2014年9月24日水曜日

ふと思い、そしてじっくり考えたこと(その1) It flashed across me(01)

ふと今の仕事を振り返ることがあります。学生時代のアルバイトを含めるとこれまでずいぶんいろいろな仕事をさせてもらってきましたが、そのどれもが事務仕事や販売業、サービス業といった職種ばかりで、製造業(ものづくりの現場)という業種自体が実は初めてだったということに最近気づきました。
製造業といっても種々様々で、洋服や靴など身に着けるものに始まり、鉛筆やコップや机のように日常的に使うもの、食料品から電化製品に至るまで私たちの身の回りにはありとあらゆるものたちで溢れています。これだけのものに囲まれ、使う生活をしているにも関わらず、今までものづくりの現場を体験することもなく、そしてまたそれほど気にすることもなく過ごしてきた私の、今までの暮らしや仕事というのはずいぶん偏っていたものです。
なにも仕事で経験しなくても、おそらくみんな普段の生活の中で体験してきているのでしょう、子どもはいつの時代でも遊びを考えだしたり、ものを他のものに見立てたりする天才だと思っていますが、私は図工や技術家庭科の授業以外でなにかものを作ったという記憶もあまりありません。小学生くらいの時は自分で遊びを考え出したり発見したりしてそれなりに楽しんでいたとは思いますが、せいぜい人並み程度のものでした。いったいどんな子ども時代を送っていたのでしょう。

思うに、ものづくりに興味がなかった訳では決してなく、興味はあるけれど突き詰めてやり遂げるだけの根気はなく、周りの大人はみんな忙しく、何となく形になればまぁそれでよしとする、いわゆる飽き症でいいかげんな性格が災いして、作ることの楽しさを知らない大人になった気がします。
こんな私が、ものづくりの分野の中でも手作りでものを生み出す仕事に関わる機会が得られるなんて、1年前の私ですら想像していなかったのに子どもだった頃の私が知ったらびっくりするに違いありません。

最近友人と会ってゆっくり話をする機会があったのですが、私は転職して半年足らず、友人は今まさに転職しようとしているタイミングだったので、話す内容はついつい仕事の話になりました。その時友達に「あなたの仕事に対するモチベーションは会社に対する責任感や貢献度に左右されるんだね」と言われ、ドキッとしました。「仕事ってそういうものじゃないの」と聞くと、「例えばあなたのように手作りでものを作る会社で働くような人は、ただ石けんを毎日手に取って触れることが大好きで、幸せだっていう人が多いんじゃないかと思った」という友人のその言葉を聞いて、目から鱗が落ちた思いと同時に少しショックを受けました。
石けんが好きかどうかという問い以前に、それの作られる過程を知ろうともせず使うだけだった私がこの先働いていけるかどうか、急に不安になったのです。
今、ものづくりの過程や新しいものが生まれる試行錯誤の段階を目の当たりにする毎日を送っていますが、なにか課題にぶち当たったとき特に、作られる過程を知ろうとせず使うだけだった私の想像力・発想力の低さを痛感しています。
今までの私は、ものづくりの仕事は単調で同じことの繰り返しで地味とどこかで思っていました。それだからいつも興味のあることが散満としていて、少し手をつけてはひらひら飛び回っていました。でも、同じことの繰り返しだからこそ日々の微妙な違いに気づき、同じことを繰り返してきたからこそ解決法を生み出せる。今まで何度となく耳にした言葉ですが、実感を持って理解することができたのはこの仕事に就けたからこそです。

農業や製造業に携わり、様々なものを生み出すことを生業にしている人たちと一方、私のようにただただ使って消費するだけの人。生み出す暮らしを常にしている人たちの知恵・知識・忍耐に、ただそれらを消費するだけの人々は絶対に敵わないなと気づいたとき、今まで漠然と、でも常に感じていたスタッフたちに対する尊敬の気持ちの理由がやっとはっきり分かった気がしました。

