2014年1月22日水曜日

メージョー・キャッツアイ ♡  maejo cats eye ♡

我が社は、チェンマイといっても中心部から20キロは離れた草深い郊外のメージョーにあります。
看板もなく、道は細く曲がりくねっているため、GPSやグーグル・アースを駆使しても、外国人ならば必ず誰もが迷うという魔のポイントが待ち受けています。
辿り着けるのは、動物か原始人の如くに方向感覚や嗅覚が良い人間か(例えば私)、誰にでもすっと声をかけられる地元のタイ人くらいです。

ところがたまに例外が現れます。
「メージョーのオジー」と私たちが密かに呼ぶ人と出会えた人たちです。
「オジー/ozzy」とは、名にしおう『あまちゃん』の“前身”ともいえるドラマ『木更津キャッツアイ』で古田新太さんが演じた登場人物です。
家は無く、木更津駅前に停めたおんぼろバンで寝起きし、目が覚めると「あ~さだよ~」と叫び、夕方には「よーるーだーよー」と悲しげに雄叫び、いささかくたびれたストリッパーにうっとりし、ビールサーバーの蛇口に食いついて暴飲するほどビールを愛してやまず、いつも青いスキー帽を被ってにこにこと笑い、若干アル中気味で「木更津の守り神」として地元の人に愛されている、まるで宮澤賢治の雨ニモマケズに出て来そうな異人にしてその正体は、ピッチャー返しが頭を直撃し、記憶を全て失ってしまい、奇行に走るようになってしまった地元高校の野球チームの元剛腕ピッチャー、ホームレスの「オジー」です。

一方、私たちのメージョーのオジーは、私たちの会社のある村の住人で、むかし交通事故に遭ったことで頭を強打、心が子供に戻ってしまった男性(推定年齢30代後半)で、いつもニコニコしているところや、心優しいところ、村のあちらこちらに気まぐれに出没するところなど、ドラマのオジーとよく似ています。
ときどき運河沿いを散歩していたり、また、ときどき自転車がコケて、草むらで助けを呼びながら泣いていることもありますが、そんな様子もとてもよく似ています。

そんな私たちのオジーは、私たちの会社へ来ようとしたばかりに道に迷った人と出くわすと、道案内をしてくれるのです。
ちょっと困るのは、彼ののんびりした自転車のペースに合わせて、バイクを降りて歩くか、車でそろそろ徐行しなくてはならないことでしょうか。

さて、この間も運良くオジーと出会い、会社に辿り着いたお客さまがやって来ました。
出迎えに出た私に、オジーは突然言いました。
「40バーツ!」
「へっ?」
訛りが強い上に、ちょっと滑舌が悪い彼の言葉に戸惑う私。
「よんじゅうバーツ!」
「へっ?」
「・・・ちょうだい?」
「うーん。。。」
「あっ! 大丈夫です。大丈夫。さっき20バーツで案内してくれるって言うから、私、あげましたし!」
お客さんが、私に助け舟を出します。
「うーん、そうかぁ。じゃあダメだねぇ。困ったなぁ」
私が、へどもどしている様子に、彼は、にこにこと「40バーツ♡」。
を繰り返します。

そこへ、芝刈りが終わってこちらへやって来た庭師のバーンさんが
「うりゃっ! うち、かえんなさい!」
「うえぇ~、40ばあつう〜?」
「いかん! ダメ! 帰る!」
「よーんーじゅーばぁあーつーう〜!」
「ごめんね。ありがとうね」と私。
「うわーん。わかった〜。ばいばーい」

バーンさんの一喝に、彼は名残惜しそうに敷地から出ます。
ところが、出たと途端に40バーツをもらい損ねたことはすっかり忘れ、
(でも20バーツはきっちりもらっている)
生け垣の向こうから、にこにこ笑いながら、ふるふると手を振っていました。

後で製造マネージャーのジャックさんが教えてくれた話では、彼はスタッフの遠縁にあたる人で、交通事故が原因で心が子供に戻ってしまったのだとか(それを知ったのはこの時が初めてでした)。でも、心根は優しく村の人たちにも好かれていて、スタッフたちの何人かとも仲良しなのだとか。
そういえば、20バーツ、40バーツも、どこにも暗く切迫した所はなく、遊びのような雰囲気でしたし、バーンさんの一喝も、心底からの嫌悪や怒りでは全くありませんでした。

まだ福祉制度が充実していないともいわれるタイですが、制度が充実していてもそのルール故に居場所も助けを求める相手も失い、人知れず亡くなってしまう人がいる国だってあります。制度が最先端でなかったとしても、こんな風な柔らかく生きた人の関わりや助け合いがあり、その中で色々な人たちが一緒に在ることができている実際を見ると、私には本当の『充実』『最先端』とは、何なのかわからなくなってきます。
少なくともタイには、ルールによって人の居場所がなくなるような、人が柔らかに判断してこそ生まれる質が消えてしまうような「最先端」とは違う道を選んで欲しい、その可能性があるのでは、と思えるのです。(A.H.)

