2014年11月18日火曜日

マイペンライ “Mai pen rai” does not mean “no problem !”

マイペンライ! といえば、タイの人たちのお気楽さや責任転嫁しがちな気質を象徴するキャッチーフレーズのように外国人の多くは思っている気がします。そして外資企業では、タイ人スタッフとの価値観や業務意識の共有しにくさの元凶のように言われることもしばしばです。
そんな中、我が社の中で多分一番「マイペンライ」を連発しているのは、意外や外国人の私です。
もちろん、用法は一般的に思われているのとは違いますが。

それは、何年も前のある年長スタッフの失敗に始まります。
当時、彼女は人間関係に悩んで仕事に身が入らずにいました。もともとおっとりした方だったこともあって、まだリーダーになりたてで、頑張ることで精一杯だったジャックさんは彼女に苛立ち、また他の生真面目なスタッフたちとも折り合いが悪くなり、更に仕事がぎこちなくなってしまう悪循環に陥っていました。
そしてとうとうある日。ガスールパッキングの時に計量ミスという大失敗をし、数箱に重量が表記と違うものが混ざってしまったのです。
幸い、箱詰め前の検品で他のスタッフが気づき、それが出荷されることはありませんでした。
ちなみにこの問題発見は、担当スタッフが、パッケージを手に持った違和感で気づいたのです。
既にタイ人スタッフたちの目や手の感覚の素晴らしさにことごとく驚いていた私ですが、その時は畏怖の念さえ覚えたのでした。

取るものも取り敢えず石鹸もクリームも全ての作業を止め、全員で各袋の重さを量りなおし、問題のあるものは例え見かけがどんな綺麗でも、ざっくりとハサミで封をあけて中のガスールを取り出す、まるで大切に育てた動物を屠ってお腹を開き、臓物を搔き出すような、切なく苦しい気持の作業が数時間続きました。
終わった時には、誰もがほっとししながらも、やはり重たいものを飲み込んだような疲労感に包まれていました。
それでも作業を終え、失敗をしてしまった彼女を見て私の口をついて出たのはまさしく「マイペンライ」だったのです。
当時の私は殆どタイ語ができず、辞書から文字を書き写したり、時には絵で指示をするといった風でした。
気持が言葉にできず、頭も胸も破裂寸前のような日々です。その中でとっさに出た「マイペンライ」は、誰でも失敗はある。気持を入れてやり直せられればいいのだから、がんばりましょうよ。何しろ問題は解決できたのだから。そんな思いから出たものだったのです。

けれど、この「マイペンライ」はその時、予想以上のショックを周囲に与えたようでした。当事上司だった日本人には「そんなだから、お前はタイ人に舐められるんだ!!もう日本へ戻れ!」と激しく叱責されました。
一方、このところ、社内の評価は厳しく、更にこんな大騒ぎを起こした自分の解雇はもう決まりだろうと、俯いて暗い顔をしていた彼女は、この拙い「マイペンライ」にはっと息を飲んで目を上げました。
「本当にいいんですか?怒らないのですか?」と聞くような彼女の顔色と目には、少なくとも私には前の悩みを抱えた頃よりも微かな明るさと力が感じられ、それならば一緒に名誉挽回してやろうじゃないの、と思うに足るものでした。
今でこそ、厳しくも大きな包容力を体現したようなジャックさんでも当時は問題に怒りを収めきれずにいました。
そこに、誰にでも失敗がある、それを一緒に越えてこそ良いチームになるのではないだろうか。皆には大変な思いをさせてしまったけれど、どうかわかって。そんな事をつたない英語や辞書から書き出したタイ語を指差し、根は情が深く優しいジャックさんもどうやら納得してくれ、息が詰まるような一日が終りました。
明けて翌日。
幸い、上司が言ったように、「マイペンライ」発言に私を軽んじる人はタイ人スタッフには居ませんでした。そして件の彼女は、私と目があうとちょっと気恥ずかしそうに笑い、仕事にも少しずつ気持が入るようになりました。そして、事件を誰もが忘れたような頃には、ジャックさんも「彼女はとても変わってきたの!とても良い働きをしてくれるの!」と嬉しそうに話してくれるようになりました。
もちろん、彼女を支え、変えた功労者はジャックさんと仲間たちなのです。
この時、もし私が上司の烈火のような怒りを恐れ、彼女が恐れたような指示をしていたらどうだったでしょう。
彼女がその夜、家で呟いたかもしれない「マイペンライ」は苦い、暗い気持を紛らわすための響きになったのではないでしょうか。
ともあれ、この件より私は、問題があったらまず「マイペンライ」と言い、自分も皆もまず一息つかせてから、問題解決にあたることをモットーにしたのです。

