2013年7月27日土曜日

緑に埋もれるように  Gone to Earth

以前、モロッコのカスバ街道沿いのオアシスで仕事をしていた頃のことです。毎年そこへ通う度に古い建物が溶けるように土に帰って行く様子を目の当たりにしていました。
というのは、かの地の家は土の家だったからです。
土の家の在り方には人の暮らしの原型、人と自然との関わりとはどんなものかを多く考えさせられ、それがモロッコでの私の仕事の推進力になっていたようにも思います。

土の家は資材はごく単純で、土と植物だけ。天井や建物の角などには木の柱や葦を入れ、地元の粘り気のある土に藁を刻んで水で練り、枠に入れてから天日干しした日干しレンガを積み上げて壁を作り、外側は漆喰や泥で化粧し、ベルベル風の文様などを型押しして仕上げます。それは小さな家もどんな大きな邸宅でも同じです。

そんな風に土と植物だけで作られているので、小さな城塞と呼びたくなるような2~100年程前の大きな建物(実際は何世代もの家族が暮らし、折々に建て増ししたり修理をして生き物のように育ててきたといっても良い)でさえも、長年の風雨に少しずつ溶け、荒れ野や畑の中で土へと還って行くのを、この辺りを歩いていると見かけたものでした。
そうした建物の中でお気に入りの場所を見つけた私は、明け方や夕方、そこにそっと忍びこみ、かつての中庭や祈りの部屋で、慌ただしい仕事からのがれて、少しだけ一人で空を眺めたり、頭の中でかつての家の様子が次第に風化して行く様子を早回しにしてみたりする時間を楽しんでいたのです。
そこも、このところの年を追う毎に異常になる天候に溶ける速度が早まっていて、私がかの地を訪れた最後の都市には倒壊寸前となり、持ち主によって立ち入り禁止になってしまいました。きっともう今ではあらかた土に還って微かに痕跡が残るだけでしょう。

人間は生命体である以上自然の一部の筈ですが、奇妙な事に家や村、道路など人工的な空間をシェルターのように造り出し、そこで生きるという矛盾した存在です。それでもかの地では、人がその場を去れば跡形もなくその人工的な空間は消え、土へ自然へと還って行くのです。
当時、毎日のように沢山の薔薇を蒸留釜で熱処理し、命を奪うようにもの作りをし(とはいえ、その薔薇も羊の餌になり羊は肉や肥料を生産していたので、決して無駄ではなかったのですが)、まるで薔薇の死神のように自分を思っていた私はには、この大地に溶けて行く家はえも言われぬ許しを覚える場所であり、土の家という仕組みを作ったベルベル族の、シンプルで謙虚な、美しい生き方を尊敬し、憧れにも近い思いさえ抱くきっかけになりました。

実際、この土の家は見た目の美しさや終わり際ばかりでなく、生活の場としても非常に優れています。
長く人が暮らして来た土の家は、長年の壁の塗り直しなどで壁の厚さは60センチ以上あり、おかげで断熱防音に優れ、静かなうえに冬は暖かく夏は涼しく、湿度も一定に保たれます。
また、粘土には匂いを吸着する働きがあるので空気は清浄に保たれるのですが、おかげで大抵のベルベル族の家には屋敷の一部に牛や羊を飼う部屋があるにもかかわらず、獣達の悪臭が一切しません。
もし欠点を上げるならば、雨には弱くこまめな修理が必要な事でしょうが、そもそも原料は土と藁なので、無尽蔵にあるし、再利用も可能。村の職人は定期的に仕事を得られます。なのでこれは欠点ではなく環境的にも経済的な美点かもしれません。
そんな目には美しく自然の摂理にも適い、地域との結びつきの要にもなる家やそこでの人々の暮らしぶりに私はすっかり惚れ込み、滞在が長くなり村の人たちとも親しくなった頃には、もしできるならばここに小さな土の家を建て、彼等と一緒に畑をしながら暮らしてみたい、羊や薔薇や麦、イチジクや葡萄に囲まれて、まるでコーランか聖書の雅歌の世界のように、と思うようになっていた程でした。

