2014年8月18日月曜日

ラムヤイの木の下で  under the tree

8月に入りました。タイは雨期真っ只中で、美しい景色の中で日々が過ぎていきます。
日本では、「実りの秋」と言いますが、タイでは「実りの雨期」です。タイの季節は春夏秋冬ではなく、暑気・雨期・乾期が1年で巡ってきます(3月から5月が暑期、6月から10月が雨期、11月から2月が乾期です)。その季節の中でもタイの豊かさを一番に体感できるのは雨期である、と私は確信しています。市場に行けば一目瞭然。まずは、雨期に出回る果物の豊富さ、ライチ、マンゴスチン、ランブータン、ドリアン、ドラゴンフルーツと、トロピカルフルーツを代表する果物が所狭しと並んでいます。どれもこれも、自己表現力の強い果物たちばかりで、華があります。また、日本人に馴染みのある野菜、タケノコや新ショウガもこの時期の旬のものとして市場に並びます。食卓が旬の食べ物で溢れ、人々も風景も瑞々しく輝く、とてもいい季節です。

雨期は、私たちの会社にも同様に豊かさを与えてくれます。会社の敷地内に数えきれないほどの木々が植えられており、それらが次々と実り始めるのです。まずは、暑気の5月に実るマンゴー、雨期に入った6月にライチ、それらが一段落する7月にラムヤイ(龍眼)という具合に、順番待ちしているかのようにそれぞれの果物の季節がやってきます。これだけでなく、パッションフルーツや日本語名がないのではと思う果物の木も数種類あり、それらも実りの時期を同時に迎えます。
その数ある果物の中でも、ラムヤイは特別です。会社のささやかな臨時収入になるのは、ラムヤイだけです。いえいえ、もっと大事なことがあります。アルガンクリームの原材料に使っているミツロウは、チェンマイのラムヤイの花の蜜を集めた蜂蜜の巣から採ったもので、私たちの製品作りには馴染み深い果物なのです。
そのラムヤイの花が咲くのが、乾期が終わり暑期に入る3月頃。暑期の灼熱の太陽を浴び、雨の恵みを得て、ラムヤイの実は4か月の時間をかけて大きくなります。雨期に出回るタイの果物の中で見ると、ラムヤイは地味な外見で、大して個性的な味や香りがするわけではありません。ただ、滋味豊富なおいしさでは、ラムヤイを超える果物はないでしょう。中国では乾燥したラムヤイが漢方の一つとされていることにも、妙にうなずけます。木の根がゆっくりと大地の栄養を蓄積させて実を育てたことがうかがい知れる、実直な香りと媚びない甘さに魅力を感じます。
そして、ラムヤイの花が咲き、小さな実をつけ、その実が日に日に大きく育っていく様子を見ていると、川の水が滞りなく流れていくような安らぎを感じます。

7月初旬、お昼ごはんの物足りなさを払拭しようと思ってラムヤイの木に向かうと、誰かと鉢合わせになることもしばしばです。ラムヤイの木を見上げると、鈴なりのラムヤイが重たそうにぶら下がっています。たくさんの果実の中から大ぶりなものを見つけると、その場で食後のデザートを楽しみます。何本もある木からラムヤイを食べ比べてみます。同じ品種で、同じような木ですが、木によって甘みも香りを少し異なります。
周りを見れば、みな「ラムヤイの季節」を満喫しています。食堂に戻れば、テーブルの上のラムヤイを囲んで話しているスタッフたちがいます。また、別の休憩場所に行けば、テーブルの上にはラムヤイで作ったお菓子があります。皮をむいたラムヤイをお米と一緒に煮て、そこにココナッツミルクをかけて食べるそうです(とても甘いデザートですが、ほっとするおいしさがあります。スタッフのラーさんの手作りだそうです)。

