2015年6月29日月曜日

イミグレと90日 alien must notify the immigration office every 90 days

6月もあと少しで終わろうとしています。6月が終わるということは、今年ももう半年が過ぎようとしているということです。
パスポートの記録を見ると、私がこちらに来てはじめてタイの在留資格ビザを取得したのが2012年の12月とあります。それまで何度も日本と往復してはいましたが、実際に生活の拠点を移してからというと、ちょうど2年と半年が経ったことになります。長いような短いような不思議な時間でしたが、極めて密度の濃いあっと言う間の2年半でもありました。
「拠点を移した」とはいえ、東京には今も古いマンションに家具や身の回り品を残してあり、仕事の打ち合わせはもちろん、チェンマイでは入手できない資料や機材の調達、実家のあれこれなどで行ったり来たりの生活です。飛行機で往復する際には大量の荷物(その多くが図録や写真集などグラフィック書籍、資料や機材であったりするため極めて重いです)をいくつかのスーツケースに分けてえっちらおっちら運びます。

ある時、BOSEの101スピーカー(小さなスピーカーです)を8発と本数分のマイクスタンド、ラックケースに入れたアンプとチャンデバに大量のケーブル類を詰めて税関を通ろうとしたところ、さすがに止められ「これはなんだ? なにに使うのか? そしておまえの仕事はなんだ?」と聞かれ、「これは趣味だ! 私の趣味だ! すべて家で使う。フォー・マイ・パーソナルユース!」と抗弁したところ。運が良かったのか面倒くさかったのか。私の顔をしばらくじっと見たかと思うと、手のひらをくいくいと動かして「もういい。行け」と無事通過することができました。
とはいえご禁制の品を持ち込んでいるわけでもなく、ものはすべて使用感のある私物で特に関税が必要な物品や数量でもありません。単に荷物として目立ったという以外は問題はありません(厳密に詳細を調べればもしかしたら申告の必要のある場合もあるでしょうが、その辺はケースバイケースです)。

そんなこんなでタイと日本を行き来した2年半ですが、ビザを取得してタイで暮らす外国人は、入国日から起算して90日毎に入国管理局(イミグレーション・オフィス)に出向き、パスポート持参のうえその居所を明らかにし、届出を行う必要があります。ミャンマー、ラオス、カンボジア等周辺国からの移民も多いタイでは、オーバーステイを監視しこれを未然に防ぐには有効な措置なのでしょうが、こちらで暮らす外国人にとっては結構な負担です。
チェンマイの入国管理局(以下:イミグレ)は空港近くにある平屋の小さな建物で、駐車場の数が絶対的に足りない仮設感全開の施設。役所というより草臥れた場末のファミレスか、寂れた地方駅の待合所という感じです。ここへロングステイヤーも多い観光都市チェンマイの外国人たちが、90日ローテーションで日替わりに訪れるわけですから毎日相当の混雑です。この混雑は施設のキャパシティにも起因する慢性的なもので、90日報告にはたいてい半日は費やさねばなりません。運が悪いと一日仕事です。イミグレは当然お役所ですから平日しか開いていません。

ですが私は幸運なことに、これまでイミグレの90日報告を一度も行うことなく過ごしてきました。仕事柄90日を待たずに出国(海外出張)しなければならないため、その都度在留日数がリセットされ、90日報告の必要がなかったということです。「頻繁な海外出張」などというと豪勢ですが、要は貧乏暇なしです。我々のような小さな会社はすべて自分たちでやらねばならない事が多く、さまざまな雑用から打ち合わせなど、気がつけば席の暖まる暇もなく海外出張せざるを得なかったということです。

そんな私が、先日はじめて90日報告を行いました。行ってみると豈図らんや。日頃の行いでしょうか。驚くほどすんなりと終了しました。
事前にネットから申請用紙(TM.47)をダウンロードし、青ボールペンで必要事項を記入し、何度も90日報告をこなしている会社のディレクターに確認してもらい、パスポートの写真ページ、ビザ記載ページ、最終入国スタンプページの3点をコピーしそれらにサイン。準備万端整えて午後3時ころ、イミグレに到着すると運良く一台分だけ駐車場が空いておりそこへ車を停めて受付へ。用件と告げると番号カードを渡されその数字が291番。電光掲示板に示された数字は289番。待ち人数わずか2人。5分もかからず番号が呼ばれ予め用意した書類を提出、ざっとチェックされ不備がないことを確認するとポンポンポンとスタンプが押され、サラサラっとサインされ、書類をプリントアウトし、それを折りたたんで私のパスポートにホチキスでパチンと留めて手渡された。所要時間は15分も掛からなかったと思います。同行したディレクター女史も「こんなに早いのは初めて」とのこと。

