2015年3月26日木曜日

初めてのお客さま our first guests

先日、私たちの会社にお客さまがいらっしゃいました。それは普段私たちがお客さまと呼んでいる、取引業者さんや関係者の方々ではなく、正真正銘のお客さまです。はるばる飛行機に乗って日本から来てくださいました。しかも総勢12名も。
私たちの会社はBOI企業と呼ばれ、「BOI企業で製造した製品はタイ国外に輸出すること」という決まりから、製品はすべて船や飛行機に乗って日本、韓国、台湾といった外国に輸出されてゆきます。こういう工場であるため、年間何十トンも何万個も製造している工場であるにもかかわらず、お客さまに直接製品を手渡す機会はなく、いつも運送業社のお兄ちゃんたちがコンテナに積み込んで運んで行くという出荷スタイルでした。
私たちの会社の製品はすべてハンドメイドで、製造するスタッフたちの製品に対する思い入れも並大抵のものではありません。自分たちの製品を熟知し、愛し、仕事に誇りをもって、みな日々懸命に働いています。自分たちの作った製品に対する感謝や励ましのメールが日本のお客さまから届き読み上げられると、歓声と拍手が沸き起こるような熱い現場です。こういったスタッフたちの姿を見るにつけ、タイの作り手とそれを使ってくださるお客さまをなんとかして繋げることはできないか? face to face で両者が出会うことはできないか? というのが私たちの長年の目標でした。

コンテナで出荷をするときでも、届く先のお客さまのことを想い大切に製品を積み込んでいるスタッフです。
そんな彼女たちが自分たちの作った製品を手に取るお客さまと直接出会えたら・・・
お客さまの質問に直接お答えできたら・・・
新しい何かが生まれ、芽生えるそんな確信がありました。
そうした長年の願いと希望が叶って工場にお客さまが来られることになりました。初めてお迎えする、関係者以外のお客さまです。
はるばる来ていただくお客さまにここでどういう経験をしてもらいたいかを軸にして、「私たちらしい・私たちにしかできないワークショップをしよう」と準備が始まりました。そして、さっそく敷地内に家庭菜園(?)が作られ、ワークショップに欠かせないハーブ類が追加で植えられました。
せっかくチェンマイに来られるのだから北タイ料理を堪能していただきたい。「それなら自家製の食前酒も一緒に!」とお客さまが来られる日に合わせて仕込みが始まりました。
こういう風に書くと、私たちの会社って一体何をしている会社なのか分からなくなりますね。もちろん製造の方も休まず同時進行です。

そうして年が明け、既存工場棟の改修工事新しい工場で仕事始め New year starts at new factory無印良品のムービー撮影を終えて、ふぅと人心地ついたのも束の間、お客さまがいらっしゃる日が目前に迫ってきました。以前から準備はしていたもののまだまだ決まっていないことも多く、大丈夫なのか? とかなり不安になってきましたが、この目前に迫ってからのスタッフみんなの底力は大したものでした。

 
料理の得意なお母さんスタッフは料理からデザートまで一手に引き受け、手先の器用なスタッフは会場の飾り付けを担当し、女だけれど力自慢という面々は会場設営、ハーブについての造詣に深いスタッフはワークショップ担当、人前に出ることに物怖じしないタイプはお料理のサーブ係…という風に各自の得意分野を活かした役割が振られ、それぞれのグループからお客さまに「してさしあげたいこと」のアイデアが続々と出てきたのです。スタッフの割り振りを考えたジャックさんの采配の妙もさることながら、ジャックさんの思惑を超えたおもてなし案が次々と出され、逆にその内容のバラエティ豊かさには困ってしまうくらいでした。たくさんの案を聞き入れ、やり過ぎにならないように取捨選択をするジャックさんの手腕もまたあっぱれでした。

