2014年4月10日木曜日

“ワイ” 道具に敬意を、仕事に誇りを pride in work, respect for tools

タイで暮らすようになり、日常的に手を合わせることが増えました。「手を合わせる」といっても、なにもお墓や仏壇に手を合わせるのとはちょっと違います。
日本では手のひらを合わせる動作を「合掌」といいますが、ここタイではその所作を「ワイ」といいます。タイ人との付き合いの中ではもちろんですが、生活の中で自然に身と付いてきたように思えます。
しかし「ワイ」は日本のいわゆる「合掌」とは異なります。「ワイ」は、相手への敬意を示すタイの伝統的な挨拶です。飛行機を降りる際、上質でトラディショナルなレストランで食事をした際、スパなどで心地よいマッサージをしてもらった際……。タイを訪れるとあちらこちらでよく見かけると思います。ワイはタイの文化や礼儀においても大切にされており、その相手や敬意の度合いによって作法も違ってきます。また、手の合わせ方も合掌とは異なり、蓮の花の蕾を模して少し中を膨らませます。

「ワイ」は挨拶だけに限定されているわけではありません。タイの習慣として様々な儀式でも行われる美しい所作です。例えば、生徒が先生に敬意と感謝を示してワイをする「ワイクルーの日」があります。(「クルー」は「先生」の意で、「先生にワイする日」)また、タイ式マッサージやスパで施術に入る前に「ワイ」を行う場合もあります。この場合、もちろんお客様への挨拶でもありますが、「さあ、これから始めますよ」と、施術に向けての施術者自身の心の切り替え、準備も兼ねているようにも思われます。
 
私自身もタイで長く暮らすようになったので、「ワイ」がかなり身に付いたと自負しています。しかし、先日「ワイ」の意義をさらに深く考えることがありました。
それは私が工場内で初めての製造工程研修をしていた時のことです。
その日、工場長のジャックさんが、私の作業の確認に来ました。柔らかな物腰で、ニコニコしながら穏やかに話しかけてきます(それでも、点検の目は厳しいです)。
「ワイはしましたか?」
私は、作業中の手を止めて、首を傾げました。
「ワイ、ですか?」
ジャックさんはニコニコしています。他のスタッフもニコニコしています。
私は手を合わせて、「ワイ……、ですか?」ともう一度聞きます。
ジャックさんは頷きます。
「今、ですか? 誰にワイするんですか?」
私は同じ作業台に座っている、ジャックさんとタイ人スタッフ2人の顔を見回します。
ジャックさんは穏やかに言います。「器械にワイするんですよ」。
他のベテランスタッフも言います。「あらあら困った。作業を教えたのは誰ですか?」
「プンちゃんだよ、全部教えていなかったんだねえ」
「忘れていました、すみません」
ジャックさんと他のタイ人スタッフが話しています。
私は、作業台に置かれたシーリングの器械に視線を落とします。
「今度作業に入る時には、ワイしましょう」
ジャックさんは、私のシーリングした袋を点検し終わると、そう言いました。
私は作業に戻ります。

シーリングは、私が一番好きな作業です。商品を作り上げた感触を実感し、ゴールのような達成感があります。使う人が後ろで待っているような温かい気持ちが生まれてきます。
そして、ガスールの点検、計量と袋詰め、袋の成形、シーリング、重量の最終確認、パッケージング等のガスール生産の全行程の中で器械にお世話になるのは、このシーリングの作業と計量の時だけです。あとは、人が主体となって行う、人の手と目に委ねられた作業になります。
他の作業よりも一人前にシーリングの作業がこなせるのは(私は褒められた研修生ではありません)、この器械のお蔭かもしれません。合格をもらったシーリングの線と、よそゆき顔になった袋の中のガスールを眺めながら、そう思いました。
 
「ワイ」は、私たちの現場でも息づいています。では、モノづくりにおいての「ワイ」の必要性とは何でしょうか。
モノづくりは人の手で行います。人が手を動かす時、傍に道具があります。シーリングの器械だけでなく、また計量器だけでなく、ガスールを小さな破片に切るための道具であったり、また石鹸を切るカッターであったり、様々な道具がたくさんあります。私たちの工場に大きな機械はありませんが、小さな器械と道具はたくさんあるのです。
とかくモノづくりは、人の手でのみ生み出すことと思われがちですが、実のところは、多くの道具にお世話になって行われています。その道具たちとの良好な付き合い方としての礼儀、関係を織り結ぶ際に自然に振る舞うための行為が、スタッフたちの言う「ワイ」なのかもしれません。

まだ私は、正直なところ自分が道具に向き合って作業に入る時、慣れない場所に立っているような緊張感を感じます。自分の力では出来ない仕事を委ねる道具に「ワイ」をすることで、その緊張感が解けて、同時に目の前の仕事の意義が明確になるような気持ちの変化も感じます。
「ワイ」は、他者に接する際の礼儀であり美しい所作であると共に、私たちの気持ちの持ちようを切り替える区切り、自己洞察の二面性も併せ持った行為であるとも思います。
それらを、工場長のジャックさんをはじめスタッフの皆は、自然体で解っているのかもしれません。


あくる日、タイ人スタッフがシーリングの器械に「サワッディカー(おはよう)」と言葉をかけていました。なんだかとても微笑ましく思いました。私も今日はワイをして挨拶します。(Miyajima