2014年7月28日月曜日

何日君再来  see you again

なかなか雨が降らない、どうも今年は変だね、と言いあう事が年々増えていますが、それでもチェンマイも本格的な雨季に入りました。
午後になれば遠くに大きな象の足のような灰色の雨の柱がゆっくりと、まさに象の歩みのように移動して行くのが見えたり、夜には雷鳴とともにパチンコ玉を落としているような激しい雨音が屋根の上に飛び跳ねるようになりました。
そのように空からもたらされる水に、地面にこもっていたじくじくとした太陽の熱も涼しく洗い流され、朝夕の気温は25度を下回って、薄い上掛けや半袖の寝間着では薄ら寒く感じる、まるで避暑地に来ているような天気が始まりました。

そんな涼しく、むしろ心もとなささえ感じる頃、新しい社員名簿が同報されてきました。
データを開いて見ると、何か物足りなさが。名簿の更新は、3名のスタッフが突然去ったことによったものでした。
月末のお弁当代の急騰に驚きながらも、ジャックさんの一言「皆とても頑張っているんです」が暖かく胸に沁みて張り合いでした。そんな中、少し短くなった名簿は、大げさでなく、自分のどこかが少し欠けたような気さえしたのです。

こうしたことは続くものなのか、偶然にも皆母親の介護など夫々の身辺の事情の退職でしたが、それを報告しに来た3人からは、それぞれ本当はずっとここに居たいという言葉や、離れる事を惜しむ涙がこぼれ、各チームのリーダーや仲間も口々に、その腕や人柄に対して「あなたがいなくなるなんて」「なんて勿体ない」「いつでも帰ってきて!」と言葉をかけ、私は私で、復職の可能性があった際、相談に応じるという言質を、交渉上手なジャックさんから取られてしまいました。
もちろん、素晴らしい技能と誠実な業務態度と、フル稼働中の現場でのこの3人の不在をどう埋めるか? という難題とが目の前にある中での約束なのですが・・・。
ジャックさんを筆頭に、互いに助け合う気持がもともと深い仲間たちですし、特にここ数ヶ月の厳しい生産スケジュールを乗り越える事で、それぞれの技能は一段と高く、チームワークにも目を見張るものがありました。
これからも、こうして頑張って行こう! と声を掛けあう毎日の中での思いがけない出来事ですから、それぞれの胸中に迫るものは一層でした。

「これもチウィットかな」
復職の雇用条件等の検討の後、ジャックさんが微笑しながら、しかし、しょんぼりと呟きました。
悲しい事、ままならない事があると、ジャックさんはこの「チウィット」という言葉を使って、波立つ心を鎮めようとします。
タイ語で「チウィット」とは、生命、生活、人生を意味しますが、そんな用法を目の当たりにするせいでしょうか、こればかりはどうしようもない致し方ないという風の、運命の悪戯や無情を悲しむ雰囲気が微かに漂う気がします。

陽気で情熱的で、そして心地よく、楽しく華やかなことが好きだと思われるタイ人ですが、仏教の輪廻転生のイメージの影響でしょうか。
あるいは、全てが見る間に土と緑の中に埋もれて行く、豊かながら厳しい自然の中で醸成された無常観がある文化故なのでしょうか。
「チウィット」の言葉の向こうに微かに漂う痛みのように、タイの人々は明るい陽射しの彼方に、縹渺とした切なく深い闇の淵を常に感じている、そんな複雑で透明な受容の表情をふっと見せる事があります。
このような感覚故に、私たちは今の厳しい社会情勢下であっても、静かに日常を重ねて行けるのかもしれません。

なかには、タイは列強に植民地されることなく現在に至ってしまったので、例えば戦後の日本のように民主主義によって価値や社会が一変するような価値の大転換を体験していない。彼等は未だ旧時代の階級社会の中にある。それ故のこの忍耐力や諦観なのだと分析する外国人も居ます。もしかすると、そうした一面もあるのかもしれませんが、それではまるで西欧化する事、植民地化する事を肯定しているような言い分ではないか? と違和感を覚えざるを得ません。長い歴史を見れば、実際のタイ、特に北タイでは、様々な国の攻防の中をしなやかに生き抜きながら、人々は独自の言葉と文字を持ち、文化を保ってきた、潜在的な力強さがあるのです。
そうでなくても、工業的、消費的な市場化された経済・社会をかつての西部開拓よろしく、企業が押し寄せ、アジアにも広げていこうとする今の経済や社会の急激な変化にも、それだけが真の社会や国の発展、生活の向上なのか? という疑問も湧きます。

価値の転換の仕方は、他とは違うかもしれません。世界史で学ぶ年表の上では、大きな転換は成していないかもしれません。また時にはある種の社会階級的な価値観の相違に、他者への共感の不足とそこに由来する傷みを感じる事もありますが、他の国を見渡してみても、この国の歩みが間違っていたり遅れているとは思えません。この国ならではの知恵やしなやかさや美徳があり、自然や宗教に根ざした別の方法、精神があることもまた見えるのです。
まだそれが何かをはっきり名指せずにはいますが、だからこそタイ人個々人の優しさや徳が生きている、その知恵や方法の源にもっと近づきたいと願っています。
ともあれ今は、意に反して離職せざるを得なかったスタッフたちがいつか、再びこの門を敲いてくれることを祈るばかりです。(Asae Hanaoka)