さて、一体どんな「おもてなし案」が出たのか一例を挙げると…
「歓迎の気持ちを込めて踊りを披露したい!」
−私たちの会社にはタイ伝統舞踊の特技を持ったスタッフが何人もいます。自ら名乗りを上げてくれましたが、今回は時間も限られているしまたの機会にしようねということで、残念ながら採用されませんでした。
「グラスを置くコースターをバナナの葉っぱで手作りすれば喜んでもらえるかな?」
−これはいいね、とスタッフ数人が休日を返上し自宅で手作りして来てくれました。ホッチキスを使ってバナナの葉を重ねていくと作る時間も短縮できるのですが、「私たちの工場にホッチキスはふさわしくない」ということで木綿糸で一針一針手縫いした特製コースターです。お客さまは手にとって、裏返したり匂いを嗅いだり…ためつすがめつ眺めて、遠慮がちに「お土産に持って帰っていいかしら…」と。でも、我々スタッフたちの耳には「絶対ほしい〜!!」というお客さまの心の声がはっきり聞こえました(笑)。翌日に来られるもう1グループのお客さまの分がなくなってしまい、急遽追加で作るというハプニングも楽しいものでした。
「メニューにはないけれどミアン(タイの噛み茶)も体験してほしい」
- −ミアンとは発酵した茶葉と塩と生姜などのハーブをバナナの葉で包んだもので、北タイならではの嗜好品です。眠け覚ましや歯磨き代わりになるので食後にガムのように噛んで食べます。- − これもスタッフが当日の朝にササッと作ってくれました。大きさも形もまるでキャラメルのよう。緑鮮やかなミアン、お客さまは食べるのがもったいなくてバッグに入れて持ち帰ってくださいました。作った張本人はミアンが日本人の口に合うかとても心配だったようで(噛めば噛むほどタンニンの苦味が出てくるので、最近のタイの若者は好まない人が多い)、そっと覗きに来て、テーブルの上に残っていないのを見ると本当に嬉しそうな顔をしていました。

終わってみると、初めてのお客さまということで焦りまくっていたのは私一人だけのようで、タイのスタッフたちはそれぞれ自分の役割を果たしきって清々しい表情。その証拠に感想を聞いてみると、「緊張したけど楽しかった」「言葉は通じないけれど楽しんでくれているのが肌で伝わってきた」「明るい雰囲気の方ばかりでこちらまで幸せな気持ちになれた」「また来てほしい」「工場の従業員だけどここではいろいろな体験をさせてもらえて本当に楽しい。ハーブのことをもっと勉強しなくちゃ」などなど。
お客さまにも大満足いただけたようで、「お料理が本当に美味しかった」「今度は家族を連れてまた来たい」と嬉しい言葉をたくさんいただきました。
おもてなしは過ぎるとお客さまが気後れしてしまうし、ちょうどいい加減というのが意外と難しいものです。ですが今回のタイ人スタッフのもてなしぶりはとても心地よいものでした。北タイの人々の持つおおらかな気質と相手を尊重する心。気持ちよい流れはそこから自然と溢れ出てきたものでした。そして、同時に私たちもお客さまからたくさんの経験や発見を受け取ることができました。

さぁ、私たちの新ブランドSAL Laboratories のリリースまであと少し。素敵な時間の演出がサラリとできてしまうスタッフたちを見て確かな手応えを感じました。(Momoko Katsuyama

2015年2月16日月曜日

新しい工場で仕事始め  New year starts at new factory

西暦ではとっくに新年となりましたが、折しも先週末から中華系の人々のお正月、春節が始まりチェンマイもあちらこちらで金と赤の可愛らしい提灯が飾られ花火の音も聞こえます。そしてタイの暦では4月の中旬頃の水掛祭り・ソンクラーンが新年です。おかげで、タイでは4月頃まで、浮き浮きしたニューイヤーが続くので、それに乗じて、私たちの年末年始の大騒動を書いてみたいと思います。

タイでは物事は予定どおりに進まない(遅れに遅れる)というのは、外資企業のアンケートで筆頭に上がる「タイで仕事をするにあたって困ること」ですが、大変ありがたいことに、我が社ではそうしたことは極めて稀なことです。誰もが「私がせずして誰がしましょうか ?!」という意気込みでいるスタッフ面々を見ていると、互いの役割や存在を尊重し敬意を払えば、誰もがそれを意気に感じて真っ直ぐな応答、仕事ができるのは何処の国も同じ、プロフェッショナルな意識の共有に国境はないと思わずにはおれません。