2014年1月14日火曜日

デモの中で  respect my vote

日本では、バンコクのデモの激しさが報道されていますが、私たちがいるチェンマイでもいよいよ昨日からデモが起きはじめました。
タイ第二の都市と言われてもそれは、歴史や格式において言われているのであって、人口や規模で言えば、はるかに大きな町は沢山ある、小さな地方都市です。
そして、スタッフ達が暮らすのは村の周りを水田やラムヤイ畑に囲まれたような昔ながらの村(ムーバーン)です。そんなこともあってか、どこか普段よりは微かに緊張した静けさを漂わせつつも、穏やかに毎日は過ぎています。

とはいえ、誰もが今の事態を良いとは思っていませんし、国というよりは最早、権力争いにも見えなくもない事態には、「話し合いで解決できないことは、他の国々に対して恥ずかしい」、「去年12月に、せっかく王様が何よりも、国の平和と反映のため、国民みんなで助け合い、団結して欲しいとおっしゃったのに。。」と、デモの熱狂とは違う声が聞こえて来ます。
親族に、ホテルやレストランなど観光業に携わっている知人達からは、キャンセルが相次いだおかげで、給与の額が減ってしまったという声もちらほら聞こえます。

普段は穏やかである事を好みながらも、いざとなれば思いきり声を上げる情熱を持つタイの人々は、羨ましく、その行動力は尊敬するばかりです。
しかし、死者が出たり、生活に困難をきたすような今の状態はもっとやりようがあるのではないだろうか……。そんな事を思いながら車を走らせていた出勤の途上。

こんな車を見かけました。
デリバリー用の瓶入り飲料水を満載し、その重さで車のタイヤがぐっと潰れ、ゆさゆさと荷台をゆさぶりながら走っている、年季の入ったピックアップトラックの後ろ。「Respect my vote」(私の投票を尊重せよ)と書いた紙が貼ってあります。
乗っているのは、初老の夫婦です。その文字は、パソコンで出力されたものでもあり、もしかすると子供か孫にプリントしてもらったかもしれません。
しかし、信号で運良く隣り合って車が止まり、私がじっと車の後ろをみて運転席のおじさんを見、目が合った瞬間、おじさんは、にかっと笑い、親指を立ててみせたのです。

ちなみに、この「Respect my vote」。そもそもは、アメリカのヒップホップアーティストのTIが、2008年にアメリカにおいて有色人種にとって一票がどれだけ大切であるかと、若者に向けて投票キャンペーンをしたのが始まりです。実際、2008年の選挙率は劇的に増加したそうです。
今のタイでは、この「Respect my vote」は、民主党にこの言葉を掲げて抗議した人物に共感するという意味もあるようでありますが、一方で、そもそもこの人物は、民主党反対派だった(本人は、党派とは関係ない、一国民として言ったのだとのこと)という説もあるようです。

いずれにせよ、反政府/新政府とは一線を画し、暴力的対峙に反対する人々が新たに、立ち上がり声をあげているのは確かであり、「Respect my vote」もその一つです。
様々な背景は思惑は別として、暴力によらない、そして自らの意志を示す一票を、個人も政治も大切にする事こそ、今求められているようです。
タイのみならず、きっと私たちの日本も。(Asae Hanaoka)

2014年1月12日日曜日

ネットがあれば……。 net is perfect?

こちらで生活していて特に困る事はないのですが、唯一「これがあればなあ」と思うとしたら新宿、秋葉原。そうパソコン、家電、オーディオ関係でしょうか。別に無くても構わないのですが。まあ、あればあったで便利かなというレベル。私はパソコンはずっとMacなので、ほかのPC関連ショップはそれほど立ち入りませんが(空気や匂いが苦手というのもあります)、さいわいこちらにも、大きめのショッピングモールなどにはAppleの正規販売店はあります(一見するとAppleストアのようなお店、たいていSAMSUNGショップや携帯キャリアショップと並んで入っています)。ケーブルや電源アダプタなどアクセサリー類は問題なく調達できます。
ソフトウェアもここのところ主要なものは大概多言語対応となっており、タイで購入したMS Officeでもスタッフたちは皆(日本人もタイ人も)自分の言語環境で問題なく使えています。