そして、私たちの会社のスタッフは会社の休日に農業に従事している人も多いという事実も私のこの気持ちを裏付けしてくれているようでうなずけます。(Momoko Katsuyama

2014年9月19日金曜日

不法侵入事件発生 adorable trespassers

空の色こそ雨季らしい澄んだウルトラブルーで、場所によっては洪水も起きていますが、今年はこの辺りはなかなか雨が降りません。
おかげで毎日ソンクラーンの頃にも似た暑い日が続いています。あと2ヵ月ほどしたらやってくる寒季を思うと、この時期のこんな熱気と小雨は旱魃の原因です。農家にとっても大きな打撃ですし、ありがたくないこと極まりないですが、ひとつだけ今年は私たちにとっては助かることがあります。
始まって2週間経った新棟、ガスール棟の増設工事です。

最初の週の3日ほどこそ、スコータイ地方で洪水が出るような大雨で、「なんで工事が始まった途端雨なんやろ」と担当女史は苦笑いしていましたが、その言葉が天に届いてしまったのか、それ以降は連日の天晴な晴天続き。そこへ真面目な現場監督と職人チームの堅実な仕事ぶり、バーンさんや担当スタッフ、あろうことか過去に工事現場の仕事の経験があるスタッフが他にも数名いて、彼女らの何気なくも鋭い目配りが相まって、みるみる基礎と柱の枠ができたと思ったら、週末にはそれらはコンクリートでしっかり固まり、今日は、梁を作る骨組み作りが始まってしまいました。

この工事で面白いのは鉄筋コンクリート造りのモダンな建物を作るにも関わらず、壁の骨組みや作業用の足場は、竹やユーカリを組んで作る点です。
竹はいかにも緑豊かな東南アジアらしく感じます。道具や工事現場の足場にもなれば、燃料にもなり、むろん放っておいても土にも還り、なおかつ成長の早い竹は、この地では古くから、籠や天井、壁材として編まれ、平に広がるように刻み目を入れて割って屋根の材になります。またダイナミックに輪切りにしてコップや器や、素朴で優美な家具に姿を変えます。こうして長らく生活に取り入れられてきた素晴らしく汎用性が高いサスティナブルな資源です。
ユーカリも土地が痩せていたり、水が少ない地域でも早く育つ樹木として、一時期、あちらこちらで良く育てられた木です(最近では、更に土地を痩せさせること、地域本来の植生を生かすという見地から、以前ほど用いられなくなっているという話もありますが)。まさに私たちの工場を建てるのに相応しい資材と言えそうです。
そんなご託を並べなくても、ホンダの大きな販売店の出店告知や選挙、警察の道路規則、シックなコンドミニアムを売り出す広告看板などを建てる支柱も多くは竹、電電公社や電気会社の職人たちが電柱に登る時の梯子も竹です。そうした需要に答えるべく、竹の棒を売る店は方々で良く見かけます。そのように至る所で竹は、未だごく普通にタイの生活の中、現役で活躍しています。

話が横道に逸れました。
一見全てが順調そうな、興味深く明るい空気満ちる工事現場で、小さな事件が起きました。
床の基礎にコンクリートを流したのは週末土日の事ですが、明けて月曜日。
基礎とどこかローマの遺跡などを想起させる柱を眺め、うわぁ、なんて素早い手際だろう。と、完成した工場を思い浮かべながら基礎の上に立った瞬間。
目に入ったのは、足元にアブストラクトに散らばる花模様。
慎ましい梅の花模様もあれば、花というにはいささか荒々しくいびつなのもぽんぽん、ぽてぽて、ぱたぱたと沢山。
どうやら休日中、この風通しも見晴らしも良い気持よい空間を、一足先に存分に満喫した輩たちがいたようです。