昨年の我が社は、新製造棟建設とそれに続く旧製造棟の大修理という大仕事がありました。
その中でもお客様からのありがたくも大量かつ度々変更される発注量をさばかなくてはなりませんでした。何しろ開発と製造こそ私たちの本分であり、会社を持続させるエンジンです。
そのためには、製造ラインを工事によって止めず、なおかつ工事作業を遅らせてはならず、加えて新作業棟完成後は間髪入れず旧作業棟から移転、製造作業を再開しなくてはならぬという、手に汗握る、まるでトゥーランドットの恐怖の命令か、秀吉の備中大返しかというような綱渡りのミッションもありましたが、おかげさまでどれも恙なく実行できました。ジャックさんを中心とした、互いを助け合いながら目標を目指す現場の結束の賜物だったと思います。

また、12月、クリスマスより少し早く行った私たちのアメニティを届けているリゾート「ほしはなヴィレッジ」での、慰労プールサイドパーティも、それに続く年末プレゼント大会も、「仕事のことが心にひっかかったままのパーティなんて、おしゃれも美味しいバーベキューも台無しよね。心配事は一切合切片つけてから楽しみましょうよ!」
と、製造も工事進行も引越しもパーティ前に、さっぱり綺麗に片付けようじゃないの!と大いに現場の意気込みは高まり、作業の速度は早まったものでした。

そんな、あたかもでこぼこ道を、一切ブレーキを踏むことなく高速で駆け抜けるような2014年でしたが、明けて2015年、無事 新しい場所が整い、新しい会社SAL Laboratoriesもできたこれからの日々は、どんな風になるでしょう?

すでに、会社のあちらこちらで、何やら新しい閃き、芳しさ、力の漲りがさんざめき、小さいながら手応えを得たものもありました。とはいえ、まだ道半ば。もうしばらくは、上り坂の厳しい日々が続きそうです。(Asae Hanaoka)



2015年1月28日水曜日

新棟のこと our new building

去年の5月からスタートした新工場棟の建設工事がようやく終わり、1ヶ月ほど前から稼働を始めました。建築の知識も何もない私が担当者となり、曲がりなりにも無事完成させることができたのは、周りの沢山の方々の協力があったからこそでした。ひと段落したところで振り返ってみるとこの想いがますます強くなります。
新棟建設の目的は、手狭になってきた既存棟で作業をする不便さの解消と、製造工程で舞うガスールの粉塵をいかに屋外に出すか、の2点でした。スタッフの数も増え徐々に狭くなってきていた既存の工場棟。限られた空間の中でいかに仕事をするか‥‥。スタッフたちが知恵を出し合い、今あるスペースを最大限有効に使ったレイアウトでしたが、時には石鹸をつくるスペースでガスールの作業をすることもありました。日を経るうちにそういう状況が常態化していき、みんなも不便さを口にすることはありませんでしたが、客観的に眺めるとあちらこちらで分かれて作業をするため、やはり動線もよくありませんでした。
それに、ガスールの検品の際に出る細かな粉塵、これが意外と厄介で、暑さを和らげるため回しっぱなしの扇風機に煽られ、離れたオフィススペースのパソコンやコピー機器の上にいつの間にか降り積もり、さらに床の細かい隙間に入り込んでは掃除をするスタッフの頭を悩ませていました。