昼食が終わるとラムヤイの木の下に向かうのが日課になったある日、やはりそこにはもう人影が。ゲーちゃんが1人、ラムヤイを口に含みながら、笑いながら話しています。不思議に思い近づくと、ラムヤイの大きな枝がユラリと動きます。驚いて上を見上げると、そこにもう1人。
「あっ!・・・ポックさん!?」
木登りしていました。ラムヤイを採るために木に登るなんて!
木の枝に上手に股がって、ラムヤイの実を次々と捥いでいくポックさんにしばし見とれてしまいました。ラムヤイの木の上には、雨期の晴れ空が広がっています。側には、通称「バーンクリーム」(「バーン」は家の意で「クリームの家」)と呼ばれているクリーム製造の建物があり、その窓にもラムヤイの実が映って見えます。
私たちの製品に使われている原料のアルガンオイルは、モロッコのアルガンの実から取れるのですが、そのアルガンの実を狙って、モロッコのヤギはアルガンの木に登る話を聞いたことがあります。ラムヤイの実を採るために、タイ人スタッフが木に登っているのを見て、その話を思い出しました
それにしても、ポックさんには恐れ入りました。モロッコのヤギもたくましいですが、私たちのスタッフも負けていません。でも、落ちやしないかと心配になります。ポックさんは、40代後半の「チャーミングなおばさん」で、決して「若いお嬢さん」ではありません。おやつに食べるラムヤイを採っている最中に、木から転落して怪我でもしたらどうするのでしょうか(かなり恥ずかしいです)。会社の倉庫の階段から落ちて怪我を負ったらまだ同情の余地がありますが。

 写真:右側がポックさん。手には、木に登って収穫した戦利品が。

8月に入り、ラムヤイが食後のデザートと休憩時のおやつだった日々が続くと、さすがにラムヤイから遠ざかるようになりました。さらに、会社のラムヤイの売却が済むと、木にまだある実には興味がなくなり始めました。そんなある日の夕方、ガスールチームのリーダーのエードーイさんが、仕事の終わりにラムヤイを食べているのを見かけました(夕方小腹が減っている時に食べるラムヤイが一番おいしいことは知っています)。エードーイさんは、目配せして掌を差し出します。掌には、見慣れた茶色の実が3個載っています。私が遠慮していると(本当は食べ飽きているので食べたくないのですが)、エードーイさんは、ラムヤイを飲み込んでから言いました。
「チョンプーって言うラムヤイだよ。食べてごらん」
聞くところによると、工場の前にあるラムヤイの木は、「チョンプー」という品種だそうです。枝ぶりと葉の色が他とは少し違います。味が濃厚で甘みもとても強いのです。
「これはね、熟すとピンク色になるんだよ」
だから「チョンプー」と言うのか、と納得しました。「チョンプー」は、タイ語でピンク色です。
いままで、ピンク色のラムヤイなど聞いたことも、見たこともありません。見てみたいです、乳白色からピンク色に変化したラムヤイが。食べてみたいです、ピンク色のラムヤイはどんな味がするのか。香りも変わるのかもしれません。
それから、ピンク色のラムヤイを食べようと、足繁くラムヤイの木「チョンプー」へと通います。大きくなった実を見つけると、皮を割っては中の色を確認することが日課になりました。
ああ、今日もまた普通のラムヤイでした。
いつになったら、淡いピンク色のラムヤイを見る日がくるのでしょうか。まだまだ熟し方が足りないのでしょうか。ラムヤイは数えきれないほどぶら下がっています。高い所から私を見下ろしている、あの大ぶりの実こそピンク色のラムヤイかもしれません。手を伸ばしても届く高さではありません。
午後の始業時間が始まる前、ラムヤイの木を見上げて想います。
木に登ってみようか、と。(Mayumi Miyajima)

2014年8月16日土曜日

倍返し  a revenge tragedy?