そんな中で先日、これまで使っていた一世代前のMacBook Airから最新のMacBook ProのRetinaモデルに買い替えた時です。Macの場合、通常であれば環境の移行は「移行アシスタント」で勝手にやってくれます。非常に優れたプログラムです。新しいマシンでも、アプリやその設定、やりかけの仕事も含めて全部、これまで使っていた環境がそのまま移行されるはずです。建前は。とはいえ今回はWiFi経由であったため時間にして一晩(7〜8時間)かかりましたが。
朝目を覚ますと移行プログラムが終了しており、新しいマシンを起動してみると(そういえばパーソナルコンピュータのことを「マシン」と呼ぶのは日本ではMacユーザーだけのように思います。思い入れが違うのでしょうか。通常は「PC」、もしくは「パソコン」と呼ぶようです)、一見すると移行は完了しているようです。よしよし。半日ほどは問題なく、違和感もなく使えていました。さすがに最新のマシンはスピードも速く、Retinaディスプレイは美しいかぎりです。Macユーザーならではの思い込みと思い入れです。

しばらく使っていたその日の夜、あるExcelファイルを開こうとしたところ、シリアルナンバーの入力を求められアプリが起動できません(これに気づくまで丸一日掛かったのには、いかに私が日頃ビジネスアプリを使う頻度が低いかということです。事務従事者の方々は別として皆さんそうだと思いますが、ほとんどがWebブラウザと、そこから提供されるサービスで事足りています。あとはシンプルなテキストエディタがあれば過不足ないといえます。図らずもMicrosoft社の、というかソフトウェアメーカーの凋落を見ました)。
というわけで、購入したソフトウェアのシリアルナンバーなど当然そらで言えるはずもなく、ほとんどの皆さんがそうだと思いますが、買った時のパッケージを保管して、必要となった時に箱をひっくり返して確認し、一文字一文字入力するしかありません。

というわけで、私は現在、飛行機に乗って東京の家に来ており、本棚からOffice 2011の箱を探し出し、シリアル番号を入力しています。そして今度はWebを更新しなければ! ということでWeb制作ソフトを立ち上げたところ、MacBookProのOXが最新のMavericksになっており、その関係からか、またしても「最新のアップデータをすべて適用して下さい、アプリケーションの開発元が最新Mac OS Xに対応しているか確認して下さい。問題が解決しない場合はインストーラ・ディスクより新規にインストールして下さい」とのメッセージ。
ここは日本だ楽勝だとばかりに、さっそくBiND 6の箱を探しインストーラ・ディスクを探したところ、箱の中身は空。そういえばこれは日本を離れる直前にヨドバシで購入したもので、中身はチェンマイへ持ていったことを思い出しました。シリアルナンバーであれば、向こうのスタッフに問い合わせて確認できます。しかしこうしたフィジカル・メディアとなると、情報のやりとりではどうにもなりません。ましてや日本製のソフトウェアは海外ではほとんど入手できません。実際に人間が行くか現物を取り寄せるかです。

世界はネットで繋がっており、場所の制約は受けない。ネット環境とその端末さえあれば人はどこに居ようが同じように仕事ができる。よく聞く言葉です。9割方異存ありません。日々その多大な恩恵に与っています。しかし残りの1割が大切です。ファイルをコピーしていても、99%終了しても、残りの1%が完了しなければ、それは不完全ファイルとして全く開く事はできません。
というわけで、今月またチェンマイへ戻ります(多少の脚色はあります)。

ちなみに腕時計は普段、10万年に1秒しか狂わないという日本製の電波時計ですが、チェンマイではそもそも基地局の電波は届きません。向こうではアナログ自動巻のSEIKOを使っています。(J.O.)

2014年1月11日土曜日

鹿の苑の少女  my dear deer girl

いろいろな用事と重なり、日本へ行く予定が丁度、日本橋高島屋でのバーンロムサイ展と重なりました。
街はちょうどクリスマスの時期、しかもそれは、偶然にもバーンロムサイの主宰者、名取美和さんのトークと、バーンロムサイ出身のアームちゃんによるタイ舞踊も行われる日でした。
私たちの年末のスタッフ慰労パーティでも、プロとしてステージを踏み踊りを披露してくれたアーム嬢。ささやかな花束を携えて出かけました。