暑がりのタイ人に必要なエアコンの容量は? 作業机の大きさは? 作業スペースのレイアウトは? などなど、イメージを形にすることの難しさ・細かさに呆然とし、何から手を付けていいのか分からなくなっていた頃、いくら私が机上で頭をひねってもできることには限界があることに気づきました。「それなら、この場所を使う当事者にアドバイスをもらうのが一番」と、仕事中の製造リーダーたちに声をかけて、意見交換をしたあの日から工場建設が本当の意味で始まったように思います。
それまでは「経験は無くても、それでも指示を出していかなくちゃ」と、重責と不安で暗くなりがちでしたが、この時の意見交換でドアの形状や蛇口のタイプなど、私には思い至らなかった現場の要望がたくさん上がってきました。このことがあってから「私はあくまでも仲介の立場、建設側と使う側の橋渡し役に徹しよう」と気持ちが切り替わりました。
図面を引いてくれた設計士さんも気の長い方で、何度も打ち合わせをしてその度に細かな変更をする私たちの要望どおりに図面を書き直してくれました。

工事が始まった8月末には休日の早朝だったにもかかわらず、多くのリーダーたちが地鎮祭に来てくれたのも嬉しい出来事でした。基礎工事が始まってからも気づいたことを教えてくれ、私がそれらを現場監督に伝えると、「スタッフのため、会社のために頑張るあなたのために僕たちも全力を尽くします」と現場監督が笑顔で答えてくれたのも強力な味方を得たようで励まされました。

建設請負をお願いしたタイ人とアメリカ人のカップルも素敵な二人でした。体調の優れない奥さんに代わって旦那さんが頻繁に工事の進捗写真を撮りに来てくれました。このお二人にはもうすぐ待望の赤ちゃんが生まれます。新棟の建設と共に芽生え育まれてきた命、何か縁があるように思えて仕方がありません。
ジャックさんは、現場監督と製造現場との狭間で揺れ動く私に対して、いつも製造第一の目線でアドバイスをくれ、何度も基本にたち帰らせてくれました。ジャックさんのご主人のお仕事がたまたま建築設計のサイトマネージャーということもあり、終業時に彼女を迎えに来たご主人をつかまえて、図面の見方や材質の確認を一緒にしてもらいました。綺麗な夕焼け空が次第に暗くなり、薄暗い電灯の下で彼のお腹がグーグー鳴っていたのが懐かしく思い出されます。
そしてバーンさんは、何と言っても既存の工場棟を建てたご本人です。打ち合わせの同席を頼むと快く引き受けてくれ、休日も関係なく進む建設の進捗を現場で確認してくれました。建設工程が細部に及ぶにつれ、ついつい厳しい(時に過ぎる)目で意見を出す私たちと現場監督の関係がギクシャクしそうな時にも、絶妙なアドバイスをしてくれたのもバーンさんでした。

このようにたくさんの方々の協力のもとに出来上がった新棟です。初めて使う日、私の一番の懸念はスタッフたちにとって快適であるかどうか、働きやすい環境であるかどうか、でした。はじめのうちは広い空間を持て余しているように見えなくもありませんでしたが、1ヶ月もすると作業動線もはっきりし、物の置き場所も定まってきてだんだんしっくりとしてきました。
既存の工場棟の方もガスールチームの空いたスペースを使ってオイルの保管や苛性ソーダの計量もできるようになりました。今までのように倉庫を行ったり来たりする必要もなく、通路で作業をしなくてもよくなり、より石鹸作りに適した場所に生まれ変わりました。
先日、石鹸の作業がお休みの時に既存棟の室内に入ってみました。石鹸チームのみんなはガスールの手伝いに新棟の方へ行っていて、日中にもかかわらず部屋には誰もいません。シンと静まった部屋を見渡すと、たった1ヶ月前の賑やかな光景が頭をよぎります。「一枚のビニルカーテンを隔てただけの空間で石鹸チームもガスールチームも一つところで作業し、大きな声で呼ぶと伝言ゲームのように端の人にまで声が届いていたのも、あれはあれでいい空間だったなぁ」としばし感傷に浸っていました。

私だけでなく、みんなそれぞれに感じていることがあると思います。ともあれ、みんなが今まで以上に快適に働けるように建てた工場です。使う人がいてこそ、工場は生きてきます。これからはここを使うスタッフたちが日々たくさんの想いを込めて、私たちらしい工場に成長させていってほしいと願っています。(Momoko Katsuyama