我が社は、チェンマイといっても中心部から20キロは離れた草深い郊外のメージョーにあります。
看板もなく、道は細く曲がりくねっているため、GPSやグーグル・アースを駆使しても、外国人ならば必ず誰もが迷うという魔のポイントが待ち受けています。
辿り着けるのは、動物か原始人の如くに方向感覚や嗅覚が良い人間か(例えば私)、誰にでもすっと声をかけられる地元のタイ人くらいです。
ところがたまに例外が現れます。
「メージョーのオジー」と私たちが密かに呼ぶ人と出会えた人たちです。
「オジー/ozzy」とは、名にしおう『あまちゃん』の“前身”ともいえるドラマ『木更津キャッツアイ』で古田新太さんが演じた登場人物です。
家は無く、木更津駅前に停めたおんぼろバンで寝起きし、目が覚めると「あ~さだよ~」と叫び、夕方には「よーるーだーよー」と悲しげに雄叫び、いささかくたびれたストリッパーにうっとりし、ビールサーバーの蛇口に食いついて暴飲するほどビールを愛してやまず、いつも青いスキー帽を被ってにこにこと笑い、若干アル中気味で「木更津の守り神」として地元の人に愛されている、まるで宮澤賢治の雨ニモマケズに出て来そうな異人にしてその正体は、ピッチャー返しが頭を直撃し、記憶を全て失ってしまい、奇行に走るようになってしまった地元高校の野球チームの元剛腕ピッチャー、ホームレスの「オジー」です。
一方、私たちのメージョーのオジーは、私たちの会社のある村の住人で、むかし交通事故に遭ったことで頭を強打、心が子供に戻ってしまった男性(推定年齢30代後半)で、いつもニコニコしているところや、心優しいところ、村のあちらこちらに気まぐれに出没するところなど、ドラマのオジーとよく似ています。
ときどき運河沿いを散歩していたり、また、ときどき自転車がコケて、草むらで助けを呼びながら泣いていることもありますが、そんな様子もとてもよく似ています。
そんな私たちのオジーは、私たちの会社へ来ようとしたばかりに道に迷った人と出くわすと、道案内をしてくれるのです。
ちょっと困るのは、彼ののんびりした自転車のペースに合わせて、バイクを降りて歩くか、車でそろそろ徐行しなくてはならないことでしょうか。
さて、この間も運良くオジーと出会い、会社に辿り着いたお客さまがやって来ました。
出迎えに出た私に、オジーは突然言いました。
「40バーツ!」
「へっ?」
訛りが強い上に、ちょっと滑舌が悪い彼の言葉に戸惑う私。
「よんじゅうバーツ!」
「へっ?」
「・・・ちょうだい?」
「うーん。。。」
「あっ! 大丈夫です。大丈夫。さっき20バーツで案内してくれるって言うから、私、あげましたし!」
お客さんが、私に助け舟を出します。
「うーん、そうかぁ。じゃあダメだねぇ。困ったなぁ」
私が、へどもどしている様子に、彼は、にこにこと「40バーツ♡」。
を繰り返します。
そこへ、芝刈りが終わってこちらへやって来た庭師のバーンさんが
「うりゃっ! うち、かえんなさい!」
「うえぇ~、40ばあつう〜?」
「いかん! ダメ! 帰る!」
「よーんーじゅーばぁあーつーう〜!」
「ごめんね。ありがとうね」と私。
「うわーん。わかった〜。ばいばーい」
バーンさんの一喝に、彼は名残惜しそうに敷地から出ます。
ところが、出たと途端に40バーツをもらい損ねたことはすっかり忘れ、
(でも20バーツはきっちりもらっている)
生け垣の向こうから、にこにこ笑いながら、ふるふると手を振っていました。
後で製造マネージャーのジャックさんが教えてくれた話では、彼はスタッフの遠縁にあたる人で、交通事故が原因で心が子供に戻ってしまったのだとか(それを知ったのはこの時が初めてでした)。でも、心根は優しく村の人たちにも好かれていて、スタッフたちの何人かとも仲良しなのだとか。
そういえば、20バーツ、40バーツも、どこにも暗く切迫した所はなく、遊びのような雰囲気でしたし、バーンさんの一喝も、心底からの嫌悪や怒りでは全くありませんでした。
まだ福祉制度が充実していないともいわれるタイですが、制度が充実していてもそのルール故に居場所も助けを求める相手も失い、人知れず亡くなってしまう人がいる国だってあります。制度が最先端でなかったとしても、こんな風な柔らかく生きた人の関わりや助け合いがあり、その中で色々な人たちが一緒に在ることができている実際を見ると、私には本当の『充実』『最先端』とは、何なのかわからなくなってきます。
少なくともタイには、ルールによって人の居場所がなくなるような、人が柔らかに判断してこそ生まれる質が消えてしまうような「最先端」とは違う道を選んで欲しい、その可能性があるのでは、と思えるのです。(A.H.)
