2013年11月29日金曜日

プールとクマとDJと舞姫と  lanna party girls@pool side

少し時間が経ってしまいましたが、11月9日、私たちはチェンマイ郊外にあるリゾート「ほしはなヴィレッジ」でちょっと特別なパーティをしました。
数ヶ月前から、日頃の感謝と、新しいプロジェクトが始まる場所でもある「バーンロムサイ」の事も知って欲しいという思いからリゾートの方たちともイベントを相談し、スタッフたちには内緒で、密かに企画を進めていたのです。

パーティの会場は、ちょっと洒落て夕刻のプールサイド。
黄昏時、周囲の木々にはリゾートのスタッフと、バーンロムサイで共同生活をする子供たちが作ってくれたペットボトルのキャンドルランプが何百と小さな明かりを灯し、辺りを柔らかに照らします。
プールも、水中の照明がついてそれ自体が青い発光体となって、ゆったりとたおやかな空気を醸成します。
群青の空には星がまたたき出して、申し分なく心地よいロケーションです。

オープニングは、バーンロムサイ出身で、今は大学でプロの伝統舞踊家を目指すアームちゃんのダンス。ジャスミンの花をまきながら舞う、おめでたく優美な演目をお願いしました。
普段はその可愛いいさまについ「アームちゃん」と呼んでしまいますが、リハーサルの時のダンススペースの確認や必要事項の主張などでは、顔つきがすっと透明になり、言葉もきりっとし「アームさん」へと変身し、彼女のダンスへの真摯さが伝わってきます。
その、将来の名舞踊手を感じさせる踊りを見てもらいたくて、パーティにはスタッフのみならず、ほしはなヴィレッジに滞在している方たちや私たちの友人にも参加してもらいました。
実際、ライトに照らされて衣装の金糸を羽毛のように輝かせながら踊る本番の舞台の舞姿は、彼女の病を克服しながら生きて来た時間と相まって、まるで水辺に舞い降りた東洋の天使さながらでした。

そしてまずは、ディナーです。
献立は、村一番の味だという北タイ風のタレにつけ込んで作った豚肉をメインに、様々な味のソース、バナナの葉で包んで蒸した黒い餅米などのランナー風とスタッフたちの民族グループであるタイヤイ風がミックスしたバーベキュー。リゾートの調理スタッフ達が細やかに準備し、焼いてくれた端から灯火の下、涼しい山からの風の中で楽しみます。

皆が、美味しい食事に舌鼓を打つ間、私たちはプールサイドにブースを設営してのDJ。
ディレクター氏は、懐かしいタイの懐メロからクラフトワークの『ラジオ・アクティヴィティ』にスティーブ・ライヒ、マドンナに、タイのガトゥーイショウには欠かせないABBA、果てはマーティン・デニーに寺田創一『SUMO JUNGLE』、そして我らが敬愛する万能の庭師・バーンさんが踊りの名手であることまで披露してしまったノリノリの『ジンギスカン』まで、あらゆる音源を流しに流し続けたのでした。
 ちなみにこのブース、午後2時、炎天下のチェンマイの昼下がりに設営を始め、サウンドチェック中に一瞬、雨がぱらついたため、大慌てで簡易の雨よけを仕立てたのです。しかし「きっと大丈夫です! 大工の親方がこれ以上は降らないよ、と言っています!」という、雨よけを手伝いながらのバーンロムサイスタッフの谷岡さんの言葉、もとい大工の親方の言葉どおり、私たちの不安と一緒にむくむく膨らみかけた積乱雲は、夕刻の涼しい空気にすっと溶け去ってしまいました。

さて宴も佳境、皆のお腹がくちくなりほろ酔いのいい気分があたりに満ちた頃。
いよいよパーティの眼玉イベント、プレゼントのくじ引き大会です。

この日まで、私たちはそのプレゼント集めにおおわらわでした。
直前にあった、突然かつ私たちの製造キャパシティを大きく越える「ありがたいけれど、とても無体な注文」にも、日々の残業と休日出勤でなんとか応えるという「大嵐」を乗り越えた製造チームたち。彼女たちへの感謝の念は、ただただ深まるばかりで、もともと私たちは大奮発の予算でいたのですが、気付けばそんなものは何処かへ雲散霧消。財布の紐はゆるゆるに伸びては千切れ、貯金通帳には「引き出し」ばかりが記帳されるいっぽう。出張の際にもプレゼントの事は忘れず、日本からタイから、東京からチェンマイからさまざまなお店で吟味して買い揃えました。
そして光るものを集めるアライグマよろしく、買い物の度に、経理室の会議テーブルにプレゼントは集められていたのですが、少し金糸がまざったふわふわの毛並みが心地よい、小さな子供くらいある大きな大きなテディペアを筆頭に、これだけあれば一人暮らしが始められるだろうというプレゼントの小山が、築かれて、それを休み時間の度にスタッフたちはためつすがめつし、意中のプレゼントが手元にやってきますように! と、歌まで出るほど熱く願ってきたのです。

そんなわけで、くじ引き大会はもう、大変な盛り上がりです。
しかも “リゾートのプールサイドでのパーティ !!!” というドレスコードに、普段は慎ましい母であるスタッフたちの女心はやおら炎上です。パーティの数日前から、誰さんがシフォンのドレスを新調した。誰さんはピンク色。誰ちゃんはゴージャスなサンダルを買った。と、普段は聞こえない言葉たちが工場内に飛び交いました。
パーティの開場時間が近づいて、汗だくのベタベタで設営をしていた私たちの前に、ワゴン車から降りたったのは、ランナーの淑女に、清楚なお嬢様、セレブ風に、ストリート系、セクシーなパーティーガールチームの百花撩乱。おかげでくじ引き大会の、テーブルからプールを半周してくじを引きに来る迄の道のりは、まるでキャット・ウォーク。
それぞれ普段はひっつめて白い帽子に隠していた長くて真っ直ぐな艶やかな髪と、ドレスの裾をなびかせ、シャム猫のような足取りと身のこなしでやって来て、大勝負をかけます。

「あの人はくじ運が良い人だから……」と前評判の高かった人が、過不足ないものに当たったりすると、本人が悔しがるのを尻目に、微妙に「ああよかったぁ〜」という、匂いがする歓声が。
そして、普段は目立たず、しかし実直に仕事をしている人などが、一番人気の家電を当てたりすると「今度は私だわ!」と、もう大歓声になったり、同じものを狙っていた子からは悲鳴が上がったり。
いずれにせよ、きゃーきゃーと賑やかな雄叫びや悲鳴を、星空とブルートバーズの輝きのプールの水面に響かせながら、ファンション・ショーも兼ねた、悲喜こもごものくじ引き大会は予定時間をオーバーしつつの大盛会となりました。

そして名残惜しみつつのフィナーレは、一足早いロイクラトーン。
皆で大きなコムローイを幾つも飛ばしました。何故か舞台経験まであるディレクター氏の中の、普段は隠されている演出家の血が成せる技でしょうか、空高く、ゆらりゆらりと上がるコムローイは映画『プール』の小林聡美さんが歌うエンディングソング(そう、まさにこの場所で撮られたあの映画のあのシーンです。どこでそんな音源を用意したのでしょう?)に乗って飛んで行きました。

「悪いことは飛んでゆきなさい、良いことはこちらへおいでなさい」
皆が小さく口ずさんでいます。
「ほら、バラバラにならないで、みんな寄り添って飛んで行くでしょう、あれはとっても良い飛び方なのよ」
くじ引き大会で一番人気の家電の大物と双璧の人気を誇った大きなテディベアを見事、引き当てたトンさんが教えてくれました。

実はパーティの前の、残業の日々を越えた後、現場はあたかも嵐の後のようでした。
なんとかその注文に最大限応えるべく、時間的人的調整を何度も繰り返し、現場を鼓舞し続け、自らも製造ラインに入っていた製造マネージャーのジャックさんを筆頭に、何名かが体調を崩してしまっていたのです。これではもしかしてパーティは欠席する人も出るのでは……。と懸念しましたが、決して侮るなかれ、タイの女は強しです。
さいわい皆、大いに食べて飲んで、遊び、ほぼ半数はくじ引きで当てたプレゼントを持って、ワゴン車に乗り家族の待つ家へ。そしてもう半数のリゾートに泊まったスタッフたちの部屋からは、随分遅くまで、楽しそうに語り合う声が聞こえていました。

そんな風にスタッフたちは、リゾートの一夜を満喫し、翌朝はバーンロムサイでの子供たちの生活の様子を、施設の創設間もない頃から携わっている保母さんから聞き、そんな場所で歓迎されている自分たちが手ずから作るものたちが持つ可能性を実感し、意気揚々と家路に着いたのでした。
(部屋数の都合で、先の研修、そして今回のパーティで泊まれなかったスタッフたちも、今後、新たに研修を行いながらこのリゾートに滞在、子供たちの施設などの見学をしてもらう予定です)

ちなみに、宴の後、ちらと見えた皆が夜を過ごした部屋のテーブルには、ビールの小ビンの林ならぬ森ができていたのは言うまでもありません……。ともあれ、時に可憐に、美しく。しかしてその実体は鋼鉄の淑女たちのひと時の夢の時間でした。

そして、私たちは今日も、五感を研ぎすまし、全身を総動員してものづくりに励みます。日々の糧を得るための収入はもちろんですが、他には得難い、様々な喜びや尊厳を得るために。(Asae Hanaoka)

2013年11月27日水曜日

ロックとフリー lock and free

「最初に買ったレコード(CD)は?」との問いは、その人の志向性向を知るには便利な手段。私の場合はボニー・Mの『怪僧ラスプーチン』ですが、外向けにはクイーンの『JAZZ』とデビッド・ボウイの『間借人』(当時はロジャーではなくこの邦題で紹介)と答えていました。たしか小学校の6年生か中学1年であったと思います。親から初めてまとまった額の小遣い(お年玉だったかもしれません)を貰い、何を買おうかと思案していると、当時ロックに目覚めたばかりの二つ上の兄が寄ってきて、私の小遣いに目を付け、これをせしめようとロッキングオンのなにやら小難しい文章が載っているページを見せながら「お前はこれを買わんといけない!  買うべきだ!」と言いくるめられ、デビッド・ボウイというのは七変化の凄いミュージシャンらしい、クイーンのボーカルの人は気色悪いけれど、カセットテープで他のアルバムを聴く限りでは、そのサウンドには大変惹かれるものがある。というわけで小ずるい年長者にそそのかされ、有り金すべてはたいて当時新譜としてレコード屋に置かれていたこの2枚のLPレコードを買ったのでした。


きっかけはこの小ずるい兄でしたが、その後は独自の道を歩み、洋楽においてはパンク/ニューウェイヴの、邦楽に於いてはテクノポップの洗礼を全身に受け、その後ノイズ、インダストリアル、現代音楽、電子音楽、民族音楽と貪りながら、立派なサブカルとなりました。
長じてからは印刷物に目覚め、外国の雑誌やパンフレットのインクの匂いを嗅ぎ、写真やグラフィックにときめき、レコードジャケットの収集に精を出しました。その後は成り行きで編集者となり、情報の囲い込みによってしか成立しえない世界を嫌い、インターネットの存在と考え方に共鳴し、フリーという概念に共感を覚えました。実際にグラフィックマガジンを作り、日本や海外の主要都市でフリーで配布したりもしました。ロックとフリーの極私的融合です。

海外で生活していると、SIMロックの解除された端末は本当にありがたいもの。とはいえここチェンマイではSIMフリーの、日本に戻ってはSoftbankのiPhone5をそれぞれ使っています。
先日、日本でもApple Store限定ながらiPhoneのSIMフリー版が発売されました。http://store.apple.com/jp/buy-iphone/iphone5s ロックよりフリー。我々には「L」も「R」も発音は一緒。(Jiro Ohashi)

2013年11月26日火曜日

生産と製造ーモロッコのクレイ manufacturing and productionーghassoul

生産物と製造物、生産者と製造者。この微妙で、でも明らかにニュアンスの異なる言葉ですが、私たちのまわりにある「商品」を見渡すと、そのほとんどがこうした言葉の属性に色濃く影響される物たちです。わかり易い例では米や野菜、肉といった農畜産物は「生産物」として誰しも異存ないでしょう。では魚はどうかといえば、狩猟によって獲得したものは心情的には生産物とは異なります。しかし養殖されたものは生産物といって差し支えないでしょう。とはいえ分類的には採取したものは鉱物も含めて全て一次産業の産物ですから、実はどちらもこれは生産物です。
製造物は第二次産業の成果物ですから一次産業が採取・生産した原材料を加工して作った物たちです。現在、比重としてはこちらが圧倒的に多いと思います。ほとんどの商品は生産物と製造物のどちらかに仕分けられます。
では第三次産業の生み出すものは何かといえば、それはさまざまな小売りやサービスです。形はありません。無形財です。敢えて商品という言葉を使うならば金融商品、保険商品などがこれにあたるでしょうか。奇妙な言葉です。とはいえ今の先進国で経済の中核を成すのは、小売りやサービスといった第三次産業ですから、こうした無形財を生む雑多な産業集合体が世界の経済を回しているのも事実です。

なぜここで、コーリン・クラークの古典的産業分類などを引き合いに出したかというと、それはつまり私たちが製造業(者)であるからです。自分たちの業に関して考えれば考えるほどに、こうした財(価値)を生む源泉に関して思いが深くなるのです。
私は長らく編集者、ディレクターとして仕事をしてきましたので、日本の所謂クリエイティブ・シーンの実際についてはある程度承知しています。広告代理店の動き方やお金の生み出し方、「クリエイター」と呼ばれた人々の行動原理や、企業に属する人とフリーランスとのキャラクターの違いなどもある程度イメージできると思います。
かつてそこで大きな価値を持ったのは情報でした。さらにいえば人脈でした。AさんとBさんを繋げて仕事を仲介し、そこでコーディネートフィーを得る。もしくは情報Cと情報Dを統合して新たな情報を生じさせる。それを企画化してフィーを得る。乱暴にいえば品物(情報)を右から左に流して上前をはねる、もとい得る。しかしその情報回路は死守すべきトップシークレットとして秘匿し決して公開はしない。
そこにアイデアはたしかにありました。しかしそのアイデアの多くはオリジナル(多くは欧米由来のものでした)からコピーを取り、さらにそれを無限に繰り返した劣化コピーであったと思います。前世紀までは実際にそうした虚業が成り立っていました。

小売りやサービスは製造に敬意を払うべきです。同じように製造は生産に敬意を払うべきです。そうした当たり前のことをやりたくて、虚業ではなく実業をやりたくてSAL Laboratoriesを立ち上げたともいえます。
私たちが現在手がける製品の数は決して多くはありません。その中のひとつ「ガスール」は、モロッコで産出されるクレイです。市場でもこれは「モロッコ産」という部分が強調されていますので、タイの会社である私たちの存在に気づく方はほとんどいないと思います。とはいえ、私たちは皆ガスールの製造者であるとの自負を持っています。
ガスール製造チームのリーダー、エー・ドイさんは10年選手のベテランですが、まだ一度もモロッコへは行ったことがありません。それでもモロッコの生産者の皆さんに負けず劣らずガスールのことを熟知しています。さらにいえば製品としてのガスールをもっともよく知る人間はエー・ドイさんかもしれません。彼女は10年間、ずっとガスールの原材料と向き合ってきました。その目と指先でクオリティを確認し、製品化手前の最後の関所として異物を逃さず排除し、タブレットの大きさを揃え、絹のようなパウダーの滑らかさを確認し、高品質で安心して使える「コスメティック商品」として製品化してきました。

彼女はどこのパーティへ行って誰と会い、誰と食事をしたかなどとは無縁のチェンマイ近郊で慎ましく暮らす女性です。「あなたは私のお友達」といって著名人との交遊をスナップショットと共にFacebookにアップすることはしません。手を動かし頭を使い、自分の責任の元、製品の質を高く保ち「さあ今日も完璧な仕事、美しい仕事が出来た」と、そこに達成感を見いだす女性です。
当然そこに私たちは、対価としてのサラリーを支払いますが、とはいえそれは「お金の為に仕事をする」といえるほどのものではありません。ごく慎ましい金額のはずです。彼女らのモチベーションはもっと別のところに存在するようです。手先を動かし頭を使い、その成果を目の当たりに確認する歓び、ものづくりの歓びとはこういうものかもしれません。
私たちは、こうした職人たちを数多く擁しているのだと思います。とはいえ彼女たちはそうした「職人」という意識すらないのだと思います。ごく日常の、あたりまえの営為として、家ではその指先から美味しい食事を作り、子供を養い家族に安らぎを与えます。そして会社では美しく実用的な道具を自作し、バイトゥーイの花を編み、私たちの製品を生んでいます。実のある仕事、実業であると実感します。
私たちの製造したガスール/ghassoulも先日、20ftのコンテナトラックに積まれ、日本へと出荷されました。(Jiro Ohashi)