しかし。
モロッコはヨーロッパにも近いため、ツーリズムに携わる人や出稼ぎも多い国でもあります。そのためヨーロッパ的な生活に憧れる人が多いのも事実。こうした仕事で一財産をつくり、コンクリートで溶けない家を建てるのがステイタスになっている一面もあります。
確かにコンクリートは溶けませんが、夏は暑く、冬は底冷えがするのは身体に悪いものです。そして、土ならば少し歪みのある四角いキューブ状の家の形もどこかまろやかで美味しそうにさえ思えるのに、素材が変わると歪みは単なる不格好となり、内装の派手に塗られたペンキの壁や、造花のデコレーションもどこか雑で寒々しさが漂うものになります。溶けない、傷つかない、ということで建てた瞬間から住む人の心と建物の間に距離ができてしまうのでしょうか。
 ある大きな家にお邪魔した時、私は期待していた土の部屋ではなく、真新しいコンクリートの部屋に案内されました。そこは家族がよかれと思ってコンクリートで増築した部屋で、足を痛めた家長のおじいさんの居室でもあったのですが、当のおじいさんは「儂は前の土の部屋の方があったかくて落ち着くし、冷えないから、足も痛まなくていいのだがねぇ。。」と二人きりになった時に、そっと私にこぼしたのでした。
いずれにせよ、このコンクリートの家はおじいさんを悩ませるように住人を差し置くばかりでなく、強い陽射しの荒々しい気候の国ではみるみる痛々しいガレキになり土に還る事はないですし、外見と管理の手抜き以外に、果たしてどのような効用があるのでしょうか?観光という面から見ても、土の家を「真似た」コンクリートの家を見に来る旅行者はそう多くないとも思えます。

振り返って、いま私達が仕事をし、暮らしているタイのチェンマイはどうでしょう。
やはりこちらも、出来合いの建材を使った洋風の建て売り住宅が花盛りです。トラックで運ばれる合板やプラスティックの建材を見ていると、見た目こそ洒落ているけれど、モロッコにもまして強い陽射しと雨に見舞われるこの国で、このおもちゃのような家が10年耐えられるのか?と、不安になります。
雨季ともなればこの国では、豊かな水と優しい温気に植物達は、目にもその早さが見えそうな勢いで枝葉を伸ばし、少し気を抜けば人も道も埋もれてしまいそうになります。
実際、築数十余年の我が家は、傍らに立つ熱帯マグノリアやガジュマルの木の根に排水管や土台を突き破られてしまいました。また、かつての通貨危機やリーマンショックの影響で、開発途中で資金が尽きて放棄された建て売り住宅の造成地も、いつの間にか蔓草が絡み付き豆科の樹々が育ち、沼地や野原に戻りかけています。まるでどんなに建造物を作っても、みるみる植物達の波に押しつぶされ、呑み込まれてしまうようです。

そこに、ある風景が重なります。
少し前、日本のとある地方都市へ行ったときに見かけた植物に侵食され崩れかけた廃工場です。
どこかタルコフスキーの「ストーカー」を思い出させる風景に誘われ、中を覗くとそこは緑の氾濫。
若木が天井を突き破り、ツタが窓枠を歪めて室内まで入り込み、苔達はコンクリートさえも腐らせ、また、何か劇薬が入っていたとおぼしい腐食しかけの鉄のタンクの中は、木賊に似た水生植物が生い茂る不思議な中庭と化していました。

モロッコ、タイ、日本、これら緑に埋もれて行く痛々しい人工物の滅びの光景の重なりを思い出すなかでふと。
人が滅んでしまったって、植物はこんな風に何ごとも無かったかのように生い茂っていくのかもしれない。もうそれでいいのかもしれない。
そういえば、スリーマイル原発の人には致死量の放射線量の壊れたプラントの水中には、バクテリアやプランクトンが繁殖していたという話があったではないだろうか?
また、福島の原発の冷水システムが鼠のせいで止まった事故があったけれど、それは「鼠ごとき」ではなく、そもそも「鼠にさえ」私たち人間は抗えないのが真実ではないか?
本来私達は自然の一部であり、生命であり、知恵以外は力を持たない丸裸の猿なのだから、旺盛な野生の生命力をどうして抑える事などできるだろうか。
むしろ、自然に負けるように、雨に溶けように、緑に覆われ侵食されるに、そのような生き方や方法はないものか?あたかもあの懐かしい、生一本の土の家が末には溶けて土に還るように。
そしてもっと、人は植物達や他の小さな生命達にこの世界を返してしまってもいいのではないか?
そんな、虚無的な、滅びの誘惑が私の中にこみ上げて来ます。

