2013年11月29日金曜日

プールとクマとDJと舞姫と  lanna party girls@pool side

少し時間が経ってしまいましたが、11月9日、私たちはチェンマイ郊外にあるリゾート「ほしはなヴィレッジ」でちょっと特別なパーティをしました。
数ヶ月前から、日頃の感謝と、新しいプロジェクトが始まる場所でもある「バーンロムサイ」の事も知って欲しいという思いからリゾートの方たちともイベントを相談し、スタッフたちには内緒で、密かに企画を進めていたのです。

パーティの会場は、ちょっと洒落て夕刻のプールサイド。
黄昏時、周囲の木々にはリゾートのスタッフと、バーンロムサイで共同生活をする子供たちが作ってくれたペットボトルのキャンドルランプが何百と小さな明かりを灯し、辺りを柔らかに照らします。
プールも、水中の照明がついてそれ自体が青い発光体となって、ゆったりとたおやかな空気を醸成します。
群青の空には星がまたたき出して、申し分なく心地よいロケーションです。

オープニングは、バーンロムサイ出身で、今は大学でプロの伝統舞踊家を目指すアームちゃんのダンス。ジャスミンの花をまきながら舞う、おめでたく優美な演目をお願いしました。
普段はその可愛いいさまについ「アームちゃん」と呼んでしまいますが、リハーサルの時のダンススペースの確認や必要事項の主張などでは、顔つきがすっと透明になり、言葉もきりっとし「アームさん」へと変身し、彼女のダンスへの真摯さが伝わってきます。
その、将来の名舞踊手を感じさせる踊りを見てもらいたくて、パーティにはスタッフのみならず、ほしはなヴィレッジに滞在している方たちや私たちの友人にも参加してもらいました。
実際、ライトに照らされて衣装の金糸を羽毛のように輝かせながら踊る本番の舞台の舞姿は、彼女の病を克服しながら生きて来た時間と相まって、まるで水辺に舞い降りた東洋の天使さながらでした。

そしてまずは、ディナーです。
献立は、村一番の味だという北タイ風のタレにつけ込んで作った豚肉をメインに、様々な味のソース、バナナの葉で包んで蒸した黒い餅米などのランナー風とスタッフたちの民族グループであるタイヤイ風がミックスしたバーベキュー。リゾートの調理スタッフ達が細やかに準備し、焼いてくれた端から灯火の下、涼しい山からの風の中で楽しみます。

皆が、美味しい食事に舌鼓を打つ間、私たちはプールサイドにブースを設営してのDJ。
ディレクター氏は、懐かしいタイの懐メロからクラフトワークの『ラジオ・アクティヴィティ』にスティーブ・ライヒ、マドンナに、タイのガトゥーイショウには欠かせないABBA、果てはマーティン・デニーに寺田創一『SUMO JUNGLE』、そして我らが敬愛する万能の庭師・バーンさんが踊りの名手であることまで披露してしまったノリノリの『ジンギスカン』まで、あらゆる音源を流しに流し続けたのでした。
 ちなみにこのブース、午後2時、炎天下のチェンマイの昼下がりに設営を始め、サウンドチェック中に一瞬、雨がぱらついたため、大慌てで簡易の雨よけを仕立てたのです。しかし「きっと大丈夫です! 大工の親方がこれ以上は降らないよ、と言っています!」という、雨よけを手伝いながらのバーンロムサイスタッフの谷岡さんの言葉、もとい大工の親方の言葉どおり、私たちの不安と一緒にむくむく膨らみかけた積乱雲は、夕刻の涼しい空気にすっと溶け去ってしまいました。