2013年10月31日木曜日

夜の工場と鉄の淑女たち night factory and satree lec

私たちの工場。
といっても使う道具は、スタッフたちの身体よりも大きかったり、その仕組みが使い手にブラックボックス化した工業団地のロボットや、壮大で大規模な機械システムなどはありません。
パッケージの口を閉じるシーラーや電気秤が私たちの「機械」です。会社開設当初、外資で輸出専門の企業と聞き、これは将来資産として課税対象にできるお宝の山ではないか? と大きな機械などの資産を期待して視察に来た役人が、「それで工場はどこか?」と、作業スペースの真ん中に立って宣い、「いやここなのです」。「機械がないではないか」。「機械は使いません。頭と手が私たちの大切な道具なのです」というどこかちぐはぐな会話をした。それが、私たちの「工場」です。
なので、実際はアトリエ、工場と書いても「こうば」と読むのが相応しく、かつその風情は殆ど厨房。そんな場所が私たちの仕事、もの作りの舞台なのです。
時間をかけて鍛えた想像力や経験、勘を一杯に詰め込んだ頭脳と手が、私たちスタッフにしか持ち得ない、他にはあり得ない素晴らしい道具であり財産。ほんとうに「身体が資本」の職場なのです。それを駆使して日々、ものづくりに私たちは励んでいます。

そのように、私たちのスタッフの仕事は、五感をフルに生かし、集中しつづける作業です。
就業時間は午前9時から夕方5時。途中に2回の休憩と昼食の時間を挟んでも、決して短い時間ではありません。
それぞれの健康や生活を尊重しつつ、経験を十全に活かしてもらうよう、仕事の仕方や環境を守ることはとても大切です。

そんな折も折、取引先より、余りに急で余りに大量の発注がありました。
そのガスールの量は生半可な事ではありません。確かに注文はありがたいものですが、こちらは丁度、ガスール原材料のモロッコからの到着を待っている最中で、倉庫の原料在庫は底を尽きかけていました。運良くあと数日でそれがバンコクに着くことになっていましたから、原材料がなくて、発注をお断りしなくてはならないという最悪の事態は避けられました。
とはいえ、その唐突さはもちろんのこと、発注量と日程という数字の厳しさは常軌を逸した域のもの。でもその一方で、私たちの製品に興味を持ってくださった新しい取引先の方たちにも応えて差し上げたいという気持もあります。
私たちとジャックさんは何度も日程や製造できる最大限の量を検討し、1日の生産量の上限ぎりぎりの、かなり難しい数字を出しました。しかも、それはタイの労働法で定めるぎりぎりの残業をしての数。
その日程を見て「これでは、もう現場がしょんぼりしてしまうかもしれない」。と私はなんだか苦しくなってしまいました。
そんな事はできるならばしたくありません。なぜなら、殆どのスタッフが母親であり主婦であり、家族との時間をとても大切にしています。
そして、あまりに長時間にわたる作業は、大切な視力などの身体感覚や気力を摩滅させ、ともすれば品質にだって影響を与える事になるからです。
目先の利益のために、大切な技術も社員たちも、お客様の信頼も私たちは失いたくはありません。個人を尊重し、その人生を大切にするような持続的な仕事がしたいのです。

とはいえ、その家族や会社の持続のためには収益も必要。どこまでを受容するか、最大公約数を出したものの、私たちはまだ悩んでいました。すると製造リーダーのジャックさんが言います。
「大丈夫です。皆の事を思いながら、考えた数字です。皆、あなたたちを信頼しています。それに仕事があるのは良い事です。私たち、皆がんばります!」
うわぁ……! なんてこの人は真っ直ぐで健気なんだろう。
眦を決して、きりっと断言するジャックさん。
少し涙腺がゆるみ、その凛々しさにくらくらしている私たちに、「それにお給料が増えるのが嫌な人はいないもん。あ、でも、残業にリフレッシュは大切だから、晩ご飯。休日出勤の時は、おやつのアイスクリームもお願いしますね!」
と、交渉上手のジャックさんは、悪戯っぽく付け加えたのでした。語尾に「うふ・いひ!」という、少し怖い笑い声が聞こえたのは気のせいではなかったように思います。

そんなわけで、先週の休日出勤以来、私たちは毎日残業です。
タイとはいえ、秋分を過ぎればどんどん日暮れは早くなり、夕方5時半頃には太陽はチェンマイの街の西にある尊いお寺にある山、ドイ・ステープに隠れます。
日が暮れると私たちの工場のある地域は、小さな村の家の灯りがぽつぽつあるだけで、真っ暗です。
その中で私たちは、ただ一つ残された光の箱の中で作業をひたすら続けますが、そんな場所に居ると普段よりも深く互いは近しく思え、結束力が高まるよう。そのせいかそれぞれの仕事ぶりは一層冴えてゆきます。
そうやって、目標の数をこなすと、さっと掃除をし、同じ方角のメンバーでチームを作り、暗い夜道をバイクの一団(こちらでは、バイクが主な交通手段です)になってそれぞれが家路へとつきます。

これもあと少しで終わります。
リーダーたちはあと少し! と、皆を鼓舞し、それに誰もが威勢よく応え、頼もしいこと限りなしです。
とはいえ、すべてを取り仕切るジャックさんは、もともと色白な顔が一層白いですし、作業の合間に肩をぐるりとまわす仕種をするスタッフも増えて来ました。

このように、休日返上で頑張ってくれている鉄の意志のスタッフたち。
早く我らが鉄の淑女たちに休息のひと時をあげなくては、なにか特別なありがとう!をしたいと思いつつ、なんとなく、目前にひかえた慰労パーティのプレゼント。「ハズレは無しよ!」という囁きがあちこちから聞こえ、そのハズレ無しのハードルがどんどん高くなって来ている気がしてなりません。

ところで、「鉄の淑女」という言葉ですが、これは数年前に日本でも上映され、それなりにヒットした男の女子達のバレーボールチームの映画「アタック・ナンバーハーフ」の原題(Iron Ladies/Satree lec)です。ちなみに、このバレーボールチームはかつて実在し、またチェンマイと、我が社のクリームの器がやってくる陶器の町、ランパーンはこの映画の舞台です。(A.H.)

2013年10月22日火曜日

パーティはプレゼントの山 a gift for you

来月上旬にスタッフたちの慰労を兼ねたパーティをやる事に。少し早いロイクラトーン・パーティです。とはいえマーケットは縮小し、人件費をはじめもろもろの部材費も高騰しているこの折です。経理会計はじめすべてのスタッフたちは、日頃からコスト意識を共有し、涙ぐましい努力をしています。
このパーティは私たちからの日頃の感謝の気持ちですから、費用は会社からではなく私たちの私費で賄います。
しかし、そうなると我々は歯止めが利きません。こと経費であれば「それはもったいない」「あれで十分でしょう」「まだまだ使えます」と少しでも節約して慎ましく仕上げることでしょう(実際、つい先日まで私は自分の机も簡易な作業台で、椅子は折畳み椅子を使っていました)。そうした足かせが今回はないのです!

書籍や雑誌、CDやDVD、広告、ポスターなどさまざまものを企画し編集する際も、そしてさまざまなパーティやイベントを行う際にも、まずは制作費の確保から始めるのは当然です。実際にそうしてきました。制作費が十分にあればそれでよし、問題ありません。
しかし厄介なことに僅かな制作費しかない場合もあります。その際も「これをやれば確実に完成度が上がる」もしくは「あの人(具体的な顔を思い浮かべて)は絶対に喜ぶ、驚く、感激する」という確証がある場合は実に厄介です。だってそれをやれば確実にあの人が喜ぶのです。完成度が上がるんです。そして素人は往々にして「それ」をやってしまいます。くれぐれもやってはいけないことです。予め決められた制約の中で最大の成果を出すのがまっとうであり、それがプロの仕事です。
「自腹」とよく言いますが、この言葉もおかしなものです。「自腹を切る」などという物騒な言葉(表現)が他の国の言語にありますか? その昔、人々が和服で生活していた時代、財布は帯に留めて仕舞っていため、懐から取り出すことになります。その時の右手の所作が、ちょうど切腹と同じ動きをすることから、自らのお金で出費することを「自腹を切る」と慣用的に言うようになったと言われます。いずれにしても切腹という行為に通じる言葉です。どちらも、どこか心情的に賞賛される行為であるところも疑問を感じるところです。

賞賛などされるべきではないのです。切腹も、自腹も。
数年前、あるアーティストの展覧会をやった時のことです。彼はグラフィックデザイナーですが、その展覧会はメディアアート系のわりあい大きな賞を受賞した作品も出品するため、そうした系列のギャラリーで行うことになりました。私はその展覧会のディレクターでした。設備の整った都内のアートスペースを皮切りに、国内のいくつかのギャラリーを巡回しましたが、そんな中、ある地方の廃校を利用したアート施設での設営下見の時です。呼んでくれたのはいいですが、いかんせん予算が少ない。巡回展と称して「ウチでもやって下さい」というケースは往々にしてこうしたパターンが多い気がします。作品も含めてすでに出来上がったものを、ウチでも展示しませんか?というコンビニエンスな提案です。

その展示室は照明設備が貧弱でした。展示プランではコンビニエンスストアのように無駄に明るい蛍光灯。壁だけでなく光量でも眩しく空間を満たすホワイトキューブ、といったイメージでした。とはいえ中途半端な蛍光灯ほど貧弱な光はありません。そこで照明器具の追加を試みましたが肝心の予算がないと言います。たいした額ではないはずですが、その予算がないと言います。その辺は施設の保有する設備の中でやってほしいとのこと。電源の容量だって足りません。それならば壁のコンセントから別に電源を取り、別回路で持込み(照明)機材を仕込むしかありません。(八方手を尽くしても)予算がないのならば仕方ありません。自分のギャランティの中から必要機材を調達するのみです……。

……だから、それをやっちゃいけないのです。規制のなかで、与えられた条件のなかで最高のパフォーマンスを引き出すことが本来やるべきことです。
とはいえ現在、私の東京の家にはたくさんの機材が溢れています。複数台のハロゲンランプ(500w)、10数本のK&Mのマイクスタンド、10発をくだらないBOSEのスピーカー。SHUREのマイクが1ダース、そのほか全長数百メートルにおよぶ各種ケーブル類や電源タップ、エフェクターやミキサーなどなど、およそ普通に生活するうえで、なんの利便性も有用性もないものたちで溢れています。工具箱は木工系、金属系、電気系と併せて5〜6箱あります。加えて本やCD、レコードといった定番資料のほか、置物、剥製、民芸品などに埋もれています。
私は編集者、ディレクターとして長らく仕事をし、それで対価を得てきたという意味ではプロといえるでしょうが、実際はプロフェッショナルの皮を被ったアマチュアですので、「これは」と思える案件に対しては闇雲に私財(ギャランティ)を注ぎ込む悪癖があります。

とはいえ遅まきながら思慮も分別もわきまえてきた昨今、拠点もこちらに移し、堅実に仕事に励んでいる矢先です。まさかこちらでハロゲンランプ買ったり電源リール買ったりはしないでしょう。日本からアンプやスピーカーやらのサウンドシステムを持ち込むこともないはずです。
ですが。日頃から「ここまでやるか」というくらいに頑張ってくれている、会社のスタッフたちを慰労しようと企画したパーティです。しかしサウンドシステムはなぜかもう持ち込んでありました(税関で「これは何だ?」と呼び止められました)。これは私に何かせよということではないでしょうか。

こちらでは何か催しがあると、参加者皆で予算を決めてプレゼントを持ち寄り、くじ引きで交換しあうという慣習があります。たいていはお菓子であったりジュースの詰合わせであったりと、本当にささやかなものなのですが、これがやたらと盛り上がります。ならば今回、私たちが皆の分のプレゼントを用意し、くじ引きプレゼント大会をやったらよいのではないか? しかも予算は会社の経費ではありません。私たちの自由裁量でプレゼントが選べるのです。

私たちはスタッフひとりひとりの顔を想像しながら、さまざまなものを買いました。大して余裕があるわけでもありませんが、それでも立場上スタッフの皆さんよりは多くサラリーを貰っています。ここで還元すべきでしょう。液晶テレビ、電子レンジ、アイロン、トースター、鍋セットにフライパンセット。スタンドミラーに大きなくまのヌイグルミ。ストールに手袋、掛け時計に置き時計……。
私たちのスタッフは9割以上が女性で、そのほとんどは既婚者です。プレゼントのセレクトも自然と主婦目線になります。A.H.は自分が大切にしてきた未使用の香水もいくつか放出しています。彼女はこうしたお金の使い方に異を唱えるどころか、気質としては双子のように同じ価値観を共有するためか、一緒になって選びます。そうこうするうち「はずれ」なしのすべて「あたり」状態でプレゼントの山が築かれてゆきました。当日までの保管場所としてプレゼントを積んであるミーティングルームのテーブルは、夢のショーウィンドウのように華やかです。皆がそれぞれお目当てのプレゼントを心に決めている様子です。

「マァ〜イコォウェ〜ブ(電子レンジ)♪ マァ〜イコォ、ウェ〜ブ♪」と終業時にはミュージカル映画のワンシーンのように歌いながら踊りながら、楽しそうに家路を急ぐ彼女たち。お目当てのプレゼントが「当たりますように」「私のもとへ来ますように」と敬虔な祈りを捧げるシスターのように(実際は皆仏教徒です)手を合わせる彼女たちを見ていると、かなり奮発、散財しましたが、これはこれで良かったじゃないでしょうか。当日用にハロゲンランプと電源リールも買いましたし。(J.O.)

2013年10月18日金曜日

おもにパッケージデザインのこと  think of our design

こちらで生活していると、過剰な情報から適度に距離を置く事ができるためか、商品のデザインに関しても、その見え方感じ方が日本(東京)にいた頃とは変わって来るのを感じます。ここで言うデザインとはおもにパッケージデザインのことです。

商品を買う際には当然値段とスペック(性能はもちろん、大きさ重さ、色や手触り、素材や産地、新鮮さや味なども全てスペック)は確認します。しかし確認するにしても限度があります。
家電やオーディオといった類いは、値段と性能が頼りですから、デザインもまた商品自体に備わった性能のひとつに数えます。外箱のデザインなど誰も拘りません。
市場やスーパーで買う食品は、それが生のものであればあるほど、商品自体に備わった(生の)属性がストレートに商品の価値を表します。野菜やフルーツ、肉や魚の類いです。これらにデザインは基本的に入り込みません。
また生のものは、なにも自然のものだけを表すわけではありません。屋台のヌードルも豚肉の串焼きも、カオマンガイ(茹で鶏ご飯)やコンデンスミルクのたっぷり入ったアイスコーヒーも同じです。これらは値段の他の要素としては、産地や生産者(お店)といったブランドが幅を利かせる世界です。デザインの入る余地はまだそれほど多くはありません。
対して服はデザインの塊とも言えますが、これは衣食住の中でも特別です。寒さを防ぎ身体を保護するだけが衣服ではないように、それは権力を表し財力を表し、性差を表し官能を表現します。その人の属性を表し教養を表し、コードのわきまえを宣言します。
これらは素材や縫製の確かさと、それを生み出すブランドの物語によって支えられるのですが、服自体がデザインの塊だとしたら、ではデザインとはいったいどれほど強力なものでしょう?

ブランドは企画して作り出すものではありませんし、またデザインの手法でこしらえるでもありません。そのもの自体に本来備わった属性から生まれるものです。そういうわけで私たちは、新しいブランドを作るにあたっては、企画戦略会議から入るのではなく、ロゴやパッケージから入るのでもなく、まず生の製品自体を作る事から始めました。
なんとかそれが、少しずつ形を成してきましたので、これからデザインのことを集中的に考えてゆこうと思っています。私たちはデザインに対して最大限の敬意を払いますし、その大切さを知っているつもりです。
これからの作業では、とにかく信頼できるデザイナーと仕事をすることです。意中のデザイナーはすでにいます。来月東京で打ち合わせをします。来年中には完成させられればと思っています。(J.O.)