息せき切って駆けつけた日本橋高島屋(ここは百貨店建築として初の重要文化財の指定を受けた素敵な建物です)の、広く天井の高い中央正面玄関のホールには、まさに踊り始める彼女の姿。まだ、あと少し重心が低くなれば……。など、辛口で見れば、磨かれて行く途上ではありますが、その踊りには不思議な清雅さがあります。常に型として浮かべられる微笑みにも、舞台に立つ居ずまいにも、どこか静かな喜びが湧き上がってくるような何かがあるのです。
少し有名なチェンマイの(現在の)舞踊手たちは、型として浮かべられる微笑みをどこかで受け入れていません。彼女たちの『私の本当に表現したい現代舞踊』では、その笑みはバカバカしい空疎なものとして、戯画化されたりします。そのせいか、彼女たちが踊る本来プロフェッショナルであるはずの伝統舞踊を観る時、いかにその技術が素晴らしくても、どこか落ち着かない仮初めなものの気がしてしまうのです。

いっぽう、アームの笑みは、なにかうち震えるようなものが花弁のように溢れてくるのです。
定期的な薬の服用により発症することなく、ごく普通に生活し、大学にも通い、将来を組み立て、よりよく生きようとする彼女ですが、それだけに内側には、HIVに起因する差別、あるいは病による生と死を思う精神的な、私には想像も及ばない闘いが日々続いているはずです。
そんな生死の拮抗にあって「普通」である事はどれほど大変なことなのでしょう。

彼女が舞う時の静かな笑みや立ち姿には、その日々の様々を受け止めながらなお、舞うこと、そこに居ることの喜びが、泉のように湧き上がり、含恥とともにそっと溢れてくるような気配があります。むしろ、その「笑みの型」があればこそ、彼女はその胸中にある感情を乱すことなく、美しく振り零すことができているのではないか? そんな風に思えて来ます。踊りの型として浮かべられた笑みは、彼女においてはそれはいつしか、本物の彼女の心の形になってるのではないでしょうか。

そんな事を思いながら、最早、我が子の初舞台を見るような心地でハラハラしている私に、バーンロムサイの要である麻生さんがそっと近づいてくると、
「アームはね、あの鹿が首を振るととても安心して気持が良くなるんですって」
と、目は彼女から外すことなく、ちょっと可笑しそうにそして愛おしそうに耳打ちしてくれました。
成る程、大人でもちょっと欲しくなるような、むくむくした手触りが素敵そうな、真っ白なトナカイの美しく、そして大きな大きな人形は、音に反応するセンサーでも付いているのか、タイの音楽の低音のパーカッションのリズムに合わせ、「うん。うん。良いぞ!」と、厳かに首を上下に振っています。
件の白いトナカイ、金色の贈り物の箱、真っ白なツリー。白と金のディスプレイはとても上質で可愛らしく、アームにもとてもよく似合い、そこだけ、エキゾチックなスノーボールの中のようにも見えます。
よく考えてみると、そういえば鹿は、タイのお寺の壁画にもよく登場しますし、お釈迦さまが悟りを開いて最初に説法をしたのは「鹿野苑」という、鹿が沢山いた苑です。もしかすると、アームはそんなエピソードを知っていて、鹿たちの遊ぶ尊い園で舞っている心地でいたのかもしれません。

最初の演目が終わり、衣装を替え、次の演目が始まった時。
まだ、踏んだ舞台の数も少ない舞踊手が、初々しく最初のフォルムを取りながら、ふっと微笑んだ瞬間、その金色の爪飾りをつけた指先に、観客たちの視線と心すべてが釣り糸にかかった魚のようにぐっとたぐり寄せられ、あたりは皆がその存在にのめり込むような集中力を帯びはじめました。
その、初々しい女の子から、プロの舞踊手に彼女が存在の質を変えるのを見た瞬間、私は、この小さな舞踊家の将来を想像し、その一瞬得も言われぬ胸が透くような心地がしたのです。

*ちなみに英文のタイトルのDearとDeer。響きが似ているので遊んでみたのです。
そして、イエスは鹿をトーテムとする一族の出身であり、ヒンズー教のクリシュナも鹿に変身します。日本でも鹿は聖なる動物であり、中国で神仙が天に昇る時の乗り物はしばしば白い鹿。
トナカイも、北方の遊牧民たちの中では命を繋ぐ存在であり、また、鹿の角が落ち、また伸びるさまには死と再生のイメージがつきまといます。
幼い頃から、死を見つめながらも、よりよく生きることに真っ直ぐな少女の守り神としてはこれほど相応しいものはなかったでしょう。そう思いませんか?(A.H.)