昨日、タイ全土に戒厳令が発令されました。まさに青天の霹靂の事件です。
しかし、タイの戒厳令は、まさに「タイ的」ともいうべき独特のもので、日本人が「戒厳令」と聞いて想像するような緊迫感はありません。
首都であり、デモと政争の火中にあるバンコクでも大通りは若干寂しくなったものの、軍は特定の場所以外には居ないということですし、まして田舎町のチェンマイでは普段どおりの平穏な時間が流れています。強いてそれを感じる瞬間があるとすれば、特定の政党寄りだったTVやラジオ番組の放映が中止したこと、通常のプログラムを放映しているTV局でも定期的に軍からの発表を流すことでしょうか。
とはいえ、市場の賑わいも屋台の和やかさも、スタッフたちの仕事ぶりも、路上の犬や猫たちも、これで良いのだろうか? という不謹慎な不安さえ湧き上がってくる、いたって「普通」のチェンマイです。
そして今日も穏やかに一日が始まったとおもいきや、我が社でも事件が起きました。
ジャックさんが例の困惑顔でやってきました。とはいえ、若干余裕があり苦笑気味です。
こちらも、少し余裕で対応です。
というのは、コイさんの独立のように、スタッフの身上にまつわる「小さな事件」が時折起きるのですが、ジャックさんの表情からすると、今回もどうやらそんな内容かな? と、何となく察しがつくのです。
「ジャックさん、どうしたの?」
「ゲーちゃんが今日で2日無断欠勤なんです。普段は体調が悪い時もきちんと連絡して来る人なのに。。」
ゲーちゃんとは、この春入社したばかりの20代の新人さんです。
「そうねぇ。ゲーちゃん、真面目な子なのに」
こちらもジャックさんにつられて眉間にしわが少し寄ってしまいます。
「それが、同期で仲良しのユイちゃんの話だと、家に様子を見に行ったら旦那さんはいるんだけれど・・」
「うんうん」
「旦那さんによると、かなり盛大な夫婦喧嘩をしてしまって、それが原因で、ゲーちゃん実家へ帰ってしまったって・・」
ここで、私と一緒に心配顔で話しを聞いていたデスクワーク組は一同笑いだしてしまいました。
もちろん、普段おっとりしたゲーちゃんが飛び出す程の胸の内とは何かを充分心配しながらですが。
ジャックさんも「困りました」と言いながら、つられて苦笑いをしています。
夫婦喧嘩はなんとかも喰わないと言いますし、そんな事で無断欠勤する人なんてと、切り捨てる人もあるでしょう。
確かに少し幼稚なんじゃない? とも言えそうですが、我が社では少数派の20代のゲーちゃん。
顔つきも心持ちも他のスタッフたちに比べればはっきり言って「まだまだ子供」です。
普段は辛抱強い彼女が、そのくらい思い余ってしまったのです。
可愛いく思えるやら、困惑やら、若干の呆れやら、色々な気持が入り交じった笑い声の中、ジャックさんは、
「とりあえず、ユイちゃんがゲーちゃんに電話をして、仕事を続けたいかどうか聞きます。
それから、週末になっても帰らなかったら、ユイちゃん、ゲーちゃんの実家へ行ってみるそうです。
ともあれゲーちゃんの気持が落ち着くまで、処遇のことなど少し待ってもらえますか?」
「了解、マイペンライ。ゲーちゃん、とても良い仕事をするし、早く落ち着くといいね」
「ありがとうございます。ジャックからも、引き続き連絡をしてみます」
「ところで、ゲーちゃんの実家はどこなの?」
ジャックさんの口から出たのは、チェンマイ郊外の、自動車でも一時間はかかる山を越えていかなくてはならない地名でした。
貴重な休暇、そしてガソリン代だってバカになりません。なのにそこまでわざわざ様子を見に行こうというユイちゃんにも、一同絶句しつつ胸が熱くなってしまうのでした。
実は、こうした出来事はゲーちゃんが初めてではありません。
思春期の息子とのコミュニケーションに悩む余りあわやアルコール中毒になりかけたり、持病に悩まされたり、やはり夫との折り合いに行き詰まったり、重病の家族の介護に疲れてしまったり。。。事情はさまざまですが真面目な人が多いせいか、思い詰めて職場にも出て来れなくなってしまう人がまれに居るのです。
場合によっては、そんな心の弱い人は社会人とは言えないのではないか? と言う声もあるかもしれません。納期に追われる会社にはありがたくない存在かもしれません。
けれど、同時にそうした困難は誰もが見舞われる可能性があるではないか? とも思うのです。
実際、こんな時のジャックさんの口癖は
「誰にもアクシデントは起こるし。病気も老いも誰にも来ることだもの」
です。
きっと、彼女のこんな風な一人一人をしっかりきめ細やかに受けとめる結果が、適材適所のスタッフ・マネージメントやみんなのジャックさんへの篤い信頼に繋がっているのでしょう。