看板もなく、道は細く曲がりくねっているため、GPSやグーグル・アースを駆使しても、外国人ならば必ず誰もが迷うという魔のポイントが待ち受けています。
辿り着けるのは、動物か原始人の如くに方向感覚や嗅覚が良い人間か(例えば私)、誰にでもすっと声をかけられる地元のタイ人くらいです。
ところがたまに例外が現れます。
「メージョーのオジー」と私たちが密かに呼ぶ人と出会えた人たちです。
「オジー/ozzy」とは、名にしおう『あまちゃん』の“前身”ともいえるドラマ『木更津キャッツアイ』で古田新太さんが演じた登場人物です。
家は無く、木更津駅前に停めたおんぼろバンで寝起きし、目が覚めると「あ~さだよ~」と叫び、夕方には「よーるーだーよー」と悲しげに雄叫び、いささかくたびれたストリッパーにうっとりし、ビールサーバーの蛇口に食いついて暴飲するほどビールを愛してやまず、いつも青いスキー帽を被ってにこにこと笑い、若干アル中気味で「木更津の守り神」として地元の人に愛されている、まるで宮澤賢治の雨ニモマケズに出て来そうな異人にしてその正体は、ピッチャー返しが頭を直撃し、記憶を全て失ってしまい、奇行に走るようになってしまった地元高校の野球チームの元剛腕ピッチャー、ホームレスの「オジー」です。
一方、私たちのメージョーのオジーは、私たちの会社のある村の住人で、むかし交通事故に遭ったことで頭を強打、心が子供に戻ってしまった男性(推定年齢30代後半)で、いつもニコニコしているところや、心優しいところ、村のあちらこちらに気まぐれに出没するところなど、ドラマのオジーとよく似ています。
ときどき運河沿いを散歩していたり、また、ときどき自転車がコケて、草むらで助けを呼びながら泣いていることもありますが、そんな様子もとてもよく似ています。
そんな私たちのオジーは、私たちの会社へ来ようとしたばかりに道に迷った人と出くわすと、道案内をしてくれるのです。
ちょっと困るのは、彼ののんびりした自転車のペースに合わせて、バイクを降りて歩くか、車でそろそろ徐行しなくてはならないことでしょうか。
さて、この間も運良くオジーと出会い、会社に辿り着いたお客さまがやって来ました。
出迎えに出た私に、オジーは突然言いました。
「40バーツ!」
「へっ?」
訛りが強い上に、ちょっと滑舌が悪い彼の言葉に戸惑う私。
「よんじゅうバーツ!」
「へっ?」
「・・・ちょうだい?」
「うーん。。。」
「あっ! 大丈夫です。大丈夫。さっき20バーツで案内してくれるって言うから、私、あげましたし!」
お客さんが、私に助け舟を出します。
「うーん、そうかぁ。じゃあダメだねぇ。困ったなぁ」
私が、へどもどしている様子に、彼は、にこにこと「40バーツ♡」。
を繰り返します。
そこへ、芝刈りが終わってこちらへやって来た庭師のバーンさんが
「うりゃっ! うち、かえんなさい!」
「うえぇ~、40ばあつう〜?」
「いかん! ダメ! 帰る!」
「よーんーじゅーばぁあーつーう〜!」
「ごめんね。ありがとうね」と私。
「うわーん。わかった〜。ばいばーい」
バーンさんの一喝に、彼は名残惜しそうに敷地から出ます。
ところが、出たと途端に40バーツをもらい損ねたことはすっかり忘れ、
(でも20バーツはきっちりもらっている)
生け垣の向こうから、にこにこ笑いながら、ふるふると手を振っていました。
後で製造マネージャーのジャックさんが教えてくれた話では、彼はスタッフの遠縁にあたる人で、交通事故が原因で心が子供に戻ってしまったのだとか(それを知ったのはこの時が初めてでした)。でも、心根は優しく村の人たちにも好かれていて、スタッフたちの何人かとも仲良しなのだとか。
そういえば、20バーツ、40バーツも、どこにも暗く切迫した所はなく、遊びのような雰囲気でしたし、バーンさんの一喝も、心底からの嫌悪や怒りでは全くありませんでした。
まだ福祉制度が充実していないともいわれるタイですが、制度が充実していてもそのルール故に居場所も助けを求める相手も失い、人知れず亡くなってしまう人がいる国だってあります。制度が最先端でなかったとしても、こんな風な柔らかく生きた人の関わりや助け合いがあり、その中で色々な人たちが一緒に在ることができている実際を見ると、私には本当の『充実』『最先端』とは、何なのかわからなくなってきます。
少なくともタイには、ルールによって人の居場所がなくなるような、人が柔らかに判断してこそ生まれる質が消えてしまうような「最先端」とは違う道を選んで欲しい、その可能性があるのでは、と思えるのです。(A.H.)