2014年9月10日水曜日

私たちの工場〜バナナとココナッツとサトウキビのように our factory!

8月30日、土曜日。本来は休日。いかにも雨季な少し暗い小雨。朝7時少し前・・・。
普段ならば1週間の仕事を終えて、まだベッドの中でうとうとしている時間です。
にも関わらず、会社にはジャックさん、ガスールチームリーダーのエー・ドーイさんを筆頭に古参スタッフたちが顔を揃えました。
夕べの大雨で、途中の道だって悪路だったはずなのに、皆なんとも晴れがましい表情です。
ほんのりお化粧もしていれば、皆なんとなく、普段よりお洒落をしているのですが、何故か足元だけは裸足にサンダルです。

日本でも建物を建て始める際には、地鎮祭が行われますが、タイにも良く似た儀式があります。
「ピティ クン サオエーク サオトー」と言い、「サオ(柱)」という言葉があるように、こちらでは、基礎の穴を掘ってから、最初の柱と二番目の柱を建てる時に行います。
今日8月30日は、その儀式を行う日だったのです。

タイは仏教国ですが、かつてはバラモン教が信仰され、それ以前には精霊信仰があり、特に北タイではその混淆が色濃く残っているため、「ワイ・ピー」と呼ばれる精霊のための儀式が幾つもあります。
それを取り仕切るのは、アチャーン(先生)と呼ばれる在野のバラモンの司祭ですが、実際にはシャーマンのような存在です。
タンブンという徳を積むための仏教儀式でも、なぜか最初にアチャーンが精霊に対して儀式をし、その後、お坊さんたちと信者たちの仲立ちのような役割をするのもアチャーンです。実は、タイにはとても多層的な信仰世界があります。

そのような儀式やシャーマンが存在することからも分かるように、多くの人々は見えざる者の存在を信じていますし、我が社のスタッフたちも、製品を輸出した翌日には、精霊の家に製品の無事の到着や、これからの仕事が良きものになることを祈ります。
また近隣の村の人たちには、私たちの工場には見えざる住人たち(?)が数多く住まうことが知れ渡っており、中にはとても強く素晴らしい守護の力を発揮する存在もいるのだと、皆さん噂しあっているそうです。実際のところはわかりません(笑)。もし仮にそのような存在が居ないのだとしても、人を包むこの自然は、素晴らしく畏怖すべきものですし、そこから顧みて自らの身を低くし、謙虚であろうと意識することは、心を穏やかに保つのによいものです。

ともあれそのような場所ですから、地面に刻み目を入れ、掘り返し、普段とは違う人や物や道具が出入りし騒々しくするにあたっては、尊い見えざる存在たちと生活の糧をもたらしてくれるこの場所に対し、しばし続く不調法の了承を得ながら予め詫び、その先においてはより良い場所にすることを約束しなくてはなりません。
少し厳粛な気持を抱えつつも、今まで以上に存分に働けて気持のよい場所ができる期待で胸をいっぱいにしながら、スタッフたちはこの朝の儀式に集まったのでした。

10年と少し前、今私たちが仕事をしている工場を建てた時は、まだ誰もが新米で自分の事に精一杯でした。
当時仮工場として使っていた古いタイ式の家の薄暗い階段の踊り場で、事務机の代わりの段ボール箱で事務作業をし、言葉もままならない中で未経験の仕事を幾つも抱え、身も心も緊張と不安で石のように固まってビリビリしている私の傍らで、まだ加わったばかりのジャックさんや、まだなににつけ暗中模索・ヒヨコならば、頭とお尻に殻がまだくっ付いているようだった新米スタッフ(メーオさん、エー・ドイさんら、現・古参の姐さんスタッフ)たちは、こわごわ、しかし懸命に日々のトレーニングと仕事を続けながら、工場建設をどこか不安げに、遠巻きに眺めていました。
きっと、当時の彼女たちは、新しい工場ができたらそちらに移らなくてはいけないのかしら? 本当にできるのかしら?(建物の建設も、資金繰りなど見切り発車して途中で頓挫することは、こちらではままあることです)それよりその時まで、私、ここに居られるのかな? 頑張れるかな? この間失敗しちゃったし・・・。などなど、今のどっしりぶりからは想像もつかない身の細る思いに苛まれていたでしょう。

ちなみに、私たちがこわごわ眺め緊張しながら接していた、この工事現場には後で分かることですが、大変な宝物が隠れていました。
工事の現場で、職人としてバーンさんとカーンさん夫婦が働いていたのです。
もともと資材管理も任されており、親方の信頼篤いことはすぐ分かりましたし、言葉は分からずとも仕事ぶりでは目立つ二人でしたから、その様には畏敬の念を覚えてはいたけれど、まさか後に自分たちの仲間になるなんて!
まして会社の外回りを一手に引き受ける見事な知恵と腕前を持つお父さん(バーンさん)と、観察力鋭く知恵と包容力豊かな未来の石鹸リーダー(カーンさん)になるとはその頃は、誰一人想像だにしていませんでした。
バーンさん達だって、よもや自分達が建てた場所で働くことになるなどとは露程も思っていなかった筈です。

