2015年8月18日火曜日

通信販売とリサイクル tokyo day's

いま日本へ一時帰国しています。真夏の暑い時期をおもに東京で過ごしているのですが、この暑さの質の違いはなかなかのもの。コンクリートとアスファルトで固めた街に、建物にびっしり貼り付いた室外機からの輻射熱。そして湿気。こちらのほうが緯度が高いはずなのに・・・。それでも日本も、東京もとても好きです。電車や地下鉄、バスが通っているし、タクシーも道路を普通に流している。歩道を歩ける! WiFiが速い。探していた本やCDや機材がいくらでも買える。そしてどこでも言葉が通じる。ありがたいです。

こちらに来ておもに何をやっているかというと、仕事や打ち合わせはもちろんなのですが、ネット通販をやってます。「やってます」というと酒かタバコかギャンブルのようですが、まあ似たようなものでしょう。一度手を出した人(いや利用したお客様)には、リピーターになってもらわなくてはショップは成り立たないもの。マーケティング・ディレクターT岡さんからの受け売りです。自分たちでもショップ(sal laboratoriesオンラインストア)を立ち上げてまだ日が浅いのも手伝って、今までは純粋にお客さんとしてしか利用してこなかったのですが、今ではカートに入れてから決済までの流れはスムーズか? とか、注文、入金、発送のそれぞれのタイミングで着信するメールの文面とか、いろいろが気になってしまいます。まあすべての分野、当事者となれば誰しもそうだと思います。そんな当たり前の興味です。

ちなみにネット通販に依存性があるかといえば、それはあります。そもそもネットに限らず人の消費行動自体がそうだといえます。消費の欲望がどこから喚起されるかといえば、それは純粋に個人の内側から湧きいづる想いとはもはや違います。常に他者の目に晒されながら「私はこうありたい」「こう見られたい」という他者依存、状況依存、もしくは相互依存によって消費は促されますし、威信財としての各種ブランドの存在は身近な例でありましょう。

初期はそれでも良かったと思います。市場で広く認知されてきたブランドは、さまざまな揶揄や反感を受け入れながも、それなりの高い品質を実現してきたように思います。ブランドがブランドとして成立していた時代です。ですが今はあまりにもマーケティング的手法が世間にあまねく浸透し、小さな会社の営業担当者も含め、誰もが広告代理店(前世紀の職業です)の人間のような物言い、振る舞いをしている時代です。模倣も多いですし、残念ながら劣化したコピー商品も溢れています。そんな状況で私たちは新しいブランドを生み出すことを決め、製品を作り、オンラインストアを立ち上げました。

単純に「良いもの」を誠実に作ればそれは必ず売れるもの、というほど世界は(市場は)単純ではなく、大変複雑で煩雑で、ある意味空虚な市場なのだとも思います。ある種の依存性、もしくは中毒性すら備えた過剰な消費行動を助長することにどんな意味があるのか? さまざまな欲望を削ぎ落とした後に立ち現れる「それでも必要」欲しいと思ってもらえる意味ある製品、ブランドは果たしていまも存在可能なのか? そして、安全性と環境への配慮は経済性とどう折り合いをつけ得るのか? などなどさまざまな問いを課しながらの立ち上げです。

とはいえ、だからといって、いまが特別な時代であるともまったく思いません。ずっと昔から延々とそうだったのかもしれません。いずれにしても当事者になってみると、ブランドのことも市場のことも、ネット通販のことも、他のすべてのことも、いろいろと見方、見え方が違ってくるということです。

というわけでネット通販で無邪気にポチポチしまくっているわけですが、日本のネット通販の便利さ、完成度の高さには改めて驚かされています。つい数年前まで同じように日常的にネットで買い物はしてきたはずですし、またここ数年で何かが劇的に変わったはずもありません。完全に私自身の個人的変容です。当事者意識を持ってこうしたサービスを利用してみて、改めてその通販システムの洗練に驚いているということです。

日本で当たり前と思われていることは、少なくとも他国では、また東南アジアではそれは当たり前ではありません。システム面に関しては私たちのスタッフに心強い専門家も居ますのでそちらに譲るとして、たとえば梱包のしつらえです。これに関しては日本は一日の長があると感じます。過剰包装にならない一歩手前で安全かつ美しく、そして機能的に梱包するのは、多くの日本の通販サイトが誇って良い美点です(過剰包装は、資源の無駄はもとより梱包材のコストにも直結しますし、メリットはほとんどありません)。それが現在、極限まで高められたもののひとつがamazon.co.jpでしょう。

通販のシステム自体はなかなか外から見えませんが、梱包に関してはユーザーが荷物を受け取って最初に目にする部分でもあり、この第一印象は大変に大きいものがあります。商品のカートインから決済画面に至る流れと並び、ネット通販の重要な「接客」にあたるものと言ってもよいでしょう。特に梱包は、ユーザーにとって初めて商品が実体化して現れる部分ですから尚更です。

タイではまだまだこの辺が疎かというか、重要性がなかなか認識されておらず、その辺の新聞紙をくしゃくしゃと丸めたゴミ(?)のような梱包材が適当に詰められ、中身もスカスカの状態で荷物(段ボール)が届きます。「こんなものか」と思えばそれまでですが、そこはすでに私たちは洗練された荷物のデリバリーシステムの存在を知っています。タイの通販の通例、常識に変更を働きかけながら、私たちのイメージするオンラインストアを構築して行こうと考えています。やるべきことはいくらでもあります。

買い物(消費)の話ばかり続きましたので、次に使い終わった製品、リサイクル&処分についても少しだけ触れたいと思います。
私は日本に来る際は東京(目黒区)の自宅を仕事の拠点とします。立地だけが取り柄の築40年の古いマンションで、広さは70平米くらいでしょうか。都心のマンションとしてはまあアリなのでしょうが、チェンマイの基準からすれば明らかな狭小住宅です。それでも9階からの見晴らしがいいのが気にっています。
このマンションに本や雑誌、CD、レコード、音響機材、映像機材、パソコン、周辺機器、その他が山のようにあるものですから、当然使わないものはある程度処分しなければなりません。とにかく物理的に空間を作らねばなりません。

今日は故障していたDJミキサーと使わないギター、そして小さなワインセラーを処分しようと、目黒区の粗大ごみセンターに電話しました。ミキサーとギターは問題なく手続きが出来たのですが、ワインセラーについては管轄が別だと、東京都の別の部署に回されました。
そこで改めて事情を話し、引き取りをお願いしたところ、その費用が9,000円弱掛かるとのこと。ワインセラー自体は高さ50cmほどの小さなものですが、これは分類としては冷蔵庫になるのだとか。「いえ、冷蔵庫ではないのですけれど。冷蔵触媒も使わない機構ですし、処分についても負荷はかかりません。重さも数キロです」と伝えましたが、電話口のオペレーター女史は製品のイメージができたらしく、申し訳なさそうに同情してくれましたが、規則は規則として伝えるしかないようです。購入した値段自体が1~2万円ちょっとで、処分費用が9,000円弱。
あくまでレアケースであるのは承知していますし、お役所仕事としてはこんなものか、と思いつつ。それでもこれでは社会の経済エンジンとしての消費も一向に進まないし、また使い終わったあとのリサイクル処分も回転せず、不法投棄のゴミばかり増えるなあ。と思った次第です。

電話を切った後どうしたかというと、ワインセラーはドライバー1本で跡形もなくバラバラに分解し、不燃ゴミの袋4つに分け、決められたルールに則りマンションのゴミ置場に出しました。問題なく持って行ってくれました。そんな東京の1日でした。(Jiro Ohashi)