2015年9月2日水曜日

背中から覗いた景色 memories on the back over

規則正しく動く手、同じサイクルで聞こえる音、ときどきスタッフの話し声と笑い声。時間が許すなら、相手を緊張させないのならば、いつまでもずっと見ていたい、工場で流れる私の好きな時間です。
1年前、私がまだ入社して間もない頃、現場研修としていろいろな体験をさせてもらいました。その中で今でもよく思い出すのがバイトゥーイ(パンダナスの葉)の花の折り方を教えてもらった時のことです。
チェンマイ郊外にあるリゾート、hoshihana village のお客さま用のアメニティとして作っているこのバイトゥーイの花は、お部屋に置いてもハンカチに包んでもふわりと香る清楚な緑のバラのようです。月に一度この作業の日が来ると、少し離れた場所でデスクワークをしていても、バイトゥーイの青っぽくて甘い香りが漂ってきたものでした。

この作業の担当はカーンさんとトイさんのベテランコンビです。カーンさんは折る手順をひとつずつ説明してくれ、それでもうまくできずにいると手を戻してまた説明してくれます。花びらの層が3層ほどしかない私の不出来なバイトゥーイの花を「うまく折れてるよ」と褒めてくれました。トイさんは言葉ではどう説明したらいいか分からないという様子で、バイトゥーイの花をいくつも折っては見せてくれました。トイさんの手元を見ていると、まるで手が勝手に動いているかのように、ものの1分足らずで次々に緑のバラができあがっていきます。「学校で先生が教えてくれたの?」という私の質問に、「周りの大人たちが作っているのを見て自然と覚えたのよ。お寺にお参りに行くときにはこの花とお線香のセットをいくつも作って持って行くのよ」。そう答える間もトイさんの手は止まることなく花を折り続けていした。

トイさんの周りにはいつも静謐な空気が漂っています。いつも穏やかで、大きな声で話したり大笑いする姿を見ることは滅多になく、休憩時間も軽く体を動かしたり、疲れた目を休めるために緑を眺めている姿を見かけます。いつも変わらず穏やかな雰囲気をまとうトイさんを見るたび、ちいさなことで喜怒哀楽している私は羨ましくなります。
バイトゥーイの折り方を習った日も、トイさんは甘いバイトゥーイの香りの中、規則正しく手を動かして次々と緑の花を銀色のバットに並べていきます。…私が折ったらゆるゆるのバラにしかならないのに、トイさんが折るとどうして同じ大きさ・同じ密度でできるんだろう…と、私はトイさんの手元を後ろからそっと覗いていました。その時なぜだか以前にも経験したような懐かしい気持ちになりました。しばらく経ってからふと思い出したのですが、その時の気持ちは、私が小学生の頃、祖父母の家に遊びに行った時に感じたのと同じだったのです。

両親は仕事で忙しかったので、夏休みになると毎年祖父母の家に遊びに行くのが恒例でした。といっても祖父母の家の近所に友達がいるわけでもなく、たいていは祖父の散歩についていったり、祖母がご飯の用意をするのを手伝ったりしながら、散歩途中に見かけた花を水彩で描いてもらったり、煮干から出汁をとる方法を教えてもらったりして過ごしました。なぜだかトイさんの背中からそっと覗いた光景がそんな昔の出来事を思い出させてくれたのです。
小豆ともち米を炊いておはぎを手作りした際、大量に入れる砂糖の量に驚いたこと。破れた靴下を繕い、服についたシミを落としてくれることがとても嬉しかったこと。おはぎはお店で買うもの、破れた靴下は捨てるものと思っていた私にとっては、祖父母と過ごした一週間ほどの夏休みは発見と小さな感動の連続でした。

トイさんの背中は、うまくできない私に教えてあげようというのではなく、いつもやっていることをただいつもどおりにしているだけなのですが、その背中が醸し出す雰囲気は祖父母のそれと同じで、忘れかけていた私の中の遠い記憶がつぎつぎと蘇ってシンクロし、しばらくぼうっとなったのでした。

それはいつまで見ていても飽きない、いつまでも眺めていたい静かで平和な時間でした。人の手がものを作り出す瞬間や自分ができないことを当たり前にやってのける人を目の当たりにする感動、sal laboratoeies のものづくりの現場にはこういうエピソードがまだたくさんありそうです。こんな懐かしい思い出にまた出会いたいな、と思います。(Momoko Kastuyama