ともあれ、誰もが不安いっぱいで、おそるおそる暗い海へ漕ぎ出したような当時と、今回はその始まりの雰囲気が全く違います。
今回の新しい工場は、スタッフ達がこの10年間、まさに「道具」の一つとしてこれまでの工場を活用し尽くしたうえで、新しい空間の活用アイデアを出し合い、設計士の方と話し合って作り上げる場となりました。おそらく、それぞれの頭の中には新しい工場が隅々まで見え、働いている自分たちの姿さえ思い浮かべているでしょう。
おかげでこの儀式も、10年前のそれは立ち会いはごく僅かな形ばかりでしたが、今回は早朝わざわざリーダーたちが駆けつけたばかりでなく、特にガスール担当のエー・ドイさんは普段よりお洒落にもお化粧にも力が入り、記念写真も何度も撮って、それは嬉しそうな、思いきり心のこもったものになりました。
ガスールチームは一番仕事も人数も多いのに、逆にそれが災いして作業スペースの広さや明るさ、電気の配線などには不自由をし、その中でもエー・ドイさんは皆をまとめあげて来たのです。新しい工場は用途をガスール製造を主目的にした空間ですから、喜びもひとしおなのはよくわかります。

儀式はジャックさんが市場で買って来てくれた、餅米と甘い焼豚を食べ終わって7時半頃、バーンさんが、いつもお世話になっているアチャーンを連れて来ると始まりました。

まずは、アチャーンが敷地の中心にある精霊の家(ピーの祠)の傍らに東西南北と天地を祀る台を作って、前日にパーンさんやナイさんたち、今日は来れなかったスタッフ等が作ってくれた供物を各世界に居る精霊たちのために飾り、祈りを捧げます。
次に、最初に立てる二つ柱にバナナとココナッツの実の房、バナナとサトウキビの苗を括りつけると、アチャーンは更にその柱にへその緒のように太い糸の束を結び、祈りの言葉を唱えながらソムポーイの実などを入れた聖なる水を花につけて、柱や基礎の穴に振り掛けて清め、それから工事の職人さんたちがその清められた柱を土台の上にしっかりと立てます。
そこへ、それまで手を合わせて祈っていたスタッフたちが、タイでは縁起の良い数である9バーツをそれぞれのお財布から取り出して基礎の穴へ投げ入れました(小額とはいえ、このお金はおのおののお財布から出しました)。そんな所にも、自分たちが作る場所なのだという気概と願いが感じられます。
更にアチャーンが祈り「はい。もうお開きですよ」と声をかけると、最後の仕上げに工事の真似をします。
大きな盥いっぱいのコンクリートをバケツに汲んで、基礎の上へ掛けるのです。(お洒落したに足元が裸足にサンダルだったのはこの作業のためでした)
ちょっと年功序列は気にしながらも、つい我れ先になってきゃっきゃと笑い合いながら、何度も何度も何度も注ぐさまは、なんとも嬉しそう。改めて「私たちの」工場なのだという、一人一人が施主になったような気持が伝わって来て嬉しくなりました。

さて、柱に括りつけられた植物たちには意味があります。
バナナとサトウキビの苗はどちらも成長が早いことから、安全に遅れることなく建物が立つように、そして良い場所としてすくすく成長するように。ココナッツとバナナの実はどちらも沢山大きな房になること、また男女和合の象徴であることから(実際の我が社は女性が多く、心優しいアマゾーヌの集団のようですが)、この場所に大勢の家族ができて皆が豊かに幸せに暮らせるようにという意味が込められています。

最初は不安いっぱいに始まったこれまでのもの作りの旅も、振り返れば楽しいものでした。その証拠は、この場所はとりあえず収入を得るために通う仮初めの場所とは違う、皆にとって大切な場所へと少しずつ変容してきた過程が示しているように思います。
更に新たに建てられようとしている工場のプランには「ここは私たちの工場なのよ!」というそれぞれの気持が根を降ろした居場所、舞台、生きる場所だという気持がこもっている気がします。
もちろん、それぞれが担わなくてはならない責任と役割はあり、重さも範囲も異なりますが、この工場が、誰もが「私の、私たちの」と感じ、生き生きと日々を過ごし、人生を重ねて行ける場所になって欲しいと改めて願う日となりました。(Asae Hanaoka)