とはいえ、私たちの製品はもともと自然素材でハンドメイドしているものなので、一日として同じ条件で製造ができる仕事ではありません。ですから日々の素材との対話の積み重ねという緊張は常にありますが、今はそれとは別種の緊張感、つまり、数に追われて胸が苦しくなってくるような緊張の日々が延々続いているのです。
私たちの会社は、使用する原材料は農産物や手工業品なので、自ずと手に入る量は限られます。それを「もっと」と求める事は、長い目で見れば環境にも生産者が居る社会にも不均衡をもたらすものですから、私たちは限りない右肩上がりや拡大を目指す経営は考えていません。
そして、スタッフの殆どがお母さんでもあること、業務内容が手や目の感覚の鋭さを働かせなくてはならない神経を使う仕事であることから、残業も基本的に行わないことを旨としています。
にも関わらず少し前までは、それさえも不本意ながら曲げざるを得ず、体調を崩す人も出るほどの緊急事態でした。
皆に申し訳ないと思いつつ、日程と生産量をどうにか調整していた私たちに、仕事の質は落とさず、残業の時には「普段よりも高いお給料をもらうんだし、仕事のペースも質も上げなきゃ!」と、スタッフたちの士気は高く、自らの仕事や組織に当事者意識とプライドを持って業務にあたってくれています。
急遽、求人も行いました。
幸い我が社は、地元でも信頼され、求人を出していなくても時折求職の人がやってきますし、製造マネージャーのジャックさんの人徳もあって予想以上に早く人は集まり、残業問題もどうにか解消できました。
ですが、人を雇うとは、その人の生活を引き受ける責任(仮に将来注文が減ったとしても、たとえパートタイムであろうとも、むやみに解雇することは出来ません)はもちろんのこと、育てる責任を負う事でもあります。
ベテランスタッフには、新人たちへの教育という新たな負担が生じます。つまり少しは緩やかになったかもしれませんが、まだまだ厳しい道のりは続いています。
それでも自分の経験を教えることは、ベテランの姐さんチームにとって満更でもないものだったようです。しかも、手慣れた仕事をあらためて言葉にしたり一挙手一投足を意識し直したため、各製造工程の細部への目配りは一層丁寧になり、その仕事ぶりはまたまた深化中です。一方、若い新人チームもジャックさんの厳しい目に適っただけあって、姐さんたちの教えを初々しく謙虚に受けとめ、まだ途上とはいえ予想以上に早く技術の習得が進んでいます。
こんな風に難題と向き合って、まっすぐ爽やかに進むスタッフたちには、もうただただ頭が下がる思いです。
さて、タイの本当のお正月は4月の半ばの満月の日。
日本では水掛け祭りとして有名なソンクラーンが、こちらの新年です。
そして、私たちの会社のボーナスはこのお正月前です。
本来ならば、新人チームは就労日数がボーナス支給の条件に達してしませんが、技術の習得速度や業務態度はとっくにジャックさん、姐さんチームのお墨付き。私たちはもちろん、年長チームたっての希望もあり、感謝の気持を込めて小額ながら支給する事になりました。
いよいよ仕事納めの日、お給料とボーナスが支給です。皆朝からご機嫌です。
そんな中、新人の中でも注目株のコイさんがいませんでした。
このところの酷暑で体調を崩していたのですが、夕方になんとか顔を見せてくれ、お金は手渡せたのですが、その時の「え! 私も貰えるのですか? いいんですか?」
という、嬉しさよりも、うろたえや戸惑い、困惑にも似た驚きが勝った表情がどこか胸に引っかかりました。
そして1週間のお正月休みが明けて、仕事始め2日目。
ジャックさんが、がっかりした顔でやってきました。
「どうしたの?」
「うぅぅぅぅー。。。。」
途方に暮れた仔イウォークのような声で(ジャックさんはイウォークのような声でよく笑うのです)唸るジャックさん。
「コイさん、昨日も今日もお休みなんですが、ここを辞めますって」
「えぇっ! どうしてまた!!」
こちらも余りの事にびっくりです。
「実は、コイさん、カラオケ屋さんを開店したばかりで、そちらが忙しいから両方は難しいって・・・。」
「そうか、昼間も夜も仕事は大変だものね。でも、急に辞めてしまうというのは、少しがっかりだね。先に言ってくれれば良かったのに。お店、頑張ってね! って言いたかったねぇ」
タイでは、会社勤めよりも自分で小さな商店や会社をする方を好む人が多く、私たちの会社のスタッフでも、畑を持っていたり、会社に来る前は家族の市場の仕事を手伝ったり、幾つかの副業を持っているケースはよくあることです。
