2014年2月11日火曜日

ペットボトルの花 rather than commodity…

タイの人々の手先の器用さにはいつも驚かされます。日常でそれを感じるのは、たとえば屋台などでお総菜を買った時でしょうか。テイクアウトのお総菜は基本的にスチロールやプラの容器には入れません。ここチェンマイではたいていはビニール袋に直に入れられ、空気でパンパンにし、口を輪ゴムでクルクルっと留めたものを「はいよ」と渡してくれます。総菜はもちろんご飯も麺類も、そしてスープも同様に直接ビニール袋です。

調味料(各種ソース)も同じように付けてくれます。しかし魚型の「たれびん」はありません。ナンプラーをベースにした魚醤ダレ、お酢にプリッキーヌを漬け込んだ酸味タレ、砂糖を加えた甘辛いチリソース、などなど料理に合わせた各種調味料を小さなビニールの小袋に入れ、同じようにクルクルっと輪ゴムで留め、パンパンに空気の入ったかわいいテトラポットのようにして「はい」っと付けてくれます。
輪ゴムでクルクルっと留める指先の動きはとても速く正確で、動作に迷いはありません。振っても逆さにしても中身が漏れることはありません。調味料の小袋を作る動作などはまるで手品か魔術でも見るような気持ちになります。
しかしこれは熟練した特殊技能のごとく、特定の人だけがやるのではありません。誰もが当たり前のようにやります。年季の入ったおばあさんからその孫とおぼしき若い娘さんまで、どこの屋台でも何屋さんでもそうです。

チェンマイは手工業の街でもあります。陶芸、織物、布細工。銀細工、竹細工、木工細工etc.etc。さまざまな手工業の伝統があり、今もさまざまなものが作られています。会社の行き帰りや休みの日などは、なるべく地元のお店や市場に出かけては、私たちの作る製品に何かヒントになるものはないか? 参考になるものはないか? と歩き回るようにしています。それは直接的なヒントやアイデアでなくても良いのです。ただ単にシンプルな「驚き」であっても全くかまいません。

先日、家の近くの商工会議所で、地元の製造業の人たちを中心としたアウトレットの即売イベントがありました。なかにはバンコクからの出展者もあり、前の道路は来場者の車で結構な渋滞。なかなかの盛況です。野菜や果物といった農産物から、加工食品、衣類、革製品、シールドマシンやボトリングマシンといった加工機械まで、さまざまなブースが出展しています。
そんなかで、ふと足が停まったのがランプシェードの小さなお店(ブース)。日も落ちて会場の照明が灯るなか、そのお店の店先には実際に暖かい電球の光が射した沢山のランプシェードが吊るされていました。たいていが長さ30cmほどの円筒形で、花や鳥、魚や蝶といった見事な細工がカラフルに立体的に施されています。美しい眺めです。

なんだろう? いったい何で出来ているんだろう? と思い近寄ってみて見ると、それは樹脂でもガラスでも金属でもなく、日常のごくありふれた材料から作られていました。ちょっと驚きました。ペットボトルです。1.5リットルの水や清涼飲料のボトルに、カッターの刃を付けたハンダごてを使って華麗な装飾を施して作られています。
お店の軒先では夜店の“型抜き”でもやっているかのように、数人の若い女性たちが座り、まさにペットボトルに切り込みを入れ、花や蝶をカッターの刃で切り出しているところでした。タイではスコータイ王朝の昔から、果物に装飾的な彫刻を施すフルーツ・カービングの伝統があります。スイカやリンゴ、パイナップルといった果物にナイフで華麗に彫刻を施します。学校によっては授業でフルーツ・カービングを教えたりもするそうで、さすがに伝統が生きているのを感じます。
こうして昔からの優れた技術/手業は、屋台の店先から展示会のブース、学校の授業まであちらこちらに息づいています。

このペットボトルのランプシェードですが、いわば使ったあとの“廃品利用”です。材料費はほとんど掛かっていません。立派に商品としてブースに並べられるに至っては、その価値の源泉は人々の技術のみです。多少キッチュで耐久性に不安があろうが(実際にはかなり丈夫です)、ある種の錬金術のように技術が価値を生む様を目の前で見た思いです。それは屋台のテイクアウトのビニール袋と同様に、手品か魔術を見るような気持ちです。
ある時代は竹や草や木片を使い、ある地域では布や陶器やビニールひもを使い、そして今この展示会のブースではペットボトルを使っています。いつの時代もその時々の身の回りのものを使い、道具や商品はこうやって人々の指先から生まれてゆきます。(Jiro Ohashi)