まだ固まりきらない、コンクリートの上を歩くのは、新雪の上に最初の一歩を刻むようでさぞかし楽しかったでしょう。
水気を残し、ひんやりした床は、ふかふかした毛皮のお腹から熱を取り除いてきっと良い塩梅だったでしょう。
そういえば、以前、倉庫前の大きなコンクリート敷きの通路を活用して、トン単位のガスール作りの大規模なワークショップを社内で行った時にも、そのガスールの真ん中に立派な花型を残し、ジャックさんたちに大目玉を喰らった真っ白な尖った耳が可愛い小柄な毛皮族がいたのが思い出されます。
ちなみに、ガスールは肌理の細かいなめらかな製品を作るために、粒子の粗い原材料鉱石をいったん水に溶き、屋外のテラスなど平らな場所に薄く広く流します。水をたっぷり含んだガスール溶液は天日に晒される過程で微細な気泡を含み、自然乾燥してひび割れ状になったものは、ふわっと溶けやすいチョコレートの欠片のようです。そしてこれを集めて製品とするのです。この天日干しの段階、チョコレートのように美味しそうな一面茶色のきれいな床に、先代の番犬くん "毛皮族のいたずら者" が侵入し、しっかりとその足跡を残したのでした。

さて今回の侵入者たち、これはもうどこからともなくやって来て、不思議な道具を沢山持った見慣れない姿や匂いに、ばうわうと吠えたて見知りしていたのもつかの間、「危ないぞ!」と叱られながらもニコニコ笑いながらトラックが運んでくる砂山に駆け寄っては穴を掘り、鉄骨の匂いを嗅ぎ、他所から到来するものを見聞していた我が社の毛皮を着た警邏隊、由緒正しいタイ犬の血を引く「ミー・チョック(ラッキー君)」、「ミー・スック(ハッピーちゃん)」兄妹です。そして、”たぶん夜は”鼠駆除などで活躍しているだろう、でも本当は何をしているのかよくわからない、ひねもすのたりのたりの白黒猫「うしくん(牛柄なので)」の仕業であることは間違いありません。

もちろん昼間は、その身を思いやってですが「寄るな!」「ごら!危ない!」と叱られてばかり。不本意の日々を送っていた番犬兄妹は、誰かの役に経つのが幸せという犬の優しい本性に従って、工事を応援し現場を偵察、安全性を確認するつもりだったのでしょう。
うしくんの方は、純情な兄妹に先住者としての存在感を見せつけたかったのか、単に涼しかったからだけかもしれませんが、それぞれ、人の気配が去った工事現場へそっと忍び込み、それぞれに新しい場所を見聞し、証を残したのでしょう。名高い史跡や山中の大きな岩にうっかり印を付けたくなる、人も犬もいつの時代もやることは一緒です。

それにしても随分と賑やかな印ですが、その「仕事」の証は、配管や内装工事によって遠からずどこかへ紛れてしまうことでしょう。
それでも職人さんたち、スタッフたち、大勢の目や気持が刻まれながらできあがって行く場所に、一緒に暮らしている小さないきもの達も興味津々、そこにともにありたいという気持は、懐の奥のお守りのようにそっとこの場所の奥底に秘められながら残ることになります。

私たちが作るものの材料は、苛性ソーダを除けば殆どが土や木、植物や蜜蜂からもたらされているものです。
それらを美しいものに変容させるのは人の手ですが、それも他の生命たちの恩恵を受ければこそです。そのように様々な生命が共にある事を感じる場所を作るのです。小さないたずらものたちがその痕跡をつけたとしても、それは歓迎すべきこと、様々なものが共にあるという愛おしい証明の印のように思えます。(Asae Hanaoka)

2014年9月10日水曜日

私たちの工場〜バナナとココナッツとサトウキビのように our factory!