内容も演技もまるで歌舞伎のようなTVドラマ『半沢直樹』の噂は、日本へ殆ど行くこともない私の耳にも届きました。実際に見たことは残念ながらありませんが、友人がまるで大和田暁や浅野匤、小木曽忠生のような上司などについて愚痴った時には、「そんなの倍返しだ!」と半沢直樹のキメ台詞を一緒に言ってみたこともあります。友人が受けた理不尽に同情しつつ、柔和で品のある面持ちの堺雅人が、顔を大げさに歪めながら「倍返し」などという呪いのようにショッキングな言葉を言う気分を想像してみると、面白くて真似してみたかったのです。とはいえ、本当にこんな上司や仕事仲間はゴメンだし、まして倍返しはするのもされるのもいやだなぁ。と思いつつ。
でも、遊びでもそんな事をしていたバチがあたったのでしょうか?
今日はとうとう私が「倍返し」を受けてしまいました。

タイでは、8月12日はシリキット王妃様の誕生日にちなんで母の日になっています。祝日です。しかも今年は前日の11日月曜日も政府が休日に指定したため、国中が先週末から4日間の小さな夏休みでした。地域によって、交通機関や公園などの入場料が無料になったり、お母さんに謝意を伝えるセレモニーがあったり、日本の母の日よりもおおがかりで、どこか甘酸っぱい気分が漂っていました。

明けて今日からは普段通りの毎日。そして午前11時。
休憩が終わって気分はリフレッシュ。昼休みへ向けて、現場スタッフたちの作業の手さばきがノリに乗る佳境の時分です。庭では「カンカン!」と、もと鍬の歯だったベルを誰かが勇ましく叩いていました。
にも関わらず、なかなか作業が始まる気配がしません。
あれ? と思ったところに、ジャックさんがパーテーション代わりの整理棚の影から小さな円い顔を出しました。引き締まった表情です。

「どうしたの?」
それには答えず、彼女は何かを後ろ手に隠して机まできました。
後ろ手なんて、尋常ではありません。何を隠し持っているのでしょう。思わず机を立ちます。
「どうしたの? どうしたの?」
その時です。ジャックさんに続いて、その後ろからぞろぞろとスタッフたちも現れました。
ガスールチームだけではありません。経理のブンさんも、カーンさんたち石鹸チームも、ノイちゃんたちクリームチームも次から次へとやってきます。
手には小さなバイトゥーイで作ったジャスミンの造花。中には庭でつんだ本当のジャスミンを添えたものもあれば、超絶技巧で、バイトゥーイの枝分かれを利用して、小さなブーケを作ったものもあります。そしてジャックさんの手には、綺麗なガラス皿にのせられた細密なジャスミンのレイ。こちらでは「マライ」と呼ばれ、儀式の時、また仏像などに捧げられます。

普段、どちらかといえば世事に疎くぼんやりしていて、うっかり祝日に出勤するようなこともある私ですが、さすがに気付きました。

「あ! わかった! 母の日だ!」
「うふふふふ、一日遅れですけれどねー」
ジャックさんはぴたっと硬かった顔を、まさに半沢直樹の如く一瞬にしていつもの甘く優しい風に変え、他のスタッフ皆もああこれで秘密解禁。とにっこりしました。

実はジャックさん、先週末は私たちが、スタッフ皆に母の日にちなんで(何しろ女性ばかり、しかも大半がお母さんの職場です)日頃の感謝として、花を贈りたいのだけど?と相談したところ「大切な全体会議をします!」とスタッフ全員に招集をかけ、緊張の面持ちで集まったスタッフ皆の前に、大きなフューシャピンクの大輪の薔薇の花束を持ってきて、ビックリさせる演出をしたのです。演出は大成功でした。
ところが今度は驚かせる側だった私が、まんまと驚かされる側にされてしまったのです。

私がやられた! と、嬉しさと驚きに固まっていると、ジャックさんのスピーチを皮切りにそれぞれが、短く感謝の言葉とともにバイトゥーイで作ったジャスミンの花をくれました。

「ここは会社だけれど、会社じゃなくて、家族みたい」
「あなたは、私たちのお母さん」
(もちろん、知らない国で右も左もわからない私を助けてくれたあなた達こそ、私のお母さん。と返しました)
「皆で話しあって問題を解決して行く、他とはちょっと違う会社」
「色々な場所で働いたけれど、ここが一番楽しい!」
「ずーっと一緒に仕事をしてきて、大変な事もあったけれど、それも良い経験です。これからもずっと一緒ですよ」