私の強運を自慢したいのではありません。準備万端の計画性を誇示したいのでもありません。私がチェンマイに来てはじめて90日以上この地に居るということが感慨深いのです。なぜに今回90日以上この地に留まっていたかといえば、兎にも角にも私たちのブランド「sal laboratories」のデビューのためです。
このブランドはとても多くの皆さんのご協力があって初めて実現しました。web制作からサーバの確保、ロゴデザインから知財関連まで、もろもろをサポートいただいた東京の多くのパートナーのみなさん。ブランドの要、ネットストアをチェンマイにて構築してくれたWeb&マーケティングチームのみなさん。翻訳チームのみなさん。バンコクにて決済システムをサポートしてくれたみなさん。そしてチェンマイの私たちの素晴らしいスタッフたちに感謝します。彼女たちは私たちの誇りです。sal laboratoriesのオンラインストアがオープンいたしました。https://www.sallab.jp/
なんだか欧米人の書く本の「あとがき」みたいになりました。(Jiro Ohashi)

2015年6月22日月曜日

大切に包まれた贈りもの a full-hearted present

チェンマイに暮らし始めた知人が「チェンマイにはあちらこちらに防災用品のセットが売っているのね、早速ひとつ買ったわ」と言うので、一体何のことかと思ったけれど、話しを聞いてみると、それは僧侶に寄進するサンカターンのことであった。確かに、バケツなどの容器に洗剤や懐中電灯、保存が利く食べ物など、非常時に役立ちそうなものばかりが入っていて防災用品セットのようにも見える。
サンカターンとは、バーリ語起源のタイ語でお布施という意味である。国民の95パーセントが仏教徒のタイ国では、仏教関連の日や冠婚葬祭の折以外にも、自分の誕生日や思い立った時にいつでも寺院へ行き、僧侶に寄進するという風習が、今なお日常生活の重要な一部となっている。街中や市場の一角や、スーパーの中にも、仏教関連のものを扱う店やコーナーがあり、お布施グッズのサンカターンはそういう場所に必ずあるものだ。

私はタイでいう仏教徒ではないけれど、タイでの暮らしはタイの仏教の教えのひとつのように、自然と日本でのそれよりシンプルなものとなっている。贅沢なもの、余計なものがあまりない、シンプルな暮らしはとても気に入っている。日本人である私が、日本の古きよき慣習であるお中元やお歳暮をほとんどしないことまでも、“シンプルな暮らし”と呼んでよいのかは疑問が残るが、そのような慣習に遵守していない分、贈りものは差し上げたい方にお渡ししたいタイミングで、喜んでいただけるようなものを贈るように心がけている。

お世話になった方へのお礼、大切な友人へのプレゼント、お祝いしていただいたお返し。贈りもののマナーもたくさんあり、本当は改めてもう少し勉強した方がよいのだろうけれど、贈りものをするときに何よりも大切なことは、相手が喜んでもらえるものを贈ることであろうと思う。sal laboratories の石鹸やクリーム、そしてガスールは自分が使ってみて感激するくらい使い心地がよく素晴らしいので、贈る相手にも喜んでもらえるだろうと確信して、これまでに何度か利用させていただいた。

先日は、ロンドンを拠点にダンサーをしている大学時代の友人への贈りもの。上質でシンプルな肌ケアができるsal laboratoriesのギフトセットは、ショーで世界中を飛び回る忙しい彼にもきっと喜んでもらえるだろうと期待して。sal laboratoriesのスタッフの方たちが心をこめて作ってくださったセットの内容は、石鹸、クリーム、そしてガスール。それらを竹かごに入れて、前述のサンカターンの伝統的な包み、お布施を僧侶に寄進するときの包み方で包装してくださった。熱心な仏教徒であるタイ人スタッフの方たちが考えてくださったこの包装の仕様は、見た目が美しいだけでなく、贈りものの中身にさらに気持ちが込められるようで私もすっかり魅了されている。