8月30日、土曜日。本来は休日。いかにも雨季な少し暗い小雨。朝7時少し前・・・。
普段ならば1週間の仕事を終えて、まだベッドの中でうとうとしている時間です。
にも関わらず、会社にはジャックさん、ガスールチームリーダーのエー・ドーイさんを筆頭に古参スタッフたちが顔を揃えました。
夕べの大雨で、途中の道だって悪路だったはずなのに、皆なんとも晴れがましい表情です。
ほんのりお化粧もしていれば、皆なんとなく、普段よりお洒落をしているのですが、何故か足元だけは裸足にサンダルです。

日本でも建物を建て始める際には、地鎮祭が行われますが、タイにも良く似た儀式があります。
「ピティ クン サオエーク サオトー」と言い、「サオ(柱)」という言葉があるように、こちらでは、基礎の穴を掘ってから、最初の柱と二番目の柱を建てる時に行います。
今日8月30日は、その儀式を行う日だったのです。

タイは仏教国ですが、かつてはバラモン教が信仰され、それ以前には精霊信仰があり、特に北タイではその混淆が色濃く残っているため、「ワイ・ピー」と呼ばれる精霊のための儀式が幾つもあります。
それを取り仕切るのは、アチャーン(先生)と呼ばれる在野のバラモンの司祭ですが、実際にはシャーマンのような存在です。
タンブンという徳を積むための仏教儀式でも、なぜか最初にアチャーンが精霊に対して儀式をし、その後、お坊さんたちと信者たちの仲立ちのような役割をするのもアチャーンです。実は、タイにはとても多層的な信仰世界があります。

そのような儀式やシャーマンが存在することからも分かるように、多くの人々は見えざる者の存在を信じていますし、我が社のスタッフたちも、製品を輸出した翌日には、精霊の家に製品の無事の到着や、これからの仕事が良きものになることを祈ります。
また近隣の村の人たちには、私たちの工場には見えざる住人たち(?)が数多く住まうことが知れ渡っており、中にはとても強く素晴らしい守護の力を発揮する存在もいるのだと、皆さん噂しあっているそうです。実際のところはわかりません(笑)。もし仮にそのような存在が居ないのだとしても、人を包むこの自然は、素晴らしく畏怖すべきものですし、そこから顧みて自らの身を低くし、謙虚であろうと意識することは、心を穏やかに保つのによいものです。

ともあれそのような場所ですから、地面に刻み目を入れ、掘り返し、普段とは違う人や物や道具が出入りし騒々しくするにあたっては、尊い見えざる存在たちと生活の糧をもたらしてくれるこの場所に対し、しばし続く不調法の了承を得ながら予め詫び、その先においてはより良い場所にすることを約束しなくてはなりません。
少し厳粛な気持を抱えつつも、今まで以上に存分に働けて気持のよい場所ができる期待で胸をいっぱいにしながら、スタッフたちはこの朝の儀式に集まったのでした。

10年と少し前、今私たちが仕事をしている工場を建てた時は、まだ誰もが新米で自分の事に精一杯でした。
当時仮工場として使っていた古いタイ式の家の薄暗い階段の踊り場で、事務机の代わりの段ボール箱で事務作業をし、言葉もままならない中で未経験の仕事を幾つも抱え、身も心も緊張と不安で石のように固まってビリビリしている私の傍らで、まだ加わったばかりのジャックさんや、まだなににつけ暗中模索・ヒヨコならば、頭とお尻に殻がまだくっ付いているようだった新米スタッフ(メーオさん、エー・ドイさんら、現・古参の姐さんスタッフ)たちは、こわごわ、しかし懸命に日々のトレーニングと仕事を続けながら、工場建設をどこか不安げに、遠巻きに眺めていました。
きっと、当時の彼女たちは、新しい工場ができたらそちらに移らなくてはいけないのかしら? 本当にできるのかしら?(建物の建設も、資金繰りなど見切り発車して途中で頓挫することは、こちらではままあることです)それよりその時まで、私、ここに居られるのかな? 頑張れるかな? この間失敗しちゃったし・・・。などなど、今のどっしりぶりからは想像もつかない身の細る思いに苛まれていたでしょう。