文字にしてしまうと、なんだか甘すぎて歯が浮くような言葉ばかりですが、それぞれが10年、5年と一緒に格闘しながら築いて来た場所や関係への言葉です。その表情やこれまでの仕事を思い返せば、その甘さの中には、ほんのり苦みも渋みも滋味もあり、積み重なった時間や思いの濃さと相まってなんだかラムヤイの蜂蜜のよう。
そしてその優しい言葉を発するそれぞれは、つい涙ぐんでしまったり、顔がにこにこと、どんどんほころんでしまうのを止められなかったり、言葉を通して、それぞれがこれまでの時間を振り返っているよう。
あたりには、ひとしきりバイトゥーイの新鮮な優しく芳しい青葉の香り、マライのジャスミンの清い香りとともに、受けきれない程の言葉の花が降り注いでいました。

近頃このようなうれしい出来事があるたびに思うのは、10年を越えてそれぞれの個性や生き方を尊重しながら、仕事を続けてこられたことのかげがえのなさです。
まだまだ小さな会社ですから、もう少しずつでも皆の給与を増やせるようにしたい、就労環境や定年後を考えれば、福利厚生だって充実させなくては、家族の事だってなにかできないだろうか?などなど、色々な願いや課題はいくつもあります。それらの実現には、増収や会社の規模の拡大も必要でしょう。しかし、やみくもに会社を大きくすること、利益追求に軸足を置きすぎることで失われることも少なくはないのだと、今、世界で起きていること、環境の変化を肌で感じ、あるいは日々仕事と生活の間を往復しながら、私たちは気付きつつあります。

ともあれ、まずそれぞれが安心してその人生設計ができるように会社を持続させることが必要です。
そのためには会社には個人よりも長く生きる大きな木のように、着実な基礎体力が必要です。
そして、それに見合った適切な成長の速度があることでしょう。また大きくなりすぎれば自らを支えきれなくなる事だってあるでしょう。
沢山の花を貰いつつ、瑞々しい花や葉の香りの中、あらためてこの大勢の娘たち、母たちと生きて過ごしてゆく場所と時間の保ち方について考えたのでした。(花岡安佐枝)

2014年8月6日水曜日

スワンカロークと宋胡禄 Sawankhalok and sunkoroku

今回は、私たちの会社がある北タイ周辺の歴史、ハンドクラフトの今と昔、ものづくりの源流についてのお話です。

チェンマイを含む北タイ周辺は昔からハンドクラフトの盛んな地域です。織物や木工工芸、竹細工に金属工芸など、昔から生活に必要なものはたいてい自分たちで作ったと言います。農作業の合間のそうした作業は都市部から離れた山岳民族の村などでは、今も自給自足の生活として息づいているようです。家の軒では鶏や豚や牛を飼い、ついでに犬や猫も飼って養い、河では魚を獲り、畑や野山で果物やハーブを採り……。などというと私たち都市部に暮らす者としては、ある種の憧れというか理想の生活にも思えます。しかし今の時代、テレビやネットの膨大な情報に晒されつつも現金収入の乏しい生活は、相応の覚悟と意思が必要です。

「山岳民族の村」の多くは観光地化され、いわば仕事着として色鮮やかな民族衣装を身につけ、訪問者をもてなし一緒に記念写真に収まる現実も一方であるでしょう。また働き手の多くは都市部の建設現場などに出稼ぎに行くのも普通でしょう。
とはいえ、たとえ家の軒先に巨大なパラボラアンテナが立ち、インターネットに接続し、日本製のピックアップトラックで仕事場(現場)に出勤するようになったとしても、彼らの手先の器用さと伝統的なものづくりの知識、そして慎ましい生活観は根本からは変わることなく、生活用品としてのハンドクラフトから現金収入の道として、土産物、民芸品として、地場の産業として命脈を保つ物たちも多くあります。

陶器もそのひとつです。タイでは、淡翠色の釉に細かい貫入が特徴のチェンマイのセラドン焼や、色とりどりの上絵具で絵付け、焼き付けされたベンジャロン焼などが有名ですが、どちらも雑貨や土産物として人気です。海外の雑貨や陶器のメーカーが、高い技術と安い製造コストに惹かれてタイにOEM製造を依頼するケースも多いようです。北欧の世界的に有名なインテリア雑貨チェーンで売られる陶器も、実はメイド・イン・タイランドという例なども珍しくありません。

