私たちの会社や製品を象徴する色といえば、白です。
例えば、器やパッケージの色がまず白です。
工場は壁は外壁も内壁も天井も、カーテンも、 椅子やテーブルのカバーなどのリネン類はもちろん、
スタッフたちの服の色も基調は白です。
家具や器具類も、清潔さや製品の状態を見やすく白系の色。
そうでなければ、 チークやステンレスの素の色である薄茶や銀や薄墨色が、 空間のほとんどを占めています。
もし少しだけ色があるとしたら、 ヘンプ布の生成りやミツロウのごく薄いクリーム色、
もしくは植物オイルなど淡い微細なトーンの変化の中にある素材そ のものの、かすかな色あいでしょう。
作業時の服は、 シックな色の草木染めのシャツやエプロンなどを作ってみたことも あるのですが、
綺麗好きなスタッフたちの頻繁な洗濯のおかげで、 みるみるその色は薄くなってしまいましたし、
年々綿密になる品質管理や入室前の衣服に付いたホコリのチェック などの現実面でも白が良いようで、
洗いざらしのきなりや白の服が主流にもどってしまいました。
自らの手先や行き届いた眼差しによる細かい作業のための適度な室 内の明るさと遮光のためには、
これまた白の少し薄めのコットンのカーテンが良いようで、
工場長のジャックさん自ら布の厚さや織りを吟味して選んだものが かけられています。
この布、自分たちで作る石鹸の余りを使っての洗濯と、 チェンマイの田舎の澄んだ日光のおかげで、
買ったばかりの頃よりも、 自然な白さが冴えてきたようでさえあります。
少しだけ甘い淡い色がさしこまれた白い空間で白い人たちが働いて いる光景は、
製造部門で働いているスタッフたちが全員女性のせいか、
女学校の寄宿舎か修道院のような、 柔らかさがありながら清々しい気配が感じられます。
それにしても白。
なぜ私たちはかくも白にこだわってしまうのでしょうか。
製造という現実的な事情がありながらも、 どうしてもそれだけではない気がします。
たとえば炎や光や星の色ならば、 白はあらゆる光の色を内包した色であり、
エネルギーの高さを示していますし、
色相の中で言えば、白とは実は色がない状態。
また空白や白紙という言葉では、 それは物事の始まりや何かの到来を待つ場所や状態であり、
「白紙に戻す」のとおり、ものごとの終わりや再出発・ 再生も意味します。
それは、いっけん何も無いようでいて、 何かに変容する可能性とそのエネルギーをはらんだ状態です。
また、すっぴんや 素、素材という未生の状態でもあるでしょう。
更に「しろ」 という音には苗代のように生命の揺籃を暗示する響きがあり、
やはり、始まりや成長、それを守ることや場を想起させます。
漢文学者 白川静の説によれば、漢字の白は野ざらしになり、
漂白された頭蓋骨の形と色から生まれた形であり、 その白い骨に古代の人々は霊力を感じたとも言います。
それは霊魂や生命の器を思わせたからでしょう。
白が赤ちゃんの産着やウェディングドレスなどの婚姻や誕生の色で あり、
逆に地域によっては死出の旅に着せられる帷子、 また喪服の色でもあり、
誕生や死とも関わりが深い色であることとも関係がありそうです。
それらをふまえて私たちの工場や製品を見るならば、
そこはものが生まれる産屋であり、
物事が絶えず更新され続ける、経験を積みつづけながらも、 変わらず初々しい場所であり、
そんな場所を保ち、新鮮な事ども、 日々を迎えるべく居ずまいをただし、
たゆまぬ心配りと努力をつづける人達が集まり力を注ぐ場所、
シンプルながら豊かな何かが到来し、始まり、生成する、
豊かな広場のような、 素の場所、白き場所といえそうです。
また、今新たに始まろうとしている私たちのブランドeavam( イーヴァム)のプロダクトもやはり白です。
陶の器は丸く、月代や卵、繭玉のような再生や始まりの形をし、
楮の手すき紙のやわらかな肌合いは、まるで産着のようです。
