2013年6月6日木曜日

2時間の時差 subtle difference

東京とパリは8時間、東京とベルリンも8時間、東京とニューヨークは14時間。世界各国それぞれの都市ごとに距離に応じた時差があります。またこのくらいの時差があるとさすがにジェットラグも発生します。またアメリカ西海岸と東海岸では3時間の時差があります。これはひとつの国の中での時差であり、広大な国土の存在を感じます。
そしてタイと日本との時差は2時間です。日本の正午はタイの午前10時、タイは日本のマイナス2時間です。この微妙な時差は慣れるまでなかなか身に付きませんでした。

思えば就学前の幼稚園時代、時間が遅々として進まず、あまりにも遅いこの世界の進み方に泣きたくなった経験は誰しもあるでしょう。幼児が集中力を持続できる時間など実際のところ数分だと思います。
日本の小学校の授業時間単位は45分ですが、これは1年生も6年生も基本同じ、低学年児童にこの時間集中させるのはかなりの苦行だと思います。2時限目と3時限目の15分(もしくは20分)の中休みがいかに密度の濃い充実した時間だったかを思うと、生体の成長(老化)と時間の感覚には改めて驚きます。今やぼーっとしていれば2時間なぞすぐに経ってしまいます。特に大人の2時間はあっと言う間です。
そんな時間感覚としての2時間です。中途半端この上ない時間差です。夕方6時に電話を掛けようとするも、先方(日本)は夜の8時だと思い直して止めたことも度々あります。夕方と夜、朝と早朝といった微妙な時間の移り変わりの影響を直に受ける時間差です。


Pink Floyd - Time(http://youtu.be/MUt7qmSvxLI)

外国を意識しつつも、そこは同じアジア、こちらでは外国人(西洋人)のことをファランと言いますが、私たち日本人は外国人ではあってもファランではありません。アジアの国々のなかで植民地化されなかったのも日本とタイの二国だけでした。双方のロイヤルファミリーは親戚付き合いさながらに仲が良く、また双方の国民ともに自国のロイヤルファミリーを愛しています。
バンコクの商業エリアやターミナル駅の界隈は新宿や渋谷と一瞬見間違える景色ですが、それもいったん郊外へゆけば田園風景が広がります。そしてその景色ははかつての日本の景色、30~40年ほど前の日本の地方の景色です。

スタッフたちと話していて思うのは、彼ら彼女らははっきりと「明るい未来」を信じているということです。今日の生活は明日にはもっと良くなり、今のサラリーは来年にはもっと上がっている。今はバイクで通勤しているけれど、いつかは必ず車が買える。今の家は昔ながらの木の家、草葺きの家だけれど、しばらく頑張れば新建材をふんだんに使ったコンクリート作りの「新しい家」が建てられる。そこにあるのは昭和40年代の日本です。2時間の微妙な時差を超えてやってきたこの国には、40年におよぶディレイ装置をかました、かつての日本の姿がありました。
とはいえ当時はグローバル・キャピタリズムもグローバル・ウォーミングもその存在自体が意識もされていませんでした。原子力は輝かしい未来の象徴でした。世界はすでに40年を経過しています。スタッフたちもそれは確実に意識しています。(Jiro Ohashi)