欧米や日本でも人気のタイの陶器ですが、こうしたタイ陶器の発祥の地はどこかというと、それはチェンマイから南に約200kmほど下ったスコタイです。スコタイは13世紀から15世紀にかけてこの地に栄えたスコタイ王朝の首都です。その遺跡群は現在世界遺産にもなっており、空港も整備され、観光客が絶えません。
スコタイ王朝はタイ族による初の統一王朝といわれています。南宋や元、そして明へと続く当時の中国や、アンコールワットを築いた後のカンボジア、クメール王朝、その後にタイに勃興するアユタヤ王朝など、周辺地域とも深く関係しており、今に続く東南アジア地域を形成する歴史的にも文化的にも重要な位置を占めた王朝です。各国の歴史教科書にも記述されており、観光地としての世界遺産だけでなく、文字どおり歴史に名を残しています。

スコタイ市内から車で北へ60kmほど行ったところにある街シーサッチャナライは、今でこそ平凡で鄙びた地方都市ですが、ここはかつてのスコタイ王朝の副都です。ここにも多くの遺跡群が残っており、同じく世界遺産に指定されています。市内にはバンコクまで続くチャオプラヤー河の支流、ヨム河が流れており、その周辺から採れる良質な陶土を原料に、タイ陶器の源流となったスワンカローク焼が作られました。
なぜこれが「シーサッチャナライ焼」ではなくまた「スコタイ焼」でもなく、「スワンカローク焼」と言われたかといえば、スワンカロークの河港が周辺の村で焼かれた陶器の集積地であり積み出し港であったから。当時の河川は物流の大動脈であり、今でいう高速道路、ロジスティックの要です。
ここからヨム河を下りチャオプラヤー河に入り、今のバンコク近辺シャム湾まで運ばれ、更に船に積まれて東南アジア各国に輸出されたといいます。
これらは室町〜江戸時代には遠く日本にも運ばれ、当時の茶人たちに「宋胡禄」焼として珍重されました。宋胡禄(sunkoroku)はスワンカロークの当て字です。鉄絵による褐色の装飾が施された掌にすっぽり収まる小さな柿香合などは有名です。古美術陶芸に詳しい方であれば、当時の宋胡禄は垂涎の的でしょう。
ちなみにその姿から「柿香合」と呼ばれていますが、実際はマンゴスチンの実を模したものです。日本には当然マンゴスチンはありませんから、これは身近な果実として柿の実に見立てた呼び名です。

スワンカローク焼が作られたのは13世紀、スコタイ王朝の繁栄の礎を築いた三代目の王ラムカムヘーン王の時代です。それまでスコタイ周辺ではモン焼など、素朴な無地の素焼きが主流で、それらはあくまで生活実用品であったといいます。それがこの時代、中国から陶工たちを招聘し、その優れた陶芸技術と鉄絵による装飾で芸術的な陶器を起こしました。この想像力豊かで、デザイン的にも技術的にも優れたこれらの陶器は、主要な輸出産品となり、タイ初の産業ともなりました。
ラムカムヘーン王は陶器の他にも、仏教の振興や中国との交易、クメール文字を元に初のタイ文字を発案するなど、文化芸術面でも目覚ましい成果を上げています。王朝の絶頂期です。

そんな栄華を誇ったスコタイも15世紀半ばにアユタヤ王朝によって倒され、そして遠く日本にまでその名の聞こえたスワンカローク焼(宋胡禄)も、17世紀にはなぜか突然途絶えます。詳細はわかりませんが、16〜17世紀のタイ北部は、チェンマイのランナー王朝しかり、スコタイを併合したアユタヤ王朝しかり、近隣のビルマから度々侵攻を受け、戦いの連続であったといいます。
タイの陶器を芸術品の域まで高めたスコタイの陶工たちは、突然その窯を放棄し、スワンカローク焼は文字通り突然絶えました。