2013年10月12日土曜日

木の実のクリームは木の実に 2 ー 木の声  cream into the nut shell 2 - whisper of the tree

少し間があきましたが、「ほしはなヴィレッジ」アメニティに入れられた、クリームのパッケージのお話です。

難産になるかと思った小さなクリームのパッケージデザインは、予想に反して大安産でした。
もとが製造現場を仕切るスタッフたちですから、全体の見回しが意識できれば、製造工程やその注意事項は言わずもがな、懸念していた資材調達の段取りも彼女たちにとっては当然の事。むしろ、自分たちがすべて考えて進める事で、チーム内の役割分担も進行も普段以上に迅速であったようにさえ見えました。

器にしたクラボックの実についても、それぞれが知っている知識の擦り合わせから、植物の特定や性質などの基本情報はもちろん、実の収穫の時期が寒季の終わりから暑季の始まりにかけてである事や、市場に出回る季節、近隣で収穫している人たちなどの連絡先も見据えて、アメニティを継続的に作るための下準備も着々と進みました。

これで、材料調達の見通しも製造ラインも、予算と所用時間も明らかとなり、後は私たちのアメニティのデザインプランが「ほしはなヴィレッジ」のお眼鏡にかなうかどうか? だけとなりました。

「ほしはなヴィレッジ」は一見ゲストハウスのように気軽でカジュアルな風をしていますが、その実はとても上質なリゾートのように、設備もサービスも充実している場所です。
「バーンロムサイ」の代表でもあり、かつては、ドイツでデザインを学び、東京で素晴らしいアンティークショップも営んでいた、名取美和さんという充分に良い物を見尽くし知り尽くした人が「これだけあれば、過不足無く快適に過ごせる」というカジュアルとエレガントとシンプルを組み合わせ、しかもその上質さに滞在する人を気後れさせない、負担にさせない絶妙のさじ加減がなされている、そんな場所。
ゲストになれば、その開放感、リラックス感たるや極楽ですが、お客様を迎える側になってみれば、その好みに合致するものを見つけること、作ること、しつらえることにはとても神経を使う場所だと言えます。

リゾートのコンセプトデザインに携わった身から言えば、お客様を迎える空間というものは、どこでも多かれ少なかれそうしたもので、厳密な好みの取捨選択をしなくては、その場所の質を維持する事は到底できないもの、ほんの少しの妥協がみるみる場を崩してしまう怖さは身にしみて知っています。
それにしてもそれを「ほしはなリゾート」は気負いない風でさらりと実現してみせていて「すごい」場所なのです。

そのような場所のために何かを作るということは、「お迎えする側」と「滞在する側」の二つの眼差しを入れ替えながら、作業をしなくてはならないということです。
でもこれは、皆が製造のプロフェッショナルだとしても、今回の初めての製品開発という役割の中では、情報も経験が足りないことは否めません。

そこで、あらかじめ充分想像力を働かせてアメニティの原型を作った上で、その場所の空気はもちろん、実際にどのような心配りがされているのかを、現地でじっくり観察し体験し、自分たちのプランがそこに相応しいかどうか確かめようではないか!ということになりました。
実は、短い時間の中、他の日常業務もこなしながら、今回の挑戦に立ち向かっているスタッフたちに「リゾートで過ごす休日」というサプライズをプレゼントしたいという思いもあったのですが。

そしてとある週末、見本を携え、私たちは「お客さん」として「ほしはなヴィレッジ」に滞在する日がやってきました。
仕事を少し早く終えて、リゾートへのお出かけのため、ちょっぴりお洒落もしたSAL Laboratoriesチームのコアメンバー、ジャックさん、カーンさん、ノイちゃん、トイさん。

車の後ろに着替えの入ったそれぞれのバッグも積んで、いざ出発! と思った矢先です。
「ちょっと待ってください!」
姿が見えないと思っていたノイちゃん、トイさんが持って来たのは小さな衣装ケースが2つ。普段製造現場で、道具箱として利用しているものを、急遽空けて持って来たようで、あまりにリゾートには不釣り合いです。
本人たちもそれはわかっているようで「これ、大丈夫かしら……」と、困惑気味です。

「どうしたの!? それ?」
「私たちの作ったアメニティが、もっと場所にぴったりになるように、部屋でも考えてみたくって……」
衣装ケースの蓋を外すとそこには、アメニティを包むハンドタオル用の布が数種類、ラッピングやインテリアの本が数冊、華奢なコットンやヘンプの糸、手透き紙の束、ハサミ、セロテープ、これまで皆が書き溜めたノートなどなど、色々な素材や資料、道具類がびっしりと入っているではありませんか。
やっぱり持って行っちゃダメかなぁ……。でも……。という不安と心意気が入り交じった皆の顔を見ていると、ぎゅっと抱きしめたくなってしまうような、何とも愛おしく、想いが込み上げて来てしまいそうです。

「そう、そうだね!うん! それは本当に大事だね!がんばって! でも、お客さんとして楽しんでもみなくっちゃね。今回はそれも仕事のうちだからね!」
「はい、がんばります!」
そんなことを、私たちは工場を後にしました。

チェックインを済ませ、空は淡い紫色に暮れなずみ、もの皆金色に輝く敷地内を散策していると
「ちょっとちょっと、みんな! あれをみて!」
カーンさんが指さしたのは、彼女たちが泊まることになっているコテージのすぐ脇に生えた大きな木肌が滑らかな木が茜色に輝いています。

「へっ??」
「クラボック!」
「ぎゃっ!あれなの!?」
「きゃ~!」
「すごーい!」
「へえぇ〜っ!」
何しろ数時間前まで、クリームを入れる器、クラボックの木の実で大盛り上がり、大騒ぎしていた私たちです。どこかぞくり、としてしまう程のあまりの偶然。
誰もが一斉に歓声や悲鳴をあげてしまったのでした。
「あら・うふふ……。」
そんな中、時折、工場の敷地でも精霊が見えたりしてしまう集中力の女王・ノイちゃんだけが、やけに冷静に微笑んだのが一層この出来事の「ぞくり」を盛り上げたようでした。

その後、コテージのテラスからは、ジャックさんのダメ出しの声、皆が笑いながらあれこれ包みの形を試す声、ベッドルームの窓からは、アメニティを枕元に置いて「とっても素敵! 私たちが作ったんだよね!」という歓声と、カメラのシャッター音が聞こえてきました。

そして翌朝、直前までの努力の甲斐あってか、彼女たちの産まれて初めてのプレゼンテーションは大成功。
大満足の名取さんからは「いつ納品できるかしら?」という質問まで受けて、ジャックさんはそれにもさっと答え、私たちにも、ミーティングに参加したリゾートスタッフの方たちにも一層頼もしさを見せてくれました。
そして最後に、ところで実は……、と話したコテージ脇に生えていたクラボックの木の偶然には「ほしはなヴィレッジ」の名取さんたちをも「ぞくり」とさせる不思議な空気があたりにさっと漂ったのでした。

精霊信仰が色濃く残る北タイでは、大きな木には必ず精霊が宿っていると言います。
中には人を困らせる悪戯好きの精霊も居ますが、多くは人を優しく見守り助ける良き精霊たちです。
この美しい木の実の器も、自然と近しく暮らしている我らがスタッフたちだからこそ、クラボックの精霊達がそっと耳打ちし、人知れず支えてくれてくれたのではないか? どうも私にはそんな気がしてなりません。
私たちは「自然に学ぶ」をもの作りの柱のひとつにしていますが、それはこのように、自然に畏敬を持ち、その姿を愛し讃え、その声に耳を澄ませる事から始まるのではないか?とも思えて来ます。

「ほしはなヴィレッジ」にある緑の実を鈴なりにさせたクラボックの木。あと数ヶ月でその実は地面に落ちはじめ、収穫の季節となります。このクラボックの実もスタッフたちが集める事を名取さんは約束してくれましたから、来春のアメニティからは、リゾートで採れる木の実がクリームの器になり、この実のオイルも遠からず、石鹸かなにかの原料となるはずです。(A.H.)

2013年10月8日火曜日

市場に出回らないお金/市場で回らないお金 this is not a money

タイの通貨はバーツ。その時の為替相場にもよりますが、1バーツざっくり3円と考えて、こちらの値札に3を掛けたものが日本円でのおおよその値段です。屋台のラーメンが35バーツ(約105円)、350ml缶ビールが32バーツ(96円)、ペットボトルの水が1リットル×6本で65バーツ(195円)。日本と比べれば物価はかなり安く、暮らし易い国といえます。

日本円には更に下位の単位として銭や厘がありますが、これはすでに通貨単位としては廃止されており、計算単位として為替や株価の表示に使われるくらいでしょう。しかしタイにはバーツのほかにサタンという補助通貨があり、これは今も現役で使われています。1バーツは100サタンです。25サタン、50サタンと硬貨も二種あり、小粒ですがそこそこ重量もあり、王様の横顔と寺院のレリーフが刻まれており、日本の1円硬貨などよりも余程存在感があります。
ものの値段は、端数にして気持ちお安くお得感を持たせるのはどこでも一緒ですから、買い物をするとやたらと小銭が貯まります。タイ人であれば、レジで精算する際でも端数分の小銭を財布の中からピタリと選びだし、細かいお釣りが出ないよう、財布が小銭でパンパンにならないように、上手に買い物が出来ます。とはいえ、まだまだこちらでの生活が浅く、外国人でもある私たちはそうぴったりと小銭を用意して上手に買い物することは出来ません。

認知症の初期症状を判断する材料のひとつに、その人の財布をチェックする、というものがあります。認知機能が低下すると細かい計算が億劫になり、もしくは出来なくなり、買い物の際にもとにかくお札を出して、あとはお店の人が計算してくれたお釣りを受け取るだけになります。その結果、財布の中は小銭でパンパンに膨れ上がり、認知症判断のひとつの目安にもなると言います。
そんな老人のようなパンパン財布を抱えて日々買い物をしていると、本当にこれは自分だけのことなのか? タイの人たちだって増え続ける小銭には困っているのではないか? と思い、スタッフに聞いてみました。ある日本人スタッフは「小銭は何か器に入れて貯めておきます。ある程度の量になったら銀行へ持って行って預金します」とのこと。成る程、しっかりさんです。

次にタイ人の経理スタッフに聞いてみました。すると「小銭はやはり溜まります。使わずに器に入れて貯めておきます」とのこと。同じ答えです。しかしその先が少し違いました。「そしてある程度貯まったらお店に持って行って寄付金箱に入れます」。たしかにこちらのスーパーマーケットやショッピングモール、お寺など人の集まるところには、たいてい大きな寄付金箱が設置されています。アクリル製で中が見えるかなり大きな四角い箱です。なるほどと思います。こちらでは一般の人々が僧侶にタンブン(寄進)することや、経済的に余裕のある人が、そうでない人々に対して寄付などの形で施しをすることはごく一般的です。ここは仏教の国。寄付などで恵まれない人々に施しを与えることは、自分自身の徳を積むことでもあり、それは大変誇らしく、また進んで行おうとする空気があります。

経理スタッフの彼女は続けてこう言いました。「世の中には回って行くお金と、回らないお金があります。サタン硬貨などの小さなお金はお店からお店へ、人々の財布から財布へと回って行くお金とは違うのです。鋳造されてから一度、端数として誰かの手に渡り、それは世の中に出回らないでそのまま寄付金箱に入れられます。これらはそうしたお金なのです」。これははたして彼女独自の考え方なのか、それともタイの人々にとってはごく一般的な認識なのか。その辺はまだまだこちらに来て日の浅い私にはわかりません。ただひとつ言えることは、こうした事をさらっと言える彼女が、私たちの会社の経理スタッフでいてくれて良かったということです。(Jiro Ohashi)

2013年10月2日水曜日

木の実のクリームは木の実に cream into the nut shell

今日は、ちょっと変わったアメニティの中味についてご紹介です。
これは何でしょう?
身体を外部から守るデリケートでフラジャイルな角質層・皮膚に見立てたトレーシングペーパーの向こうに透けて見える2つの貝殻のようなもの。
これは、日本でもおなじみのアルガンクリームです。

原料はビタミンEの多さ故に、モロッコでは若返りのオイルと呼ばれ、肌に張りを与えるアルガンオイルと、北タイ特産の果物ラムヤイの花で養蜂して得られるミツロウだけ。シンプルで使い心地も効果もリッチなクリームです。ゆえに一回の使用量は少量で充分。熱帯のリゾートの短い滞在に合わせて少なめの量をアメニティでは提供しています。

とはいえこのクリーム、シンプルでちょっぴり濃厚な手触りだからこそ、大変便利なものです。
目元や手足の感想しやすい部分に塗るごく基本的な使用法の他に、飛行機の中での乾燥防止、リップクリーム、毛先をまとめるヘアワックス、ハンドクリーム、ネイルクリーム、眉の形を整えるワックスなど、全身に使えるとても便利なもの。使い慣れると、短い滞在でもこの量では足りなくなってしまうかもしれませんから、近い将来リゾート内のショップでの販売もできたらと考えている私たちです。

さて、このクリームを特徴づけているのは器です。正商品ではランパーンで作ってもらっている陶器ですが、これはまた一層特別です。
タイ語でクラボックと呼ばれる木の実の殻を少しだけ磨いて器にしているのです。
クラボックはこの周辺に良く育つ野生の樹木で、木の実は胚をローストしてアーモンドのように食べます。市場でよく売られる身近なもので、地元の人の現金収入源でもありますが、木の実は焚付けくらいにしかなりません。それを、SAL Laboratoriesのカーンさんのアイデアで器にしたのです。

この木の実の殻を器にするアイデアですが、実はアイデアの素となる前例があります。
数年前、私たちは貝殻の器に入れて日本でサンプル配布をした事があるのです。
このクリームは、オイルもワックスも人が手を使って丁寧に作ったもの。商品の器もやはりハンドメイド。店頭サンプルなどは、使用環境を考えやむをえずプラスティック容器を使用していますが、丁寧に手で作られた素材とクリームはそれに相応しい器に入れて届けたいのがSAL Laboratoriesのコンセプトです。
そこでお客様に直接手渡せるならと、貝殻を器にしたサンプルパッケージを考えたのでした。

貝殻には、生命を包む形、女性の昔の口紅の器、ヴィーナスの誕生の乗り物、生命の源であり時に恐ろしい海(3.11を経て、私たちにはとてもシンボリックな存在です)などさまざまなイメージがあり、自然や伝統に学ぶという私達のコンセプトをその小さなフォルムに内包する大きさがあるものでした。
そしてコンセプトのみならず、この製造に関わる事で、思わぬ才能が開花したり、ますます成熟・成長したスタッフも多く、様々な面で大切で印象深い製品になったと言えます。

そして今年。
「今回は、自分たちでアメニティのパッケージを考えてみて下さい」という少し突き放した私のお題に返ってきた答えのひとつがこの木の実の器でした。
形は美しいものの、うわー、またこの殻の調達を考えないといけないのか……。と内心冷や汗の私の顔色を察したのでしょうか。
「大丈夫です。もう殻を入手できる人も何人か見つけたし、ノイちゃんが、近所のカラオケ屋の庭に大きな木が生えているのを見つけたから、私たち自分で拾ってもいいなって、他にも生えているところを知っているスタッフたちも居るみたいなんです」
と、ジャックさんとちょっと自慢そうなノイちゃん。
ほっとしつつ、二人の成長ぶりにうっとりしながら、それにしても、大きな木が生えている半分オープンエアの田舎のカラオケ屋さんってどんなだろう?? と、変なものを頭の隅で想像してしまいました。

正直なところこのプラン、最初は若干、二匹目のドジョウという気がしなくもありませんでした。
しかし、自然の素材を使う。その形を美しく感じ、考えて器とする見立ての眼差し、そして入手先の確保という現実面も配慮する。
何かを作り出す時の段取りや眼差し、方法をしっかり自分のものにしているのが伝わり、決してそれが、単なる最初の成功の模倣では無いことを実感し、充分魅力的なものになると感じ、やりましょう! というゴーサインを出したのでした。

しかし、このあと私たちは、カーンさんたちのこの眼力と行動力のおかげで、アメニティのプロトタイプをプレゼンテーションに出かけた「ほしはなヴィレッジ」で、とてもドキリとする体験をする事になったのでした。
それについてはまた改めて。(Asae Hanaoka)

2013年9月14日土曜日

失われそうな、布を求めて   Homespun, Bespoke(2)

さて、布をつくる人探しです。
色々なつてを辿り、自分が知っている工房をのぞいたりしながら、最後には私たちのユニフォームをデザインから縫製までしてくれているTOMO君の紹介で、私たちはチェンマイのお隣の街、ラムプーンのそのまた郊外にある織物の村の工房を訪れることになりました。

ラムプーンは特産のラムヤイの広大な果樹園に囲まれたとても小さな街ですが、近くには洪水で埋没した古い寺院群の遺跡もあり、鄙びた愛らしい感じと、坪庭のようなしっとりした雰囲気が入り交じった場所で、その中心にはチェンマイ同様、城壁に囲まれた旧市街があります。
実はラムプーンは、モン族の女王が治めたハリプンチャイ王国の都として、9世紀にひらかれた場所。チェンマイは後からやってきたタイ族によって13世紀にできた都ですからラムプーンの方が歴史ある古都なのです。
そんな、おっとりした街の傍らを通り抜けて、ラムヤイの果樹園の間の曲がりくねった細道を延々と抜けると、村のあちらこちらに、手織り布のタイパンツやパーシンという腰巻き式のスカート、上着、お寺の落成やタンブンなどお祝い事の時に道やお寺の庭に飾る幡などを売る、家ともお店ともつかないものが見えはじめ、そこを更に抜けて行くと目的の工房へやっと辿り着きました。