ちなみに、私たちがこわごわ眺め緊張しながら接していた、この工事現場には後で分かることですが、大変な宝物が隠れていました。
工事の現場で、職人としてバーンさんとカーンさん夫婦が働いていたのです。
もともと資材管理も任されており、親方の信頼篤いことはすぐ分かりましたし、言葉は分からずとも仕事ぶりでは目立つ二人でしたから、その様には畏敬の念を覚えてはいたけれど、まさか後に自分たちの仲間になるなんて!
まして会社の外回りを一手に引き受ける見事な知恵と腕前を持つお父さん(バーンさん)と、観察力鋭く知恵と包容力豊かな未来の石鹸リーダー(カーンさん)になるとはその頃は、誰一人想像だにしていませんでした。
バーンさん達だって、よもや自分達が建てた場所で働くことになるなどとは露程も思っていなかった筈です。

ともあれ、誰もが不安いっぱいで、おそるおそる暗い海へ漕ぎ出したような当時と、今回はその始まりの雰囲気が全く違います。
今回の新しい工場は、スタッフ達がこの10年間、まさに「道具」の一つとしてこれまでの工場を活用し尽くしたうえで、新しい空間の活用アイデアを出し合い、設計士の方と話し合って作り上げる場となりました。おそらく、それぞれの頭の中には新しい工場が隅々まで見え、働いている自分たちの姿さえ思い浮かべているでしょう。
おかげでこの儀式も、10年前のそれは立ち会いはごく僅かな形ばかりでしたが、今回は早朝わざわざリーダーたちが駆けつけたばかりでなく、特にガスール担当のエー・ドイさんは普段よりお洒落にもお化粧にも力が入り、記念写真も何度も撮って、それは嬉しそうな、思いきり心のこもったものになりました。
ガスールチームは一番仕事も人数も多いのに、逆にそれが災いして作業スペースの広さや明るさ、電気の配線などには不自由をし、その中でもエー・ドイさんは皆をまとめあげて来たのです。新しい工場は用途をガスール製造を主目的にした空間ですから、喜びもひとしおなのはよくわかります。

儀式はジャックさんが市場で買って来てくれた、餅米と甘い焼豚を食べ終わって7時半頃、バーンさんが、いつもお世話になっているアチャーンを連れて来ると始まりました。

まずは、アチャーンが敷地の中心にある精霊の家(ピーの祠)の傍らに東西南北と天地を祀る台を作って、前日にパーンさんやナイさんたち、今日は来れなかったスタッフ等が作ってくれた供物を各世界に居る精霊たちのために飾り、祈りを捧げます。
次に、最初に立てる二つ柱にバナナとココナッツの実の房、バナナとサトウキビの苗を括りつけると、アチャーンは更にその柱にへその緒のように太い糸の束を結び、祈りの言葉を唱えながらソムポーイの実などを入れた聖なる水を花につけて、柱や基礎の穴に振り掛けて清め、それから工事の職人さんたちがその清められた柱を土台の上にしっかりと立てます。
そこへ、それまで手を合わせて祈っていたスタッフたちが、タイでは縁起の良い数である9バーツをそれぞれのお財布から取り出して基礎の穴へ投げ入れました(小額とはいえ、このお金はおのおののお財布から出しました)。そんな所にも、自分たちが作る場所なのだという気概と願いが感じられます。
更にアチャーンが祈り「はい。もうお開きですよ」と声をかけると、最後の仕上げに工事の真似をします。
大きな盥いっぱいのコンクリートをバケツに汲んで、基礎の上へ掛けるのです。(お洒落したに足元が裸足にサンダルだったのはこの作業のためでした)
ちょっと年功序列は気にしながらも、つい我れ先になってきゃっきゃと笑い合いながら、何度も何度も何度も注ぐさまは、なんとも嬉しそう。改めて「私たちの」工場なのだという、一人一人が施主になったような気持が伝わって来て嬉しくなりました。

さて、柱に括りつけられた植物たちには意味があります。
バナナとサトウキビの苗はどちらも成長が早いことから、安全に遅れることなく建物が立つように、そして良い場所としてすくすく成長するように。ココナッツとバナナの実はどちらも沢山大きな房になること、また男女和合の象徴であることから(実際の我が社は女性が多く、心優しいアマゾーヌの集団のようですが)、この場所に大勢の家族ができて皆が豊かに幸せに暮らせるようにという意味が込められています。