トロント公演から戻った友人は、ロンドンの自宅に届いていた小包を広げて、「説明をお願い!」と連絡してきた。あれ? 説明書を入れてもらったはずだけど・・・・と思いながら、sal laboratoriesの石鹸のユニークなミツロウコーティングのこと、ミツロウはその後キャンドルとして使えること、素材のこと、クリームの万能性、肌へのやさしさ、ガスールの使い方、肌が喜ぶような気持ちがいい使用感、それから、この贈りものセットが包まれた布のこと、その包み方のこと。お互いの近況報告も忘れて、すっかりsal laboratoriesの話しで盛り上がった。
良質で使い心地が素晴らしいsal laboratoriesの商品をはるばるロンドンの友人へ贈ることができて満足だったが、そのひとつひとつのストーリーやタイ特有のサンカターンの包みのことまで話しができて、その時間を含めて、すべてが贈りものとなった。 また特別な贈りものに、sal laboratoriesの商品をぜひ利用させていただきたい。贈る側の私も幸せな気持ちで満たされるから。
註:ギフトセットは開発中のサンプル商品です。多くの皆様にご提供できるよう、年内の製品化を目指しております(sal laboratories)


なおえ スワンナチャン(Naoe Suwannachan

沖縄県出身。津田塾大学国際関係学科卒業、在学中に英国エジンバラ大学へ留学。
2002年、服飾関係の仕事でタイ・チェンマイへ初めて来る。
仕事の契約期間の1年の駐在のつもりが、タイ人の夫と結婚して今年でチェンマイ滞在も13年目。
夫の旅行業務・撮影コーディネートの手伝いをしながら、服飾の仕事も続けている。

2015年6月15日月曜日

旧シープラカートホテル former sriprakad hotel

タイの田舎や市場でみかける「バナナの葉で食べ物を包む」その形を、チェンマイの手漉き紙を使って「ガスール」のパッケージに活かしたsal laboratories。昔から伝わるものに価値を見出し、新しいものを生み出す、チェンマイらしいものづくりだといえるだろう。

今回は、日々、目まぐるしい速さで変わっていくチェンマイで、古い建物の良さを活かしながら新しい空間を創り出している素敵な場所をご紹介したい。

旧シープラカートホテル。その建物はピン川沿いのチェンマイーランプーン通りに面した場所にある。今年築110年になるチーク材と煉瓦造りの2階建ての古い屋敷で、一階の元客室を利用して、ホテルの歴史についての展示や手作り雑貨&食材のショップ、そしてレストラン&カフェなど、多目的に利用されている。

どんな様子か少しご案内しよう。まず、入って左側、3部屋の壁を取り払った、明るくて解放感のあるスペースがレストラン&カフェになっている。中央に置かれた大きなテーブルでは、食事に来た人が時に相席になったりして交流が生まれることもある。インテリアはいたってシンプル。年季の入った壁には昔のチェンマイを切り取ったモノクロームの写真が飾られ、天井から下がった小さなシャンデリアが温かい光を放っている。チェンマイではないような、そして今ではないような、どこか懐かしい時間が流れている。

2階へ続く階段を挟んだ向かい側、入口に近い2部屋では、それぞれに建物の歴史とホテルにゆかりの深い人物について説明した展示が行われている。この展示に関してはチェンマイの美術館が協力してくれたそうだ。そして 奥の1部屋は、手作り豆腐や雑貨を売るショップになっている。ここでインドスパイスカレーや豆腐のケーキを注文して、レストランで食べることもできる。各部屋ごとに、木の壁を白く塗ったり、布を貼ったり、もとの部屋の雰囲気を上手く活かした、シンプルでお洒落な空間が作られている。
この建物のあるピン川沿いのエリアには、100年ほど前に建てられたイギリス木材会社の事務所や商館など、コロニアル調の木造建築物が今もあちこちに残っているが、そのほとんどがブティックや高級ホテルとして利用されていて、一般の人が気軽に出入りできる場所にはなっていない。旧シープラカートホテルの持ち主であるギンゲーオさんは、「この場所を好きな人達が、いつでも自由に集える場所にしたい」と、広く一般に開放することにしたのだという。例えば、レストランのスペースは、人と会ったり、打ち合わせをしたりするのに自由に使ってほしいと語る。

元々この建物は、チェンマイ人で初めてアメリカに渡ったシーモーという人のお屋敷で、その後、病院や学校などいろいろな目的で利用された歴史がある。その後、チェンマイの人なら誰でも知っている有名なホテルとなったが、閉鎖されてからは長い間放置され、次第に忘れ去られていった。