そこから、もう随分年月を経てつい最近のことです。
少々問題が発生したものの、スタッフ自身の力で見事解決した事をジャックさんが報告しに来た時、私たちは、久方ぶりの重さを渋い気持ちで受けとめながらも、対応にあたったメンバーたちの的確で勇気ある振る舞いや判断や言葉は、素敵で嬉しくて、涙ぐみ、笑ってしまい、なんとも奇妙な分裂的な多幸状態に落ちいっていました。
「おやおや、問題があったっていうのに、あの人たちったら笑ってるよ、どうしたんだろうねぇ!」
ミーティングの成り行きを気にしているエー・ドイさんは、作業しながら、苦笑いするほどに。
いずれにせよ、問題は無事解決され、それに対する、各担当者の綿密な対応の発案・提案もバッチリ文句無し。むしろ、製造ライン全体が効率よく引き締まった感さえあります。
ジャックさんからの報告を聞きながら、私の頭の中にはあの失敗が思い出され、そこからそれぞれが重ねてきた経験と誠実さを思っていました。

赤い目のジャックさんが、怒ったり泣いたりしながら報告を終え、最後に言いました。
「実は、私、ずーっとアサエさんが言う”マイペンライ”が重かったんです。何かある度に、大丈夫!マイペンライ!ってニコニコ言うでしょ。その度に私は、自分達の失敗なのに。。本当に大丈夫かなって首や胸がきゅーっと苦しくなって。だからいつも、大丈夫かな。今日はいいかなって、毎日とても緊張してきたんです」
少し微笑み始めたジャックさんが、またそこで顔を真っ赤にし、堰を切ったように涙をポロポロこぼし始め、私も内心いささか動揺します。
「ねえ、ジャックさん。
でもね。なんてことしたの! どうするの!ってカンカンに怒ったってさ。かえって皆緊張して考えられなくなるし、怒られるのは嫌な気分になるからって、問題を隠したくなったりするのが人の気持ちじゃない? 大丈夫! まず落ち着こうよ!それから考えてやり直せば大抵のことはなんとかなるよ。って皆で言い合った方が、良い方法を思いつくじゃない? それに、問題を解決する方法を考えて、マイペンライにするのが私の仕事だよ?」
確かに、会社で起きた問題について最後に責任を負うのは私だけれどね。本当はね、ジャックさん。とっくに、あなたたちは充分に問題解決の知恵も心の強さを手に入れたし、私こそみんなに首や胸が苦しくなるのを、どれだけ減らしてもらったのかわからないのだけれどもね、と心の中で思いながら答えます。
そう。一見、楽天的でちょっぴり無責任という印象の「マイペンライ(大丈夫)」というタイ語ですが、実は、タイの人たちにとって意外と重い言葉であり、その重さはなかなか忘れがたいものなのです。少なくとも、我が社では。

そしてかつて事件のくだんの彼女ですが、その後、孫もできて、おばあさんにも育児休暇を取ってもらう制度のきっかけにもなってくれました。これもタイの家族のありようを身近に感じ、それぞれの人生に合わせた就労環境を作るはじまりでした。
さらに彼女はまだ若い会社での、初の定年退職のモデルケースになりそうでしたが、残念ながらその手前、今年一杯で退職します。年齢的な影響で、少し本気で持病の療養をしなくてはならなくなったためです。
彼女からの申請と相談の折、ジャックさんは彼女の経験を惜しみ、忙しい時にはもし体調が良ければお手伝いに来てもらえますか?とお願いし、彼女も、ええきっとね。とちょっと涙ぐみながら答えてくれました。
今は、私とタイという場所をぐっと近づけてくれた彼女との経験と、これまでのどこか不器用でも愛おしかった尽力に感謝しつつ、その健康を祈りたいと思います。(Asae Hanakoka)