さて宴も佳境、皆のお腹がくちくなりほろ酔いのいい気分があたりに満ちた頃。
いよいよパーティの眼玉イベント、プレゼントのくじ引き大会です。

この日まで、私たちはそのプレゼント集めにおおわらわでした。
直前にあった、突然かつ私たちの製造キャパシティを大きく越える「ありがたいけれど、とても無体な注文」にも、日々の残業と休日出勤でなんとか応えるという「大嵐」を乗り越えた製造チームたち。彼女たちへの感謝の念は、ただただ深まるばかりで、もともと私たちは大奮発の予算でいたのですが、気付けばそんなものは何処かへ雲散霧消。財布の紐はゆるゆるに伸びては千切れ、貯金通帳には「引き出し」ばかりが記帳されるいっぽう。出張の際にもプレゼントの事は忘れず、日本からタイから、東京からチェンマイからさまざまなお店で吟味して買い揃えました。
そして光るものを集めるアライグマよろしく、買い物の度に、経理室の会議テーブルにプレゼントは集められていたのですが、少し金糸がまざったふわふわの毛並みが心地よい、小さな子供くらいある大きな大きなテディペアを筆頭に、これだけあれば一人暮らしが始められるだろうというプレゼントの小山が、築かれて、それを休み時間の度にスタッフたちはためつすがめつし、意中のプレゼントが手元にやってきますように! と、歌まで出るほど熱く願ってきたのです。

そんなわけで、くじ引き大会はもう、大変な盛り上がりです。
しかも “リゾートのプールサイドでのパーティ !!!” というドレスコードに、普段は慎ましい母であるスタッフたちの女心はやおら炎上です。パーティの数日前から、誰さんがシフォンのドレスを新調した。誰さんはピンク色。誰ちゃんはゴージャスなサンダルを買った。と、普段は聞こえない言葉たちが工場内に飛び交いました。
パーティの開場時間が近づいて、汗だくのベタベタで設営をしていた私たちの前に、ワゴン車から降りたったのは、ランナーの淑女に、清楚なお嬢様、セレブ風に、ストリート系、セクシーなパーティーガールチームの百花撩乱。おかげでくじ引き大会の、テーブルからプールを半周してくじを引きに来る迄の道のりは、まるでキャット・ウォーク。
それぞれ普段はひっつめて白い帽子に隠していた長くて真っ直ぐな艶やかな髪と、ドレスの裾をなびかせ、シャム猫のような足取りと身のこなしでやって来て、大勝負をかけます。

「あの人はくじ運が良い人だから……」と前評判の高かった人が、過不足ないものに当たったりすると、本人が悔しがるのを尻目に、微妙に「ああよかったぁ〜」という、匂いがする歓声が。
そして、普段は目立たず、しかし実直に仕事をしている人などが、一番人気の家電を当てたりすると「今度は私だわ!」と、もう大歓声になったり、同じものを狙っていた子からは悲鳴が上がったり。
いずれにせよ、きゃーきゃーと賑やかな雄叫びや悲鳴を、星空とブルートバーズの輝きのプールの水面に響かせながら、ファンション・ショーも兼ねた、悲喜こもごものくじ引き大会は予定時間をオーバーしつつの大盛会となりました。

そして名残惜しみつつのフィナーレは、一足早いロイクラトーン。
皆で大きなコムローイを幾つも飛ばしました。何故か舞台経験まであるディレクター氏の中の、普段は隠されている演出家の血が成せる技でしょうか、空高く、ゆらりゆらりと上がるコムローイは映画『プール』の小林聡美さんが歌うエンディングソング(そう、まさにこの場所で撮られたあの映画のあのシーンです。どこでそんな音源を用意したのでしょう?)に乗って飛んで行きました。

「悪いことは飛んでゆきなさい、良いことはこちらへおいでなさい」
皆が小さく口ずさんでいます。
「ほら、バラバラにならないで、みんな寄り添って飛んで行くでしょう、あれはとっても良い飛び方なのよ」
くじ引き大会で一番人気の家電の大物と双璧の人気を誇った大きなテディベアを見事、引き当てたトンさんが教えてくれました。

実はパーティの前の、残業の日々を越えた後、現場はあたかも嵐の後のようでした。
なんとかその注文に最大限応えるべく、時間的人的調整を何度も繰り返し、現場を鼓舞し続け、自らも製造ラインに入っていた製造マネージャーのジャックさんを筆頭に、何名かが体調を崩してしまっていたのです。これではもしかしてパーティは欠席する人も出るのでは……。と懸念しましたが、決して侮るなかれ、タイの女は強しです。
さいわい皆、大いに食べて飲んで、遊び、ほぼ半数はくじ引きで当てたプレゼントを持って、ワゴン車に乗り家族の待つ家へ。そしてもう半数のリゾートに泊まったスタッフたちの部屋からは、随分遅くまで、楽しそうに語り合う声が聞こえていました。