それにユイちゃんやジャックさんのような情の濃いタイの人たちの素顔を見ていると、この心身の率直さこそむしろ健やかに見えてきますし、タイの人々の心のありよう、生活の姿が垣間見えるようで、私には親しく思えてならないのです。
そこで私たちも、時にはそれをきっかけにして、会社として生活を守り就労の機会を保障しながら介護に専念してもらえるよう、まだ充分でなかった、介護休暇制度を改めたこともあります。
また、今回のような家庭の事情に対しては、まず心の整理をする時間の猶予を作り、職場復帰ができる方法を探ります。猶予の間、その人に近しいスタッフやジャックさんが電話をしたり、家を訪問したりして、その胸の内に耳を傾けます。そして「やっぱり働きたいな」という声が出るのを待つのです。
なかには話すうちに「やっぱりこんな事じゃダメですね! 少し時間をいただけますか?」と、お寺で2週間ほど修行をし、さっぱりした面持ちで見事復帰した人もいて、これはやっぱり本物の仏教の国だとしみじみしたものです。
いずれにせよ、殆どの人たちが無事復帰し、これまで以上に気持よく働いてくれますし、仲間たちも気持よく復帰を受けとめてくれています。
タイには「ナム・チャイ」という言葉があります。直訳すると「水の心」です。全てを潤し、受けとめ、時には水に流す、そんな大きな心という感じでしょうか。実際の意味は同情や思いやり、共感であり、相互扶助やボランティア、寄付といった実際の行為をたいてい伴います。
なにかに困っている仲間たちに対する、ジャックさん等の様子を見ていると、外国人である私にも「ナム・チャイ」の実際が見えてくるようです。
週明けになるか、もう少し先になるかはまだわかりませんが、今は皆が運ぶ美味しい心の水によって、ゲーちゃんの悪い熱がすっきりと冷め、いつもの涼しい顔で、会社に現れる事を願うばかりです。
戒厳令の方は、今は軍が政府派と反政府派を話し合いのテーブルにつけようと調停中とのことで、今のところは私たちの生活に影響はおよぼしていません。
むしろ、今回は個人の小さな事件の方が、大きな影響をもたらしたようです。
国という大きな事柄はもちろんですが、それを形作る個にも様々な悩みや重さがあるのです。(A.H.)
しかし、タイの戒厳令は、まさに「タイ的」ともいうべき独特のもので、日本人が「戒厳令」と聞いて想像するような緊迫感はありません。
首都であり、デモと政争の火中にあるバンコクでも大通りは若干寂しくなったものの、軍は特定の場所以外には居ないということですし、まして田舎町のチェンマイでは普段どおりの平穏な時間が流れています。強いてそれを感じる瞬間があるとすれば、特定の政党寄りだったTVやラジオ番組の放映が中止したこと、通常のプログラムを放映しているTV局でも定期的に軍からの発表を流すことでしょうか。
とはいえ、市場の賑わいも屋台の和やかさも、スタッフたちの仕事ぶりも、路上の犬や猫たちも、これで良いのだろうか? という不謹慎な不安さえ湧き上がってくる、いたって「普通」のチェンマイです。
そして今日も穏やかに一日が始まったとおもいきや、我が社でも事件が起きました。
ジャックさんが例の困惑顔でやってきました。とはいえ、若干余裕があり苦笑気味です。
こちらも、少し余裕で対応です。
というのは、コイさんの独立のように、スタッフの身上にまつわる「小さな事件」が時折起きるのですが、ジャックさんの表情からすると、今回もどうやらそんな内容かな? と、何となく察しがつくのです。
「ジャックさん、どうしたの?」
「ゲーちゃんが今日で2日無断欠勤なんです。普段は体調が悪い時もきちんと連絡して来る人なのに。。」
ゲーちゃんとは、この春入社したばかりの20代の新人さんです。
「そうねぇ。ゲーちゃん、真面目な子なのに」
こちらもジャックさんにつられて眉間にしわが少し寄ってしまいます。
「それが、同期で仲良しのユイちゃんの話だと、家に様子を見に行ったら旦那さんはいるんだけれど・・」
「うんうん」
「旦那さんによると、かなり盛大な夫婦喧嘩をしてしまって、それが原因で、ゲーちゃん実家へ帰ってしまったって・・」
ここで、私と一緒に心配顔で話しを聞いていたデスクワーク組は一同笑いだしてしまいました。
もちろん、普段おっとりしたゲーちゃんが飛び出す程の胸の内とは何かを充分心配しながらですが。
ジャックさんも「困りました」と言いながら、つられて苦笑いをしています。
