2013年11月26日火曜日

生産と製造ーモロッコのクレイ manufacturing and productionーghassoul

生産物と製造物、生産者と製造者。この微妙で、でも明らかにニュアンスの異なる言葉ですが、私たちのまわりにある「商品」を見渡すと、そのほとんどがこうした言葉の属性に色濃く影響される物たちです。わかり易い例では米や野菜、肉といった農畜産物は「生産物」として誰しも異存ないでしょう。では魚はどうかといえば、狩猟によって獲得したものは心情的には生産物とは異なります。しかし養殖されたものは生産物といって差し支えないでしょう。とはいえ分類的には採取したものは鉱物も含めて全て一次産業の産物ですから、実はどちらもこれは生産物です。
製造物は第二次産業の成果物ですから一次産業が採取・生産した原材料を加工して作った物たちです。現在、比重としてはこちらが圧倒的に多いと思います。ほとんどの商品は生産物と製造物のどちらかに仕分けられます。
では第三次産業の生み出すものは何かといえば、それはさまざまな小売りやサービスです。形はありません。無形財です。敢えて商品という言葉を使うならば金融商品、保険商品などがこれにあたるでしょうか。奇妙な言葉です。とはいえ今の先進国で経済の中核を成すのは、小売りやサービスといった第三次産業ですから、こうした無形財を生む雑多な産業集合体が世界の経済を回しているのも事実です。

なぜここで、コーリン・クラークの古典的産業分類などを引き合いに出したかというと、それはつまり私たちが製造業(者)であるからです。自分たちの業に関して考えれば考えるほどに、こうした財(価値)を生む源泉に関して思いが深くなるのです。
私は長らく編集者、ディレクターとして仕事をしてきましたので、日本の所謂クリエイティブ・シーンの実際についてはある程度承知しています。広告代理店の動き方やお金の生み出し方、「クリエイター」と呼ばれた人々の行動原理や、企業に属する人とフリーランスとのキャラクターの違いなどもある程度イメージできると思います。
かつてそこで大きな価値を持ったのは情報でした。さらにいえば人脈でした。AさんとBさんを繋げて仕事を仲介し、そこでコーディネートフィーを得る。もしくは情報Cと情報Dを統合して新たな情報を生じさせる。それを企画化してフィーを得る。乱暴にいえば品物(情報)を右から左に流して上前をはねる、もとい得る。しかしその情報回路は死守すべきトップシークレットとして秘匿し決して公開はしない。
そこにアイデアはたしかにありました。しかしそのアイデアの多くはオリジナル(多くは欧米由来のものでした)からコピーを取り、さらにそれを無限に繰り返した劣化コピーであったと思います。前世紀までは実際にそうした虚業が成り立っていました。

小売りやサービスは製造に敬意を払うべきです。同じように製造は生産に敬意を払うべきです。そうした当たり前のことをやりたくて、虚業ではなく実業をやりたくてSAL Laboratoriesを立ち上げたともいえます。
私たちが現在手がける製品の数は決して多くはありません。その中のひとつ「ガスール」は、モロッコで産出されるクレイです。市場でもこれは「モロッコ産」という部分が強調されていますので、タイの会社である私たちの存在に気づく方はほとんどいないと思います。とはいえ、私たちは皆ガスールの製造者であるとの自負を持っています。
ガスール製造チームのリーダー、エー・ドイさんは10年選手のベテランですが、まだ一度もモロッコへは行ったことがありません。それでもモロッコの生産者の皆さんに負けず劣らずガスールのことを熟知しています。さらにいえば製品としてのガスールをもっともよく知る人間はエー・ドイさんかもしれません。彼女は10年間、ずっとガスールの原材料と向き合ってきました。その目と指先でクオリティを確認し、製品化手前の最後の関所として異物を逃さず排除し、タブレットの大きさを揃え、絹のようなパウダーの滑らかさを確認し、高品質で安心して使える「コスメティック商品」として製品化してきました。

彼女はどこのパーティへ行って誰と会い、誰と食事をしたかなどとは無縁のチェンマイ近郊で慎ましく暮らす女性です。「あなたは私のお友達」といって著名人との交遊をスナップショットと共にFacebookにアップすることはしません。手を動かし頭を使い、自分の責任の元、製品の質を高く保ち「さあ今日も完璧な仕事、美しい仕事が出来た」と、そこに達成感を見いだす女性です。
当然そこに私たちは、対価としてのサラリーを支払いますが、とはいえそれは「お金の為に仕事をする」といえるほどのものではありません。ごく慎ましい金額のはずです。彼女らのモチベーションはもっと別のところに存在するようです。手先を動かし頭を使い、その成果を目の当たりに確認する歓び、ものづくりの歓びとはこういうものかもしれません。
私たちは、こうした職人たちを数多く擁しているのだと思います。とはいえ彼女たちはそうした「職人」という意識すらないのだと思います。ごく日常の、あたりまえの営為として、家ではその指先から美味しい食事を作り、子供を養い家族に安らぎを与えます。そして会社では美しく実用的な道具を自作し、バイトゥーイの花を編み、私たちの製品を生んでいます。実のある仕事、実業であると実感します。
私たちの製造したガスール/ghassoulも先日、20ftのコンテナトラックに積まれ、日本へと出荷されました。(Jiro Ohashi)