「おや! これは、チャムチャーの葉ですね?」
私たちのクリームsumimou 03とnongharn 03に付いているチーク製のスパチュラを見て、パッケージの印刷会社の代表のウイさんが嬉しそうに微笑しながら言いました。
そうなのです。
私たちのこのスパチュラは、スタッフのバーンさんが他の仕事の合間に一つずつ手作業で作っているものですが、その形は敷地内に何本か生えているチャムチャーの木の葉をもとに作り出したものなのです。
もとは、 開発チームと小さくて場所をとらず、指でつまんで使うシンプルな形にしよう。例えばギターのピックや貝殻のような三角と楕円の中間のような形はどうだろう? と話し合い、バーンさんはその案に忠実に作ってくれたのですが、どこか硬いよそ行きの雰囲気が感じられ、チーム一同どうもひっかかりを感じ、納得できません。
なにしろ家だろうが家具だろうが作ってしまうバーンさんですから、その出来は素晴らしいのですが、どこかバーンさんらしからぬぎこちなさがあるのです。
粘土は型にはめ込んでも、最後には窯の中の炎という誰の作為も及ばない過程を経て、かすかな歪みや釉薬の流れをともなって完成する、自然で有機的な働きが全体を覆う磁器の入れ物と合わせるとどうもしっくりこないのです。
しかし、どうも良い場所にイメージは着地しません。
「うーん。これは基本姿勢の自然に学べに立ち返って、シンプルに自然から形を起こしてみようか?昆虫の羽や木の葉や花びらとか」
すっかり煮詰まった私は、至極正論のようでいて、少しやけくそな匂いがしなくもない方針を立ててメンバーに託し、会は終わりました。
それから数日して...。
SALの製品を入れる器とそれに付属するものの一切の担当女史が、子供のような満面の笑みでやってきました。
表情豊かな彼女がこんな顔をしている時は、とても良いことがあった証拠です。
「これ、バーンさんが!すごいでしょう?」
まるで自分のことのように得意そうに嬉しそうにおはじきのように机に並べたスパチュラは、小さな貝や植物の葉のよう。丸みと繊細さのある不定形なそれはらは、小さな生き物たちひっそり息づいているようにも見え、今までとは全く表情が違っていました。
手につまんだ時に感じる表面の丸さは指先にしっくり馴染み、器の中のクリームに触れる曲線は、硬いバームを柔らかくしながらそっとスパチュラの面にクリームを堆積させます。しんと整ったまっさらなクリームの表面にその先が当たってもどこか優しく、何かをこそげる、削るという荒々しさを感じません。
「これ、なんやと思います?」
「葉っぱ?なんだか見たことがあるような...。?」
「そう、うちの庭のチャムチャーの葉ですって」
「うわ~!!」
可愛らしいその居住まいと、それにふさわしい繊細な使い心地にうっとりしていた開発チーム一同、すっかり和んで拍手をしてしまいました。
熱帯アメリカ原産の植物ですが、古くから東南アジアへも伝わり、家よりも高く横にもぐっと広く枝を張るこの木の姿はチェンマイの方々でよく見かける身近な存在です。かつては、この木でカイガラムシを養殖し、臙脂の染料を生産輸出するのもこの地域の大きな産業でもありました。
私たちのクリームは石鹸のコーティング材であるミツロウの生産者、サヤンさんによると、昔のチェンマイの街や道はこの大木で覆われていて、おかげで今よりずっと涼しかった、大きなチャムチャーの木の幹にはたくさんの蘭が株を大きく太らせていて、花をいくつも咲かせ、涼しい風に乗ってくる花の香りは気持ちが良いものだったそうです。
街の開発が進み、チャムチャーの巨木の数は減りましたが、その特徴あるシルエットはそこここで見かけますし、チェンマイーサンカンペーンの旧道の並木は健在で、直径1mは超えそうな根元には樹に宿る精霊に捧げられた布が巻かれています。そんな風に捧げ物が贈られることも納得するほどに、暑い季節にふさふさと緑の葉を茂らせ、無数の薄紅色のパフブラシに似た花を咲かせた梢が作る大きな木陰は、木の葉の蒸散とその気化熱でひんやりと涼しくありがたいものです。
そういえば、チャムチャーの木はウイさんの事務所の近くにもありますし、バーンさんの家のすぐ目の前にもあります。
二人ともきっといつの間にか緑陰の恩恵を受け、また寒い季節には金色に紅葉した葉が舞い落ちる風情を楽しんでいるのでしょう。
バーンさんは、チャムチャーの葉の他にもランの花弁や別の庭木の葉をモチーフにしたスパチュラも作ってくれ、いずれも「なにもなにも、小さきものは、皆うつくし」でしたが、それでも少し歪で桜貝の形にも似たチャムチャーの葉を模したものがずば抜けて美しく愛らしく、開発チームもみんなチャムチャー型のスパチュラにと、満場一致で決まったのでした。
機能から始まって少し遠回りし、ふさわしい形を見出すには時間がかかったスパチュラですが、結局その創造の力を羽ばたかせる泉となったのは、いつも傍らにある自然の形。
19世紀末、産業革命と手工芸の間に生まれた様式、アールヌーボーのガラス工芸家エミール・ガレは「Ma racine est au fond des bois.(我が根源は森の深淵にあり)」と、自然に学ぶことを信条とし、彼の工房の扉にもこの言葉を刻んでいましたが、緑深いチェンマイの郊外で、植物の横溢の 隙間に間借りしているような私たちは、傍らにある自然に学ぶことがまだたくさんあるようです。(Asae Hanaoka)