そこは、工房といっても、古いタイ式の家が二棟立つ、いかにもの田舎家です。
天井だけの広いテラスのような空間が二棟の家を繋げていて、そこが織りと染めをする場所。
しかしなぜか唐突に、その入り口付近にはテレビと鏡と椅子が置かれていて、実はそれは織り師の女性のお父さんの仕事場でした。
もう初老の彼は「髪結いの亭主」ならぬ、「亭主は髪結い」なのですが、根気よく未だ機織りの仕事する糟糠の妻の脇、ランニングに半ズボン姿の初老の夫は、古い革張りの客用の椅子にたっぷり身を預け、私たちにニコニコと笑顔を送りながらじっくりと煙草を吸い、いつ来るとも知れないお客さんを待っていました。

そんなお父さんの「仕事場」を通り抜けると、幾つかの織り機とおもちゃを入れたベビーサークルが並び、その更に奥、向こうに畑が見える場所には染料の木を煮る鍋が、竃にかかって湯気をふかふかと薬草のような良い香りをあげていました。実際、染料になる植物は大抵が薬にもなるもので、染め物と薬草の世界は昔から深く結びついています。

この生活の場と溶けるように出来上がっている仕事場で染め物をしているのは、近所から働きに来ている女性。丈夫な丸い腕からは、長い年月をしっかり仕事をしてきたのだとわかります。仕事の手は止まりませんが、その湯気のような優しい調子で染めている糸、染料について説明をしてくれるのを聞くと、彼女も言われた事だけをしているのではない、経験と知恵を積み重ねて来た職人だと改めて感じてしまいます。
そして、竃の手前の機には、白髪がきれいな初老の女性。
もう歳で根を詰める機織りはキツくなって来たから今は、こちらのちょっと楽な織り機でね、と言いながら飛杼式(18世紀にジョン・ケイが発明した、紐を手で引くと杼を自動的に縦糸の間を移動する織り機)の織り機で、布をゆっくり織っています。
彼女は自分が織ったふわふわの白い布でブラウスを作って着ていて、それが白い髪の柔らかく煙るように顔を包んでいる様子となんとも可愛く似合っていて、織っている布の渋い色合いと相まってなんともシックです。

そのふんわりした甘い手触りや色合いは一緒に来たジャックさんやノイちゃんをすっかり魅了したようで、
「ねえノイちゃん! 今度は、こんな布でユニフォームをつくったら素敵よね!」
「うわー。それは素敵そう! ジャックさん」
私たちの背後で、ちょっと恐ろしい聞こえがよしの会話が聞こえる程。
ううむ。困ったなぁと苦笑いしていると、
「ここは、おばあさんが織物の仕事を始めて、お母さんが継いで、大学を出た娘さんが最近跡継ぎを決心したんです。しかも彼女は、薬学を勉強した上で、草木染めで布を作ることにしたんですよ。若い人が後を継ぐのも、きちんとした草木染めも最近は減って来ているし、彼女を応援してあげたくて」
とTOMO君の紹介があり、その初老の女性の娘さん、つまり今この工房を取り仕切っているまだ20代前半のイッドさんがやって来ました。
彼女は、赤ちゃんを出産したばかりでまだ少しだるくて……。と言いながらも、スタッフたちの質問ぜめにも、商売気なく淡々と静かに丁寧に応えてくれました。やはり、織る事、布が好きな人なのだと見受けました。

彼女によると、私たちの高機でヘンプ100%の布を織るのは、ヘンプ糸の不均質な太さや強度、入手できる糸の品質の不安定さと相まって、彼女らの持つ高機の性質では地機のように強く打ち込む事もできないので、非常に時間もかかり難しいとのこと。
ちょっとがっかりする私たちに、もし縦糸をコットンにすれば、横糸をヘンプにする事は可能ですよ。それでも、ヘンプの素材感や性質は生かせますし、希望の短い日程でも織り目が密で均一、丈夫な使いやすい布ができるでしょうと、以前作った布見本をみせてくれながら、説明してくれました。
できない事を正直に、そして理由をわかりやすく説明しながら、同時に私たちの求めるものに寄り添った代替え案を出してくれる真面目でリアリストな娘、イッドさん。織ることが大好きなお母さん。気の良いお手伝いの女性。工房を訪問したジャックさんたちスタッフ皆も、親しみと信頼感を感じ、TOMO君と同じように、この若いもの作りの仲間を応援したいという気持になったようでした。

また、タイ族の中でもタイルー族というグループのジャックさんは、イッドさんやお母さんたちタイヨーム族の言葉がタイルーの言葉に近く、言葉の響きも喋り方も、話す内容も、なんだかお母さんと話しているみたいだったと、嬉しそうでした。彼女は数年前に大好きだったお母さんを病気で亡くしているのですが、白くふんわりしたイッドさんのお母さんの居ずまいや優しい喋り方は、自分のお母さんの面影や、かつて共に暮らした頃を思いださせるものだったようです。
残念ながら、今の私たちの工場のメンバーたちは織物はできない世代ですが、彼女らの母親の世代は、誰もが機織りができ、つい最近まで家に機があったという人も多いので、余計に郷愁を感じたのかもしれません。

工芸の都と言われ、今も様々な手を使ったもの作りが盛んなチェンマイ。そしてその絹織物は王族も求めるという素晴らしい技巧を持つランプーンでも、糸や布にまつわる様々な技は、徐々に廃れて来ているのが現実です。
とはいえ、今の王妃様の奨励がきっかけになって行われている北タイでは金曜日に公務員や学校へ通う子供たちはタイの伝統衣装を纏う運動があり、北タイの手織りの伝統的な布で洋服をつくるTOMO君や、イッドさんたちのような努力が続いているのも、また事実です。
ランプーンが誇る素晴らしく精緻な、なかなか手が届かないような工芸の粋の布も素晴らしいですが、こうして普段の日々の中で織られる布も、その人の面影や居ずまいがにじむ優しく親しいものです。
私たちのものづくりも、TOMO君やイッドさんたちのように、そうした日々の中で使われながらも、伝統的な美を保っている物達を再発見し、そして新しい使い方を提案し、命を改めて吹き込み、これまでの伝統の流れに合流していけたら、と思わずにはおれません。

 ちなみに娘さんの旦那さんは、家の女たちが作った布を、バンコクに売りに行ったりする仕事をしているそうで、不在でした。どうやらここでも女は強し。だったようです。(Asae Hanaoka)


2013年9月9日月曜日

失われそうな、布を求めて   Homespun, Bespoke(1)

私たちはeavamを開発する以前から、さまざまな製品の開発と製造を行い、その経験を生かしてオーガニックスキンケア製品のアイデアと製造スキルを磨いてきました。開発の中にはパッケージの提案やデザインも含まれます。こうした過程でバーム製品の携帯用小袋にヘンプ100%の布を提案してきましたし、また「ほしはなヴィレッジ」アメニティの包み布にもヘンプが用いられています。ただしこちらはヘンプ100%ではなく、たて糸はコットン、よこ糸にヘンプを用いたものです。
ヘンプ100%の布は、山岳少数民族のモン族の女性が地機で織っているもので、本来は彼等の民族衣装のためにあるものです。しかし近年、彼等の暮らしが町の経済と結びついてきたことで、かつて家族のために手織りで誂えられた民族衣装の生地は、今では大半が市販の工業製品の布に殆ど変わりつつあります。
いつまでも肌に馴染まず、染め直しもできない化繊の民族衣装には、それでも伝統的な稠密な意匠の刺繍が施されています。しかし糸は、派手な蛍光色に染められたもの。モン族の女性たちが、市場などで布を売ったり仲間とおしゃべ
りしながらも、手は止まる事なく刺繍を続けている様子を見ると、こうした、温もりがなく粗雑な素材が、彼女たちの丁寧な手仕事を浪費し、どこか寂しいものにしているように感じます。

なかには、彼等自身がこういう糸や布の色や光沢を好むのだから、これが本来の民族衣装の姿だと辛口に言う人も居ますが、そうでしょうか?
例えば、かつて服を染めるのに使われていた染料の藍には、匂いによって虫や蛇、そして魔を除けるという意味があったように、文様だけでなく、その素材にも様々な意味が込められていました。民族衣装を着るという事は、織り手が積み重ねた時間や、染料やその植物に由来する自然の力や信仰をも着る事、一着の衣装はあたかも民族の歴史の書物のようでもあったのです。だとすれば、市場で買い求めた素材で作られた衣装は見栄えこそ色鮮やかですが、ただ、属性を示し、肌を隠すだけの空疎なものになってしまったかのようです。

さらに、宗教や生活様式の変化により、普段は民族衣装ではなく、洋服で暮らす人も増えたため(そういえば、私たちがヘンプ袋の仕事を頼んでいるルカさんも普段は洋服姿です)、ヘンプ布は自分たちの生活必需品から、町の暮らしには欠かせない現金収入の源として、土産物として売られるようになった事、物価の上昇も相まって、価格が年々高くなる一方です。
そこに追い打ちをかけるように、織り手は高齢化し、地機を腰でひっぱり続けながら細かい作業を根気づよく続けなくてはならない大変な仕事は後継者も少ないため、織り目は粗くなったり、まちまちだったり、価格の高騰の一方で作る現場では質より量を求めた結果の品質低下も目立ちます。おかげで、私たちも製品のためのヘンプ布を調達するのが年々難しく、大切に思う反面、悩みも深くなっています。

このように上等な手織りのヘンプ布の入手困難は様々な要因が絡み合った結果ですが、最大の原因は、やはり自分や大切な家族が身に纏うという、生活に直結した需要が無くなり、ものづくりを粗雑にさせてしまったことではないでしょうか。
もちろん、これは彼等山岳民族に限ったことではなく、私たち誰もに言えそうです。
思い起こせば日本でも、数十年前まで家の周辺には洋裁屋さんがあって、布こそ市販品であったかもしれませんが、様々な語らいの結果として、母の晴れ着のワンピースや父の背広が出来、私たちのスカートやシャツも、子供たちを思い浮かべながら重ねられた母の時間の賜物であり、それは大切に長く着られていなかったでしょうか。服があっという間に痛んで、あっという間に流行遅れになるようになったのは何時からでしょうか?

とはいえ、ヘンプ布の面持ちは未だ辛うじて美しく、ヘンプという素材への興味は尽きませんし、手織りの布という存在には色々な問いが生まれ、その問いに応えてみたいという思いも溢れてきます。
それにヘンプはもちろんですが、織物の伝統全体がそもそも北タイの文化の魅力の一つであり、少し視野を広げてみれば、山岳民族の布に限らず郊外で今も手織りの布を丁寧に作り続けているタイ人たちも居ます。
タイ人も、特に北タイでは、タイユワン、タイルーなどのタイ族の民族的なグループ毎に独自の言葉や織り文様を持ち、ヘンプのほか、絹や綿で素晴らしい布を織ったり染めたりますが、安く大量生産された布や衣類の影響でその仕事の継続は難しくなっています。王室の支援プロジェクトや、金曜日に民族衣装を着て過ごす運動など、伝統的な手織り布の文化を持続させる運動も盛んではありますが、それでも全体を取り巻く環境は厳しいものです。
それならば、アメニティではチェンマイ、北タイ全体、またそこにある布の世界全体に目を向けて、タイ族の織る布を選ぶ事も、北タイの布の世界を伝え、応援する事になるのではないかと考え、私たちのアメニティの包み布(ハンドタオル)は、チェンマイ周辺の織り手の方が作るものから選ぼうという事になりました。(Asae Hanaoka)

2013年9月4日水曜日

ミニマルなアメニティ Simple and Minimal but…

チェンマイに暮らしていながら、本当にチェンマイに腰を据えたのは今年でやっと2年目。
そして永らく気になっていたHIV孤児たちを育てる施設「バーンロムサイ」が運営するリゾート「ほしはなヴィレッジ」へ出かけたのは昨年末のこと。気にかけ続けて10年目のことです。
その時にたまたま招待していただいた村と施設の子供たちのクリスマスパーティが縁で、私たちは施設での子供たちの洗顔やシャワー、衣類等の洗浄に使う石鹸とリゾートで使うアメニティを無償提供することになりました。こうして既に子供たちのための石鹸提供は始まっていましたが、昨日9月2日初めてのアメニティ納品に出かけました。
もうアメニティたちは、ちょっと澄ました顔でゲストハウスのベッドの上で、お客様が手に取ってくれる瞬間を待っている頃です。

「バーンロムサイ」で共同生活する子供たちの多くは母子感染によるHIVキャリアで、かつては死と向き合う日々を過ごしていました。今はHIV抗薬のおかげで、病気を発症せずに成長し、社会人になることもできるようになりました。
とはいえ、薬の効力を保つための服用スケジュールと内容の自己管理、日々抵抗力をつけるべく、身体を元気に保つ努力は必須のこと。それでも中には薬の副作用でアレルギーが出て悩む子も居るのだと、最初の訪問の際にスタッフの方から聞き、ならば肌に優しい素材と製法の私たちの石鹸を使ってもらっては? と思い至ったのが、すべての始まりでした。
そんな時は不思議と物事がするすると進むもので、好運にもパーティの時に、ここの主宰者である名取美和さんにその希望をお話する事ができ、快諾していただけたのでした。まるで子供たちのためのクリスマスのお祝いでしたが、私たちにも思わぬプレゼントがやってきたようでした。

それから間もなく、子供たちのために「バーンロムサイ」に石鹸を提供しました。提供したのは製品化の際に出るフレーク状のもの。
これは形状こそ製品にはできませんが、品質は製品と変わりません。しかもフレーク状の石鹸は水に溶けやすいため、私たちも社内で掃除や洗濯、手洗いに重宝しているもの。案の定、子供たちのシャワーはもちろん、家事にもぴったりでした。

最初の約束は比較的早く始められましたが、そしてもう一つの約束「バーンロムサイ」に併設されたリゾート「ほしはなヴィレッジ」に提供するアメニティは、私たちには初めての試み。特にSAL Laboratoriesのコアメンバーには冒険でした。

「ほしはなヴィレッジ」は、映画「POOL プール」の舞台となったことでも知られ、映画の穏やかな空気を体験すべく訪れる人も多いのですが、この透き通るようにきれいな水のプールは、実は施設の子供たちの免疫力づくりの設備でもあります。
とはいえ、子供たちも四六時中プールを使っているわけではなく、多くの時間はプールは無人。それでも、水を清浄に保つために浄化装置は常に働いていますし、せっかくの美しいプールをよりよく活用し、更に「バーンロムサイ」が寄付金のみに頼らず、より自立的、持続可能な運営ができるようになること、それがひいては将来、子供たちが社会人となった時の就労の場ともなりえることを視野にいれて、数名の賛同者の方たちと名取さんが作り上げたのが「ほしはなヴィレッジ」です。とてもエチカルな成り立ちのリゾートなのです。
それだけではありません。
ラムヤイやマンゴーの果樹や様々な花の木など、したたる緑に囲まれたコテージは、タイの木造建築の古材や伝統的な草葺き屋根を取り入れた、ナチュラルでシンプルなデザインです。内装やリネン類もシンプルながら選び抜かれたもの。「バーンロムサイ」でハンドメイドされたものも使われています。
(「バーンロムサイ」は、施設の自立的運営のため、また、村や山岳民族の女性たちの就労の機会を作るために、洋服などの工房も併設しています)
また、まだ全部ではないものの、無農薬の自家製野菜を料理に用いるなど、環境に調和し、配慮したオーガニックなリゾートを目指す側面も持っています。その方針を更に深めて行きたいというのも、主宰者 名取美和さんのコンセプトです。
そして「もちろん客室の洗剤やシャンプーなどもそれに相応しいものが良いのだけれど、これぞというものがなかなか見つからなくて……」。というお話を聞いたのが、私たちがアメニティ提供を思い立つきっかけになりました。

そんな、嬉しい話を会社へ持ち帰って思いついたのが、せっかくならば、SAL Laboratoriesの最初のプロジェクトにできないか? ということ。
製品化開発を、できる限りタイのスタッフたちに中心になって進めてもらい、これからの私たちの新しい「もの作りの方法」を作り上げるきっかけにもしたいとジャックさんたちと話し合いました。