そんな風にスタッフたちは、リゾートの一夜を満喫し、翌朝はバーンロムサイでの子供たちの生活の様子を、施設の創設間もない頃から携わっている保母さんから聞き、そんな場所で歓迎されている自分たちが手ずから作るものたちが持つ可能性を実感し、意気揚々と家路に着いたのでした。
(部屋数の都合で、先の研修、そして今回のパーティで泊まれなかったスタッフたちも、今後、新たに研修を行いながらこのリゾートに滞在、子供たちの施設などの見学をしてもらう予定です)

ちなみに、宴の後、ちらと見えた皆が夜を過ごした部屋のテーブルには、ビールの小ビンの林ならぬ森ができていたのは言うまでもありません……。ともあれ、時に可憐に、美しく。しかしてその実体は鋼鉄の淑女たちのひと時の夢の時間でした。

そして、私たちは今日も、五感を研ぎすまし、全身を総動員してものづくりに励みます。日々の糧を得るための収入はもちろんですが、他には得難い、様々な喜びや尊厳を得るために。(Asae Hanaoka)

2013年11月27日水曜日

ロックとフリー lock and free

「最初に買ったレコード(CD)は?」との問いは、その人の志向性向を知るには便利な手段。私の場合はボニー・Mの『怪僧ラスプーチン』ですが、外向けにはクイーンの『JAZZ』とデビッド・ボウイの『間借人』(当時はロジャーではなくこの邦題で紹介)と答えていました。たしか小学校の6年生か中学1年であったと思います。親から初めてまとまった額の小遣い(お年玉だったかもしれません)を貰い、何を買おうかと思案していると、当時ロックに目覚めたばかりの二つ上の兄が寄ってきて、私の小遣いに目を付け、これをせしめようとロッキングオンのなにやら小難しい文章が載っているページを見せながら「お前はこれを買わんといけない!  買うべきだ!」と言いくるめられ、デビッド・ボウイというのは七変化の凄いミュージシャンらしい、クイーンのボーカルの人は気色悪いけれど、カセットテープで他のアルバムを聴く限りでは、そのサウンドには大変惹かれるものがある。というわけで小ずるい年長者にそそのかされ、有り金すべてはたいて当時新譜としてレコード屋に置かれていたこの2枚のLPレコードを買ったのでした。


きっかけはこの小ずるい兄でしたが、その後は独自の道を歩み、洋楽においてはパンク/ニューウェイヴの、邦楽に於いてはテクノポップの洗礼を全身に受け、その後ノイズ、インダストリアル、現代音楽、電子音楽、民族音楽と貪りながら、立派なサブカルとなりました。
長じてからは印刷物に目覚め、外国の雑誌やパンフレットのインクの匂いを嗅ぎ、写真やグラフィックにときめき、レコードジャケットの収集に精を出しました。その後は成り行きで編集者となり、情報の囲い込みによってしか成立しえない世界を嫌い、インターネットの存在と考え方に共鳴し、フリーという概念に共感を覚えました。実際にグラフィックマガジンを作り、日本や海外の主要都市でフリーで配布したりもしました。ロックとフリーの極私的融合です。

海外で生活していると、SIMロックの解除された端末は本当にありがたいもの。とはいえここチェンマイではSIMフリーの、日本に戻ってはSoftbankのiPhone5をそれぞれ使っています。
先日、日本でもApple Store限定ながらiPhoneのSIMフリー版が発売されました。http://store.apple.com/jp/buy-iphone/iphone5s ロックよりフリー。我々には「L」も「R」も発音は一緒。(Jiro Ohashi)

2013年11月26日火曜日

生産と製造ーモロッコのクレイ manufacturing and productionーghassoul

生産物と製造物、生産者と製造者。この微妙で、でも明らかにニュアンスの異なる言葉ですが、私たちのまわりにある「商品」を見渡すと、そのほとんどがこうした言葉の属性に色濃く影響される物たちです。わかり易い例では米や野菜、肉といった農畜産物は「生産物」として誰しも異存ないでしょう。では魚はどうかといえば、狩猟によって獲得したものは心情的には生産物とは異なります。しかし養殖されたものは生産物といって差し支えないでしょう。とはいえ分類的には採取したものは鉱物も含めて全て一次産業の産物ですから、実はどちらもこれは生産物です。
製造物は第二次産業の成果物ですから一次産業が採取・生産した原材料を加工して作った物たちです。現在、比重としてはこちらが圧倒的に多いと思います。ほとんどの商品は生産物と製造物のどちらかに仕分けられます。
では第三次産業の生み出すものは何かといえば、それはさまざまな小売りやサービスです。形はありません。無形財です。敢えて商品という言葉を使うならば金融商品、保険商品などがこれにあたるでしょうか。奇妙な言葉です。とはいえ今の先進国で経済の中核を成すのは、小売りやサービスといった第三次産業ですから、こうした無形財を生む雑多な産業集合体が世界の経済を回しているのも事実です。

