆家では畑をやっていますから農作業の時、水筒として活躍します。ガスール原料を輸入する際の大きなビニール袋は(もともと小麦などの穀物用の袋を採用しています)、米を入れるのにちょうど良いそうです。
製品に貼る円形のラベルシールの台紙(ラベルを剥がしたあとの丸く穴の開いたシールの耳)は、なんと作業用の付箋に利用します(笑)。
ここまで来るとなんだか清々しいものがあります。スタッフたちの「もったいない」には吝嗇さからくる息苦しさや不自由さがまったくないのです。「だって物は大切にしなくてはいけませんよ?」とまっすぐな目で言われると、「そのとおりですね」と答えつつ、私たちが改めて教えられます。
「物を大切にする」という幼い頃に誰しもが教えられた当たり前の生活規範が、ここではしっかり生きています。(Jiro Ohashi)