実は、私にも特別な想い出がある。4年前にこの建物を壊すという話があった時、その前にもう一度建物を活かしたいという仲間と一緒にチェンマイの古い写真を集めた写真展を開催したのだ。写真展が終わると、取り壊しの話はいったんなくなったものの、また数年間放置されたままになっていた。それが去年頃から、ギンゲーオさんをはじめ、地元の人たちによって建物の魅力や歴史が再び見直され、とても素敵な場所として生まれ変わったのだ。

先日訪れた時も、ホテルの片隅でチェンマイ大学の建築学科の学生が建物の調査をしていた。建物は老朽化が激しく、屋根には大きな穴が開いていて、雨が降ると1階まで水が流れ込むという。専門家の調査によって建物の安全性は確認されているものの、修復はこれからの大きな課題となっている。費用的にも技術的にも簡単な話ではないが、チェンマイの歴史的建築物の調査・保護の活動をしている若手建築家グループなどが協力して、この建物の保存と活用方法を一緒に考えている。ギンゲーオさんはイベントやレストランからの収益を貯めて、まずはホテルを支える柱を1本づつ直していきたいという。

つい最近は、ネパールで起きた大震災のチャリティーコンサートが開催されたばかり。その時は、手作り雑貨や食べ物を販売する店などが集合し、多くの人が訪れた。
価値がないと思われている建物の魅力を見直して、もう一度新しく甦らせる。旧シープラカートホテルの再生は、最近のチェンマイらしい現象なのだと思う。


古川節子(Setsuko Furukawa

現地無料情報誌「ちゃ~お」編集、ライター。
徳島県出身。京都精華大学人文学部卒業。
在学時代から写真を撮り始め、タイフィールドワークでタイの田舎の暮らしに興味を持つ。
1999年からチェンマイに在住。北タイの様々な風習を中心に、北タイの魅力を写真と文で伝える。

2015年6月8日月曜日

"夜討ち朝駆け"と"心地よさの源泉" It feels so good

テレビ局の記者時代、わたしのテーマの一つは「1分1秒でも早く寝る!」ということでした。”夜討ち朝駆け”が取材の基本。深夜に帰宅するとカラスの行水のごとくシャワーを浴び、化粧水を叩き込み、使い捨てコンタクトレンズを打ち捨てて、ベッドに倒れ込むようにして寝る!これが出来ればまだ良い方で、コートを着たまま床に転がって寝ていた日もありました。。当然、バスタイムを楽しむ余裕もスキンケアに時間をかけるゆとりも、、無い。

ズボラな性格は今も変わらないけれど、チェンマイに移住し、緑豊かな自然環境の中で暮らすうちに、少しずつ変化したこともあります。下水はそのまま土に還るのでまずは化学洗剤をやめる。油汚れは落ちにくいけれど、時間をかけて丁寧に洗えばいい。1日使い捨てタイプのコンタクトレンズもやめる。コンタクトを洗えば、1年に730枚ものコンタクトを捨てずに済むから。sal laboratories のガスールは1歳の息子と遊びながら時間をかけて溶かす。自然にも肌にも優しいものを使いたいから。

東京での仕事は楽しかったけれど、ありとあらゆる手間を省いた生活は、どこか寂しくて、味気なくて、他者や自然への優しさに欠けるものでした。ほんの少しの「手間ひま」を惜しまなければ、自然と調和して生きることが出来るー。そのことに、最近ようやく気付き始めた気がしています。

つい先日、sal laboratoriesの工房にお邪魔しました。外の光がたっぷりと入る白を基調とした美しい工房。働く女性たちの真剣なまなざしと凛としたたたずまい。ただそこにいるだけで、心が洗われるような、清廉とした空気感が本当に心地の良い場所でした。

案内をしてくれたディレクターの花岡さんは「ここで働いているスタッフはモノの性質を読み取るのがうまいんです」と話してくれました。
ガスールから不純物を取り除く作業はお米からゴミを取り除く作業に似ている。
胡麻から油を搾ることを知っているのでオリーブオイルやアルガンオイルの扱いもよく分かる。
紙袋に穴が空いていれば水をつけ繊維をこすって穴を塞ぐ。
ギフトセットの石けんは僧侶に贈り物を寄進する包み方で包装する

自然と寄り添って生きている彼女たちだからこそ熟知している「生活の知恵」とプロとしての「仕事」が一体となったものづくりー。その確かな仕事は、タイの歴史や生活様式に敬意を払い、彼女たちの能力を最大限に汲み上げようとする日本人スタッフたちの気配りと想いによって支えられていて、素晴らしい連帯感を生み出していました。

