2013年6月7日金曜日

美味なる季節 sweet season

雨季というと、どんなイメージを持つでしょう。
日本の梅雨のように終日雲がたれ込めて憂鬱な雨が降り、更に熱帯であるタイではそこに、大変な湿気が加わって、憂鬱な蒸し風呂にでも居るよう……。
そんな風でしょうか。

4月中旬の水掛け祭りの頃にチェンマイは暑さと乾燥のピークを迎え、空は山焼きの煙や土ぼこりで、晴れているにも関わらず桃色がかった灰色で、その暑さに人も植物もぐったりしながら、どこか狂躁感に苛まれます。
それが、5月の上旬になると突然、熱風の嵐が来る日が数日続いたかと思うと、その嵐の雨に空気が清められ、突如それは高い高い青空が出現、鳳凰樹の朱色がにじむように青さに映え、地面は少し冷やされて朝夕にどこかひんやりとした風が吹いて鳳凰樹の繊細な枝を揺らします。
しかし、夏至へ向かっていく太陽の高度はいや増し、昼にはほぼ頭の上、空の頂上で輝くので地面は再び熱せられ昼には強い上昇気流が発生。日が陰る夕刻、空気が冷え始めると、地上と上空の温度差に輝くような純白の積乱雲が湧き上がり、いつしか、あたりは灰色の薄やみの世界になっています。
すると遠雷と薄紫色の稲光と、マンゴーの葉を散らしながらざっと大風が吹き、突然大粒の雨があたりに打ちつけ、ノイズの嵐と水しぶきのドームに私たちは包まれています。
そんな風に、その年初めてのスコールはやってきて、雨季は鮮やかに始まります。

「フォン・トック・レーオ!」
(雨がきた!)
ガスールの検品の手を止める事なく、スタッフたちが口々に言います。

今日もスコールです。

一瞬、ぱっと検品の手元灯が消えます。
「オイ!」
「オォーイ!」
(タイ語でびっくりした時のかけ声は「えー!」でも「わおっ!」でもなく、「オイ!」なのです)
遠くで落ちた大きな雷で、瞬間的な停電が時折やってくるのです。
一瞬の停電ならば良いのですが、あまりに大きな落雷の時は長い停電になることもあります。
でも、そんな事はこの国では当たり前の事。停電で仕事が停滞する事は殆どありません。それぞれにバッテリーや自家発電機などの対策はあらかじめ取られているし、個人の生活の中でもこうしたことへの備えは充分にされているからです。
そしてこうした姿勢の背景には、田舎の暮らしのなかには、まだまだ電気が無い頃の知恵やライフスタイルが残っていて、そうした方法が会社などの中にも、小さな場面に生かされていることが感じられ、私はそうした事にタイという国の人たちの地に足のついた知恵や謙虚さ、眼差しの柔軟さや真っ直ぐさを感じずにはおれません。

私たちの会社でも、長めの停電が来れば「おやおや雨季だものね」と、パッケージ検品など電気が無くてもできる仕事に、スタッフたちはすっと切り替えてしまいます。あまりに素早くて、自然なので、誰が指示したのかもわからない程です。
(実際は、終業後の現場リーダーミーティングなどで、各業務の進捗状況の情報共有や、こんな場合は……。というケーススタディがかなり渋く行われている)

「あーあ、こっちのマンゴーは実が落ちちゃったわ、帰りに貰ってこうと思ったのに……。こっちの木のは良い匂いなのにね」
「もっと早く雨が降るようになっていればリンチーももっと大きくなったのに」
「雨、帰る頃には止むかな。市場で晩ご飯買いたいんだけど」
作業の手も、品質管理の目も抜け目無く働かせながら、なんだか午後になると食べ物の話が多くなるのは女性が殆どの職場だからでしょうか。

無事、雨が止んで終業前の掃除の時間。
庭師のバーンさんを囲んで、スタッフたちがなんだか羨ましそうに騒いでいます。
件のバーンさんは建物の傍、地面に円錐形に成形した青い網をピラミッドのように伏せて満面の笑み。

「なあに?」
「メンマンだよ!」
「いいなぁ~!」

網の中を覗き込むと、体調4センチはある大きな羽アリが地面からはい出してきています。身体はニスを塗ったように艶がある赤茶色。
メンマンというのは、北タイ方言の呼び名で、ヤマアカアリの仲間です。
「もう少し暗くなると、この上の方に一杯出てくるよ」
「うーわ~。」
興味津々だけれど、ちょっと顔が強張っている私に対し、バーンさんは、ニコニコを通り越して、ちょっとにやけた風にも見える顔で笑っています。
その背後で、網の外に這い出したメンマンを何匹か手のひらにこそっと、隠匿しているスタッフもいます(笑)。

