2013年6月18日火曜日

おとこの行方 La città delle donne

「男いません。どうして? 男、どこ?」
数年前、北アフリカのイスラム教圏から来たお客様(男性)が、ピン川沿いの市場を通り過ぎた時に呟いた一言に、私は吹き出し、笑いを堪えるのに精一杯でハンドルを持つ手が危うくなったのでした。

それから数年を経て。
「昨日行った税務署というか、役所の中全体、スタッフは殆ど女性だったけれど、市場も女ばっかりだし、ウチも女だらけですね」
タイ国の自動車運転免許がないため、助手席に座った新しいディレクター(男性)氏が呟いた一言。
「そうですね。ここの女の人はみんな真面目で働き者だものね。そういえば女性は“子供ができたら、とにかく手に職つけろ、仕事を持て”って、こっちでは言うらしいですよ」

「本当に居ない。いったい此処の男はどこでどうしているんだろう?」
冷静な男性ディレクターはひとりごちながら、チェンマイにおける男女の社会進出の実態について、思考を巡らしているようです。
丁度その時、横を荷車にびっしり15人程の工事人が乗り込んだ、とても年季の入ったピックアップトラックが通り過ぎました。後部タイヤは体重のおかげでひしゃげ気味で、今にもパンクしそう。見ている方がはらはらしてきます。
「あ、男! 働く男だ!」
男女の別なく、誰しも働くのなんて当然です。にも関わらず、私たちはつい声が揃ってしまいました。

ところで、私たちの会社の従業員は総勢33名ですが、そのうち男性は3名です。
庭師ながら、家具でも家でもなんでも作ってしまうバーンさん。ガスール製造担当で結構女性スタッフともうまくやっている、けれど頭の回転が早く即決型なので、つい時々一人で先走って行動してしまっては「皆で情報共有しなさいよっ!」と、古参のお姉さま方にお小言を喰らうダムさん。そして日本から来た新しいディレクター氏の3名だけです。
1人は日本人ですし、あとの2人も個性的すぎてあまりタイ人男性の典型とは言いがたい人たちです。
加えて私たちの会社のご近所での評判はこんな感じです。
「あそこはさ、経験を重ねた女性たち(おばさん)が大勢長く働いているだろ。手堅い(良い)会社だよ」

そういえば、私が住んでいる家のムーバン(路地、住宅地)のお隣さんたちも、女性たちは朝、お惣菜を満載にしたピックアップで市場へ売りに出かけて行きます。また、決まった時間にガレージから綺麗に磨かれた車でいかにも勤め人らしくスーツを着て出てきたりします。身なりや言動をみても、毎日規則正しく、堅実に働いている感じがあります。
ところが、その同じ家の男たちは……。たまたま会社を休んだ昼下がり、それとなく観察してみたことがあります。すると、テラスの長椅子で扇風機の微風に吹かれながら、だらんと猫と一緒に昼寝していたり、だるそうに庭の生け垣の手入れをしているのは良く見かけましたが、彼等の妻や娘たちのようにしゃきっとしたスーツ姿や、朝、大きな鍋やステンレスバットを担いでいる所などついぞ見た事がないのです。

本当に、タイの男は昼間どこにいるんでしょうか? いえ、もっとはっきり言いましょう。どこで働いているんでしょう?
たとえば、お寺は男性しか出家できませんし、警官は少なくともチェンマイでは女性を見た事がありません。職務的にも雰囲気的にも、古いバリバリの男社会という風です。とりあえず、お寺と警察は男だらけだと思います。
それから、我が社の誇る敏腕製造マネージャー、ジャックさんの心優しいご主人は建設会社のエンジニア、お父上はかなりの年齢だそうですが、農家として現役です。
ちなみに、それはかなり男運がいいかも。というのがもっぱらの噂です。
庭師バーンさんの息子さんは「早く、お父さんお母さんに楽をさせてあげたい」と、料理学校でシェフの修行中ですが、これも良くできた子だと評判の息子です。

北タイはもともと母系社会です。一家の跡継ぎは長男ではなく、末の娘がしていたとも言います。一つには昔はこのあたりは戦が度々あって、男たちは死んでしまう事も多く、それで家を守る女性が一家を支える中心となっていったという説もあるそうです。
かつては子沢山で、子供たちを全て育て上げるのにも時間がかかり、下の子を育てている間にも上の子たちは順次独立して家を去ってゆきます。子供を育て上げて最後まで家に残るのは一番下の末っ子であり、親の世話をする、つまり家督を継ぐのも自然と末の子、末娘となったという合理的な考えもあるようです。
また、北タイに限らずタイでは、食事は市場に食材もお惣菜も豊富で、買って食べる事や屋台での外食はごく日常的な事ですし、洗濯屋なども安価に沢山あって、そもそも女性の家事が社会的に分業化されており、女性が社会参加しやすい環境が整っているのは事実です。

とはいえ、それが働く男性を見かける機会が少ない理由にはなりません。
付け加えるならば、タイでは、身体は男性ながら心は女性という人たちも日常的な存在としてよく見かけます。有名なキャバレーショウなどはもちろん、田舎の市場の屋台、デパートの売り場、銀行、色々な場所に居ますが、とにかく彼女たちは働き者で気配りが細やかな、心根の優しい人がとても多いのです。
そして、そんな彼女たちの生き方のロールモデルは、自分を慈しみ育てるために苦労をしてくれた「お母さん」なのです。そこに、お父さんの影はありません。
また「トム・ボーイ」と呼ばれる、身体は女性ながら心は男性という人たちも良く見かけますが、彼等は少女マンガの美少年のように清潔で、きりっとハンサムで、きびきびとしていて、まるで心に思い浮かべた内なる理想の男性に、自らをできる限り近づけようとしている。そんな感じがします。