なぜここで、コーリン・クラークの古典的産業分類などを引き合いに出したかというと、それはつまり私たちが製造業(者)であるからです。自分たちの業に関して考えれば考えるほどに、こうした財(価値)を生む源泉に関して思いが深くなるのです。
私は長らく編集者、ディレクターとして仕事をしてきましたので、日本の所謂クリエイティブ・シーンの実際についてはある程度承知しています。広告代理店の動き方やお金の生み出し方、「クリエイター」と呼ばれた人々の行動原理や、企業に属する人とフリーランスとのキャラクターの違いなどもある程度イメージできると思います。
かつてそこで大きな価値を持ったのは情報でした。さらにいえば人脈でした。AさんとBさんを繋げて仕事を仲介し、そこでコーディネートフィーを得る。もしくは情報Cと情報Dを統合して新たな情報を生じさせる。それを企画化してフィーを得る。乱暴にいえば品物(情報)を右から左に流して上前をはねる、もとい得る。しかしその情報回路は死守すべきトップシークレットとして秘匿し決して公開はしない。
そこにアイデアはたしかにありました。しかしそのアイデアの多くはオリジナル(多くは欧米由来のものでした)からコピーを取り、さらにそれを無限に繰り返した劣化コピーであったと思います。前世紀までは実際にそうした虚業が成り立っていました。

小売りやサービスは製造に敬意を払うべきです。同じように製造は生産に敬意を払うべきです。そうした当たり前のことをやりたくて、虚業ではなく実業をやりたくてSAL Laboratoriesを立ち上げたともいえます。
私たちが現在手がける製品の数は決して多くはありません。その中のひとつ「ガスール」は、モロッコで産出されるクレイです。市場でもこれは「モロッコ産」という部分が強調されていますので、タイの会社である私たちの存在に気づく方はほとんどいないと思います。とはいえ、私たちは皆ガスールの製造者であるとの自負を持っています。
ガスール製造チームのリーダー、エー・ドイさんは10年選手のベテランですが、まだ一度もモロッコへは行ったことがありません。それでもモロッコの生産者の皆さんに負けず劣らずガスールのことを熟知しています。さらにいえば製品としてのガスールをもっともよく知る人間はエー・ドイさんかもしれません。彼女は10年間、ずっとガスールの原材料と向き合ってきました。その目と指先でクオリティを確認し、製品化手前の最後の関所として異物を逃さず排除し、タブレットの大きさを揃え、絹のようなパウダーの滑らかさを確認し、高品質で安心して使える「コスメティック商品」として製品化してきました。

彼女はどこのパーティへ行って誰と会い、誰と食事をしたかなどとは無縁のチェンマイ近郊で慎ましく暮らす女性です。「あなたは私のお友達」といって著名人との交遊をスナップショットと共にFacebookにアップすることはしません。手を動かし頭を使い、自分の責任の元、製品の質を高く保ち「さあ今日も完璧な仕事、美しい仕事が出来た」と、そこに達成感を見いだす女性です。
当然そこに私たちは、対価としてのサラリーを支払いますが、とはいえそれは「お金の為に仕事をする」といえるほどのものではありません。ごく慎ましい金額のはずです。彼女らのモチベーションはもっと別のところに存在するようです。手先を動かし頭を使い、その成果を目の当たりに確認する歓び、ものづくりの歓びとはこういうものかもしれません。
私たちは、こうした職人たちを数多く擁しているのだと思います。とはいえ彼女たちはそうした「職人」という意識すらないのだと思います。ごく日常の、あたりまえの営為として、家ではその指先から美味しい食事を作り、子供を養い家族に安らぎを与えます。そして会社では美しく実用的な道具を自作し、バイトゥーイの花を編み、私たちの製品を生んでいます。実のある仕事、実業であると実感します。
私たちの製造したガスール/ghassoulも先日、20ftのコンテナトラックに積まれ、日本へと出荷されました。(Jiro Ohashi)