それから8ヶ月間。それは普段の製造の仕事を続けながら、どこか走り続けているような少し息が急くような毎日でした。
チェンマイ郊外の織物工房へ出かけたり、バームの小さな容器を試行錯誤したり、日本の熨斗袋やお祝い包み、タイのお菓子を包むバナナの葉の折り方からラッピングのスタイルを考えたり、そうして思いついて作った、どこか幼い原型をより美しい形に洗練させたり……。SAL Laboratoriesのコアメンバーだけでなく、他の部門のスタッフたちがそれぞれの得意な能力を発揮して、すっきりとシンプルでありながら、彼女たち自身のように、どこか暖かみと柔らかさのあるアメニティセットができました。
中味は、コールドプロセス石鹸、アルガンバーム、ガスール、そしてクエン酸リンスです。これで髪も顔も身体も洗え、保湿もできます。
そしてラッピングに使った布は手織りのヘンプコットンで、水を含むと柔らかな手触りになり、シャワーの時の洗浄用タオルに、また吸湿性が高く乾きやすいためハンドタオルとして使えます。
更に、包みの上に飾られた小さな緑のバラはタイではバイ・トゥーイと呼ばれるパンダナスの葉。これはリラクゼーション効果のある青っぽさと甘く懐かしい芳香があります。部屋の消臭効果もあり、枕元に置けばスリーピングポプリともなります。これも、布の包みも美しいけれど、それだけでは味気ないと思ったところ、スタッフたちが提案してきたもの。バイトゥーイのバラはこのあたりではとてもポピュラーなもので、部屋に飾って香りを楽しむ他、時にはお湯の中に入れて煮て、目にも可愛らしいお茶にする事もあります。

このように、それぞれが小さな子供を大切に育てるように作られた、中味はもちろん外側にもチェンマイらしさがいっぱいに詰まったアメニティ。
名取さんやスタッフの方たちの子供たちを慈しむ気持や、そんな愛情に包まれ、一方で病気や親の不在という困難も携えながらも生きる事を喜び、日々を精一杯過ごす子供たちのうち震えて輝くように伸びやかさが作る、このリゾートのおおらかに澄んだ空気に似合うのではないか?
「さあ、どうぞ。こちらです」
丁寧に梱包された箱を名取さんたちの目の前に置き、メーオさんとカーンさんが、そっと蓋を開けた瞬間、あたりに漂った涼しく優しいバイ・トゥーイの香りと、箱の中に静かに、しかしどこか幸福感に満ちた表情のアメニティの布包みが現れた時、そんな気がしたのでした。

日本からは少し遠い場所ではありますが、チェンマイに来たら、是非「ほしはなヴィレッジ」で、バーンロムサイと私たちのコラボレーションに触れていただけたらと思います。(Asae Hanaoka/Jiro Ohashi)

2013年8月22日木曜日

チャンピー:樹木の一生 Tabula Rasa

我が家には2本の大木、ガジュマルと熱帯マグノリア(タイ名はチャンピ―)がありました。いずれも2階建ての家の屋根をはるかに見下ろす近隣のランドマークにもなっている大樹でしたが、ガジュマルは2011年のタイ大洪水による浸水に根を腐らせ、翌年の4月、嵐の日に倒れてしまいました。

幸い、チャンピ―は生命力が強く、根を広く張る性質のおかげで過酷な洪水も乗り切り、更にガジュマルの木が倒れてできた日向を独り占めして、翌年は今迄に無く見事に涼しい上品な香りの白い花を、鈴なりに何度も咲かせてくれました。
花の無い時期も、緑の枝を繁茂させてまるで緑の大きなブラシのような姿に育った様子はとても美しく力強く、私はもちろん近所の人たちの目も楽しませたのですが、実はその頃、地下では恐ろしいことも起きていたのです。
強い陽射しを享受し、目に見えるような早さで枝をたっぷり茂らせたのと同じように、このチャンピー、その根を縦横に綿密に伸ばし、ついには1階の洗面所のあたりの基礎を付き破り、タイルの床を盛り上げ、排水管も壊していたのです。

それに気づいたのはその年の雨季の後半。
雨季でも雨量は前半よりも後半の方がはるかに多く、天井が抜けるかと思うような大変な音の大雨がよく降るのですが、いかにもそんな豪雨の夜のこと。
夜中に本を読んでいるとひたひたという水が満ちる音がどこかでします。
それは数年前の洪水で部屋に浸水した時に聞いた音。
なんとも言えない違和感と不安に駆られながら音がする洗面所のドアを開けると、そこはあと少しで部屋から水があふれそう。床は消えてプールのようになっていたのでした。大慌てで水をかき出してトイレへ捨てている間に、幸い雨は止んで1階中が水浸しになることはどうにか免れました。
翌日、大工の親方に調べてもらうと、どうやら2階のテラスに落ちた雨水と洗面所の排水管が合流し、外に排出される管に繋がるあたりをチャンピーの根が塞いでしまい、手を洗う程度の水ならば辛うじて流れたものが、一気に流れてきた雨水は排出しきれず、逆流してしまったのだろう。。という見立てでした。
なるほど親方が指差す洗面所のタイルの床は、確かに外から室内に向けて一直線に盛り上がっています。盛り上がりが始まっている部分の壁にも微妙に亀裂。盛り上がりが少しうねっているところが生き物らさしさを感じさせて不穏です。

「このままじゃあ、家の土台がチャンピーの根に滅茶苦茶に砕かれちまうぞ! でそれだけじゃねぇ、いずれ塀も突き破ってお隣の家の土地へも伸びていって一悶着だろうなぁ。俺が一番嫌なのは、根っこがトイレのタンクを壊すことかなぁ…。どうなるかわかるだろ? こりゃあ、切るしかないぞ」
「わかります。でも……。でも花は綺麗だし、ずっと長生きした木でしょう? なんとか伐らず済む方法はないの?」
「ない! 本当にないぞ! 危ないぞ! ほら、床が盛り上がって壁にもヒビだ。これは根っこが押し上げているんだぞ! 家が壊れたら、あんたぺちゃんこだ!」

本気で心配そうで、特に最後の問題は心底嫌そうな親方の様子に、私も泣く泣くどうぞ、よろしく切ってやってください。と言うよりありませんでした。

しかし雨季の間は土木作業には向きません。
いつチャンピーが「最悪の事態」を招くか若干の不安もありましたが、何とか間に合うだろうという親方の見立てを信じて雨季が明けて晴天が続くようになる季節を待って作業をすることになりました。
雨季が明けるのを待つ間、私は大雨の度にドアの向こうの「池の間」の美しさにちょっと感動しつつも、水をかき出す作業のために夜中に大汗をかくことになりました。しかもそんな大変な雨は何故か夜中に多いのです。
同居の水好きの犬君は、私がしゃかりきになって水をかき出している脇で、お部屋に具合の良い遊び場ができたね!素敵だよ! と、水の中に座り込んで涼んだり、前足で水面をぱちゃぱちゃはね飛ばしてひとしきり遊んだ後、その半濡れの毛皮で居間中を歩き回って屋内の深夜の小洪水の被害を拡大させます。その夜中の大騒動の度に、やっぱりこれは伐らなくてはいけないのだ、と私も決心を固めていったのです。

そして、いよいよ木を切る日。
切り株を掘り出す準備で、木の周りのテラスのコンクリートを剥がすと、想像以上に根は広く伸びていて、親方が心配した「最悪の事態」の一歩手前だったとわかりました。
しかしやはり、目の前の生き生きと葉を広げている木を見ると、この命を自分の一存で絶つのは、あまりに恐ろしいと思えて、親方にゴーサインを出せません。でも切らなくてはならない……。どうしよう……。と焦る脳裏にふっと子供の頃、家の近所に植えられていた桐の木の姿が思い浮かびました。真っ直ぐ伸びる姿がチャンピーと重なったのかもしれません。
その桐の木は近所のお姉さんのために植えられた木でした。
私の実家の地域では女の子が生まれると桐の木を植え、共に成長する様子を愛で、成人するとそれを木材にして嫁入り道具にする習慣があったそうで、私より少し前の世代までその習慣が残っていたのです。
ああ、そうだよ。そうすれば良いんじゃない!?
やっとチャンピ―を生かす道が思い浮かびました。
古い古材では、これまでもクリームのスパチュラを作ることを思いつけたのですが、長い時間を生きている木を目の前にした時、それを切ることの畏れの方に気持が向きすぎて、何かに姿を変えさせることを思いつくのに少し時間がかかってしまいました。
でも、おそらくこれが人と木の本来の関わり方なのでしょう。
動物を育てて、その血や肉を貰うように、野菜を育ててそれを刈り取るのと同じように。

「ねえ、バーンさん! チャンピーの木は木質が密で硬くて床材にもするのでしょう?
 ならばこれも、材木になるかな?家具も作れるかな?」

親方とも親しく、現場監督や資材調達の手伝いを兼ね、丁度一緒に現場に立ち会ってくれているバーンさんに聞いてみました。
「ああ、それはいいねぇ。チャンピーの木は木目も色も綺麗だしねぇ…。」
バーンさんも、我が意を得たりという風に、にこにこしています。

確かにここで樹木としての一生は終えさせてしまうけれど、もしこの木のよすがとも言える何かが身の回りにあったら、私はこの木に繋がっている様々な記憶を思い出すだろう。そして、その記憶によってこの木で作られたものはとても親しく思えるのではないか?
またそれに新たに色々な思いを託して一緒に長い時間をすごしていけるのだはないか?
そんな気持がこみ上げてきます。
「ごめんなさい。でも、改めて大事にするから、勘弁してね」
私は、木の肌に手を当ててそう挨拶し、親方に伐ってくださいと、お願いすることができました。

「アサエさん。親方がね、木を切る職人さんは切った木を板に成形することもできるって言ってますよ」
バーンさんはいつの間にか板を作る段取りしてくれ、仏頂面でぐずぐずし続ける私に困り顔だった親方も、おう、お前もやっと気がついたな!といように、こちらに男っぽい渋い笑みを向けてくれました。


それから、半年程過ぎた昨日。
このところ、現場のリクエストで、小椅子など細々したものを作っていたバーンさんが、いつもよりもダイナミックな様子で仕事をしています。
電気を使う工具のちょっとけたたましい音も頻繁ですし、傍らにはカンナや大きな鋸も並んでいて、バーンさん自身の動作も遠目にもいつもと違います。

「バーンさん、何作っているの?」
「机を作りはじめたんですよ!」

見ると、大雑把に表面をならしたチャンピーの板の断面に刻み目が入れられ、机の天板を作っている所。そして、傍らにはオフィスワーク用机の設計図。
木が乾いたら何を作ろう? そうだ、新しく会社に参与してくれたディレクター氏の机を作ろうとバーンさんと話していたのですが、いよいよそれが始まったのです。

既にあるオフィスワーク用の机数台は、だいぶ前にある職人さんにチークの古材を集めて作ってもらったものですが、家具用のチークの古材の流通も減って高価になり、その職人さんも廃業してしまっています。職人はもちろんだけれど木材はどうしようか? 新しく人が入るのに……、と困っていたところに、材木は不思議な形で見つかったので、あと必要なのは職人。
では、ディレクター氏には木が乾くまで少し待ってもらい(今は、これまたバーンさんが端材を再利用して作ったかなり簡素な作業テーブルが彼の仮の机です)、その間に職人さんを探してお願いしようかと思っていたのですが、灯台もと暗し。我が社には素晴らしい職人がいました。
チークの産地で木工の町生まれで、とにかく作ること、手を動かすことが好きなバーンさんとしては自分が一番の職人なのでしょう。会社の設備の管理を預かる者として他所の誰かに任せるなんてプライドが許さなかったのでしょう。
いえ、それより作ることが好きな彼には、木を切り、乾く迄の世話をするところから関わった、滅多にない素敵な木材を使った、こんな楽しい仕事は自分でやらずにはおれなかったのだと思います。やっと見つけた最高の食材の調理を誰かに任せる料理人がいるでしょうか?

今日もバーンさんは始業前から何とも嬉しそうな顔で、机づくりに勤しんでいます。
木材の種類も違いますし、人によってその手が作る表情は違います。
またバーンさんなりの工夫が設計図に施されるかもしれませんから、これまでの机とは少し趣が違うかもしれません。
けれど、あのまっすぐの清々しい形のチャンピ―の木から生まれた、その花のように柔らかな白さのある板で、気持の良いバーンさんが作る机というのは、新しく来て、会社に節目を作り、どこか心わきたつ風を起こしている人にとても相応しい気がします。

机とは、何かを捧げる台であり、計画し、物語を編集し、世界を見渡す道具です。新しい白い木の机とは、まさに新しい出来事の始まりの象徴でもあります。
ガジュマルの大樹が倒れた時、また大好きだったチャンピ―の木を切らなくてはならなかった時は、大切なものが失われた悲しい出来事のように思えたのですが、2本の木が無くなった後には、からりと明るく風の吹き渡る広い場所ができて、我が家には、こんな面白い場所が隠れていたのか!と驚き、さっぱりと何かを脱ぎ去った気もしました。
一つの木は焚付けにせざるを得ませんでしたが、もう一つの木からは美しい形と仕事が生まれて来て、一つは古いことの終わりを、そして一つは新しい物語始まりを示すよう。
おかげで今では2本の木は、私に何か新しい何かを始める一歩を踏み出すことを、身をもって教えてくれたのではないか?そんな風に思えてくるのです。

ちなみに、チャンピ―は花もとても香り高いのですが木の葉にもその香りがほのかにし、木材にもその香りが微かにあるようです。そんなところもとても好ましく思えます。(A.H.)

2013年8月15日木曜日

五戒:戒めの伝達装置 temple of hell

チェンマイは女性に人気のある街。日本からの旅行者の中にも若い女性の2人組という姿をけっこう多く目にします。街の旧市街近くを流れるピン河の川沿いのレストランやギャラリー、地元の市場やタイ料理の屋台で「旅の指差し会話帳」を試みている人たちも実際に見たことがあります(これはまた、まだこちらに来て日の浅い「旅行者」とも「居住者」ともつかない自分の姿とも重なります)。彼女たちはとてもおしゃれで快活で、好奇心も旺盛にさまざまなスポットへ出かけます。

ぼくらが週末等によく利用する郊外のゲストハウスも、日本からの旅行者が多いのですが、ここでも宿泊客は圧倒的に女性が多く、気のおけない仲良し2人組でツインルームをシェアする姿もよく見ます。旅先で読んだのでしょう。宿泊したゲストが残していったさまざまな本たちが、食堂の棚の一角を埋めて自由図書館のようになっています。
今年のソンクラーン休暇で宿泊した際には、『積極的その日暮らし』落合恵子、『深夜特急』沢木耕太郎、『おひとりさまの老後』上野千鶴子といった本が並んでいました。幸田文、白州正子、森茉莉といった定番ものも文庫でありました。

そんな素敵なチェンマイですが、街の魅力は多面的です。昼があれば夜、男がいれば女、AppleがあればSAMSUNGです。先日、会社の帰り道、一度は行ってみたいと思っていたお寺へ行ってきました。
寺の名前はWat Mae KAET Noi。会社からは車で10分とかからないご近所のお寺ですが、とはいえ彼女は今まで一度も行ったことはないと言います。旅行者の旺盛な好奇心と行動力とは違い、いったん居住者となるとその行動範囲は意外と狭くなります。効率的な行動、ある種のルーティンに則った日常生活を送ります。

そのお寺はいわゆる「地獄寺」です。タイは仏教の国、国王以下、国民の9割以上が敬虔な仏教徒であり、13世紀にタイ族による国家が形成されて以降、現在に至るまでスリランカ由来の南伝仏教、いわゆる上座部仏教(小乗仏教)の教えがここでは今も生活の隅々に生きています。地獄寺は「五戒」といわれるその仏教の守るべき戒律を人々にわかりやすく伝えるための立体図解装置でもあります。「悪いことをしたら地獄に堕ちますよ」「地獄というのはこんなに恐ろしいところですよ」「だから人は善い行いをしなければいけませんよ」というという戒めの伝達装置、仏道の広報施設でもあります。

そのお寺の境内では「不殺生戒」(生き物を殺してはいけない)、「不楡盗戒」(他人のものを盗んではいけない)、「不邪淫戒」(配偶者以外と交わってはいけない)、「不妄語戒」(嘘をついてはいけない)、「不飲酒戒」(酒を飲んではいけない)という、人として守るべき人生の規範が、生々しいリアリティで展開されていました。

しかしそれは、僧によるありがたい説教や格式ある儀式、代々伝わる見事な書や歴史ある優美な仏像などによって伝えられるものではありません。全てが現役です。コンクリートで作られた亡者達の像はペンキで鮮やかに塗られており、阿鼻叫喚の地獄絵図がテーマパークのように実体化しています。亡者の目玉には電球が仕込まれ、夜になればチカチカと点滅します。
境内には建造中のコンクリート像もそのまま併置(放置)されており、その現在進行形の現役感、未完の成長感覚はモンセラットの聖母教会、もしくはサグラダ・ファミリアのようです。そしてなにより、これらを作っている人々が本当に楽しそうにやっているのが見ていても伝わります。