夫婦喧嘩はなんとかも喰わないと言いますし、そんな事で無断欠勤する人なんてと、切り捨てる人もあるでしょう。
確かに少し幼稚なんじゃない? とも言えそうですが、我が社では少数派の20代のゲーちゃん。
顔つきも心持ちも他のスタッフたちに比べればはっきり言って「まだまだ子供」です。
普段は辛抱強い彼女が、そのくらい思い余ってしまったのです。
可愛いく思えるやら、困惑やら、若干の呆れやら、色々な気持が入り交じった笑い声の中、ジャックさんは、
「とりあえず、ユイちゃんがゲーちゃんに電話をして、仕事を続けたいかどうか聞きます。
それから、週末になっても帰らなかったら、ユイちゃん、ゲーちゃんの実家へ行ってみるそうです。
ともあれゲーちゃんの気持が落ち着くまで、処遇のことなど少し待ってもらえますか?」
「了解、マイペンライ。ゲーちゃん、とても良い仕事をするし、早く落ち着くといいね」
「ありがとうございます。ジャックからも、引き続き連絡をしてみます」
「ところで、ゲーちゃんの実家はどこなの?」
ジャックさんの口から出たのは、チェンマイ郊外の、自動車でも一時間はかかる山を越えていかなくてはならない地名でした。
貴重な休暇、そしてガソリン代だってバカになりません。なのにそこまでわざわざ様子を見に行こうというユイちゃんにも、一同絶句しつつ胸が熱くなってしまうのでした。
実は、こうした出来事はゲーちゃんが初めてではありません。
思春期の息子とのコミュニケーションに悩む余りあわやアルコール中毒になりかけたり、持病に悩まされたり、やはり夫との折り合いに行き詰まったり、重病の家族の介護に疲れてしまったり。。。事情はさまざまですが真面目な人が多いせいか、思い詰めて職場にも出て来れなくなってしまう人がまれに居るのです。
場合によっては、そんな心の弱い人は社会人とは言えないのではないか? と言う声もあるかもしれません。納期に追われる会社にはありがたくない存在かもしれません。
けれど、同時にそうした困難は誰もが見舞われる可能性があるではないか? とも思うのです。
実際、こんな時のジャックさんの口癖は
「誰にもアクシデントは起こるし。病気も老いも誰にも来ることだもの」
です。
きっと、彼女のこんな風な一人一人をしっかりきめ細やかに受けとめる結果が、適材適所のスタッフ・マネージメントやみんなのジャックさんへの篤い信頼に繋がっているのでしょう。
それにユイちゃんやジャックさんのような情の濃いタイの人たちの素顔を見ていると、この心身の率直さこそむしろ健やかに見えてきますし、タイの人々の心のありよう、生活の姿が垣間見えるようで、私には親しく思えてならないのです。
そこで私たちも、時にはそれをきっかけにして、会社として生活を守り就労の機会を保障しながら介護に専念してもらえるよう、まだ充分でなかった、介護休暇制度を改めたこともあります。
また、今回のような家庭の事情に対しては、まず心の整理をする時間の猶予を作り、職場復帰ができる方法を探ります。猶予の間、その人に近しいスタッフやジャックさんが電話をしたり、家を訪問したりして、その胸の内に耳を傾けます。そして「やっぱり働きたいな」という声が出るのを待つのです。
なかには話すうちに「やっぱりこんな事じゃダメですね! 少し時間をいただけますか?」と、お寺で2週間ほど修行をし、さっぱりした面持ちで見事復帰した人もいて、これはやっぱり本物の仏教の国だとしみじみしたものです。
いずれにせよ、殆どの人たちが無事復帰し、これまで以上に気持よく働いてくれますし、仲間たちも気持よく復帰を受けとめてくれています。
タイには「ナム・チャイ」という言葉があります。直訳すると「水の心」です。全てを潤し、受けとめ、時には水に流す、そんな大きな心という感じでしょうか。実際の意味は同情や思いやり、共感であり、相互扶助やボランティア、寄付といった実際の行為をたいてい伴います。
なにかに困っている仲間たちに対する、ジャックさん等の様子を見ていると、外国人である私にも「ナム・チャイ」の実際が見えてくるようです。
週明けになるか、もう少し先になるかはまだわかりませんが、今は皆が運ぶ美味しい心の水によって、ゲーちゃんの悪い熱がすっきりと冷め、いつもの涼しい顔で、会社に現れる事を願うばかりです。
戒厳令の方は、今は軍が政府派と反政府派を話し合いのテーブルにつけようと調停中とのことで、今のところは私たちの生活に影響はおよぼしていません。
むしろ、今回は個人の小さな事件の方が、大きな影響をもたらしたようです。
国という大きな事柄はもちろんですが、それを形作る個にも様々な悩みや重さがあるのです。(A.H.)