私たちは時折この街を訪れますが、それはアルガンクリームの器を作ってもらっているセラミック工場があるからです。
そもそも、香合や蓋椀が好きで自分で作るクリームやパウダーの器にしていたり、とある青空骨董市でみかけた陶器の器が魅力的だったりがきっかけでしたが、私たちが作っているアルガンクリームの器は、プラスティックでもガラスでもなく、今のご時世ではとても珍しい陶製です。
ちなみにランパーンはチキンボウルと呼ばれるタイの屋台で良く見かける鶏柄のどんぶり茶碗の産地として有名な、タイでも一番の窯業の街。チェンマイも青磁のセラドンで有名ですが、こんなに身近に焼き物の街があるとしたら、やはりこれは何か作りたくなってしまうというのもまた、ものづくりに携わる身としては当然、渡りに舟のことでした。
しかし実際に作って見ると、パッケージに限らず大量生産品の器の世界で、陶器が徐々に廃れてガラス、そしてプラスティックが台頭してきた理由が実によくわかる、剣呑な道のりにもなったのでした。
なぜ剣呑なのか? といえば、それは陶器の完成度とは「ギャンブル」だから。
窯業は火の強さ、陶土の性質、釉薬の発色など、どれだけ均一化を図ろうとしても、思うようにならない領域が極めて沢山あり、手工業的な要素が強い産業なのです。
あたかも映画などで、真面目一徹な職人や巨匠が「ちがう!これじゃない!」と、出来上がった器を叩き割るシーンに象徴されるように、同じ器を作っても、良く言えば、どれひとつとして同じではなく個性があります。悪く言えば、完璧に均一な製品ができない。つまりは再現性が無い、今の大量生産/消費の市場には合致するのがとても難しい世界なのです。
実際、IKEAなどのファッショナブルな量販店の器もこの地域で作られていますが、言われなければわからない程の歪みなどが理由で引き取られなかったものが地元の市場で売られていることもあります。また、チェンマイ特産のセラドンもその仲間である、青磁も本気でのめり込むと身代を潰すといわれる魔境が待ち構えているとか。
そこまでではないものの、私たちの器の品質管理にもさまざまな難しさが潜んでいて、まるで毎回新製品と対面しているかのような悩ましさがあり、工場から器の納品がある度にアルガンクリームチームは器の品質のスタンダードづくりに四苦八苦しています。
そんな四苦八苦をするくせに、この頓狂な事を止めないのはチェンマイの私たちの会社くらいであり、何よりそれに付き合ってくれる人たちが居るおかげです。
「苦しい事もあるけれど、それが自分も物もより良くなることだから」
「工夫するのは、面白いから」
セラミック工場の人たちに、そんな風に言ってもらえるのはなんとありがたく、素敵なことでしょう。
こんなことが可能なのは、それぞれの会社が互いの全体が見渡せる規模であり、おかげでそれぞれの顔が見えるコミュニケーションを深める事ができるから。
また、小さいが故にさまざまな冒険もし易いといった、経済や社会的な要素も大きいからでしょうか?
また、強硬なコンプライアンスではなく、それもありだね、面白いかもしれない、と多様性を受容してくれるやわらかな気風があるおかげでもありそうです。
まるで先祖帰りのような事をしているだけれど、こんな交わしあいや挑戦からきっと、今までとは違うものづくりの将来の姿が見えてくるに違いありません。
ミーティングの席で、少し厳しい相談を無事調整しきったのを見極めて、製造マネージャーのジャックさんが不良品率報告とその解決方法の説明を始めると、セラミック工場のいつもの面々は、お互いに気持がまた近づいた事が感じられる穏やかな表情で頼もしく頷きます。
写真の女性は、私たちの器の歪み検品(歪みがあると、樹脂の器がぴったり締まりません)と、口金の成形をしてくれる女性。ここに勤めて20年のベテラン。
彼女曰く「ここの上司はとても優しく私たちの事を気遣ってくれるし、私自身、この仕事にやりがいと誇りを感じています」とのこと。
タイではしばしば、社員の離職率の高さが問題になりますが、こんな会社もあるのです。彼女に限らず、この会社で会う顔は、気がつけば10年近く殆どが変わっていません。
幸い、我が社も仕事を辞める人は家の事情などでやむを得ずという人が数年に一度ある程度。私たちも、自分たちの会社のことを彼女のように話してくれるスタッフが現れるよう、より良い会社づくりをしていきたいものです。
ちなみに、この工場は、広大な体育館のような構造ですが、見渡す限り、働いているのは女性ばかり。
出会った男性と言えば、いつも優しげな笑みを浮かべている社長さんと出入りの管理をしているガードマン氏だけでした。(Asae Hanaoka)