北タイには虫を食べる文化があります。
野生の蜜蜂の子はもちろん、タガメ、竹の中に育つ虫、マンゴーアリの幼虫、チクンというコオロギに似た虫、大型のカイガラムシなどなど、それは様々な虫を食べ、料理法も多彩。
メンマンも実はその一つで、雨季になると、羽蟻たちが新しい家族を作るために古巣から出てくるのを捕まえるのですが、これが滅多に手に入らない珍味。それがなんと会社の敷地の中にあり、しかも同時に3つの巣から出てきたのですから、「庭の主」であるバーンさんは顔が弛んでしまうし、スタッフたちは羨ましくなってしまうのも致し方ないことでした。

「サワディー・カー(さようなら~)」
製造マネジャーのジャックさんが、わいわい言っている私たちの後ろを通り過ぎました。
「ジャックさん、メンマン、いらないの?」
「うーん……、ジャックは、マンゴーを採って行くから」
「工場の庭のは美味しい?」
「一番美味しいのは玄関の脇の木のね。とても匂いがいいの。でも、敷地の入り口のも小さいけれど酸味が効いていて美味しいの」

そんな話しをしていると、ジャックさんの向こうにアメリカネムノキの若木のまわりに生えたドクダミを摘んでいるクリーム製造チームのノイちゃん。
「これ、スープにいれます。良い匂いだから」
その向こうには、コンポストに生えた空芯菜や、カラスウリの若い蔓の束を持っている子が視界を横切って行きます。

こちらでは蟻採り、あちらには野草摘み、それからマンゴーもぎ。他にも小さな紫の木の実を狙っているスタッフもいます。
終業後の工場は、気づけば最早工場ではなく、あたかも畑か野原か、狩猟採集生活の場。
そうでした。今は「ルドゥ・ローン」と呼ばれる暑くて乾ききった季節(乾季)の後の、「ルドゥ・フォーン」(雨季)。恵みの季節です。
マンゴーやマンゴスチン、ドリアンを筆頭に数え切れないほど沢山の種類の果物、珍しい虫たち、川には魚、野原には香り高く美味しい草、森にはキノコ(ドライブをすると道沿いに、山で採った茸を売る人たちの露天が並ぶのもこの季節)、至る所に美味しいものが育つ豊かで甘美な季節。スタッフたちが庭ですっかりはしゃいでしまうのも当然でした。

実は、私にとってはこの「狩猟採集」の時間もとても貴重な時間です。
メンマン採りのように本当の北タイの人たちの暮らしぶりや自然観を学ぶ場であり、採った果物やハーブを包む蓮やバナナの葉の形に、例えば、こんな新しいパッケージがあったら……と、皆と話し合う場になっているからです。
少し緊張してミーティングで顔を突き合わせるより、むしろ全身を動かし、五感に心地よい感覚をたっぷり満たしながら、くすくす話し合った事の方が、もの作りのアイデアや方法の源泉になっていて、ミーティングはむしろそれを実現するための「段取りの打ち合わせ」になっているような気がします。
そんな事をスタッフたちも感じるのでしょうか、良い香りのハーブや細い草や竹を編んだカゴやおもちゃ、パンダヌスの葉で包んだ餅菓子、ココナッツの殻のお皿などを作ったり、市場で買って「これ、見た事ありますか?」と少し自慢そうに持ってきてくれ、この豊かな庭での会話が、仕事の時間をも豊かにするきっかけになっているのです。

私たちの作る化粧品と蟻も、あまりに唐突な組み合わせのようですが、けれどそこにも実は、蟻が出てくる場所や野草の美味しい部分を選びとる、北タイの自然と健やかに結びついたスタッフたちの手や目の繊細な感覚がフルに働いています。

もしできるなら、これからは、皆が持ってきてくれる美しい北タイのかたちや香りを素材に、新しいもの作りができないか? と、メンマンが地面から空に向かって飛び立とうとする様子や、ノイちゃんが大変な秘密を打ち明けるように、涼しい香りのハーブを私の鼻にそっと近づけてくれる様子を思いながら、考えるこの頃です。


ちなみにメンマンは、かりっと炒めてもち米(北タイの主食はインディカ米ではなく、もち米)と一緒にいただくのが美味しい食べ方です。(A.H.)