先日、タイの漆のことに詳しい先生と会う機会があり、いろいろな話を伺った。その話を聞いているうちに、漆を使って仏像の修復をしているチェンマイの職人さんが、「仏像に漆を塗る刷毛には、女性の髪の毛が最も良い」と話していたことを思い出した。
日本でも漆を塗る刷毛に女性の髪の毛を使うことがあるそうで、香川県の漆の専門家が、「大陸の女性の髪の毛よりも、海藻を良く食べる日本の女性の髪の方が腰があって質がよい」と言っていたことなども思い出した。
長い髪と言えば、子供の頃に読んだ、「髪長姫」の絵本を思い出す。小鳥がくわえて運んできた髪長姫の髪を見た帝が、これほどの美しい髪の女性はさぞ美しいに違いないとその長い髪の持ち主に恋をするというお話だ。
昔のラーンナーの女性も髪の毛を大切にしていて、腰まで届くほど伸ばしていたそうだが、仏像を作る時に刷毛が必要となった時、その髪を切って捧げることは、出家のできない女性にとって何よりも大きな徳が積めると信じられていたそうだ。ミャンマーから来たタイヤイ族の人も同じことを言っていた。
目の前で漆のお話をして下さっている先生にそんな話をしてみようかと、「女性の長い髪の毛を…」と切り出したとたん、「ええっ! 怖い」と後ずさるほど怖がられた。そのリアクションにこちらも驚き、それきり髪の話はできなかった。お化けの民話にも詳しいその先生は、「女性の髪ほど怖いものはない」と力説しておられた……。
髪の毛が特別なものという感覚は、アジアの女性に共通する価値観かもしれない。チェンマイの女子大生も、10年程前は9割くらいがサラサラのロングヘアだったと思う。今でも半数くらいはロングのような気がする。でも、私は素敵なショートカットの女性のことを本当のお洒落さんだと思っている。ものぐさの私は、いつも髪の毛はだらだらと伸ばしてしまいがちだからだ。昔の人がみたら女性に生まれて来たのにと叱られるかもしれない。一度、それこそ腰に届くほど伸びてしまったことがあり、その時は脱毛した患者さんのためのカツラに利用できると聞き、癌センターに寄付をした。髪の毛の量が多いので、2人分になりそうだと喜ばれた。
暑い国では長い髪のお手入れは大変だ。みんなどうしているんだろう。
sallabのアメニティグッズの中には洗髪用の「クエン酸」が入っている。薬を包むように折りたたんだ紙のパッケージが粋である。使ってみたら、さっぱりとした洗い心地でなかなか良かったので、それをきっかけに、市販のシャンプーの代わりにリンゴ酢などで洗うようになった。たまにココナッツのクリームをつけるくらいのお手入れで、それなりに艶がでた。
それにしても、髪の量が多くて乾かすのが大変。しかも汗かきときていて、髪が長くなればなるほど手入れをするのが大変になってくる。加えて伸びるのが早く、放っておくとすぐに「長たらしく」なってしまう。
「髪を切ろう!」
そう思い立ったら、すぐに家の中で一番良く切れる鋏を取り出して、ひとつに結わえた髪の根元からじょきっと切り落とす!
……はずだったのに、まるで髪の毛が鋏を拒むかのように、鋏の刃が押し戻される。ただ単に髪の量が多いからなのだが、何か髪の毛の意志のように思え、いやそんなものに負けるものかと、何回かに分やっと切ることができた。
切り終えた後は、頭が軽くなって、すっきり、さっぱり。みっともない散切り頭にならないように、適当に揃えて完成。さて後片付けをして、と、ゴミ箱いっぱいの長い髪の毛の束が目に入ったとたん、どきっとした。黒光りする柔らかい塊は、触ってみるとまだ生温かく、私から切り離されて別の意志を持ったかのような奇妙な存在感がある。何か目に見えないものを宿しているかのようで、不気味ともいえる。例の漆の先生が見たら、卒倒するかもしれない。これからは迂闊に髪を伸ばして、うっかり情念など宿させてしまわないないようにしなければ……と反省した。
*写真上:お隣ラオスの首都ビエンチャンにて
中:チェンマイのメーチェム郡にて
下:sallabの提供する「ほしはなヴィレッジ用アメニティセット」より
現地無料情報誌「ちゃ~お」編集、ライター。
徳島県出身。京都精華大学人文学部卒業。
在学時代から写真を撮り始め、タイフィールドワークでタイの田舎の暮らしに興味を持つ。
1999年からチェンマイに在住。北タイの様々な風習を中心に、北タイの魅力を写真と文で伝える。