とにかく自立を目指すのはとても素敵なことです。私たちは素直に「頑張って!」とエールを送りたかったのです。
一方で、真面目なコイさんが予告なく突然辞めたこと(事前報告は、入社時に約束します)、ボーナスを受け取ったときの不思議な表情がやけに思い出されて気になりました。すると案の定というべきか、ジャックさんの話は唸り声どおり妙な方向へ進んで行きました。
「コイさんも本当は、お休み前に辞めるって言わなくちゃと、何度も思ったそうなんです。でも辞めますって言ったら、給料が貰えないんじゃないか? って怖くなって言えなかったって・・・。」
「えぇっ! ウチはそんな事しないですよ」
「もちろん、ジャックもわかってます。でも、コイさんはそういう経験があったのかも・・・。」
「ああ、なるほどねぇ」
タイも労働基準法自体はしっかりしたものですし雇用条件の改善は進んでいます。例えば、休日出勤や残業手当などは、日本よりも手厚く労働者を守る内容になっています。
しかし良くも悪くも法の解釈が柔軟なお国柄であり、個人商店のような規模の会社では、むしろこの手厚い条件は対応しきれない場合もあります。コイさんが恐れたような事例もまったく無いとは言い切れません。
私たちは少しがっかりしつつ、コイさんのお店の成功を祈りつつ、その不在を補う再求人の相談を進めざるをえませんでした。
こうしてちょっと憂鬱な一日を終えて、コイさんの一言が、遣り切れなくて行きつけの食堂で「そんな会社もあるんだ、酷いよ!」と、こぼしたところ、いやいやキミ、そんなのまだ可愛いもんだよという声が周りから戻ってきてしまいました。
小さな失敗を理由にした解雇(問題解決は、信頼関係を深めるチャンスなのに)、残業代の未払い(所謂サーヴィス残業?)や、不良品を出してしまった場合の個人の給与減額(法的には禁じられています)、トイレに行く時間に制限がある( ...!)などなど、聞かなきゃ良かったと思うようなトンでも事例の噂を聞いてしまいました。もちろん、これはごく一部の困った会社での事であり、噂ではありますが・・・。
その中でも一番驚いたのは、ある食品系の会社の話。取引先から急遽納品数の増量を求められたのだけれど(それはよくある、そして歓迎すべき事ではあります)、その増産希望数の試算の根拠のひとつになっていた製造日数は、土日祝日も労働日として数えたもので、その発注に製造現場のモチベーションが落ちに落ち、高まったのは取引先への不信だけ。
結局出荷数は減らしたものの、乱れに乱れふてくされる製造現場の従業員らを取りなし、不安定になった品質の管理のため、マネージメントは地獄を見、ついには心労のあまり入院してしまったという話でした。
「コイちゃんの話はタイの小さな会社の話だけれど、この発注元は、経済大国って言われるような国の企業だっていう話ですよ」と、苦笑いの男性。
周りからは「それってブラック企業の輸出だろ?!」(これを言った40代のタイ人男性は何とブラック企業という言葉を知っていました)と、呆れと怒りと脱力の反応が入り交じった中、その作り話だろうと思いたくなるようなゴシップを語ったおじさんは、まるで最高に苦い思い出を噛み締めるような面持ちで、タイ式に氷を入れたチャーンビールを飲み干したのでした。
少なくとも、私たちの会社で働くタイの人々は、何か良い事があればそれを分かち合い、自身の仕事に誇りを持ち、家族や仲間たちを大切にし、幸せを願う真面目な人たちです。
そうでなくても、それぞれに日々を懸命に人は生きているのです。
もし、件の発注をした企業の担当者が、自分だってそうだというならば、その自分の「懸命」は、支えている多くの人がいればこそ成り立っている。それに少しは気付いたらどうか? もっと自分のしている事の向こう側に「人が居る」こと、その人たちがそれぞれに生活を、人生を持っていることを想像してみてはどうか?
ひとくさり語り終えて、なんだか無残な表情のおじさんの横顔を見ながら思ったのでした。
いずれにせよ、大量に作って大量に売って、大量に消費すること。便利さ、わかりやすさばかりをビジネスにした時の「もっと! もっと!」という高揚感の中では、忘れられてしまいがちなことです。
そのような市場の渦中にいれば、生産量の試算の時、それを作るのは「働く人たち」であり、彼らには家族との大切な時間があり、信仰があり、休息があり、そうした生活と共にこそ、人々の「働く時間」があることなど、利益と面子の前には小さすぎて、忘れてしまうのかもしれません。(A.H.)