この壮大な地獄インスタレーションは、日中の気温40℃にも届かんとするチェンマイの中でもひときわ熱く、男性といわず女性といわず、ぜひとも訪れて頂きたいおすすめのスポットでもあります。(Jiro Ohashi)

2013年8月7日水曜日

バーンさんの仕事場 mr. baan's factory

施設管理マネージャー バーンさんの仕事は、彼の手の働きの素晴らしさと、様々な経験や静かで粘り強い心持ちも相まってか、大変多岐にわたっています(自ら「なんでも屋さん」を買って出てくれるのです)。
庭の芝刈り、ジャスミン畑の世話、現場の作業用家具や道具の製作、家電の修理(大抵のものは出来る)、工場の建物の修繕、製品出荷(彼の荷崩れ防止の作業は不可欠)、少し特別なパッケージやノベルティの製造、時にはジャックさんと製造に必要な道具を「発明」することもあります。いずれにせよ、バーンさんの仕事はきっとまだまだある筈です。

彼の仕事の中で最大のものと言えば、スタッフ用の食堂棟と、敷地内にある家族で暮らす彼の家でしょう。助力する職人さんが数名いたとはいえ、これらはバーンさんが自分で建てたもの。いずれも、以前敷地内にあった古い木造住宅を解体したり、専門業者から入手した古材をリサイクルしたタイらしい形の美しい建物です。
そして彼の仕事場(オフィス?)もまた、この自分で建てた家の軒下です。
自作の昼寝用の台は作業台に早変わりし、これまた自分で植えた植物たちに囲まれ、涼しい風の中、足元に昼寝する猫を置いて、もの作りや修理に励みます。
蚊が多い時には、庭で集めておいたココナッツの殻の繊維を燻したりすることもありますが、それも外で過ごす時間を彼がとても楽しんで大切にしているように思えます。

今日は社宅の庭に生えていた熱帯マグノリアの巨木(これは根が家の土台や塀、配管などを突き破ってしまうため、切らざるを得なかったものです)を材料に、私たちが使う机を作っています。バーンさんは伐採した木も無駄にはしません。切った巨木を板状に加工し、半年間かけて天日乾燥させ準備完了。いよいよ机づくりに着手した模様。

2013年7月27日土曜日

緑に埋もれるように  Gone to Earth

以前、モロッコのカスバ街道沿いのオアシスで仕事をしていた頃のことです。毎年そこへ通う度に古い建物が溶けるように土に帰って行く様子を目の当たりにしていました。
というのは、かの地の家は土の家だったからです。
土の家の在り方には人の暮らしの原型、人と自然との関わりとはどんなものかを多く考えさせられ、それがモロッコでの私の仕事の推進力になっていたようにも思います。

土の家は資材はごく単純で、土と植物だけ。天井や建物の角などには木の柱や葦を入れ、地元の粘り気のある土に藁を刻んで水で練り、枠に入れてから天日干しした日干しレンガを積み上げて壁を作り、外側は漆喰や泥で化粧し、ベルベル風の文様などを型押しして仕上げます。それは小さな家もどんな大きな邸宅でも同じです。

そんな風に土と植物だけで作られているので、小さな城塞と呼びたくなるような2~100年程前の大きな建物(実際は何世代もの家族が暮らし、折々に建て増ししたり修理をして生き物のように育ててきたといっても良い)でさえも、長年の風雨に少しずつ溶け、荒れ野や畑の中で土へと還って行くのを、この辺りを歩いていると見かけたものでした。
そうした建物の中でお気に入りの場所を見つけた私は、明け方や夕方、そこにそっと忍びこみ、かつての中庭や祈りの部屋で、慌ただしい仕事からのがれて、少しだけ一人で空を眺めたり、頭の中でかつての家の様子が次第に風化して行く様子を早回しにしてみたりする時間を楽しんでいたのです。
そこも、このところの年を追う毎に異常になる天候に溶ける速度が早まっていて、私がかの地を訪れた最後の都市には倒壊寸前となり、持ち主によって立ち入り禁止になってしまいました。きっともう今ではあらかた土に還って微かに痕跡が残るだけでしょう。

人間は生命体である以上自然の一部の筈ですが、奇妙な事に家や村、道路など人工的な空間をシェルターのように造り出し、そこで生きるという矛盾した存在です。それでもかの地では、人がその場を去れば跡形もなくその人工的な空間は消え、土へ自然へと還って行くのです。
当時、毎日のように沢山の薔薇を蒸留釜で熱処理し、命を奪うようにもの作りをし(とはいえ、その薔薇も羊の餌になり羊は肉や肥料を生産していたので、決して無駄ではなかったのですが)、まるで薔薇の死神のように自分を思っていた私はには、この大地に溶けて行く家はえも言われぬ許しを覚える場所であり、土の家という仕組みを作ったベルベル族の、シンプルで謙虚な、美しい生き方を尊敬し、憧れにも近い思いさえ抱くきっかけになりました。

実際、この土の家は見た目の美しさや終わり際ばかりでなく、生活の場としても非常に優れています。
長く人が暮らして来た土の家は、長年の壁の塗り直しなどで壁の厚さは60センチ以上あり、おかげで断熱防音に優れ、静かなうえに冬は暖かく夏は涼しく、湿度も一定に保たれます。
また、粘土には匂いを吸着する働きがあるので空気は清浄に保たれるのですが、おかげで大抵のベルベル族の家には屋敷の一部に牛や羊を飼う部屋があるにもかかわらず、獣達の悪臭が一切しません。
もし欠点を上げるならば、雨には弱くこまめな修理が必要な事でしょうが、そもそも原料は土と藁なので、無尽蔵にあるし、再利用も可能。村の職人は定期的に仕事を得られます。なのでこれは欠点ではなく環境的にも経済的な美点かもしれません。
そんな目には美しく自然の摂理にも適い、地域との結びつきの要にもなる家やそこでの人々の暮らしぶりに私はすっかり惚れ込み、滞在が長くなり村の人たちとも親しくなった頃には、もしできるならばここに小さな土の家を建て、彼等と一緒に畑をしながら暮らしてみたい、羊や薔薇や麦、イチジクや葡萄に囲まれて、まるでコーランか聖書の雅歌の世界のように、と思うようになっていた程でした。

しかし。
モロッコはヨーロッパにも近いため、ツーリズムに携わる人や出稼ぎも多い国でもあります。そのためヨーロッパ的な生活に憧れる人が多いのも事実。こうした仕事で一財産をつくり、コンクリートで溶けない家を建てるのがステイタスになっている一面もあります。
確かにコンクリートは溶けませんが、夏は暑く、冬は底冷えがするのは身体に悪いものです。そして、土ならば少し歪みのある四角いキューブ状の家の形もどこかまろやかで美味しそうにさえ思えるのに、素材が変わると歪みは単なる不格好となり、内装の派手に塗られたペンキの壁や、造花のデコレーションもどこか雑で寒々しさが漂うものになります。溶けない、傷つかない、ということで建てた瞬間から住む人の心と建物の間に距離ができてしまうのでしょうか。
 ある大きな家にお邪魔した時、私は期待していた土の部屋ではなく、真新しいコンクリートの部屋に案内されました。そこは家族がよかれと思ってコンクリートで増築した部屋で、足を痛めた家長のおじいさんの居室でもあったのですが、当のおじいさんは「儂は前の土の部屋の方があったかくて落ち着くし、冷えないから、足も痛まなくていいのだがねぇ。。」と二人きりになった時に、そっと私にこぼしたのでした。
いずれにせよ、このコンクリートの家はおじいさんを悩ませるように住人を差し置くばかりでなく、強い陽射しの荒々しい気候の国ではみるみる痛々しいガレキになり土に還る事はないですし、外見と管理の手抜き以外に、果たしてどのような効用があるのでしょうか?観光という面から見ても、土の家を「真似た」コンクリートの家を見に来る旅行者はそう多くないとも思えます。

振り返って、いま私達が仕事をし、暮らしているタイのチェンマイはどうでしょう。
やはりこちらも、出来合いの建材を使った洋風の建て売り住宅が花盛りです。トラックで運ばれる合板やプラスティックの建材を見ていると、見た目こそ洒落ているけれど、モロッコにもまして強い陽射しと雨に見舞われるこの国で、このおもちゃのような家が10年耐えられるのか?と、不安になります。
雨季ともなればこの国では、豊かな水と優しい温気に植物達は、目にもその早さが見えそうな勢いで枝葉を伸ばし、少し気を抜けば人も道も埋もれてしまいそうになります。
実際、築数十余年の我が家は、傍らに立つ熱帯マグノリアやガジュマルの木の根に排水管や土台を突き破られてしまいました。また、かつての通貨危機やリーマンショックの影響で、開発途中で資金が尽きて放棄された建て売り住宅の造成地も、いつの間にか蔓草が絡み付き豆科の樹々が育ち、沼地や野原に戻りかけています。まるでどんなに建造物を作っても、みるみる植物達の波に押しつぶされ、呑み込まれてしまうようです。

そこに、ある風景が重なります。
少し前、日本のとある地方都市へ行ったときに見かけた植物に侵食され崩れかけた廃工場です。
どこかタルコフスキーの「ストーカー」を思い出させる風景に誘われ、中を覗くとそこは緑の氾濫。
若木が天井を突き破り、ツタが窓枠を歪めて室内まで入り込み、苔達はコンクリートさえも腐らせ、また、何か劇薬が入っていたとおぼしい腐食しかけの鉄のタンクの中は、木賊に似た水生植物が生い茂る不思議な中庭と化していました。

モロッコ、タイ、日本、これら緑に埋もれて行く痛々しい人工物の滅びの光景の重なりを思い出すなかでふと。
人が滅んでしまったって、植物はこんな風に何ごとも無かったかのように生い茂っていくのかもしれない。もうそれでいいのかもしれない。
そういえば、スリーマイル原発の人には致死量の放射線量の壊れたプラントの水中には、バクテリアやプランクトンが繁殖していたという話があったではないだろうか?
また、福島の原発の冷水システムが鼠のせいで止まった事故があったけれど、それは「鼠ごとき」ではなく、そもそも「鼠にさえ」私たち人間は抗えないのが真実ではないか?
本来私達は自然の一部であり、生命であり、知恵以外は力を持たない丸裸の猿なのだから、旺盛な野生の生命力をどうして抑える事などできるだろうか。
むしろ、自然に負けるように、雨に溶けように、緑に覆われ侵食されるに、そのような生き方や方法はないものか?あたかもあの懐かしい、生一本の土の家が末には溶けて土に還るように。
そしてもっと、人は植物達や他の小さな生命達にこの世界を返してしまってもいいのではないか?
そんな、虚無的な、滅びの誘惑が私の中にこみ上げて来ます。

「ねえ、今日は庭で空芯菜摘んで帰ろうか?」
「うーん、毛虫が怖いから、私はどうしようかなぁ」
「今年は変だねえ、あんなにラムヤイに虫がでてさ」
「他所で消毒してもさ、ウチの会社はそういう事をしないでしょ?だから安心だって、蝶も逃げてくるんだよ」
「だから、あたしらが食べる空芯菜も美味しくて安心なんだけれどね」
「ジャックさんがサナギを見たっていうから、毛虫も後少しでいなくなるわよ」
「じゃあ、こんどは、チョウチョの乱舞ね。キレイでしょうね!あとちょっとの辛抱よ」

一人机でどんよりと妄想の渦中の私の耳に、お昼が近くなって少しひもじいスタッフ達の声。
おしゃべりしても、良く働く手も目配りも止まらないのは全く見事なもの。
そんな彼女達の日々の楽しみの会話に、乱暴で幼稚な滅びの誘惑は少しだけ遠のきます。

そういえば、ノイちゃんは良くこの形はなんと不思議で美しいことかと、木の実や草の葉を愛おしそうにほお擦りしていたっけ。。ジャックさんは、今年庭に大発生している毛虫に怖いけれど、あと少しで蝶になるのだから。薬は可哀想だし、誰にも危険だから嫌だもの。。と困ったように笑い、スタッフの皆はだれもそれに反対しなかったな。。バーンさんは古い家の木材を再利用して素敵な木造の家や家具を作るし、ガスより火で焚いた餅米の方が美味しいから・・と、それらの端材を大切そうに庭に集めるのだった。。あの子がラムヤイや花の木に絡み付いたカラスウリのツルをそっとそのままにしているのは、若葉が美味しいスープになるからだし、メオさんは、まだまだタイの植物の事を知らない私に、あれはお祭りに、これは薬に。。。と教えてくれるよね。。
私の傍にいる人たち、それぞれの様子を丁寧に見れば、まさに緑の横溢の隙間にそっと間借りし、それらを愛おしみ惜しんで暮らしている人たちが、まだまだ大勢居ることが思い出されます。

優しい仕事仲間達の顔やありようを思いながら、それでも人が作るものの中に土に帰れないものがあまりに多い事への痛みは内側で続きます。

もしも人間の消える時がやって来たとしても、むしろ世界は全き自然を取り戻し、奪いすぎるものも無く、きっとそれぞれが力強く生き生きとしている気がします。
でも誰がそれを見て、愛したり讃えたりするでしょうか?
それとも、もとからそんな事、不要なのでしょうか?
もし、自然の一部でありながらその外の存在ともなり、今や鬼子のようでもある私たち人間にできる事がまだあるとしたら、本来の自分達の出自である自然を讃え、そこから糧も居場所も得ている事に畏れ、感謝し、それを振る舞いや言葉とすることに尽きるのではないか?

その上で、ここにある以上はどう生きようか?と私は思い、願います。
多くを自然から得て、そこから生活に必要なある形、物を作り出して生業としている私達ですが、願わくば、作る過程でも使う過程でも、それが末には土に還り、緑に覆われるものでありますように。
また、この日々の営為が足りる以上を望むことはなく、なぜなら、そこで培われる生を受けるとは、この地上での一瞬の間借りであり、この身が去ったその場所には、そしてもうその時には名前も形も失って私ではなくなった私の上にも、変わらず緑の横溢があって欲しいから。

そのようなもの作り/生き方をしたい、のどかなスタッフ達の交わしあいやころころと丸いものが転がるような美しく甘いタイ語の響きを聞きながらそんな風に思うのでした。(Asae Hanaoka)


2013年7月10日水曜日

ランパーンの鶏碗(その2) chicken bowl 02

チキンボウルを詳細に見てみましょう。地元のスーパーなどで売られている最近の安価なものは別として、基本的な器の形状は丸型ではなく、側面のところどころに凸凹があります。最初は掌に収まった際の指掛かりの良さから付けられた凹凸にも見えますが(もちろんそれもありますが)、よく見るとそれはどこのメーカーのものも同様で、規則的な凹凸であり、正確に八角形(オクタゴン)の形状をしています。これはチキンボウル自体に備わった共通の形状であり要件のように思えます。
八角は方位を表しており、角度計算なしに一本のひもで正確に描ける形であり、古来中国では完成された宇宙の形を表すとして最も安定した図象構造とされています。

次に器に描かれた図案を見てみましょう。チキンボウルの名のとおり、鶏が描かれています。これは赤と黒の顔料で鮮やかに描かれており、鶏冠と喉袋から雄鶏であることがわかります。
そして植物が二種描かれています。ひとつは赤もしくはピンク色の牡丹の花。そしてもうひとつは緑を基調とした南国ならではバナナの木。この三種が基本です。
昔から中国の書画、吉祥図にも度々登場する図案に孔雀をモチーフにしたものがありますが、これは実際の絵画では牡丹と併せて描かれることの多い図案です。「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言われるように、牡丹は美しい女性の象徴です。これは孔雀を陽とし男性の、そして牡丹を陰とし女性の象徴としてそれぞれ表したもので、交歓、和合の意を持ち、新婚の夫婦の部屋などに飾られることも多い絵柄です。チキンボウルの鶏は孔雀=男性の象徴であることがわかります。

鶏と牡丹が男女の象徴だとしたら、もうひとつの植物、バナナは何を表すのでしょうか? 手軽で安価なトロピカルフルーツの代表であり、かつては病人しか口に出来なかった特別な高級フルーツの時代もあったこのバナナですが、日本へは江戸時代に、南国の島ではなく中国から伝わって来た果物です。他のふたつが男女の象徴だとしても、バナナを陽物のメタファとしたのではあまりに安易、デリカシーに欠けてしまいます。ましてやこの手の話はごく最近のことです。バスター・キートンが『ハイ・サイン』(1921年)で披露したバナナの皮で滑るというギャグの発案より、ずっと時代は下るはずです。その後チャーリー・チャップリンなどの映画監督が多用し一般化したのちの下ネタ、ギャグが先にありきの陽物バナナと考えられます。木を見て森を見ないように、葡萄を粒で見ないように、バナナの姿は通常、単体(1本)では認識しません。ファルスではなく掌、指、つまり産地での姿形状は豊かに実った房の形で認識されます。