そんな事を、出勤の車中、頭の中でひとりごちていた私ですが、職場に着けば、今日は出荷日。
20フィートコンテナにフルで荷物を積み込むべくで忙しく働くジャックさんや、出荷準備の女王・メオさんたちの凛々しい様子や、ブンさんの税務署バトルの報告の公正さに胸が高鳴ってしまっているうちにいつしか、今朝、ぼよんとした手触りで湧き上がった「男性問題」は頭の中から雲散霧消していました。

出荷も無事終わって午後の5時。
我が社の終業時間です。終業15分前から、蟻の目をフル動員させて現場の掃除を始め、製造リーダーたちは清掃後、次の仕事の予定や今日の問題点などを打ち合わせ、定刻になると皆、バイクを駆って風のように家路につきます。
家に帰りついても両親や子供たちの世話など、彼女たちは眠るまでその手腕を発揮するのでしょう。

「あ、男がいっぱい!」
仕事が終わり、ちょっと空の色の美しさにも目がいく余裕ができた帰路、助手席でまたディレクター氏が声をあげました。
私が、うっとりとスタッフたちの素敵な働きぶりを思い返している脇で、どうやら、彼はその後もずっとチェンマイの男たちの行方に思いをこらしていたようです。
彼の指差す先には、成る程。
「消息不明の」チェンマイの男たちが、あたかも陳列棚に並ぶかのようにずらりといました。
ところで、指差すその手の小指が若干反り上がっていたのは、私の見間違いでしょうか?

彼のすらっと長くて綺麗な指の先。そこはピン河にかかる幅の狭い鉄の橋。姿もアンティークで美しく、左右に歩道があるのでそぞろ歩く人が多い橋です。
そこに確かに大勢の男たち。いずれもランニングかTシャツにショートパンツにビーチサンダル。
非常にリラックスしたなりで、手すりに寄りかかって河を覗き込んだり、楽しそうに話し合ったりしています。
中にはビールやレッド・ブルを手にしている人も居ます。今からレッド・ブルなんて飲んで、これから何をがんばろうというのでしょうか?
他にもまだまだ居ます。歩道に胡座で座って、将棋かなにかゲームをしている人、それを見物している人。スマートフォンでどうやらTV番組を見ている人。
服装こそ違えど、なんだか、五百羅漢かランナー時代の風俗画の遊ぶ男たちのような光景です。

更に目を凝らせば、居並ぶ彼等の間にはすらりと華奢な棒が地面から立ち上がり、エレガントな曲線を描き、その先端はどれも川面をひゅっと指しています。美しい曲線の正体は釣り竿。そう、彼等は釣りをしに橋に集まっているのです。
そういえば、ここっていつも夕方になると男の人たちが釣りをしに集まっているよね。と、私はふと思い出します。でも竿が上がったのもかつて見たことがありません。
きっと釣りは口実でしょう。魚がかかろうがかかるまいが関係無し。仕事が終わって帰ってきた娘や妻の目を逃れて、ここに集まり楽しく会話するのが目的だと思って間違いありません。

そこまで思い至ったとき、以前、北アフリカから来たお客様の言葉が蘇りました。
「チェンマイの男、いいです。釣りが男の仕事です」
この言葉、我が社のタイ人男性スタッフを思えば、この北アフリカから来た彼の言葉は私は断固否定したいと思います。でも……。

世の中の半分は男性でできている筈です。それにしてはやっぱりここで目にする、額に汗する男性の数はあまりに少ない気がします。工事現場だって、実は女性の比率が高くて、彼女らを見る度に、私の頭の中では「ヨイトマケの唄」が鳴り響いてしまうくらいです。
本当に、チェンマイの男の人は何処で何をしているのやら……。

「男はどこにいるんだろう?」
「橋の上に」
橋の脇の菩提樹の下では、コンクリートのおんぼろのテーブルに薬用酒の瓶を並べ、壊れかけたプラスティック椅子に座ってお酒を楽しんでいるおじさんたち。
「菩提樹の下にも」
「職場はもう女で満員だから」
「仕方ない」

雨季のスコールに洗われた清冽な金色の西日が射し、鳳凰樹の朱色の花弁が降る、おおらかに天国的な風景の中を車を走らせながら、私たちは呟いていました。
声が響くその向こうには、何故か輝く虹のアーチが見えています。


とりあえず、当面、私たちの会社は、明るくて働き者の肝っ玉母さんや凛々しい乙女たちが主役ということでしょうか。
今日は輸出のための、製品のコンテナ積み込み日でした。主役は出荷を取り仕切るメオさんや品質管理のケッグちゃんたち女性。でも、良く思い返せば、運送会社からは、我が社の美人組(残念ながら全員既婚ですが)目当てのアルバイトのちょっとBボーイ風なお兄ちゃんたち、そして要所要所で、その気配りと腕力を発揮している我が社の男性社員、バーンさんとダムさんも押さえを効かし、コンテナトラックが出た後のダムさんは「やりきった!」と言う風の壮快な顔をしていましたっけ。

きっと貴重な誇り高き働き者の男は、我が社のバーンさんたちのように大きな心で、いざという時以外は並みいる女たちの間に姿を消すようにして、彼女等を支えているのだと思います。(A.H.)