父が心臓の手術をするというので、先月、 地元の札幌に帰省しました。「心臓の手術」 などと書くと大袈裟に聞こえてしまうけれど、 実際にはペースメーカーを埋め込む比較的簡単なもの。 心拍が落ち、突然気絶して、 お気に入のメガネを真っ二つに割ってしまった! などと聞いたときはヒヤリとしたけれど、 1週間ほどの入院で無事に退院できました。 左の鎖骨の下あたりにペースメーカーの本体が埋まっていて、 パソコンにシリアル番号を打ち込めば、 外部から心拍も調整出来るそう。「 お父さんはすっかりロボットになっちゃったよ」 などと冗談を言っていますが、術後の経過は順調のようです。
退院後ほどなくしてチェンマイに戻る予定でしたが、 父と入れ替わるようにして1歳半の息子が高熱を出して入院
...! 3日ほどで退院出来ましたが、 入院でずいぶんと体力も消耗した様子。 大事をとってしばらく札幌で過ごすことにしました。
1年の半分は雪に埋れているわたしの故郷ですが、 いまは文句無しに気持ちのよい季節です。 ジメジメとした梅雨もなく、頬にあたる風がなんとも爽やかで、 日差しは柔らかい。長い間、 寒さに耐えて過ごす道産子たちへのご褒美のような季節なのです。
山裾にあるわたしの実家の近くは、 公園や図書館や児童館があって、 息子とテクテク近所をお散歩するのがすっかり日課になりました。 田舎暮らしのチェンマイでは、お散歩と言えば、豚を見るか、 牛を見るかで、野生の牛との距離の取り方に気を配る日々(笑)。それはそれで面白い生活なのですが、 人の息遣いが感じられる「町内」に優しい安心感を感じるのは、 18年過ごした地元だから、ということもあるのかもしれません。
近所の公園にある車の遊具で「出発しんこー、
「僕ね、腕の力が無いから うんてい(遊具のモンキーバー)は出来ないんだ。でも滑り台は走って上れるよ!」
「 ベビーちゃん(息子のこと)は、 ちゃんと手をついて転んで偉いね。 そういう大切なことを人間は本能で知ってるんだよ。 生まれた時から備わってる人の大切な能力なんだ」
彼は砂場で作った「泥のお団子の"持ち方"」 を根気強く息子に教えてくれました。
「ベビーちゃんいいかい。 この強さで持ったらお団子がつぶれちゃうんだ。だからそーっと。 うん、上手だ!」
別れ際、何気無く「ねぇあなたがベビーちゃんだったときのこと、 1歳だった頃って覚えてる?」と聞いてみると、 しばらく考えた後、こんな答えが返ってきました。
「えっとねー、 可愛がられてた! とっても!」
そう、それはよかったね、本当に。
帰り道。息子を抱いて夕日の中をのんびりと歩く。 ささやかなだけど温かい出来事がわたしの中に積み重なっていく。 愛情のカケラがあちこちに光っている。 息子はわたしの腕の中で心地よさそうにくつろいでいて。 わたしは。 この日々を6歳になっても息子が覚えていてくれますように、 と願いました。
砂場遊びを覚えた息子は、sal laboratoriesのガスールをたっぷり塗ったわたしの顔 を見るたびに、「砂を塗ってる!」 とギョッとしたような表情をするようになりました(笑)。札幌に帰省するたびに乾燥で肌荒れしていたわたしですが、 ガスールとアルガンクリームのケアで肌も元気です。 息子のちょっとした湿疹やかぶれにもアルガンクリームが活躍して います。穏やかなテンポの故郷での時間にも、sal laboratoriesの商品は心地よくフィットしてくれてい ます。
谷岡 碧(Midori Tanioka)
84年、北海道札幌市生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業。 大学2年時にタイ・ チェンマイにあるHIVに母子感染した子ども達が暮らす「 バーンロムサイ」でボランティアを経験。以来「バーンロムサイ」 の映像制作に携わるようになる。07年、テレビ東京に入社。 報道局に配属され、記者・ディレクターとして5年4ヶ月勤める。 在職中は社会部担当の記者として、秋葉原連続殺傷事件、 小沢一郎議員の陸山会を巡る事件等を取材。 東日本大震災の発生時には、翌日から現地入りし、南三陸町・ 気仙沼等で取材活動を行った。12年、テレビ東京を退社し、 タイ・チェンマイへ移住。 バーンロムサイにてボランティアスタッフを務める。15年、 バーンロムサイを退職し、夫・谷岡功一とともにtetol asia Co., Ltd.を設立。