2015年7月27日月曜日

砂場遊びとリトル・ジェントルマン  play in the sandbox and little gentleman

父が心臓の手術をするというので、先月、地元の札幌に帰省しました。「心臓の手術」などと書くと大袈裟に聞こえてしまうけれど、実際にはペースメーカーを埋め込む比較的簡単なもの。心拍が落ち、突然気絶して、お気に入のメガネを真っ二つに割ってしまった! などと聞いたときはヒヤリとしたけれど、1週間ほどの入院で無事に退院できました。左の鎖骨の下あたりにペースメーカーの本体が埋まっていて、パソコンにシリアル番号を打ち込めば、外部から心拍も調整出来るそう。「お父さんはすっかりロボットになっちゃったよ」などと冗談を言っていますが、術後の経過は順調のようです。

退院後ほどなくしてチェンマイに戻る予定でしたが、父と入れ替わるようにして1歳半の息子が高熱を出して入院 ...! 3日ほどで退院出来ましたが、入院でずいぶんと体力も消耗した様子。大事をとってしばらく札幌で過ごすことにしました。

1年の半分は雪に埋れているわたしの故郷ですが、いまは文句無しに気持ちのよい季節です。ジメジメとした梅雨もなく、頬にあたる風がなんとも爽やかで、日差しは柔らかい。長い間、寒さに耐えて過ごす道産子たちへのご褒美のような季節なのです。

山裾にあるわたしの実家の近くは、公園や図書館や児童館があって、息子とテクテク近所をお散歩するのがすっかり日課になりました。田舎暮らしのチェンマイでは、お散歩と言えば、豚を見るか、牛を見るかで、野生の牛との距離の取り方に気を配る日々(笑)。それはそれで面白い生活なのですが、人の息遣いが感じられる「町内」に優しい安心感を感じるのは、18年過ごした地元だから、ということもあるのかもしれません。


近所の公園にある車の遊具で「出発しんこー、ナスのおしんこー」などと言いながら息子と遊んでいたら、「それクレヨンしんちゃんのセリフでしょー」と小学生の男の子に話しかけられました。聞けば近くの小学校の1年生だそう。
「僕ね、腕の力が無いから うんてい(遊具のモンキーバー)は出来ないんだ。でも滑り台は走って上れるよ!」
まだまだあどけなさの残る姿は可愛らしく、息子の5年後の姿を想像して重ねてみたり。かと思えば突然、
ベビーちゃん(息子のこと)は、ちゃんと手をついて転んで偉いね。そういう大切なことを人間は本能で知ってるんだよ。生まれた時から備わってる人の大切な能力なんだ」
とたいそう大人びたことを言われてビックリしたり。

彼は砂場で作った「泥のお団子の"持ち方"」を根気強く息子に教えてくれました。
「ベビーちゃんいいかい。この強さで持ったらお団子がつぶれちゃうんだ。だからそーっと。うん、上手だ!」
まだ話すことも出来ない息子とも対等に接する彼は、立派な紳士に見えました。
別れ際、何気無く「ねぇあなたがベビーちゃんだったときのこと、1歳だった頃って覚えてる?」と聞いてみると、しばらく考えた後、こんな答えが返ってきました。
「えっとねー、可愛がられてた! とっても!」
そう、それはよかったね、本当に。

帰り道。息子を抱いて夕日の中をのんびりと歩く。ささやかなだけど温かい出来事がわたしの中に積み重なっていく。愛情のカケラがあちこちに光っている。息子はわたしの腕の中で心地よさそうにくつろいでいて。わたしは。この日々を6歳になっても息子が覚えていてくれますように、と願いました。

砂場遊びを覚えた息子は、sal laboratoriesのガスールをたっぷり塗ったわたしの顔を見るたびに、「砂を塗ってる!」とギョッとしたような表情をするようになりました(笑)。札幌に帰省するたびに乾燥で肌荒れしていたわたしですが、ガスールとアルガンクリームのケアで肌も元気です。息子のちょっとした湿疹やかぶれにもアルガンクリームが活躍しています。穏やかなテンポの故郷での時間にも、sal laboratoriesの商品は心地よくフィットしてくれています。


谷岡 碧(Midori Tanioka)
84年、北海道札幌市生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業。大学2年時にタイ・チェンマイにあるHIVに母子感染した子ども達が暮らす「バーンロムサイ」でボランティアを経験。以来「バーンロムサイ」の映像制作に携わるようになる。07年、テレビ東京に入社。報道局に配属され、記者・ディレクターとして5年4ヶ月勤める。在職中は社会部担当の記者として、秋葉原連続殺傷事件、小沢一郎議員の陸山会を巡る事件等を取材。東日本大震災の発生時には、翌日から現地入りし、南三陸町・気仙沼等で取材活動を行った。12年、テレビ東京を退社し、タイ・チェンマイへ移住。バーンロムサイにてボランティアスタッフを務める。15年、バーンロムサイを退職し、夫・谷岡功一とともにtetol asia Co., Ltd.を設立。