男根からバナナに話を戻します。バナナはバショウ科バショウ属の植物です。「バショウ」とは芭蕉のこと、チキンボウルに描かれたバナナを芭蕉と見れば、また違った見え方をしてきます。芭蕉の葉は裂け易く、儚いものの象徴とされます。日本ではその花の散り際の儚さから、桜は特別な感情を持って人々に受け入れられていますが、芭蕉の葉の儚さが誘う感情もまたこれと同様です。芭蕉は様々な物語の中にも現れます。『湖海新聞夷堅続志』など、昔の中国の説話には芭蕉の精が人に化ける怪異譚がありますし、読経中の僧のもとに芭蕉の精が女の姿で現れ「非情の(魂のない)草木(植物)も成仏できるか」と尋ねる日本の謡曲『芭蕉』はこれを題材にしています。
ここに現れる芭蕉は男(鶏)でもなく女(牡丹)でもなく、また同じ儚い美しさを競う桜と芭蕉とを分けるのは、花と草の区別であり、しかかし花と草(女性)の人生を分けるのは美醜だけに関わりません。男でも女でもなく、草木であっても花ではない存在、それがチキンボウルに描かれた3つめのモチーフ、バナナです。実際バナナの図案には実も花もなく、描かれているのは緑の葉(草)だけです。

ちなみに「芭蕉」とは、その昔マレー半島から中国にバナナが伝えられた際に、ギニア語で指を意味する言葉「banana」の音に対して当て字されたもの。なので中国人が芭蕉と新しい当て字を作っていなければ、松尾芭蕉は「松尾ばなな」となっていた可能性があります。
とはいえランパーンは中国ではなくタイです。タイでは「簡単なこと」や「ありふれたこと」を意味する言葉として「クルアイ・クルアイ」(「kluay kluay」「バナナ・バナナ」の意)という言い回しがありますから、案外深い意味など全くなく、手近にあった植物を手っ取り早く図案の賑やかしに使っただけ、という可能性もあります。
いずれにしても、こうした三種三様の、様々な読み方の誘惑を備えたファンタジーがチキンボウルの図案だということです。(Jiro Ohashi)

*図版はdhanabadee社のサイト http://www.dhanabadee.com/product_heritage.php より

2013年7月4日木曜日

ランパーンの鶏碗(その1) chicken bowl 01

こちらでは屋台系の飲食店等でヌードルやお粥を注文すると、どこもたいてい同じデザインの器に入って出てきます。直径20センチほどのやや小さく肉厚の碗で、白またはベージュの地に鶏の絵が描かれたカラフルな器「チキンボウル」です。タイの人々には"Koey OUA"と呼ばれ、使われているシチュエイションからも分かるように、ごく一般的で安価な庶民の器です。長年の使用により、貫入(ひび)にスープやスパイスの色素が入り込んで強調されたり、縁が欠けたりしているのもまた味があります。
このチキンボウル、観光客向けの土産物屋はもちろんですが、市内の雑貨屋や地元のスーパーマーケットでもよく売られており、探せば5個で100バーツなどもざらにあります。チェンマイから南に車で2時間ほど行ったところの街ランパーンがその生産地です。

ランパーンという街は、チェンマイほど多くの観光客が訪れる場所でもないためか、昔の北タイ様式の建物や街並も観光地化を免れる形で多くが残るとても落ち着いた風情の街です。ここは良質の陶土(ホワイトセラミック/カオリナイト鉱)の産地でもあり、陶器の生産が盛んな場所です。
現在の鶏碗(チキンボウル)が作られるようになった経緯としては様々謂れはあるようですが、60年代にこの地に移り住んだ中国人たちによって始められたというのは間違いないようです。

ランパーンには数多くの陶器会社がありますが、その中でも最大手と言われるINDRA OUTLET(インドラ・アウトレット)社のWebサイト http://www.indraoutlet.com/eng-chickenbowl.html によると、チキンボウルは1930年代に中国広東省で生まれたとされています。当時は薪を燃料としたドラゴン・キリンと呼ばれる登り窯(龍窯)による伝統的な技法で焼かれ、絵師による熟練を要する技で絵付けが行われていたとのこと。その後多くの中国人移民たちによってタイに伝わり、こちらでは1957年にランパーンのRuam Samukkeeに初めてのセラミック工房が作られた。そしてこれが最初のチキンボウルメーカーであると記載されています。
その後ガス窯による技術革新と、短い時間で手早く描ける絵付職人の存在、そして生産コストを減らすための図案パターンの簡略化などにより、チキンボウルをはじめとした陶器の生産はランパーンの製造業の中心として発展したということです。これが所謂「正史」です。

また別のストーリーを主張するところもあります。ランパーンに数ある中堅陶器工房のひとつDHANABADEE(ダナバディ)http://www.dhanabadee.com/about_En.php
は、デザイン性の高い極めて優れたモダンセラミックを作っています。そしてここは自らがチキンボウル製造のオリジナルであると主張しており、工房の敷地内には「ランパーン・セラミックミュージアム」という博物館を建て、一般に公開しています。先日ここを見学した際に説明についてくれたのがこの工房の創業者の娘さんでした。

彼女の説明によると、ダナバディ社の創業者Mr.E(Chin Simyu)は1950年代半ばに、この地で初めてカオリナイト鉱床を発見し、のちにランパーン県で最初のセラミック工場を設立(これがインドラ社の言うRuam Samukkee工房かどうかは不明)。65年には現在の会社の元となった登り窯を初めて開き、ここでチキンボウルを作り始めたとのこと。詳しい時系列は不明ですが、中国人であるMr.Eはどこかのタイミングでこちらに渡ってきて60年代半ばに大きなアクションを起こしたのは事実のようです。
こちらに渡って来た理由は? と問うと「政治的な理由です」との答え。窯を開いた翌66年が文化大革命の開始の年ですから、これに先立って逃れて来たのは間違いないでしょう。中国の文化大革命では、紅衛兵らによって旧思想、旧文化の否定と破壊が叫ばれました。多くの文化人、芸術家らが難を蒙ったことは歴史が伝えていますが、その中には職人や技術者たちも含まれました。陶磁器や金魚、月餅など古い歴史を持つ商品の生産や販売までが「旧文化」として否定され、職人や関係者たちは帝国主義者として吊るし上げられたといいます。

北タイのランパーンに逃れて来たMr.Eは、自ら発見した良質な陶土(カオリナイト鉱床)と、この地に開いた龍窯(ドラゴン・キリン/Dragon kiln)で陶磁器の制作を始めます。そこで作られたのがチキンボウルでした。
それぞれ主張はあるでしょうし、誰もが自らのルーツの正当性を信じオリジナルを名乗りたいもの。ある種の強迫神経症は中心の不在と不安です。
ここでは彼らの本家本舗争いよりも、中国がそのルーツであること、60年代の文化大革命がひとつの経緯であるらしいこと、そしてそこで否定されたものが陶磁器などの旧文化であり、老荘思想、タオイズムであったことに注目したいと思います。(Jiro Ohashi)

*写真は市内の古道具屋で見つけたオールド・チキンボウル

2013年7月3日水曜日

陶器の町へ行く ceramic town

先週末、チェンマイから100km程南へ下ったところにある小さな街、ランパーンへ出かけてきました。
私たちは時折この街を訪れますが、それはアルガンクリームの器を作ってもらっているセラミック工場があるからです。

そもそも、香合や蓋椀が好きで自分で作るクリームやパウダーの器にしていたり、とある青空骨董市でみかけた陶器の器が魅力的だったりがきっかけでしたが、私たちが作っているアルガンクリームの器は、プラスティックでもガラスでもなく、今のご時世ではとても珍しい陶製です。
ちなみにランパーンはチキンボウルと呼ばれるタイの屋台で良く見かける鶏柄のどんぶり茶碗の産地として有名な、タイでも一番の窯業の街。チェンマイも青磁のセラドンで有名ですが、こんなに身近に焼き物の街があるとしたら、やはりこれは何か作りたくなってしまうというのもまた、ものづくりに携わる身としては当然、渡りに舟のことでした。
しかし実際に作って見ると、パッケージに限らず大量生産品の器の世界で、陶器が徐々に廃れてガラス、そしてプラスティックが台頭してきた理由が実によくわかる、剣呑な道のりにもなったのでした。

なぜ剣呑なのか? といえば、それは陶器の完成度とは「ギャンブル」だから。

窯業は火の強さ、陶土の性質、釉薬の発色など、どれだけ均一化を図ろうとしても、思うようにならない領域が極めて沢山あり、手工業的な要素が強い産業なのです。
あたかも映画などで、真面目一徹な職人や巨匠が「ちがう!これじゃない!」と、出来上がった器を叩き割るシーンに象徴されるように、同じ器を作っても、良く言えば、どれひとつとして同じではなく個性があります。悪く言えば、完璧に均一な製品ができない。つまりは再現性が無い、今の大量生産/消費の市場には合致するのがとても難しい世界なのです。

実際、IKEAなどのファッショナブルな量販店の器もこの地域で作られていますが、言われなければわからない程の歪みなどが理由で引き取られなかったものが地元の市場で売られていることもあります。また、チェンマイ特産のセラドンもその仲間である、青磁も本気でのめり込むと身代を潰すといわれる魔境が待ち構えているとか。
そこまでではないものの、私たちの器の品質管理にもさまざまな難しさが潜んでいて、まるで毎回新製品と対面しているかのような悩ましさがあり、工場から器の納品がある度にアルガンクリームチームは器の品質のスタンダードづくりに四苦八苦しています。

そんな四苦八苦をするくせに、この頓狂な事を止めないのはチェンマイの私たちの会社くらいであり、何よりそれに付き合ってくれる人たちが居るおかげです。
「苦しい事もあるけれど、それが自分も物もより良くなることだから」
「工夫するのは、面白いから」
セラミック工場の人たちに、そんな風に言ってもらえるのはなんとありがたく、素敵なことでしょう。

こんなことが可能なのは、それぞれの会社が互いの全体が見渡せる規模であり、おかげでそれぞれの顔が見えるコミュニケーションを深める事ができるから。
また、小さいが故にさまざまな冒険もし易いといった、経済や社会的な要素も大きいからでしょうか?
また、強硬なコンプライアンスではなく、それもありだね、面白いかもしれない、と多様性を受容してくれるやわらかな気風があるおかげでもありそうです。
まるで先祖帰りのような事をしているだけれど、こんな交わしあいや挑戦からきっと、今までとは違うものづくりの将来の姿が見えてくるに違いありません。

ミーティングの席で、少し厳しい相談を無事調整しきったのを見極めて、製造マネージャーのジャックさんが不良品率報告とその解決方法の説明を始めると、セラミック工場のいつもの面々は、お互いに気持がまた近づいた事が感じられる穏やかな表情で頼もしく頷きます。

写真の女性は、私たちの器の歪み検品(歪みがあると、樹脂の器がぴったり締まりません)と、口金の成形をしてくれる女性。ここに勤めて20年のベテラン。
彼女曰く「ここの上司はとても優しく私たちの事を気遣ってくれるし、私自身、この仕事にやりがいと誇りを感じています」とのこと。
タイではしばしば、社員の離職率の高さが問題になりますが、こんな会社もあるのです。彼女に限らず、この会社で会う顔は、気がつけば10年近く殆どが変わっていません。
幸い、我が社も仕事を辞める人は家の事情などでやむを得ずという人が数年に一度ある程度。私たちも、自分たちの会社のことを彼女のように話してくれるスタッフが現れるよう、より良い会社づくりをしていきたいものです。

ちなみに、この工場は、広大な体育館のような構造ですが、見渡す限り、働いているのは女性ばかり
出会った男性と言えば、いつも優しげな笑みを浮かべている社長さんと出入りの管理をしているガードマン氏だけでした。(Asae Hanaoka)

2013年7月1日月曜日

免疫と蚊 immunity system and mosquito sound

こちらに来て2ヵ月ほど経ったころ、身体が様々なサインを出すようになりました。それまでは気が張っていたからか、多少の無理をしても特に疲れも感じなければ、違和感もありませんでした。

最初に現れたのは「痒み」です。
こちらは水や緑がたっぷりあり、リスやトカゲや鳥たちといった小動物も多くいます。猫や犬、水牛やヤギ、そして象といった人に飼われている大きな動物も沢山いいます。当然小さな虫たちも沢山います。特に蚊には注意が必要です。タイ北部の都市とはいえ、ここは亜熱帯の地。蚊はさまざまな病原菌を媒介します。特にデング熱には注意が必要で、これによって死にかけた人間も身近にいます(さいわい九死に一生を得て、現在は元気でいます)。
庭で作業などしていると必ず蚊に刺されますから、気温40℃近くの日中でも長袖長ズボンは欠かせません。また黒い服もダメです。蚊を呼び寄せます。芝刈りなどの作業の前には虫除けスプレーを噴霧します。家の全ての窓やドアには網戸が付けられています。とにかくここは蚊に対する対策は必須の場所ですが、それでも蚊には刺されます。

体質が違うのか、食べるものが違うのか、それとも単に私の血が美味しいのか、とにかく蚊にはよく刺されます。しかしタイの人たちが痒そうにポリポリ掻いているところはあまり見ませんから、彼らはあまり蚊に刺されないのか(いや、そんなはずはない)と羨ましく思います。
刺されるとそこがぷっくりと膨れ上がり、見た目も気分的にもそして実際も、非常に強い痒みを感じます。痛いのも痺れるのも嫌ですが、しかしそれは快感へと移行することさえ可能な紙一重の辛さ、やはり不可逆的に圧倒的に辛いのは「痒み」なのかもしれません。

最初は蚊だと思っていました。しかし市販の痒み止めの薬を縫ってもしばらく時間を置いても、腫れも痒みもいっこうに収まりません。また、どうやら発疹は拡がっているように見えました。その拡がり方は面ではなく線状に、しかもリンパの流れに沿って拡がっているように見えます。痒みは次第に軽い痛みを感じるようにもなっています。
そういえば先日はリンピン(日本食など輸入食材の豊富な外国人向けスーパーマーケット)でサーモンを買って食べました。フルーツも毎日食べており、今が旬のマンゴーも沢山食べています。


以前にも同じようなことがありました。7〜8年前のことですが、当時も全身に痒みを感じ、最初はダニか何かが部屋にいると思い、バルサンを焚いてみたものの収まらず、皮膚科を受診しました。医師には「昨日食べたものを言って下さい」といわれ「コンビニでおにぎりを買って食べた」というと「その具材は?」と訊く。変なこと訊くなあ、と思いつつ「シャケのおにぎり」というとピンポンという顔をして「それです。ヘルペス、帯状疱疹ですね」との診断。
シャケっていってもほんの少しですよ。と言っても「そのほんの少しが反応しているんですよ」とのこと。「最近疲れていませんか?」と言われ、「過労とストレスから免疫力が低下して帯状疱疹を発症したのです」という。言われてみれば、たしかにその時はゲーム関係のプロジェクトにかかり切りで、けっこう大きな予算とスタッフを回しながら疲労困憊していた時期でもありました。
受診した皮膚科クリニックでは、免疫力を上げるための太い注射を打たれ、飲み薬と塗り薬を処方され、「また来なさい」とのことで、しばらく通院しては注射を打たれ続けたことをよく覚えています。

というわけで、自分では全く意識しなかった過労とストレスからくる免疫力の低下によるヘルペスか、と思い至りました。最初は蚊かとも思いましたが、可聴領域の外から来るモスキート・サウンドのごとく、自分では意識することなくいつのまにか攻撃に晒されていたようです。
サーモン(シャケ)には以前にも反応したし、マンゴーはうるし科の植物です。実際これに反応の出る人も多くいます。自分では気がつかなかった分「ああ、身体が正直にサインを出してきたか」と思いました。
免疫力が低下すると、普段ならなんの問題もない食べ物などにも敏感に反応が出ます。アレルギー反応を誘発します。「ああ、私は疲れているんだ。強いストレスに晒されていたんだ」と思い至り、素直に病院へ行きました。チェンマイ市内で一番大きく、設備も整っているといわれるチェンマイ・ラム病院です。ここには日本語の通訳スタッフもおり、難しい医療用語も丁寧に説明してもらうことができます。

「ヘルペスではないかと思う。以前にも同じようなことがあった。思い当たる事もある。サーモンも食べた。マンゴーも食べた。こちらに来たばかりで環境が大きく変わった。気候も違う、食べ物も違う。言葉も不自由だ」。と自説を展開し、ヘルペスの可能性を得々と述べたものの、検査ののち診察した医師はあっけなく「接触性のかぶれですね。あと汗疹かなあ」とのこと。少なくともヘルペスでは全くないとのこと。
過労でもなくストレスでもなく、ましてや免疫力の低下などでもないという。実際、飲み薬と痒み止めの薬を貰って塗ったら治りました。(Jiro Ohashi)