それらの中には、北タイという場所の手仕事の歴史や、
スタッフたちの創意や試みの時間が込められた、
美しく優しい手触りの石鹸やクリームが潜んでいます。
こうして白が象徴するものを見渡し、 私たちの物作りの来し方を振り返ると、
白とは、色というよりは、 ものごとに向かう時の力に満ちいきいきとした姿勢や状態、
方法、立ち居振る舞いの質を指す言葉、 存在のスタイルとでも言うべきもののような気がしてきます。
ものごとの普遍性、原型を忘れず内に秘めて愛しながら、 常に新鮮な姿を、言葉や形にして顕わし続ける。
それが私たちの仕事のありよう、役割ではないかと思え、 そのように仕事を続けていきたいと、
新ブランドの立ち上げの時にさし掛かりながら、 気持ちを新たにする私たちです。(Asae.Hanaoka)
例えば、器やパッケージの色がまず白です。
工場は壁は外壁も内壁も天井も、カーテンも、
スタッフたちの服の色も基調は白です。
家具や器具類も、清潔さや製品の状態を見やすく白系の色。
そうでなければ、
もし少しだけ色があるとしたら、
もしくは植物オイルなど淡い微細なトーンの変化の中にある素材そ
作業時の服は、
綺麗好きなスタッフたちの頻繁な洗濯のおかげで、
年々綿密になる品質管理や入室前の衣服に付いたホコリのチェック
洗いざらしのきなりや白の服が主流にもどってしまいました。
自らの手先や行き届いた眼差しによる細かい作業のための適度な室
これまた白の少し薄めのコットンのカーテンが良いようで、
工場長のジャックさん自ら布の厚さや織りを吟味して選んだものが
この布、自分たちで作る石鹸の余りを使っての洗濯と、
買ったばかりの頃よりも、
少しだけ甘い淡い色がさしこまれた白い空間で白い人たちが働いて
製造部門で働いているスタッフたちが全員女性のせいか、
女学校の寄宿舎か修道院のような、
それにしても白。
なぜ私たちはかくも白にこだわってしまうのでしょうか。
製造という現実的な事情がありながらも、
たとえば炎や光や星の色ならば、
エネルギーの高さを示していますし、
色相の中で言えば、白とは実は色がない状態。
また空白や白紙という言葉では、
「白紙に戻す」のとおり、ものごとの終わりや再出発・
それは、いっけん何も無いようでいて、
また、すっぴんや 素、素材という未生の状態でもあるでしょう。
更に「しろ」
やはり、始まりや成長、それを守ることや場を想起させます。
漢文学者 白川静の説によれば、漢字の白は野ざらしになり、
漂白された頭蓋骨の形と色から生まれた形であり、
それは霊魂や生命の器を思わせたからでしょう。
白が赤ちゃんの産着やウェディングドレスなどの婚姻や誕生の色で
逆に地域によっては死出の旅に着せられる帷子、
誕生や死とも関わりが深い色であることとも関係がありそうです。
それらをふまえて私たちの工場や製品を見るならば、
そこはものが生まれる産屋であり、
物事が絶えず更新され続ける、経験を積みつづけながらも、
そんな場所を保ち、新鮮な事ども、
たゆまぬ心配りと努力をつづける人達が集まり力を注ぐ場所、
シンプルながら豊かな何かが到来し、始まり、生成する、
豊かな広場のような、 素の場所、白き場所といえそうです。
また、今新たに始まろうとしている私たちのブランドeavam(
陶の器は丸く、月代や卵、繭玉のような再生や始まりの形をし、
楮の手すき紙のやわらかな肌合いは、まるで産着のようです。
それらの中には、北タイという場所の手仕事の歴史や、
スタッフたちの創意や試みの時間が込められた、
美しく優しい手触りの石鹸やクリームが潜んでいます。
こうして白が象徴するものを見渡し、
白とは、色というよりは、
方法、立ち居振る舞いの質を指す言葉、
ものごとの普遍性、原型を忘れず内に秘めて愛しながら、
それが私たちの仕事のありよう、役割ではないかと思え、
新ブランドの立ち上げの時にさし掛かりながら、