2013年10月8日火曜日

市場に出回らないお金/市場で回らないお金 this is not a money

タイの通貨はバーツ。その時の為替相場にもよりますが、1バーツざっくり3円と考えて、こちらの値札に3を掛けたものが日本円でのおおよその値段です。屋台のラーメンが35バーツ(約105円)、350ml缶ビールが32バーツ(96円)、ペットボトルの水が1リットル×6本で65バーツ(195円)。日本と比べれば物価はかなり安く、暮らし易い国といえます。

日本円には更に下位の単位として銭や厘がありますが、これはすでに通貨単位としては廃止されており、計算単位として為替や株価の表示に使われるくらいでしょう。しかしタイにはバーツのほかにサタンという補助通貨があり、これは今も現役で使われています。1バーツは100サタンです。25サタン、50サタンと硬貨も二種あり、小粒ですがそこそこ重量もあり、王様の横顔と寺院のレリーフが刻まれており、日本の1円硬貨などよりも余程存在感があります。
ものの値段は、端数にして気持ちお安くお得感を持たせるのはどこでも一緒ですから、買い物をするとやたらと小銭が貯まります。タイ人であれば、レジで精算する際でも端数分の小銭を財布の中からピタリと選びだし、細かいお釣りが出ないよう、財布が小銭でパンパンにならないように、上手に買い物が出来ます。とはいえ、まだまだこちらでの生活が浅く、外国人でもある私たちはそうぴったりと小銭を用意して上手に買い物することは出来ません。

認知症の初期症状を判断する材料のひとつに、その人の財布をチェックする、というものがあります。認知機能が低下すると細かい計算が億劫になり、もしくは出来なくなり、買い物の際にもとにかくお札を出して、あとはお店の人が計算してくれたお釣りを受け取るだけになります。その結果、財布の中は小銭でパンパンに膨れ上がり、認知症判断のひとつの目安にもなると言います。
そんな老人のようなパンパン財布を抱えて日々買い物をしていると、本当にこれは自分だけのことなのか? タイの人たちだって増え続ける小銭には困っているのではないか? と思い、スタッフに聞いてみました。ある日本人スタッフは「小銭は何か器に入れて貯めておきます。ある程度の量になったら銀行へ持って行って預金します」とのこと。成る程、しっかりさんです。

次にタイ人の経理スタッフに聞いてみました。すると「小銭はやはり溜まります。使わずに器に入れて貯めておきます」とのこと。同じ答えです。しかしその先が少し違いました。「そしてある程度貯まったらお店に持って行って寄付金箱に入れます」。たしかにこちらのスーパーマーケットやショッピングモール、お寺など人の集まるところには、たいてい大きな寄付金箱が設置されています。アクリル製で中が見えるかなり大きな四角い箱です。なるほどと思います。こちらでは一般の人々が僧侶にタンブン(寄進)することや、経済的に余裕のある人が、そうでない人々に対して寄付などの形で施しをすることはごく一般的です。ここは仏教の国。寄付などで恵まれない人々に施しを与えることは、自分自身の徳を積むことでもあり、それは大変誇らしく、また進んで行おうとする空気があります。

経理スタッフの彼女は続けてこう言いました。「世の中には回って行くお金と、回らないお金があります。サタン硬貨などの小さなお金はお店からお店へ、人々の財布から財布へと回って行くお金とは違うのです。鋳造されてから一度、端数として誰かの手に渡り、それは世の中に出回らないでそのまま寄付金箱に入れられます。これらはそうしたお金なのです」。これははたして彼女独自の考え方なのか、それともタイの人々にとってはごく一般的な認識なのか。その辺はまだまだこちらに来て日の浅い私にはわかりません。ただひとつ言えることは、こうした事をさらっと言える彼女が、私たちの会社の経理スタッフでいてくれて良かったということです。(Jiro Ohashi)