最初は不安いっぱいに始まったこれまでのもの作りの旅も、振り返れば楽しいものでした。その証拠は、この場所はとりあえず収入を得るために通う仮初めの場所とは違う、皆にとって大切な場所へと少しずつ変容してきた過程が示しているように思います。
更に新たに建てられようとしている工場のプランには「ここは私たちの工場なのよ!」というそれぞれの気持が根を降ろした居場所、舞台、生きる場所だという気持がこもっている気がします。
もちろん、それぞれが担わなくてはならない責任と役割はあり、重さも範囲も異なりますが、この工場が、誰もが「私の、私たちの」と感じ、生き生きと日々を過ごし、人生を重ねて行ける場所になって欲しいと改めて願う日となりました。(Asae Hanaoka)



2014年9月1日月曜日

会計士の秘密の顔 the secret of our accountant

よくぞこれだけ個性的でしっかり仕事をする良き人たちが集まった、といつもありがたく思う我が社の面々ですが、その運営を支える実務家の双璧といえば、製造マネージャーのジャックさん、そしてもう一人、忘れてならないのがアカウントマネージャー、経理のブンさんです。

どちらも既に10年選手。30代なのに童顔(?)で年齢不詳です。ここまでは二人共通ですが、ジャックさんが声や雰囲気が愛らしく、健気で柔らかなのに対し、ブンさんは声も居ずまいも密やかでいてきりっとした、ボーイッシュな風情です。
そのせいか、決算などの節目に会社にやって来る会計事務所のスタッフ、ベンさん(女性です)とは学校の同期でもあるそうですが、抜けるような色白の肌とセミロングの少し色の薄い髪の清楚な美貌に似合うワンピースやブラウスとスカート姿のベンさん(見た目はいかにも可憐ですが、実務に関しては切れ味鋭いナイフです)が、ジーンズにTシャツ姿のブンさんと、澄んだ声で静かに話し合いながら仲良く仕事をしている様子は、姉と弟のようであり、また微かに女子校のプラトニックラブや宝塚めく芳しい雰囲気。
声を掛けるのが申し訳なくなるような、恥ずかしくなってしまうような、まさに「腹心の友」のきれいな空気が漂います。きっとお互いに、共に学び切磋琢磨してきた友人への深い信頼があるのでしょう。この腹心の友二人が、税務署の理不尽な要求にも、冷静かつ敢然と対応してみせた武勇伝は、記憶に新しいところでもあります。

そんなブンさんですが、普段はこの人の中にはネジが入っていて、それが揺るぎなくカチカチと動いているのでは? と想像してしまうほど淡々と、もうこれ以上の実直は無いのでは?? いやそこまで詰めなくても・・・。と、こちらが思ってしまうくらい、きちんと着実な仕事ぶりです。
おかげで、ほんの少し書式から外れた領収書をもらって来ようものならば「これではいけませんよ」と厳しい対応をするので、畏怖もされています。かといってダメだの一点張りの木で鼻をくくった態度で突き返すわけではなく、その理由とどうすれば良いかを丁寧に伝えます。自分のためだけでなく、相手のためも思った対応をするのもまたブンさんなのです。
畏怖されていると言いましたが、これはあくまで仕事の緻密さに対してで、昼食の時は現場の姐さんスタッフたちと、冗談を言いあいながらお弁当を分けっこしている、おおらかで気取らないのもまた彼女です。
そんな姿勢はスタッフたちの雇用環境への目配りにも反映され、我が社の休日や社会保険などの対応の堅実さと細やかさは、スタッフたちの会社への信頼の要因の一つともなり、おかげでスタッフの定着率は限りなく100%に近いものとなっています。