また「手間ひまを惜しまず、丁寧につくりあげる」という基本的な姿勢はあらゆる作業に反映されていて、廃棄物がほとんど出ないということにも驚かされました。ロット番号のスタンプに間違いがあればインクを抜いて修正し、石けんの削りかすは洗剤として使うー。その徹底した姿勢が商品の品質を支えているのです。sal laboratoriesが提案する「美しさ」にはブレがなく、細かな作業の1つ1つにもその「美しさ」が息づいているように感じました。

これまで化粧品や美容には疎かったわたしですが、いまはsal laboratoriesの商品の使い心地の良さに、すっかり虜になっています。「化粧品」という括りを超えて、生活に取り入れることで、文化に触れ、健康を意識し、他者や自然との調和を学ぶ上質なモノ。今回の工房訪問を通じて、その「調和」こそが、sal laboratoriesの商品の「心地よさの源泉」なのだということに気付くことが出来ました。

1歳の息子と安心して一緒に使うことが出来るのも嬉しいですし、彼がもう少し大きくなれば、伝えたい「ストーリー」もあると、今からワクワクしています。

谷岡 碧(Midori Tanioka)
84年、北海道札幌市生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業。大学2年時にタイ・チェンマイにあるHIVに母子感染した子ども達が暮らす「バーンロムサイ」でボランティアを経験。以来「バーンロムサイ」の映像制作に携わるようになる。07年、テレビ東京に入社。報道局に配属され、記者・ディレクターとして5年4ヶ月勤める。在職中は社会部担当の記者として、秋葉原連続殺傷事件、小沢一郎議員の陸山会を巡る事件等を取材。東日本大震災の発生時には、翌日から現地入りし、南三陸町・気仙沼等で取材活動を行った。12年、テレビ東京を退社し、タイ・チェンマイへ移住。バーンロムサイにてボランティアスタッフを務める。15年、バーンロムサイを退職し、夫・谷岡功一とともにtetol asia Co., Ltd.を設立。

2015年6月1日月曜日

鳳凰木の咲く庭で mutual aid


夕方に雷雲が出て、スコールが降る季節になったチェンマイ。
雨が長引くと、朝晩は涼しくなりますが、まだまだ日中の気温は暑く、この時期は観光客も多くありません。


今日は月に一度の「お弁当の日」、代表が、スタッフ全員へお弁当をご馳走します。
人数が少ない時はそれぞれの希望を聞いて注文していたそうですが、50名ほどになった現在、ひとつのメニューで統一し、みんなで、おなじものを同じ時間にいただきます。
今日のメニューは「カオマンガイ」ふわふわの蒸しどりと、鳥の旨味を吸収した炊き込みご飯は日本人スタッフにも食べやすく、夏バテしそうな暑い日でもペロリと食べられます。



この場所で働いていて驚いたことの一つに、離職率の低さがあります。
辞めていくスタッフは、数年にたった一人、タイでは珍しい数字です。
日本人商工会議所のレポート資料では、「タイ人は転職を繰り返しながら、自分に箔をつけていく、ボーナスのあとに辞めることを前提に企業側は準備したほうがよい」と記載があるほどですが、ここのスタッフは、皆、気持ちよさそうに、仲良く、それぞれを思いやって働いています。


驚いた制度の一つに、育児休暇があります。
通常、育児休暇というと母親がとるイメージだったのですが、この職場では、祖母、おばあちゃんも育児休暇を取得できます。確かに市内のデパートなどを歩いていると、赤ん坊と、母親、父親、おばあちゃんも一緒という光景をよく目にしますが、企業の制度として事例を聞くのは初めてでした。

先日のネパール地震の際は、誰からとなく当たり前のようにダンボールのお手製募金箱が設置され、少しでも被災した方のためになればとみんなで募金したそうです。



あるスタッフの方は、ボーナスの全額をチェンマイのNGOに寄付したとのこと。
チェンマイに来るきっかけになったNGOに恩返しをしたかったそうですが、あまり時間がなく、現地に行くことも多くなかったので、出来ることで協力したかったそうです。
決して少なくない金額だったそうですが、家族も快諾だったとのこと、金額にかかわらず、ボーナスは以前から寄付することに決めていたそうです。


だれかが、困っている人や支援を必要とする人のために、できることを少しでも行動することは、決して簡単なことではないと思います。お互いを思いやり、助けあうことのできる職場から相互扶助の大切さを学びました。(Koichi Tanioka)