2014年8月16日土曜日

倍返し  a revenge tragedy?

内容も演技もまるで歌舞伎のようなTVドラマ『半沢直樹』の噂は、日本へ殆ど行くこともない私の耳にも届きました。実際に見たことは残念ながらありませんが、友人がまるで大和田暁や浅野匤、小木曽忠生のような上司などについて愚痴った時には、「そんなの倍返しだ!」と半沢直樹のキメ台詞を一緒に言ってみたこともあります。友人が受けた理不尽に同情しつつ、柔和で品のある面持ちの堺雅人が、顔を大げさに歪めながら「倍返し」などという呪いのようにショッキングな言葉を言う気分を想像してみると、面白くて真似してみたかったのです。とはいえ、本当にこんな上司や仕事仲間はゴメンだし、まして倍返しはするのもされるのもいやだなぁ。と思いつつ。
でも、遊びでもそんな事をしていたバチがあたったのでしょうか?
今日はとうとう私が「倍返し」を受けてしまいました。

タイでは、8月12日はシリキット王妃様の誕生日にちなんで母の日になっています。祝日です。しかも今年は前日の11日月曜日も政府が休日に指定したため、国中が先週末から4日間の小さな夏休みでした。地域によって、交通機関や公園などの入場料が無料になったり、お母さんに謝意を伝えるセレモニーがあったり、日本の母の日よりもおおがかりで、どこか甘酸っぱい気分が漂っていました。

明けて今日からは普段通りの毎日。そして午前11時。
休憩が終わって気分はリフレッシュ。昼休みへ向けて、現場スタッフたちの作業の手さばきがノリに乗る佳境の時分です。庭では「カンカン!」と、もと鍬の歯だったベルを誰かが勇ましく叩いていました。
にも関わらず、なかなか作業が始まる気配がしません。
あれ? と思ったところに、ジャックさんがパーテーション代わりの整理棚の影から小さな円い顔を出しました。引き締まった表情です。

「どうしたの?」
それには答えず、彼女は何かを後ろ手に隠して机まできました。
後ろ手なんて、尋常ではありません。何を隠し持っているのでしょう。思わず机を立ちます。
「どうしたの? どうしたの?」
その時です。ジャックさんに続いて、その後ろからぞろぞろとスタッフたちも現れました。
ガスールチームだけではありません。経理のブンさんも、カーンさんたち石鹸チームも、ノイちゃんたちクリームチームも次から次へとやってきます。
手には小さなバイトゥーイで作ったジャスミンの造花。中には庭でつんだ本当のジャスミンを添えたものもあれば、超絶技巧で、バイトゥーイの枝分かれを利用して、小さなブーケを作ったものもあります。そしてジャックさんの手には、綺麗なガラス皿にのせられた細密なジャスミンのレイ。こちらでは「マライ」と呼ばれ、儀式の時、また仏像などに捧げられます。

普段、どちらかといえば世事に疎くぼんやりしていて、うっかり祝日に出勤するようなこともある私ですが、さすがに気付きました。

「あ! わかった! 母の日だ!」
「うふふふふ、一日遅れですけれどねー」
ジャックさんはぴたっと硬かった顔を、まさに半沢直樹の如く一瞬にしていつもの甘く優しい風に変え、他のスタッフ皆もああこれで秘密解禁。とにっこりしました。

実はジャックさん、先週末は私たちが、スタッフ皆に母の日にちなんで(何しろ女性ばかり、しかも大半がお母さんの職場です)日頃の感謝として、花を贈りたいのだけど?と相談したところ「大切な全体会議をします!」とスタッフ全員に招集をかけ、緊張の面持ちで集まったスタッフ皆の前に、大きなフューシャピンクの大輪の薔薇の花束を持ってきて、ビックリさせる演出をしたのです。演出は大成功でした。
ところが今度は驚かせる側だった私が、まんまと驚かされる側にされてしまったのです。

私がやられた! と、嬉しさと驚きに固まっていると、ジャックさんのスピーチを皮切りにそれぞれが、短く感謝の言葉とともにバイトゥーイで作ったジャスミンの花をくれました。

「ここは会社だけれど、会社じゃなくて、家族みたい」
「あなたは、私たちのお母さん」
(もちろん、知らない国で右も左もわからない私を助けてくれたあなた達こそ、私のお母さん。と返しました)
「皆で話しあって問題を解決して行く、他とはちょっと違う会社」
「色々な場所で働いたけれど、ここが一番楽しい!」
「ずーっと一緒に仕事をしてきて、大変な事もあったけれど、それも良い経験です。これからもずっと一緒ですよ」

文字にしてしまうと、なんだか甘すぎて歯が浮くような言葉ばかりですが、それぞれが10年、5年と一緒に格闘しながら築いて来た場所や関係への言葉です。その表情やこれまでの仕事を思い返せば、その甘さの中には、ほんのり苦みも渋みも滋味もあり、積み重なった時間や思いの濃さと相まってなんだかラムヤイの蜂蜜のよう。
そしてその優しい言葉を発するそれぞれは、つい涙ぐんでしまったり、顔がにこにこと、どんどんほころんでしまうのを止められなかったり、言葉を通して、それぞれがこれまでの時間を振り返っているよう。
あたりには、ひとしきりバイトゥーイの新鮮な優しく芳しい青葉の香り、マライのジャスミンの清い香りとともに、受けきれない程の言葉の花が降り注いでいました。

近頃このようなうれしい出来事があるたびに思うのは、10年を越えてそれぞれの個性や生き方を尊重しながら、仕事を続けてこられたことのかげがえのなさです。
まだまだ小さな会社ですから、もう少しずつでも皆の給与を増やせるようにしたい、就労環境や定年後を考えれば、福利厚生だって充実させなくては、家族の事だってなにかできないだろうか?などなど、色々な願いや課題はいくつもあります。それらの実現には、増収や会社の規模の拡大も必要でしょう。しかし、やみくもに会社を大きくすること、利益追求に軸足を置きすぎることで失われることも少なくはないのだと、今、世界で起きていること、環境の変化を肌で感じ、あるいは日々仕事と生活の間を往復しながら、私たちは気付きつつあります。

ともあれ、まずそれぞれが安心してその人生設計ができるように会社を持続させることが必要です。
そのためには会社には個人よりも長く生きる大きな木のように、着実な基礎体力が必要です。
そして、それに見合った適切な成長の速度があることでしょう。また大きくなりすぎれば自らを支えきれなくなる事だってあるでしょう。
沢山の花を貰いつつ、瑞々しい花や葉の香りの中、あらためてこの大勢の娘たち、母たちと生きて過ごしてゆく場所と時間の保ち方について考えたのでした。(花岡安佐枝)