2013年6月27日木曜日

蜜蜂の国  Tropical honey bees

東南アジアにはとても多くの種類の蜜蜂が居るのをご存知でしょうか?
もちろん、山に囲まれたチェンマイもです。

例えばネパールで仕事をしている時に、ビーワックスクリームの原料(ミツロウ)を採る際にお世話になったオオミツバチ(Apis Dorsata)などは、日本ではなかなか目にする機会のない蜂です。しかし、こちらではむしろ身近に、あたかも養蜂で飼われている西洋ミツバチのように”普通”に存在しており、その美しくも巨大な姿を気軽に人前に現します(体長は3センチ程、西洋蜜蜂の胴体を倍に伸ばしたようなスマートな感じの形をしています)。
時にはカムティアン植木市場の睡蓮の花に、家の庭のシルクジャスミンの花に。また、線路沿いや運河沿いの大きなコットンツリーの木の枝に直径50センチはありそうな半月形の焦げ茶色の巣がだらりと下がっているのも、このあたりではよくある、でもとてもゴージャスな光景です(巣が焦げ茶に見えるのは蜂がびっしり集まっているためです。そしてよく見ると蠢いています)。

なかでも最も壮観なのは、ラムヤイやリンチーの花の季節です。
小さな象牙色の蝋細工のような花が房になって咲き、シナモンのような甘さと少し渋いようなスパイシーな感じの、とろりとした金色を感じさせる香りの帯があたりにたなびき始めると、ラムヤイやリンチーは歌う木になります。声の主は蜜蜂たち。花に蜂が鈴なりになって、その無数の蜂たちの羽音が重なって共鳴し、なんとも心地よい振動音を響かせるためです。
そんな時、人の声ならばテノールのような、高からず低からずの優美な良くとおる音色を奏でる主役級の存在がオオミツバチなのです。
スマートな姿と心地よい羽音に、花に集まっている姿を見るとつい目で追ってしまうのはオオミツバチですが、他にも小さな面白い種類の蜜蜂もいます。ようやく最近になって、こうした小さな(そして面白い)蜂たちにも、とても興味が湧いています。

例えば、写真の奇妙なカラメルのパイプみたいなものは「ハリナシミツバチ」の巣です。
この蜜蜂は体長1センチ程の小さな種類で、一見するとコバエかなにかに見えます。もともと性質も温厚ならば、名前のとおりお尻の針も退化していて、敵を刺して撃退する事ができません。東南アジアのみならず南米にも広く分布し、その穏やかな性質もあってか、世界の養蜂の歴史を見るとハリナシミツバチの仲間の方が歴史も長く、養蜂が行われた地域も広く、アミノ酸やミネラルもより濃厚な蜜がとれるのだそうです。
ちなみに気が優しい事を甘く見てあまりに粗略に扱うと、稀に噛み付くことがあり、牙には毒もあるので、これはやはりものすごく痛いのだとか……。小さくて争いを好まない相手だからといって、やはり尊重の念を忘れてはなりません。
この蜂も工場の庭で、ラムヤイとリンチーの花の季節に良く見かけます。羽音は小さく、殆ど聞こえないので存在感は薄いのですが、実際には随分な数が集まってきていて、午前中の涼しいうちしか来ないオオミツバチに対し、昼頃まで粘り強く蜜を集めているのが印象的です。

この写真は、スタッフたちとHIV孤児を支援する「バーンロムサイ」が運営するリゾート「ほしはなヴィレッジ」へ、アメニティのプレゼンテーションをしに出かけ、敷地内を散歩をしている時に見つけて撮影したものです。
巣の様子を良く見ようと、その出入り口へ顔を近づけんばかりに近寄った時にも、この淑やかな小さな蜜蜂は、私を囲むようにゆらっと広がって空中にホバリングして留まっただけで、巣から一族郎党が一斉に出てきて大騒ぎ……。という事も全くありませんでした。
とはいえ、小さな虫がゆらゆらと静かに空中に停止しているのは、蜘蛛がぶら下がっているようにも見えなくはなく、巣のどこか内臓的な形状と相俟って、それはそれで、どこか妖しさや畏怖は充分感じさてくれました。

こうした野生の蜜蜂たちではありませんが、私たちがつくるクリームも、ラムヤイの花に集まる西洋蜜蜂の巣から採れるミツロウを原料にしています。
機会があれば是非ご紹介したいのですが、蜜蝋を提供してくれる養蜂家のおじさんは誰もが「あの人こそ良いタイ人そのもの」というような、朗らかで優しく、勤勉な、そして良い物を作るための工夫好きな、(あまり凝りすぎたら、利益が無くなるわよ!と、締まり屋の奥さんにいつも叱られる)そして蜜蜂と一緒にいて、花の良い香りと蜂の羽音に包まれているのが大好きという素敵な人です。
確かにクリームにの名称にもなっている原料のオイルはモロッコから海を渡ってくるアルガンオイルですが、そのオイルを優しくまとめ、気持のよい滑らかさと透明感のあるクリームにするのは、甘い花の香りと多彩な蜜蜂の仲間たちの歌、素敵な生産者に培われた北タイ生まれのミツロウです。

チェンマイの蜜蜂たちの一番活発な季節は、2月半ば頃から4月下旬にかけての乾いて暑い暑季。マンゴーやラムヤイやリンチーの蜜が豊かで、香り高い花が一斉に咲き乱れる、まさに木々が歌う季節です。雨季も花は美しいですが、むしろ緑の方が茂る時期でもあり、スコールも降り、蜜蜂たちには少し厳しい季節でもあります。
そういえば、2週間ほど前、ジャックさんが養蜂家のおじさんのところへ今年収穫したミツロウを買いに出かけた際、ラムヤイの蜂蜜をおまけでいただいて来ました。「少し空き時間ができた時に、ライムとまぜてジュースを作りましょう!」と、ほくほく顔です。 
ジャックさんが買い付けに出かけたということは、蜂蜜とミツロウの収穫という、人にも蜂にもせわしない時間が終わったということです。
おじさんのところの蜜蜂たちも、花が沢山植えられたおじさんの家の庭で、雨よけの下にしつらえられた巣箱の中で、しばし雨の季節の休息の時を過ごしているのでしょう。(Asae Hanaoka)

2013年6月18日火曜日

おとこの行方 La città delle donne

「男いません。どうして? 男、どこ?」
数年前、北アフリカのイスラム教圏から来たお客様(男性)が、ピン川沿いの市場を通り過ぎた時に呟いた一言に、私は吹き出し、笑いを堪えるのに精一杯でハンドルを持つ手が危うくなったのでした。

それから数年を経て。
「昨日行った税務署というか、役所の中全体、スタッフは殆ど女性だったけれど、市場も女ばっかりだし、ウチも女だらけですね」
タイ国の自動車運転免許がないため、助手席に座った新しいディレクター(男性)氏が呟いた一言。
「そうですね。ここの女の人はみんな真面目で働き者だものね。そういえば女性は“子供ができたら、とにかく手に職つけろ、仕事を持て”って、こっちでは言うらしいですよ」

「本当に居ない。いったい此処の男はどこでどうしているんだろう?」
冷静な男性ディレクターはひとりごちながら、チェンマイにおける男女の社会進出の実態について、思考を巡らしているようです。
丁度その時、横を荷車にびっしり15人程の工事人が乗り込んだ、とても年季の入ったピックアップトラックが通り過ぎました。後部タイヤは体重のおかげでひしゃげ気味で、今にもパンクしそう。見ている方がはらはらしてきます。
「あ、男! 働く男だ!」
男女の別なく、誰しも働くのなんて当然です。にも関わらず、私たちはつい声が揃ってしまいました。

ところで、私たちの会社の従業員は総勢33名ですが、そのうち男性は3名です。
庭師ながら、家具でも家でもなんでも作ってしまうバーンさん。ガスール製造担当で結構女性スタッフともうまくやっている、けれど頭の回転が早く即決型なので、つい時々一人で先走って行動してしまっては「皆で情報共有しなさいよっ!」と、古参のお姉さま方にお小言を喰らうダムさん。そして日本から来た新しいディレクター氏の3名だけです。
1人は日本人ですし、あとの2人も個性的すぎてあまりタイ人男性の典型とは言いがたい人たちです。
加えて私たちの会社のご近所での評判はこんな感じです。
「あそこはさ、経験を重ねた女性たち(おばさん)が大勢長く働いているだろ。手堅い(良い)会社だよ」

そういえば、私が住んでいる家のムーバン(路地、住宅地)のお隣さんたちも、女性たちは朝、お惣菜を満載にしたピックアップで市場へ売りに出かけて行きます。また、決まった時間にガレージから綺麗に磨かれた車でいかにも勤め人らしくスーツを着て出てきたりします。身なりや言動をみても、毎日規則正しく、堅実に働いている感じがあります。
ところが、その同じ家の男たちは……。たまたま会社を休んだ昼下がり、それとなく観察してみたことがあります。すると、テラスの長椅子で扇風機の微風に吹かれながら、だらんと猫と一緒に昼寝していたり、だるそうに庭の生け垣の手入れをしているのは良く見かけましたが、彼等の妻や娘たちのようにしゃきっとしたスーツ姿や、朝、大きな鍋やステンレスバットを担いでいる所などついぞ見た事がないのです。

本当に、タイの男は昼間どこにいるんでしょうか? いえ、もっとはっきり言いましょう。どこで働いているんでしょう?
たとえば、お寺は男性しか出家できませんし、警官は少なくともチェンマイでは女性を見た事がありません。職務的にも雰囲気的にも、古いバリバリの男社会という風です。とりあえず、お寺と警察は男だらけだと思います。
それから、我が社の誇る敏腕製造マネージャー、ジャックさんの心優しいご主人は建設会社のエンジニア、お父上はかなりの年齢だそうですが、農家として現役です。
ちなみに、それはかなり男運がいいかも。というのがもっぱらの噂です。
庭師バーンさんの息子さんは「早く、お父さんお母さんに楽をさせてあげたい」と、料理学校でシェフの修行中ですが、これも良くできた子だと評判の息子です。

北タイはもともと母系社会です。一家の跡継ぎは長男ではなく、末の娘がしていたとも言います。一つには昔はこのあたりは戦が度々あって、男たちは死んでしまう事も多く、それで家を守る女性が一家を支える中心となっていったという説もあるそうです。
かつては子沢山で、子供たちを全て育て上げるのにも時間がかかり、下の子を育てている間にも上の子たちは順次独立して家を去ってゆきます。子供を育て上げて最後まで家に残るのは一番下の末っ子であり、親の世話をする、つまり家督を継ぐのも自然と末の子、末娘となったという合理的な考えもあるようです。
また、北タイに限らずタイでは、食事は市場に食材もお惣菜も豊富で、買って食べる事や屋台での外食はごく日常的な事ですし、洗濯屋なども安価に沢山あって、そもそも女性の家事が社会的に分業化されており、女性が社会参加しやすい環境が整っているのは事実です。

とはいえ、それが働く男性を見かける機会が少ない理由にはなりません。
付け加えるならば、タイでは、身体は男性ながら心は女性という人たちも日常的な存在としてよく見かけます。有名なキャバレーショウなどはもちろん、田舎の市場の屋台、デパートの売り場、銀行、色々な場所に居ますが、とにかく彼女たちは働き者で気配りが細やかな、心根の優しい人がとても多いのです。
そして、そんな彼女たちの生き方のロールモデルは、自分を慈しみ育てるために苦労をしてくれた「お母さん」なのです。そこに、お父さんの影はありません。
また「トム・ボーイ」と呼ばれる、身体は女性ながら心は男性という人たちも良く見かけますが、彼等は少女マンガの美少年のように清潔で、きりっとハンサムで、きびきびとしていて、まるで心に思い浮かべた内なる理想の男性に、自らをできる限り近づけようとしている。そんな感じがします。

そんな事を、出勤の車中、頭の中でひとりごちていた私ですが、職場に着けば、今日は出荷日。
20フィートコンテナにフルで荷物を積み込むべくで忙しく働くジャックさんや、出荷準備の女王・メオさんたちの凛々しい様子や、ブンさんの税務署バトルの報告の公正さに胸が高鳴ってしまっているうちにいつしか、今朝、ぼよんとした手触りで湧き上がった「男性問題」は頭の中から雲散霧消していました。

出荷も無事終わって午後の5時。
我が社の終業時間です。終業15分前から、蟻の目をフル動員させて現場の掃除を始め、製造リーダーたちは清掃後、次の仕事の予定や今日の問題点などを打ち合わせ、定刻になると皆、バイクを駆って風のように家路につきます。
家に帰りついても両親や子供たちの世話など、彼女たちは眠るまでその手腕を発揮するのでしょう。

「あ、男がいっぱい!」
仕事が終わり、ちょっと空の色の美しさにも目がいく余裕ができた帰路、助手席でまたディレクター氏が声をあげました。
私が、うっとりとスタッフたちの素敵な働きぶりを思い返している脇で、どうやら、彼はその後もずっとチェンマイの男たちの行方に思いをこらしていたようです。
彼の指差す先には、成る程。
「消息不明の」チェンマイの男たちが、あたかも陳列棚に並ぶかのようにずらりといました。
ところで、指差すその手の小指が若干反り上がっていたのは、私の見間違いでしょうか?

彼のすらっと長くて綺麗な指の先。そこはピン河にかかる幅の狭い鉄の橋。姿もアンティークで美しく、左右に歩道があるのでそぞろ歩く人が多い橋です。
そこに確かに大勢の男たち。いずれもランニングかTシャツにショートパンツにビーチサンダル。
非常にリラックスしたなりで、手すりに寄りかかって河を覗き込んだり、楽しそうに話し合ったりしています。
中にはビールやレッド・ブルを手にしている人も居ます。今からレッド・ブルなんて飲んで、これから何をがんばろうというのでしょうか?
他にもまだまだ居ます。歩道に胡座で座って、将棋かなにかゲームをしている人、それを見物している人。スマートフォンでどうやらTV番組を見ている人。
服装こそ違えど、なんだか、五百羅漢かランナー時代の風俗画の遊ぶ男たちのような光景です。

更に目を凝らせば、居並ぶ彼等の間にはすらりと華奢な棒が地面から立ち上がり、エレガントな曲線を描き、その先端はどれも川面をひゅっと指しています。美しい曲線の正体は釣り竿。そう、彼等は釣りをしに橋に集まっているのです。
そういえば、ここっていつも夕方になると男の人たちが釣りをしに集まっているよね。と、私はふと思い出します。でも竿が上がったのもかつて見たことがありません。
きっと釣りは口実でしょう。魚がかかろうがかかるまいが関係無し。仕事が終わって帰ってきた娘や妻の目を逃れて、ここに集まり楽しく会話するのが目的だと思って間違いありません。

そこまで思い至ったとき、以前、北アフリカから来たお客様の言葉が蘇りました。
「チェンマイの男、いいです。釣りが男の仕事です」
この言葉、我が社のタイ人男性スタッフを思えば、この北アフリカから来た彼の言葉は私は断固否定したいと思います。でも……。

世の中の半分は男性でできている筈です。それにしてはやっぱりここで目にする、額に汗する男性の数はあまりに少ない気がします。工事現場だって、実は女性の比率が高くて、彼女らを見る度に、私の頭の中では「ヨイトマケの唄」が鳴り響いてしまうくらいです。
本当に、チェンマイの男の人は何処で何をしているのやら……。

「男はどこにいるんだろう?」
「橋の上に」
橋の脇の菩提樹の下では、コンクリートのおんぼろのテーブルに薬用酒の瓶を並べ、壊れかけたプラスティック椅子に座ってお酒を楽しんでいるおじさんたち。
「菩提樹の下にも」
「職場はもう女で満員だから」
「仕方ない」

雨季のスコールに洗われた清冽な金色の西日が射し、鳳凰樹の朱色の花弁が降る、おおらかに天国的な風景の中を車を走らせながら、私たちは呟いていました。
声が響くその向こうには、何故か輝く虹のアーチが見えています。


とりあえず、当面、私たちの会社は、明るくて働き者の肝っ玉母さんや凛々しい乙女たちが主役ということでしょうか。
今日は輸出のための、製品のコンテナ積み込み日でした。主役は出荷を取り仕切るメオさんや品質管理のケッグちゃんたち女性。でも、良く思い返せば、運送会社からは、我が社の美人組(残念ながら全員既婚ですが)目当てのアルバイトのちょっとBボーイ風なお兄ちゃんたち、そして要所要所で、その気配りと腕力を発揮している我が社の男性社員、バーンさんとダムさんも押さえを効かし、コンテナトラックが出た後のダムさんは「やりきった!」と言う風の壮快な顔をしていましたっけ。

きっと貴重な誇り高き働き者の男は、我が社のバーンさんたちのように大きな心で、いざという時以外は並みいる女たちの間に姿を消すようにして、彼女等を支えているのだと思います。(A.H.)