それから400年近く経った今、スワンカローク焼はかつての形や図案を模した民芸品として再興され、遺跡の周りの土産物屋や、博物館の売店などで細々と売られています。とはいえ現在に残る往年のアンティークと比べるとその差は歴然で、土産物として人気(?)の皿や碗に施した独特の魚の絵柄などは、今風に可愛くデフォルメされ、さながら漫画状態『およげたいやきくん』状態です。
もちろんこれを良しとして買い求める人もいるでしょうが、それはやはり土産物レベル。お寺の名前の入ったキーホルダや遺跡の絵柄の刷られたマグカップと同列です。かつて芸術の域まで登り詰め、日本の茶人たちが憧れ、タイ陶器発祥の地としてその名を馳せたかつてのスワンカローク焼とは別物と思います。

それでも私たちが驚くのは、その土産物を作る職人さんの手の確かさ、技術の高さです。いかに細々とした需要しかないとはいえ、その絵柄が今や安易で力の無いものだったとしても、彼らが器を作るベーシックな部分で、この地のハンドクラフトの伝統の豊かさに触れる瞬間があります。
シャープな高台の切り方や、ぴったりと呼応する蓋と身の合わせの処理などを見るにつけ、そこにかつてこの地で花開いた美しく高度な焼き物を生んだ陶工たちの末裔を見るのです。

民芸品でも美術品でも構いません。実用品でも嗜好品でも構いません。物の価値は、まずそれを作る人たち自身が十分に理解することだと思います。作り手自らその造形や図案や質感に美しさを見い出し、それを生み出す自らの技術に誇りを持ち、そしてトータルで高い品質を実現することで生まれるものだと思います。
私たちは北タイの歴史、文化、そして伝統に敬意を払いつつ、そして人々の技術やその知識の豊かさを借りながら、私たちなりの新しい製品、新しい価値を作って行けたらと思う今日この頃です。(Jiro Ohashi)



2014年8月4日月曜日

パッケージのことば  message from the package

タイで化粧品の製造販売を認可するのは、タイ国厚生省食品医療局(FDA)です。日本でいう薬事課にあたります。タイ語では「サムナックガーン・カナカマガーン・アハーンレヤー」と言うのですが、名称が長いので、「食品(アハーン)」の子音の呼び名「オー」と「薬(ヤー)」の子音の呼び名「ヨー」をとって、タイ人は略して「オーヨー」と呼びます。
そのオーヨーでは、関連事業者向けのセミナーが年に何回か行われています。オーヨーの案内によると、今回のテーマは3つあり、その中の1つがコスメティックパッケージに関するものでした。私たちの会社では、製品のパッケージをタイ国内で調達しています(とてもシンプルなパッケージです)。また、ちょうどお客様からの要望でパッケージの変更を行っていた頃でもありましたので、タイ国内のコスメティックパッケージ事情を知る良い機会と思い、このセミナーに参加しました。
主題「コスメティックパッケージはなぜ重要なのか」のトピックは、パッケージの重要性、タイ国内での主要なコスメティックパッケージ、中小企業においてのコスメティックパッケージ改善の必要性、コスメティックパッケージのトレンドとモデルとなる好例と、どれも興味深い内容でした。日本をはじめとした諸外国のコスメティックパッケージとの比較が行われることもあり、タイ国内のコスメティックパッケージの問題点と今後の課題が示されました。近年では、国外に進出するタイ発のコスメティックブランドも増え、洗練されたパッケージを目にすることもあります。その一方で、表情の乏しい、表現力にも欠けるパッケージも店頭に並んでいるのが現状です。