一見恬淡としているようでいて、物事に深い気持を持ち、仲間や会社を常に心にかけ、そのためには、必要とあらば大胆な判断や勇気ある意見を出すのも臆さないことからも察せられるように、生真面目なブンさんの内側は柔軟でダイナミックです。
数字やルールを扱う事は、ともすれば「こういう決まりです。こういうものなんです」という、無味乾燥な事に思われがちですし、実際そのような対応がされる例もままあります。しかし、ブンさんは、その方法の活用によって人も場所もより良くあるよう支える事を、自分のミッションにしているように見えますし、そのために方法を学んできた事が、経理会計担当としての彼女の矜持となっています。
ブンさんを見ていると、一見制約に見える事もきちんと実行することで、より良い真っ直ぐな道が開けるのだという勇気が湧いて来ます。

ある時、ブンさんと一緒に屋台で昼食を取っている時、最初は仕事の話をしていたのが、なぜか田舎で過ごした子供時代の思い出に繋がり、ふとブンさんは言いました。
「ブンは、雨が好きなんです」
「え! そうなの?」
「雨の音は、どんな音も良いですが、今日みたいに静かな雨が屋根や木の葉にあたる音を聞いていると、心がひんやりした水のように静かになって安らぎます。土や木の葉の匂いがするのもとても気持が穏やかになりますね。田舎の家にいるようであり、子供の頃の事を思い出したりもします。だから、雨の日の日曜日が大好きです」
ブンさんはチェンマイから100キロほど北の村で、農業を営む両親のもとで育ったのです。
家は昔ながらの高床式、お母さんは明るく気風の良い人で、様々な植物の知識も深い一方、広い果樹園や農場の切り盛りの手際も見事な人、お父さんもおったりとしながらも実直な人です。緑豊かな中、それについて物語り、実際にその緑と関わる事を生業としている両親の間で育ったことは、ブンさんの資質に大きな影響を与えたに違いありません。

「ブンは、植物も大好きです。庭に色々なサムーンプラーイ(タイ語でハーブのこと)や果物を植えて料理をするのは楽しいし、できれば庭に小さな菜園も作りたいのです」
なるほど、ブンさんの家(今は実家を出てチェンマイに家を建てました)は室内も、その性格を反映して常に清潔で整理が行き届いています。庭にもタイ伝統の有用植物たちはもちろん、薔薇やローズマリーなども植えられ、それらの根元の土はいつもふっくら黒々とし、いかに大切に育てているのがわかります。きっとそうしたハーブもしっかり活用しているのだろう、彼女のお手製のお弁当が思い出されました。
終日細かな数字や役所や会計のルールなどと、淡々と向かい合うブンさんですが、その内側にはとても瑞々しく、大きな世界が隠れているのを感じた、涼しさと豊かさに満ちた昼のひと時でした。

今朝も「これどうぞ。とても綺麗でしょう、美味しいんです。良い香りだから、机の上に置いてください。気持よいですよ?」と、立派なマンゴーを社内に配ってくれました。
このマンゴー、ブンさんが自分の庭で牛糞の肥料を手ずから作り、果実にはひとつひとつ袋掛けまでして丹精こめて収穫したオーガニックなものでした。その手間を語ってくれる彼女は、目が輝き、いたずらっ子のように生き生きとしたものです。それにしても、なんと我が社のアカウントマネージャーは沢山の顔を持つことでしょう!

金色だけれどまだ実は硬く、甘いだけではなく、爽やかなジュニパーや松の葉のような、涼しく少し苦い針葉樹の香りを放っているマンゴーは、まるでこれを育てた当人のようです。金の果実を鈴なりにした樹と一緒にいるブンさんを思い浮かべるだけで、こちらの胸まで穏やかで涼しくも暖かいものに満たされるような心地になります。
マンゴーの心地よい微香に包まれていると、ブンさんが、会社の将来に願うことは普段から聞いていますが、その願いの源になっている事どもも更に聞いてみたくなってきます。
例えば、彼女が感じているタイの季節の移ろい、植物は果実の香りを楽しむ喜び、以前話してくれた雨の日の事のような幼い日々の原郷などなど、彼女の目を通した世界について、時折物語って欲しいと改めて思うのです。きっと豊かで新鮮な言葉が溢れてくることでしょう。(Asae Hanaoka)