「ねえ、今日は庭で空芯菜摘んで帰ろうか?」
「うーん、毛虫が怖いから、私はどうしようかなぁ」
「今年は変だねえ、あんなにラムヤイに虫がでてさ」
「他所で消毒してもさ、ウチの会社はそういう事をしないでしょ?だから安心だって、蝶も逃げてくるんだよ」
「だから、あたしらが食べる空芯菜も美味しくて安心なんだけれどね」
「ジャックさんがサナギを見たっていうから、毛虫も後少しでいなくなるわよ」
「じゃあ、こんどは、チョウチョの乱舞ね。キレイでしょうね!あとちょっとの辛抱よ」

一人机でどんよりと妄想の渦中の私の耳に、お昼が近くなって少しひもじいスタッフ達の声。
おしゃべりしても、良く働く手も目配りも止まらないのは全く見事なもの。
そんな彼女達の日々の楽しみの会話に、乱暴で幼稚な滅びの誘惑は少しだけ遠のきます。

そういえば、ノイちゃんは良くこの形はなんと不思議で美しいことかと、木の実や草の葉を愛おしそうにほお擦りしていたっけ。。ジャックさんは、今年庭に大発生している毛虫に怖いけれど、あと少しで蝶になるのだから。薬は可哀想だし、誰にも危険だから嫌だもの。。と困ったように笑い、スタッフの皆はだれもそれに反対しなかったな。。バーンさんは古い家の木材を再利用して素敵な木造の家や家具を作るし、ガスより火で焚いた餅米の方が美味しいから・・と、それらの端材を大切そうに庭に集めるのだった。。あの子がラムヤイや花の木に絡み付いたカラスウリのツルをそっとそのままにしているのは、若葉が美味しいスープになるからだし、メオさんは、まだまだタイの植物の事を知らない私に、あれはお祭りに、これは薬に。。。と教えてくれるよね。。
私の傍にいる人たち、それぞれの様子を丁寧に見れば、まさに緑の横溢の隙間にそっと間借りし、それらを愛おしみ惜しんで暮らしている人たちが、まだまだ大勢居ることが思い出されます。

優しい仕事仲間達の顔やありようを思いながら、それでも人が作るものの中に土に帰れないものがあまりに多い事への痛みは内側で続きます。

もしも人間の消える時がやって来たとしても、むしろ世界は全き自然を取り戻し、奪いすぎるものも無く、きっとそれぞれが力強く生き生きとしている気がします。
でも誰がそれを見て、愛したり讃えたりするでしょうか?
それとも、もとからそんな事、不要なのでしょうか?
もし、自然の一部でありながらその外の存在ともなり、今や鬼子のようでもある私たち人間にできる事がまだあるとしたら、本来の自分達の出自である自然を讃え、そこから糧も居場所も得ている事に畏れ、感謝し、それを振る舞いや言葉とすることに尽きるのではないか?

その上で、ここにある以上はどう生きようか?と私は思い、願います。
多くを自然から得て、そこから生活に必要なある形、物を作り出して生業としている私達ですが、願わくば、作る過程でも使う過程でも、それが末には土に還り、緑に覆われるものでありますように。
また、この日々の営為が足りる以上を望むことはなく、なぜなら、そこで培われる生を受けるとは、この地上での一瞬の間借りであり、この身が去ったその場所には、そしてもうその時には名前も形も失って私ではなくなった私の上にも、変わらず緑の横溢があって欲しいから。

そのようなもの作り/生き方をしたい、のどかなスタッフ達の交わしあいやころころと丸いものが転がるような美しく甘いタイ語の響きを聞きながらそんな風に思うのでした。(Asae Hanaoka)