セミナーでの講義を終えて、改めて「パッケージ」に着目すると、いろいろなことに気づかされました。

例えば、コスメティックに限定せずにタイのパッケージを見ると、心を動かされるものが中にはあります。市場に出かけると、新鮮な葉野菜が、チークの大きな葉っぱにくるまれて売られています。家に帰って台所でその包みを開けると、中の野菜はひんやりと冷たく、その美しい緑に心を奪われます。
また、タイのお菓子を買うと、バナナの葉っぱで包み、それを楊枝のような竹のスティックでとめてくれます。食べる時には、その包みを掌にのせ、バナナの葉をお皿代わりに、竹の楊枝をフォーク代わりにしていただきます。
市場で見かけるものは新鮮な葉を使ったものがほとんどですが、乾燥させた葉をパッケージにしたものもあります。「ガラメー」と呼ばれる、ココナッツミルクと餅米で作った柔らかいキャラメルのようなお菓子は、乾燥させたバナナの葉で包み、竹の楊枝でとめてあります。その包みを開けると、ガラメーの甘い香りよりも先に、バナナの葉から漂うお茶のような芳ばしい香りが楽しめます。プラスチックや紙の袋にはない、しなやかさと美しさに惹かれ、心を豊かにしてくれます。そして、パッケージの効果なのでしょうか、とてもおいしく感じるのです。

もちろん、発泡スチロールのトレイにラップ、もしくはビニール袋に入って売っている野菜やお菓子もたくさんあります。それはそれで、機能的で清潔に見えます。また、ガラメーの中には、プラスチックのフィルムでくるまれた色とりどりのものもあります。それもまた、目に楽しいです。しかし、なぜかそれらとは違う昔ながらのパッケージに惹かれてしまいます。素材のもつ慎ましい色のガラメーを包む、バナナの乾燥した葉。朗らかなおばさんが切り売りするお菓子を包む、青々としたバナナの葉。朝露で濡れている葉野菜を包む、瑞々しいチークの葉。中身が語ろうとすることを外側のこのトラディショナルな包みが代弁しているように思えます。その言葉を、中のものを取り出す行為を通じて、香りや手触りから感じ取ることに喜びを感じているのかもしれません。

一方で、パッケージングの難しさを実感したことがあります。私たちの会社の製造研修では難関とされるクリーム部門で、パッケージングを体験した時のことです。50mlのアルガンクリームの陶器の器は、箱に入れる前にサーペーパーで包みます(サーペーパーは、桑の樹皮から作られる手透きの紙です。木を伐採することなく生産される、環境にも優しい紙です)。ギフトショップ等でよく見るサーペーパーは厚手で、紙袋やノートに加工されたものがほとんどです。しかし、私たちが扱うサーペーパーは、包む陶器の器が透けて見えるほど薄い紙です。あまりにも薄いので、紙というよりも布のような感触で、柔らかくたわみます。そして、少しでも強く引っ張ると、すぐに破れてしまうのです。アルガンクリームに負けず劣らず繊細で、扱いには慎重さを要します。

そのサーペーパーで陶器の器を包む様子は、デリケートなアルガンクリームの製造工程をそのまま彷彿とさせます。静かに進む時計の針のように、繊細なサーペーパーから音もなくプリーツが生まれていき、堅実な面持ちの陶器の器を包み終わると、器の表情が柔らかく変わります。熟練のスタッフの動きには無駄がなく、流れるように作業が進みます。ですが、素人の私の手には扱いづらく、真っ直ぐできれいなプリーツを作ろうと指に力が入った瞬間、サーペーパーは儚く破れてしまうのです。デリケートは製品を世に送り出すための苦労を、パッケージングを通して感じました。

自分が研修中に破ってしまったサーペーパーを見つめながら、どんなものを包もうかと想像を巡らしています。(Miyajima

2014年8月1日金曜日

エージョー母さん mother “air jo’’

私たちの会社は総勢40人ほどの陽気で明るく、笑い声の絶えない所帯です。これほど楽しいメンバーが毎日顔を合わせているのですから、日々様々なエピソードが生まれます。
「ラオラックガン」「ルーチャイガン」(タイ語でそれぞれ「愛し合っている」「心が通じ合っている」の意)が口癖のエージョーさん。ニックネームはエーさんなのですが、私たちの会社にはエーさんが二人いるため住んでいる場所によって呼び分けています。
エージョーさんの名前の由来は、メージョーに住んでいるエーさんからきています。ちなみにもう一人のエーさんは先日このブログでもご紹介した(「エードーイさん、采配を振るう」はこちらから)エードーイさんです。こちらはドーイサケットに住むエーさんという具合です。

写真:左側がメージョーのエーさん「エージョー」さん

スタッフの多くは主婦であり、母である人が多いので、皆総じて面倒見のいいキャラクターなのですが、このエージョーさんはその中でもひときわ面倒見がいいのです。
例えば休憩時間にエージョーさんの隣に座ってふと気づくと、いつの間にか手にはお菓子を握らされています。しかも右手にスナック、左手には蒸かし芋といった具合です。もちろん芋の皮はつるりときれいに剥いてくれています。
こんなこともありました。「昨日夫婦喧嘩をしちゃって、それから二人とも口をきいてないんだ」と私がお菓子を食べながらこぼしていると、「今日家に帰ったら夕飯に何が食べたい? って聞くんだよ」とすかさずアドバイスがかえってきました。「そういう時はね、必ず女の方から先に折れてあげなくちゃだめ。男なんて何も分かってないんだからね」と有り難い人生指南を受けました。

長年の夫婦生活の技を垣間見たこともあります。エージョーさんの夫はエージョーさんより10歳ほど年上で、区内の公共工事を請け負う仕事をしています。ある日農業用水路を塞いでしまった木の枝を取り除くという大仕事を終えた旦那さんが「打ち上げだー」とばかりに仲間達と現場でお酒を飲み始めた時も、頃合いを見計らったエージョーさんがしっかり迎えに来ていました。帰宅途中にたまたま通り掛かった私が、酔いの回ったおじさん達の質問攻めに合わないようにかばいながら、旦那さんの酔い具合を確認している姿はまさしくしっかり者のお母ちゃんでした。

一方、工場内でのエージョーさんは厳しい一面も持っています。お昼ご飯を食べた後、うつらうつらしながら作業をしているスタッフがいると「居眠りなんてしようものなら私が見逃さないからね。パシッと叩いて起こしてあげるよ!」と喝が飛びます。
もしも誰かが休憩時間終了間際に飴を口に放り込もうものなら、「ちゃんと噛み砕いて飲み込んでからじゃないと中には入らせないよ」と作業棟に入る扉の前で目が光ります。
エージョーさんのように妻であり母であり祖母でもある女性が、社会の中で自分の居場所を築いている姿を見ると、同じ女性としてとても心強く感じます。SAL Laboratoriesでは、女性ならではの細やかさや気配りを存分に活かして仕事をすることができます。自分の足で立って生活の基盤を作れていること。これが笑い声の絶えない工場の秘訣のような気がします。

冒頭の、両手にお菓子のくだりで私が「飲み物だけでいいよー」と断ろうとすると、「いい? ここではね・・・」と知られざるSALルールをエージョーさんは教えてくれました。この裏ルールとも言うべき内容は、「ここでスタッフになったからには体重が増えないと本当の仲間になったとは認められない」という世にも恐ろしいものなのでした。お茶だけでいいのにと内心で思いつつ、ここでお菓子を断ると仲間になるのを拒否していると勘違いされたら困るし、といろいろな思いが交錯し、結局は両手に握りしめたお菓子を毎回頬張ることになります。
あるとき、エージョーさんにこっそり体重を聞いてみたところ、ただいま8キロ増とのこと。身長150㎝ほどのエージョーさんにとってはなかなかの数字ですが、自分に当てはめて計算しても卒倒しそうになります。

工場にはいくつかの重量計がありますが、これはみな製品の重量を量るためのもので、まかり間違ってもスタッフがそれに乗ることはありません。でも女性なら誰しも、乗らずにはおられない強い誘惑があるはず。どうして誰もこっそり量ったりしないのかな。と不思議に思っていた矢先に、デスクの下に家庭用体重計がこっそりしまわれているのを見つけました。これは純粋にスタッフの体重を量るためだけに存在するもので、みな思い出したかのようにときどき引っ張りだしては上に乗っているようです。私も意を決して、働き始めて以来初めておそるおそる体重計に乗ってみたところ・・・なんとか現状キープ。ほっと安堵のため息をつきました。
今年に入ってから、人員増強のための新スタッフの採用が続いていますが、このこっそり置かれた体重計が、実はスタッフとして採用できるかできないかを分ける最終のテストだったりするのかもしれません。くわばらくわばら。(Momoko Katsuyama